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第21話「冥府への扉」

 背後で門が閉じた。

 振り返ると、黒い石の門が完全に封じられていた。古代の文字の光が一つずつ消えていく。帰り道が断たれた——わけではないだろう。魂魄支配で開けたのだから、同じ方法で開けるはずだ。だが、この場所にいる限り、地上との繋がりは細い糸一本分だけだ。

 前を向いた。

 冥府。門をくぐる前に見た景色が、今は足元に広がっている。

 荒涼とした大地。紫色の光に照らされた地表は、乾いた砂と黒い岩で覆われている。草も木もない。だが完全な不毛ではなかった。地面のあちこちに、蒼白い光の粒子が漂っている。蛍のような光が低く浮遊し、風に吹かれて流れていく。

 魂視で見た。光の粒子の一つ一つが、魂の欠片だった。

 死者の魂が砕けて、砂粒のようになったもの。それが冥府の大地に積もり、地面そのものが薄く発光している。何千年、何万年分の魂の残滓が、この大地を作っていた。

 美しい光景だった。だが、どこか物悲しい。これだけの魂が、還ることもできず、ここに留まっている。

「……懐かしいのう」

 リリスが隣で呟いた。紅い瞳が紫の光を映して、深い色になっている。

「800年前、わらわはこの景色の中で封印されたのじゃ。あの時は——もっと穏やかだった。魂の光も、今より多く、明るかった」

「今は違うのか」

「ああ。暗いの。魂の密度が薄い。それに——」

 リリスが遠くを見た。冥都の方角だ。

「あの都市の光が、以前より弱い。何かが起きておる」

 反対側では、シャルロットが黙っていた。

 見ると、顔が強張っている。両手が微かに震えていた。鎧の残骸に覆われた体の呪いが、冥府の空気に反応しているのか——それとも、純粋な恐怖か。

 死の世界だ。呪いに半年間蝕まれ、死の淵にいたシャルロットにとって、この場所は恐怖そのものだろう。

 俺はシャルロットの手を取った。

「大丈夫だ。ここは俺の領域だ」

 シャルロットがびくりと肩を跳ねさせた。手を振り払おうとして——止まった。

「べ、別に怖くなんかないし。ただ、呪いが反応してるだけで——」

「知ってる。だから手を繋いでおく。魂魄支配で呪いの反応を抑えられる」

 嘘ではない。実際に、手を繋いだ瞬間からシャルロットの呪いの脈動が落ち着いた。だが、それだけが理由でもなかった。

 シャルロットは何も言わず、俺の手を握り返した。指先に力がこもっていた。

 リリスが反対側でちらりとこちらを見た。共鳴を通じて、微かな感情が伝わってきた。嫉妬——ではなく、からかいたくて仕方ない感情だ。だが今は空気を読んだらしく、何も言わなかった。

    ◇

 冥都に向かって歩き始めた。

 歩きながら、冥府の仕組みが少しずつわかってきた。

 ここは「死後の世界」ではない。正確には「生と死の中間領域」だ。死者の魂は本来、肉体を離れた後に冥府を通過して、その先の「還る場所」へ向かう。冥府は通過点であって、終着点ではない。

 だが、全ての魂がすぐに通過できるわけではない。未練の強い魂、死に方が不自然だった魂、行き場を見失った魂は、冥府に留まる。そうした魂たちが長い年月をかけて集まり、「記憶の街」を作った。それが冥都ネクロポリスだ。

 魂視で周囲を見ていると、地面に沈み込んだ魂の残滓から、断片的な記憶が立ち上ることがあった。誰かの声。笑い声。子守唄。遥か昔に死んだ人々の、最後の記憶の欠片。

「レイド。ぬし、泣いておるぞ」

「……泣いてない。魂視で記憶の欠片に触れると、感情が流れ込んでくるだけだ」

「それを泣いておると言うのじゃ」

 袖で目元を拭った。死者の記憶は、温かいものが多かった。最後の瞬間に思い浮かべるのは、大切な人の顔。家族。友人。恋人。死の間際に、人は一番大事なものを思い出す。

 その温かさが、胸に染みた。

    ◇

 異変は唐突に訪れた。

 前方の岩場の影から、黒い靄が噴き出した。形のない、だが明確な敵意を持った存在。靄が集まり、人の形に近い輪郭を取る。顔はない。目もない。だが、こちらを認識している。

「何じゃ、あれは——」

 リリスが血の茨を放った。紅い茨が靄を貫く——素通りした。実体がない。血の魔法が通用しない。

 シャルロットが剣を抜いて斬りかかった。刃が靄を切り裂く——だが、切り裂いた端から元に戻る。物理攻撃も無効だ。

 靄が腕のようなものを伸ばし、シャルロットに掴みかかった。触れた瞬間、シャルロットの顔が苦痛に歪んだ。

「っ——! 冷たい……魂が、吸われる……!」

 俺が魂魄支配でシャルロットと靄の間に割って入った。魂の壁を展開し、靄を押し返す。

「怨念体だ。普通の攻撃は効かない。魂に直接触れるしかない」

 魂魄支配で怨念体の魂を掴んだ。

 ——流れ込んできた。

 恐怖。怒り。絶望。三つの感情が渦を巻いて、一つの魂を歪めている。元は普通の死者の魂だったのだろう。だが何かが——外部からの力が、この魂を捻じ曲げて怨念体に変えた。

