第2話「七年間の影」
街道を一人で歩くのは、久しぶりだった。
王都を出て半日。人里からは随分離れた。見渡す限り草原が続き、遠くに黒い森の影が見える。持ち物は黒の外套と、魂魄支配の術式を書き留めた古い魔術書一冊。それから、パーティの共有金庫から渡された旅資金が銀貨数枚。七年間の報酬としては、あまりにも少ない。
日が暮れ始めたので、道から少し外れた木立の下で夜営の支度をした。火を起こし、干し肉を齧る。パーティにいた頃の食事は温かかった。
今は、冷たい干し肉だけだ。不思議と、不味くはなかった。自分のために食べる飯は、七年ぶりだ。
焚き火の炎を見つめていると、七年分の記憶が勝手に甦ってくる。
◇
——七年前。俺は十五歳だった。
成人儀式の日。神殿の祭壇に手を置くと、光が俺の天職を映し出した。
死霊術師。
神官が言葉を失った。隣にいた母親が口を覆った。祭壇の周りにいた村人たちが、一歩、また一歩と後ずさった。昨日まで一緒に遊んでいた友人が目を逸らし、老人が地面に唾を吐いた。
「出て行け。呪われた子は、この村にはいられない」
村長の声は震えていた。怒りではなく、恐怖で。
その日のうちに、俺は村を追われた。母親は泣いていたが、止めはしなかった。止められなかったのだろう。死霊術師を匿えば、村全体が教会から罰せられる。
各地を放浪した。冒険者ギルドに登録しようとしても、天職を告げた瞬間に門前払いされる。「死霊術師なんぞ登録できるか」「教会に通報されたいのか」。宿に泊めてもらえないことすら珍しくなかった。路地裏で寝て、残飯を漁る日もあった。
半年近くそんな生活を続けた頃、声をかけてくれた男がいた。
「お前、冒険者か? ギルド前でずっとうろうろしてただろ」
大柄な青年だった。金髪を無造作に束ね、安物の剣を背負っている。Cランクの冒険者登録証を首から下げていた。
ゼノン・ブレイド。当時はまだ駆け出しの剣士で、パーティメンバーを探していた。
「天職は?」
「……死霊術師」
身構えた。いつもの反応が来ると思った。
だがゼノンは、眉一つ動かさなかった。
「へえ。聞いたことねえな。で、何ができるんだ?」
「……魔物の魂を鎮められる。夜番の時、霊障から仲間を守れる。あと、魂を見ることで敵の弱点がわかる」
「便利じゃねえか。職業なんか関係ねえ。強い奴は歓迎だ。——明日から来いよ」
嬉しかった。
あの時のゼノンは、馬鹿みたいにまっすぐだった。怖いもの知らずで、見栄を張らず、仲間に飯を奢るのが好きで、負けた相手にも手を差し伸べる男だった。
だから俺は、このパーティのために全力で戦おうと決めた。
◇
——四年前。パーティがAランクに昇格し、名声が高まった頃のことだ。
Aランクダンジョンの深層で異変が起きた。
ゼノンの聖剣で斬り伏せた魔物が、数秒後に立ち上がった。次の魔物も。その次も。何度斬っても、焼いても、吹き飛ばしても、敵は何度でも蘇る。
「なんで倒した魔物が復活するんだ!? こんなの今までなかったぞ!」
ゼノンが叫んだ。聖剣を何度振り下ろしても、斬った傍から肉体が再構成されていく。
エリーゼの治癒魔法が追いつかない。ダリウスの炎が魔物を焼くが、灰の中から骨が立ち上がる。ミレーヌの風魔法で吹き飛ばしても、壁に叩きつけられた肉塊がまた動き始める。
パーティが初めてパニックに陥った。ゼノンの指示が乱れ、エリーゼが悲鳴を上げ、ダリウスが炎を乱射し始めた。
俺には見えていた。
魂視で見ると、斬られた魔物の魂がすぐに器に戻り、肉体を再構成している。魂が健在な限り、体は何度でも蘇る。肉体を壊すだけでは意味がない。魂そのものを鎮めなければ。
魂魄支配を全力で展開した。
蘇りかけた魔物の魂を一体ずつ掴み、鎮め、還していく。一体に数十秒かかる。その間にも新しい魔物が蘇ろうとする。右手で一体を鎮めながら、左手で次の魂を抑え、同時に結界で仲間を霊障から守る。視界が白く明滅した。限界を超えた負荷で、鼻から血が垂れた。
何分かかったのか、わからない。
気がつくと、魔物は全て動かなくなっていた。静寂がダンジョンに落ちた。
俺は壁にもたれて、荒い息をついていた。足が震えている。鼻血を外套の袖で拭った。
ゼノンが聖剣を鞘に収めて、息をついた。
「ふう……危なかったぜ。さすがに手こずったな」
ダリウスが肩を回した。「いやー、俺の炎がなかったら終わってたな」
エリーゼが微笑んだ。「さすがゼノン。最後はやっぱりあなたの聖剣ね」
