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第17話「レイドの名前」

 そのニュースは、冒険者ギルドの掲示板に貼り出されていた。

 「Sランクパーティ【曙光の英雄】、第十五層ダンジョン踏破に失敗。Aランクパーティの救援により撤退」

 掲示板の前に人だかりができていた。冒険者たちがざわついている。

「マジかよ。曙光の英雄って、あのゼノンのパーティだろ?」

「Sランクがボスに手も足も出なかったって?」

「聞いた話だと、倒した魔物が何度も蘇ったらしい。それに聖剣の出力が落ちてるとか」

 朝のギルドで依頼を確認しに来ただけだったが、足が止まった。

 ——倒した魔物が蘇る。

 当然だ。魂鎮めをする者がいなくなったのだから。

「レイド」

 リリスが隣で掲示板を見ていた。俺の表情を伺っている。

「元の仲間の危機じゃぞ。助けに行かぬのか?」

「……仲間じゃない。もう、な」

「ふむ」

「つーか、自業自得でしょ」

 シャルロットが腕を組んで言った。左腕だ。先週の第3段階解除で、左腕も自由になった。両腕が使えるようになったシャルロットは、以前より表情が豊かになった。特に、不機嫌な時の身振りが大きくなった。

「七年間支えてくれた人を捨てたんだから。困るのは当然じゃない」

「シャルロット」

「何よ。間違ったこと言ってないでしょ」

 間違ってない。全くその通りだ。

「……正直、自業自得だと思う。でも、心配してないと言えば嘘になる」

 リリスとシャルロットが、同時に俺を見た。

「七年間一緒にいたんだ。情がないわけじゃない。ただ——俺が行ったところで、あいつらが受け入れるとは思えない」

 七年間、何をしているか見ようともしなかった連中だ。今更「魂鎮めがないから困ってる」と言ったところで、信じるかどうか。

「それに、俺にはやることがある。ここでな」

 リリスが小さく頷いた。シャルロットは「ふん」と鼻を鳴らしたが、俺が振り向くと、少しだけ安心した顔をしていた。行かないことに、ほっとしている顔だった。

    ◇

 テルミナの昼下がり。依頼を終えてギルドからの帰り道。

「あ、死霊術師のおにいちゃんだ!」

 路地から子供たちが駆けてきた。五人。町の子供たちだ。一番小さい子は五歳くらいで、一番大きい子でも十歳に届いていない。

「おにいちゃん、今日もおばけと話した?」

「おばけじゃないよ。魂だ」

「たましい? ねえ、おばけとどう違うの?」

 こういう質問に正確に答えるのは意外に難しい。しゃがんで目線を合わせた。

「おばけは怖がらせようとしてくる奴。魂は、ちゃんと話を聞いてあげれば、安心して帰ってくれる奴」

「へー。おにいちゃん、魂とお話できるんでしょ? すごいねえ」

「死霊術師って怖くないの? お母さんが昔は怖いって言ってたけど」

「今は怖くないよ。だっておにいちゃん、お墓のおばけ追い払ってくれたもん。お墓参り行けるようになったし」

 子供は正直だ。大人の偏見を持たない。「死霊術師は怖い」と教わっても、目の前の人間が怖くなければ、そちらを信じる。

 一番小さい子が、ぐいっと俺の外套を引っ張った。

「ねー、おにいちゃん、これあげる」

 小さな手に、道端で摘んだらしい野花が握られていた。茎が折れかけている。

「……ありがとう」

 受け取ると、子供たちがきゃあきゃあ笑って走り去っていった。

 リリスが後ろで腕を組んで、にこにこしていた。

「ぬし、子供に好かれるのう」

「からかうなよ」

「からかっておらぬ。羨ましいのじゃ。800年前、わらわに花をくれる人間はおらなかった」

 リリスの声に、少しだけ寂しさが混じっていた。だがすぐに笑顔に戻って、シャルロットの方を向いた。

「シャルロットも子供は好きか?」

「に、苦手よ。騒がしいし、ベタベタ触ってくるし——」

 言い終わる前に、走り去ったはずの子供が一人戻ってきた。シャルロットの前に立ち、黄色い花を差し出した。

「おねえちゃんにもあげる!」

 シャルロットが固まった。

「……え」

「おねえちゃん、きれいだから!」

 子供はそれだけ言って、また走っていった。

 シャルロットの顔が耳まで赤くなった。黄色い花を両手で持ったまま、どうしていいかわからない顔をしている。

「……子供って、その、悪くないかもしれない」

「素直になるがよい」

「うるさい!」

    ◇

 夕方。宿屋の部屋で、シャルロットの呪いの経過を確認した。

 先週の第3段階解除は成功している。左腕の鎧が完全に砕け、両腕が自由になった。残りは4段階。胴体、両脚、そして最深部の核。

 魂視でシャルロットの魂を見た。金色の光が、以前よりもはっきりと輝いている。呪いの黒い鎖は4本残っているが、解放された部分の金色が鎖を押し返し始めている。

「順調だな。第4段階は来月の頭を目処にやる」

「……うん」

 シャルロットの返事が、少し歯切れが悪かった。

「どうした」

「なんでもない」

 なんでもなくはない顔だったが、追及はしなかった。

 シャルロットが部屋を出た後、リリスが言った。

「あの娘、不安がっておるぞ」

「わかってる」

「わかっておるなら、何が不安かもわかるじゃろう」

 わかっている。

 呪いが全て解ければ、シャルロットがこのパーティにいる理由がなくなる。治療のために仮加入した。治療が終われば——帰る場所はない。実家には戻れない。だがこのパーティに「治療以外の理由」で居続ける口実もない。