 自然に歪んだのではない。人為的だ。

 魂鎮を展開した。怨念体の中の恐怖を鎮め、怒りを解きほぐし、絶望を受け止める。

「……お前も苦しんでいたんだな。もう大丈夫だ」

 怨念体の輪郭が崩れた。黒い靄が薄れ、中から小さな光の欠片が現れた。本来の魂の欠片だ。微かに震えている。怯えた子供のように。

 光の欠片は俺の手のひらの上でしばらく震えていたが、やがて落ち着いて、ゆっくりと空に昇っていった。還るべき場所に、還っていく。

「……この怨念体は、本来は普通の死者の魂だ」

 俺は二人に向き直った。

「何かが魂を歪めて、怨念体に変えている。自然現象じゃない。誰かが——意図的にやっている」

 リリスの目が鋭くなった。

「魂の循環が乱されておるということか」

「ああ。冥府の魂は本来、通過して還る。それが妨げられて、留まり、歪み、怨念体になっている。これが冥府の異変の正体だ」

 シャルロットが剣を鞘に収めた。

「……私の剣もリリスの魔法も効かなかった。ここでは——あんたしか戦えないの?」

「怨念体に関しては、そうだ。物理も魔法も通らない。魂に直接触れられるのは死霊術師だけだ」

 シャルロットが悔しそうな顔をした。「足手まといにならないって言ったのに……」

「怨念体以外の敵が出ないとは限らない。それに、俺が怨念体を処理してる間、背中を守ってくれる奴が必要だ」

 シャルロットの目が少し明るくなった。「……それなら、任せて」

 先に進んだ。冥都が少しずつ近づいてくる。紫色の光に包まれた巨大な都市。塔と城壁のシルエットが、暗黒の空を背景に浮かび上がっている。

    ◇

 冥都の外縁まであと数百メートル。城壁の輪郭がはっきり見え始めた頃だった。

 空が——裂けた。

 暗黒の空に、一筋の黒い光が走った。流星のように。だがそれは星ではなかった。

 落ちてくる。

 黒い光が冥都の上空から急降下してくる。速い。地面に激突するコースだ。

「何か落ちてくる!」

 シャルロットが叫んだ。

 魂視で見た。落ちてくる光の中に——魂がある。生きている魂だ。死者ではない。冥府にあるべきではない、生きた存在の魂。

 そして、その魂の色。

 白。純白。冥府の門の向こうから聞こえた、あの声の主だ。善意に満ちた色。だが苦悩と消耗で、白の中に灰色が混じっている。

 落下速度が速すぎる。このまま地面にぶつかれば、魂ごと砕ける。

「魂喚!」

 地面に手をつき、冥府の大地に眠る古い魂を呼んだ。冥府は魂の宝庫だ。地上よりも遥かに多くの、遥かに強い魂が眠っている。

 応えがあった。大地から巨大な魂の残像が立ち上がった。古代の戦士——いや、巨人だ。身の丈十メートルを超える半透明の巨人が、両腕を広げて落下する存在を受け止めた。

 衝撃。巨人の腕が軋む。だが砕けなかった。三秒で巨人は消えたが、その間に落下速度を殺しきった。

 受け止められた存在が、地面に静かに横たわった。

 女性だった。

 長い銀灰色の髪が地面に広がっている。白い衣を纏っているが、ぼろぼろに破れていた。肌は蒼白で、全身に傷がある。

 そして——背中に翼があった。

 黒い翼。鳥の翼ではない。光沢のある羽根が密集した、巨大な翼。だが片方が途中から折れていた。折れた部分から黒い液体が滴っている。血だろうか。

 魂視で彼女の魂を見た。

 純白の魂。だが人間の魂ではなかった。もっと大きく、もっと複雑で、もっと古い。人間の魂が手のひら大の光球だとすれば、この魂は両腕で抱えるほどの大きさだ。構造が違う。層が多い。人間の魂にはない、別次元の深みがある。

「……これは、人間の魂じゃない」

 息を呑んだ。

「天使の——いや。堕天使の魂か」

 リリスが目を見開いた。

「堕天使? なぜ冥府に堕天使が——」

 女性が微かに呻いた。意識はない。だが、魂はまだ生きている。消えかけてはいるが、必死に灯を保っている。

 翼の折れた堕天使。天界から堕ちたのか、それとも追い落とされたのか。

 俺は外套を脱いで、女性の体にかけた。冥府の冷気から守るだけの気休めだが、何もしないよりはいい。

「治療できるか」

 リリスが聞いた。

「人間の治療とは勝手が違う。魂の構造が別物だ。だが——魂が生きている以上、やれることはある」

 俺は膝をつき、堕天使の額に手を当てた。魂魄支配で、微かに触れる。

 流れ込んできたのは——一つの言葉だけだった。

 ——助けて。

 冥府の門の向こうから聞こえたのと、同じ声。同じ叫び。この堕天使が、地上の俺を呼んでいたのだ。

「……助けるよ。そのために来たんだ」

 暗黒の空の下、冥都の灯りを背景に、三人は一人の堕天使を囲んでいた。


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