ゼノンが髪をかき上げて笑った。「まあな。やっぱ俺の聖剣は最強だぜ」
——俺が何をしていたか。誰も見ていなかった。
鼻血の跡にも、荒い呼吸にも、壁にもたれて立てなくなっている俺にも。
誰も、気づかなかった。
◇
——二年前。深夜、夜番をしていた時。
パーティはSランクに到達し、【曙光の英雄】の名は王国中に知れ渡っていた。ゼノンは貴族の令嬢に囲まれ、ダリウスは武闘大会で名を馳せ、エリーゼは聖女として教会に祀られている。
俺は——相変わらず、影にいた。
深夜の焚き火の前で、エリーゼが幕舎から出てきた。「眠れなくて」と言いながら、俺の隣に座る。
「レイドさん、いつもありがとう。夜番、いつも一人でやってくれてるのよね」
「慣れてるから」
「……でも、一つだけお願いがあるの」
エリーゼの声が少しだけ低くなった。微笑みはそのままだ。
「あまり目立たないでくれると助かるな。先日のダンジョンでも、あなたが何かしてたのは薄々わかってる。でもね、ゼノンの手柄にしておいた方がいいの。あの人のプライドが傷つくと、パーティの雰囲気が悪くなるから」
「……ああ」
「あなたの役割は、みんなの影にいること。そうでしょう? あなたもわかってるはず。死霊術師が前に出たら、パーティの評判が——」
「わかってる」
俺はそう答えた。最初からそのつもりだった。死霊術師が表に立てば、パーティの評判に関わる。だから後方で術を使い、誰にも気づかれないように仲間を支える。それが俺の役割だ。
エリーゼは満足げに微笑んだ。「ありがとう。やっぱりレイドさんは話がわかる人ね」
そう言って幕舎に戻っていった。
焚き火が爆ぜた。
——わかっていた。最初から、そのつもりだった。
ただ、わかっていても。「影にいて」と面と向かって言われると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
◇
——一年前。ある夜。
ギルド併設の酒場で一人飲んでいた。隣のテーブルにダリウスがいるのは知っていた。他パーティの冒険者と飲んでいる。俺には一言も声をかけない。いつものことだ。
だが、聞こえてきた会話は、いつもの無視とは違った。
「うちの死霊術師? あんなの足手まといだよ。後ろでブツブツ言ってるだけ。何してるのかわかんねえし。でもまあ、ゼノンが情けで置いてやってんだ」
他パーティの冒険者が笑った。
「死霊術師とか、よく一緒にいられるな」
「まあ雑用係みたいなもんだよ。荷物持ちとか夜番とか。戦闘じゃ何の役にも立たねえけどな」
ダリウスは上機嫌だった。俺を貶すことが、他パーティへの娯楽になっている。
俺は黙って席を立った。誰にも気づかれずに店を出た。
外は雨だった。冷たい雨に打たれながら宿に向かう。
前日の夜。ダリウスが酔って暴れた後、霊障で悪夢にうなされていた。俺は黙って魂鎮めをかけてやった。朝になったらダリウスは「よく寝た」と伸びをしていた。
——別に、今更だ。
足手まといでも、雑用係でも、何と呼ばれてもいい。俺がやっていることは変わらない。仲間の魂を守る。それだけだ。
ただ——雨は、冷たかった。
◇
回想が途切れて、焚き火の前に意識が戻った。
火はだいぶ小さくなっていた。薪を足しながら、つい呟いていた。
「結局、俺は何のために七年を……」
言いかけて、首を振った。
違う。無駄じゃない。あの七年間、俺は確かに仲間を守っていた。ゼノンの聖剣が最大限に振るえたのは、俺が魂を安定させていたからだ。エリーゼの治癒魔法が的確に効いたのも、ダリウスの炎が暴走しなかったのも。誰にも気づかれなかったが、事実は変わらない。
たとえ誰にも気づかれなくても。俺がやったことは、嘘じゃない。
「……まあ、次だな」
そう言い聞かせて、外套にくるまった。星が綺麗だ。パーティにいた頃は、夜番の間ずっと仲間の魂を守ることに集中していて、星を見る余裕なんてなかった。
今夜は、誰の魂も守らなくていい。
少しだけ、寂しかった。
——目を閉じかけた時だった。
左手が、微かに脈動した。
心臓の鼓動とは違う、もっと深いところからの共鳴。魂魄支配が勝手に反応している。何かに——呼ばれている。
身を起こして、地面に手を当てた。
感じる。この下に、何かがいる。途方もなく古い魂の気配。封じられ、眠り続けている存在。
「……下に、何かがいる」
森の奥、闇の向こうに、微かな青白い光が漏れていた。
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