表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/23

第18話「迫る影」

 数日後の夜。

 宿屋の屋上に出ると、リリスが先にいた。

 石の手すりに腰かけて、夜空を見上げている。銀髪が夜風に揺れていた。月明かりに照らされた横顔は、息を呑むほど綺麗だった——が、共鳴で伝わってくる感情は、穏やかではなかった。

 物思いに沈んでいる。

「……眠れないのか?」

 声をかけると、リリスが振り向いた。

「ぬしこそ。最近、夜ごと屋上に来ておるじゃろう」

「いろいろ考えてた。冥府の門のこと、教会のこと、シャルロットの呪い。それに——」

「それに?」

「リリスのこと」

 リリスが目を瞬いた。

「わらわのこと?」

「オルガの話を聞いてから、気になっていた。教会がユーリを——50年前の死霊術師を殺したこと。そして800年前、教会がリリスを封印したこと。同じ教会が、二度も死霊術師と吸血鬼を潰している」

「……ああ」

 リリスの表情が少し翳った。

「ぬしは一人で抱え込みすぎじゃ。冥府の門も、教会も、シャルロットの治療も——全部ぬし一人の肩に載せようとしておる。わらわにも頼ってよいのじゃぞ」

「頼ってるよ。毎日」

「戦闘ではの。じゃが、心の中は違うじゃろう」

 鋭い。共鳴で全部伝わっているのだから、当然といえば当然だが。

 リリスが手すりから降り、俺の隣に座った。肩が触れる距離。

「のう、レイド。一つ、聞いてくれぬか。わらわの昔の話を」

「……ああ」

「800年前の——封印される前の話じゃ」

    ◇

 リリスは静かに語り始めた。

「わらわは真祖の吸血鬼として生まれた。生まれたというより——気がついたらそうなっておった。人間の記憶はない。最初の記憶は、月の光の中で目を覚ましたことじゃ」

 月の光の中で目覚めた。それが、リリスの最初の記憶。

「吸血鬼の本能は、人間の血を求める。じゃが——わらわは、それに従いたくなかった」

「どうして」

「理由はわからぬ。ただ、人間を見ていると——面白かったのじゃ。畑を耕し、家を建て、子を育て、祭りで踊る。短い命を、全力で生きておる。それが、眩しかった」

 リリスの目が遠くなった。800年前の景色を見ている。

「わらわは人間を襲わない道を選んだ。血は魔獣のもので代用した。人間の村の近くに住み、少しずつ交流を始めた。病人の治療を手伝い、魔獣から村を守った。楽しかったのじゃ。本当に」

 声に温もりが混じった。

「そうして百年ほど暮らしておった頃——魔王が現れた」

「魔王」

「世界を滅ぼしかねない存在じゃ。人間だけでは抗えなかった。わらわは——人間の側に立って戦うことを選んだ。人間の将軍たちと同盟を組み、共に魔王に立ち向かった」

 リリスの拳が握られた。

「戦いは長かった。じゃが、最後にはわらわたちが勝った。魔王を倒し、世界は救われた。——そこまでは、よかった」

「……その後か」

「ああ。戦いが終わった途端に、教会が動いた。『吸血鬼が魔王を倒したのではない。人間の信仰の力が魔王を打ち倒したのだ』と宣言した。そしてわらわを——『魔王の残党』と断じた」

 リリスの声が冷えた。

「共に戦った仲間だったはずの者たちが、手のひらを返した。わらわが最も信頼しておった人間の将軍——あの男が、背後からわらわに剣を突き立てた」

 魂の契約の時に、断片的に流れ込んできた記憶。あの時は映像だけだった。今、リリスの口から語られると、その重みが違った。

「将軍は言った。『すまない、リリス。教会には逆らえないのだ』と。——すまない、で百年の信頼を裏切るのじゃから、人間とはよくできた生き物じゃ」

 皮肉を言いながら、リリスの目は笑っていなかった。

「七つの封印が刻まれ、わらわは棺に閉じ込められた。じゃが——封印の直前に、一人だけ、わらわの側に立ってくれた人間がおった」

 リリスの声が、一段低くなった。大事なことを話す時の声だ。

「死霊術師じゃ。名前は——覚えておる。ルシア。若い娘だった。教会に追われていたわらわを匿い、封印の術式に干渉して、わらわの魂だけは守ってくれた」

「魂を守る——」

「封印は体を縛り、力を奪う。じゃが、ルシアがわらわの魂に保護の術をかけてくれたおかげで、わらわは800年間、魂を保つことができた。あの子がいなければ、わらわの魂はとうに消えておった」