 シャルロットの不安は、そこだ。

「……時が来たら、ちゃんと伝えるよ」

「何を?」

「治療が終わっても、出て行く必要はないって」

 リリスが満足げに微笑んだ。「よし」とだけ言った。

    ◇

 翌日。オルガに呼ばれた。

 ギルドマスターの私室。いつもの簡素な部屋。オルガは茶を淹れながら、いつもより慎重な口調で話し始めた。

「レイド。お前さんの噂が広まっている」

「……良い噂だといいんだが」

「良い噂だよ。テルミナの死霊術師が、亡霊を鎮め、呪いを祓い、死者の声を聴く。北部のラーゼル村でも評判だ。あの村を救った冒険者の話は、もう近隣の町まで届いている」

 オルガが茶を一口飲んだ。それから、俺を見た。目が真剣だった。

「でもね、良い噂が広まれば、都合の悪い連中も動く。気をつけなさい」

「教会のことか」

「鋭いね。……死霊術師を禁忌にしたのは教会だ。お前さんが英雄になることを、彼らは望まない。壁画のことを覚えているかい?」

 覚えている。地下迷宮の壁画。かつて死霊術師が英雄として祀られていた時代。それを消したのが教会だ。

「教会には、死霊術師が人々に認められると困る理由がある。詳しくはあたしにもわからないが——50年前にも同じことがあった」

 50年前。ユーリだ。

「ユーリも、こうやって評判が広まったのか」

 オルガの目が遠くなった。

「ああ。あの子も人に好かれた。子供に花をもらうような子だった。……そして教会が動いた」

 オルガはそれ以上は言わなかった。言う必要がなかった。ユーリの結末は、既に聞いている。

「わかってる。でも、やることは変わらない。目の前の人を助ける。それだけだ」

「……お前さんらしいね。だからこそ心配なんだ」

 オルガが苦笑した。それから、真面目な顔で付け加えた。

「何かあったら、あたしを頼りな。元Aランクを舐めるんじゃないよ」

    ◇

 夜。宿屋の屋上。

 習慣になった夜の魂視。テルミナの町が眠りについている。穏やかな魂の光が、家々の中で瞬いている。

 子供たちの魂は特に明るい。今日花をくれたあの子の魂は、小さくて丸くて、蛍みたいに柔らかく光っている。この町の人たちの魂は、総じて温かい。

 足元に意識を向けた。

 テルミナの地下。冥府の門。

 ——強い。

 以前よりも明らかに脈動が強くなっている。地上にまで微かな振動が伝わるほどだ。昼間、町の人が「最近、地面が揺れるような気がする」と話していた。地震にしては弱く、だが確かに何かが動いている。

 魂視を集中させて、門の奥を覗いた。

 深淵の向こう側に——気配があった。

 今までは沈黙していた。待っているような沈黙だった。だが今は違う。

 何かが、こちらを見ている。

 意志のある視線。深淵の底から、俺を認識している存在。敵意はない。だが、途方もなく大きい。人間の魂とは比較にならない、古く、深く、広大な意識。

 そして——声が聞こえた。

 言葉ではない。感覚だ。魂魄支配を通じて、意志だけが伝わってくる。

 ——来い。

 背筋が震えた。

「……来い、と言っている」

 呟いた声が夜風に消えた。

 冥府の門は、俺を呼んでいる。いつか、あの門を開ける日が来る。その時、門の向こうで何が待っているのか——まだわからない。

 だが逃げる気はなかった。

 屋上から降りようとした時、階段の踊り場にシャルロットが座っていた。膝を抱えて、夜空を見上げている。

「……眠れないのか」

「べ、別に。ちょっと外の空気が吸いたかっただけ」

 嘘だ。目が少し赤い。

 隣に座った。何も言わなかった。

 しばらく、二人で星空を見ていた。風が冷たかった。シャルロットが小さくくしゃみをした。俺は外套を脱いで、シャルロットの肩にかけた。

「……何してんの」

「風邪ひくだろ」

「あんたが風邪ひくでしょ」

「俺は魂魄支配で体温調整できる」

「嘘つかないでよ。そんな使い方できるわけないでしょ」

 できない。だが、シャルロットは外套を返さなかった。

 星空の下で、二人とも黙っていた。言葉はなくても、隣に誰かがいるということが、ただそれだけが——温かかった。


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