「その死霊術師は——」

「死んだ」

 短い一言だった。

「教会の聖騎士に殺された。わらわの棺の前で。最期に——笑って言ったのじゃ」

 リリスの目に涙が浮かんだ。800年前の涙だ。

「『リリスさん、大丈夫ですよ。いつか必ず、あなたを起こしてくれる人が来ます。だから——安心して眠ってください』」

 夜風が止んだ。

「……800年間、その言葉だけを握りしめて眠っておった。そして——ぬしが来た」

 リリスが俺を見た。紅い瞳に、月光と涙が光っている。

「ルシアの言った通りじゃった。800年後に、本当に来てくれた」

「……その死霊術師が、俺を導いたのかもしれないな」

「かもしれぬ。いや——きっとそうじゃ」

 リリスが小さく笑った。泣きながら笑うのは、魂の契約の日と同じだった。

    ◇

 しばらく、二人で黙って星を見ていた。

 風が冷たい。だが隣のリリスの体温は——人間より低いはずなのに——不思議と温かかった。共鳴を通じて、互いの感情が流れている。言葉にしなくても、伝わっている。

「レイド」

「ん」

「ぬしはわらわの二度目の命じゃ」

 声は静かだった。だが、込められた感情は深かった。

「800年前にルシアがわらわの魂を守ってくれた。それが一度目。そしてぬしがわらわを棺から出してくれた。それが二度目。——だから、絶対に、ぬしを失いたくない」

「俺もだ」

 即答した。

「リリスも、シャルロットも、これから出会う仲間も。もう誰も失いたくない」

 リリスが——そっと、俺の肩に頭を預けた。

 銀髪が肩にかかる。甘い香りがした。吸血鬼の体温は人間より低いはずなのに、触れた部分が温かい。共鳴が感情を伝えている。安心。信頼。そして——もっと深い、名前のつけにくい何か。

「……こうしていると、800年の孤独が嘘のようじゃ」

「俺は7年だけど……同感だ」

 リリスが小さく笑った。「7年と800年を同列に語るでない」

「孤独に大小はないって、前に言ったろ」

「……そうじゃったの」

 肩に預けた頭が、少しだけ重くなった。リリスの呼吸が穏やかになっている。眠りかけているのかもしれない。800年間まともに眠れなかった真祖の吸血鬼が、俺の肩の上で安心して眠ろうとしている。

 起こすわけにはいかない。このまま、しばらく。

 星空を見上げた。今夜の星は、格別に綺麗だった。

    ◇

 夜が白み始めた頃。

 リリスはいつの間にか目を覚まし、部屋に戻っていた。「肩を借りたこと、シャルロットには言うでないぞ」と耳まで赤くして去っていった。800年の威厳はどこに行ったのか。

 俺は一人で屋上に残り、朝焼けを見ていた。東の空が紫から橙に変わっていく。

 ——その時。

 魂視が反応した。

 南の方角。テルミナに向かって、複数の魂が移動している。

 数は——十。いや、十五以上。隊列を組んで移動している。規律正しい動き。軍隊か、それに準ずる組織。

 魂の色が見えた。灰色だった。

 灰色は良心の欠如を示す色ではない。あれは「使命」の色だ。自分の意志ではなく、組織の命令で動いている者たちの魂の色。個人の感情を押し殺し、任務だけを遂行する——そういう人間の魂が、灰色になる。

 教会の使者たち。

「……来たか」

 オルガの警告が現実になった。教会がテルミナに調査団を送ってきた。

 急いで階段を降り、リリスとシャルロットを起こした。

「教会の連中がテルミナに向かっている。十五人以上の隊列だ」

 シャルロットの顔が強張った。「教会が……」

 リリスの目が冷たく光った。「800年前と同じじゃな」

「二人とも落ち着け。まだ敵と決まったわけじゃない。調査と言っている以上、いきなり武力行使はしないだろう。だが——備えは必要だ」

 三人でギルドに向かった。朝の通りはまだ人が少ない。だが、門の方角から馬蹄の音が聞こえてきていた。

    ◇

 テルミナの南門に着いた時、教会の一団は既に門前にいた。

 白い法衣を纏った者が五人。その後ろに、銀色の鎧を着た兵士が十人。聖騎士だ。槍と盾を携え、整列している。朝の光を受けて、白と銀の一団が眩しいほどに輝いていた。

 先頭に立つのは、四十代と思しき男。白い法衣に金の縁取り。上位の司祭だ。顔は穏やかだが、目が笑っていない。王都でゼノンたちの宿を訪れたような下っ端の使者ではない。もっと上の立場の者だ。

 門番が困り果てた顔で立っている。

 その前に——オルガが立っていた。

 杖をついた小さな老婆が、聖騎士十人と司祭五人の前に一人で立ちはだかっている。背筋はまっすぐ伸びていた。

「ここに死霊術師がいると聞いた」

 司祭が言った。穏やかな声だが、反論を許さない響きがある。

「禁忌の術を使う者を野放しにはできません。教会の権限において、調査を行います」

 オルガが杖で地面を叩いた。

「うちの冒険者に何の用だい」

 司祭の眉が僅かに動いた。

「ギルドマスター殿。これは教会の管轄です。冒険者ギルドが口を出す案件ではありません」

「あたしの町で、あたしのギルドの冒険者に手を出そうって言うなら——それはあたしの案件だよ」

 オルガの声は低かった。だが、聖騎士十人を相手にして、微塵も退いていなかった。

 朝の光の中で、二つの勢力が門前で向き合っている。

 俺はオルガの背後に立った。リリスが右に、シャルロットが左に並ぶ。

 司祭の目が、俺を捉えた。

「……あなたが、死霊術師レイド・ノクターンですか」

「ああ」

「教会は、あなたと話がしたい。——協力的に対応していただけることを、願っています」

 穏やかな言葉の裏に、鉄の棘が隠れていた。


読んで下さりありがとうございました!

★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!

Youtubeにて作品公開中!

http://www.youtube.com/@mizukara-h2z

ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