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第16話「崩壊の始まり」

 ——レイド追放から三週間が経った。

 第十五層ダンジョン。【曙光の英雄】は壁に追い詰められていた。

「なんで——倒した魔物が復活するんだ!?」

 ゼノンの叫びが石壁に反響した。聖剣を振り下ろし、骸骨兵の胴体を両断する。骨が散らばり、一瞬だけ動きが止まった。

 三秒後、骨が集まり始めた。バラバラになったはずの骨格が、磁石に吸い寄せられるように再構成されていく。五秒で元通り。骸骨兵が剣を掲げ、再びゼノンに斬りかかってきた。

「くそっ——!」

 三度目だ。同じ骸骨兵を三度斬り伏せて、三度蘇った。

 こんなことは今までなかった。十三層でも十四層でも、ゼノンの聖剣で斬った魔物は二度と動かなかった。なぜ急に——。

「ゼノン、後ろ!」

 ミレーヌの声が飛んだ。振り向くと、先ほど倒したはずの魔獣が起き上がっている。首を斬り落としたのに、首なしのまま突進してきた。

 聖剣で受け止める。衝撃が両腕に走った。——重い。以前ならこの程度の魔獣、片手で弾き返せたはずだ。なのに、両手で受けてなお押される。

 力が落ちている。聖剣の出力が、以前の七割程度しか出ない。

 ——おかしい。俺の力は俺のものだ。装備も変えていない。訓練も怠っていない。なぜ弱くなっている。

「エリーゼ! 治癒を!」

「やってる! やってるのに——」

 エリーゼの声が悲鳴に近かった。両手から白い光を放っているが、治癒魔法の効果が目に見えて弱い。ダリウスの腕の切り傷を塞ごうとしているのに、光が傷口に染み込まない。以前なら瞬きの間に塞がった傷が、何秒経っても血を流し続けている。

「なんで……? 私の治癒魔法が……効かない……?」

 エリーゼの顔から血の気が引いていた。聖女の治癒魔法が効かない。そんなことがあっていいはずがない。

「ダリウス! 炎で焼き払え!」

「わかってる!」

 ダリウスが両手を前に突き出した。炎魔法。これまで何百回と使ってきた制御された火球——のはずだった。

 炎が暴走した。

 放出された火球が、狙った方向ではなく四方に飛散した。天井を焼き、壁を焦がし、ダリウス自身の右腕を炎が巻き込んだ。

「がっ——!? な、なんだこれ——制御が——!」

 ダリウスが叫びながら右腕を押さえた。袖が燃えている。自分の炎で、自分の腕を焼いた。

「ダリウス!」

 ミレーヌが風魔法で炎を消し止めようとした。だが風の軌道がブレた。狙った場所に風が届かず、横の壁に当たって跳ね返り、ダリウスの炎の残滓を逆にまき散らした。

「嘘……私の魔法も……」

 ミレーヌの声が震えた。

 四人全員の力が落ちている。聖剣、治癒、炎、風——全てのスキルが、以前の精度と出力を失っている。まるで何か重要な基盤が、知らないうちに抜け落ちたかのように。

    ◇

 第十五層のボス部屋に、足を踏み入れてしまった。

 不死の魔将。

 漆黒の鎧を纏った巨大な骸骨の騎士。身の丈三メートル。右手に大剣、左手に盾。眼窩に赤い炎が灯っている。

 以前も同じ種類の魔将と戦ったことがある。第十三層で。あの時は——勝てた。

 ゼノンは聖剣を構えた。「行くぞ!」

 突進。聖剣が魔将の鎧を斬り裂く。甲高い金属音。火花が散った。確かな手応え。——だが。

 斬り裂いた鎧が、数秒で修復された。切り口が塞がり、元通りになる。

 もう一撃。今度は首を狙った。聖剣の刃が頸椎に食い込み——止まった。以前の出力なら断ち切れたはずの骨を、斬りきれない。

 魔将の大剣が振り下ろされた。ゼノンは盾で受けたが、衝撃で壁まで吹き飛ばされた。背中を石壁に叩きつけられ、肺の中の空気が全て吐き出された。

「ゼノン!」

 エリーゼが治癒魔法を放つ。白い光がゼノンの体を包む——はずだった。光が薄い。痛みが引かない。肋骨が軋んでいる。

「ダリウス、全力で焼け!」

「やってる! だが——」

 ダリウスの炎が魔将に直撃した。だが炎の温度が足りない。魔将の鎧が赤熱したが、溶けない。以前なら骨ごと灰にできたはずの全力の炎が、表面を焦がすだけで終わった。

 そしてまた、炎が暴走した。制御を失った残り火が天井に燃え広がり、溶けた石の欠片がダリウスの肩に落ちた。

「がああっ!」

 ダリウスが膝をつく。右腕の火傷に加えて、肩にも火傷。もう炎魔法を撃てる状態じゃない。

 ミレーヌが風の防御壁を張った。だが風が安定しない。壁に亀裂が走り、魔将の一撃で粉砕された。

 魔将が四人に迫る。

 ——この瞬間、ゼノンの頭に、一瞬だけ記憶がよぎった。

 第十三層。同じ不死の魔将と戦った時。あの時も何度斬っても蘇った。だが——途中から、蘇らなくなった。俺が止めを刺した。俺の聖剣が決め手だった。

 ……本当に、そうだったか?

 あの時、レイドは何をしていた?

 後ろで。何かを。

 記憶が途切れた。思い出せない。後ろで何かしていたのは覚えている。ブツブツ唱えていた。だが、具体的に何を——。

 考える余裕はなかった。魔将の大剣が振り下ろされる。

「——撤退! 全員撤退しろ!」

 ゼノンが叫んだ。Sランクパーティのリーダーが、撤退を命じた。ボスを倒せずに。

 出口に向かって走った。ミレーヌが不安定な風魔法で追撃を逸らし、エリーゼが震える手で回復魔法をかけ続ける。ダリウスは右腕と肩の火傷で満足に走れず、ゼノンが肩を貸して引きずった。

 ボス部屋の入口で、別のAランクパーティと鉢合わせた。向こうも十五層に挑戦していたらしい。

「おい、【曙光の英雄】か!? どうしたんだ、その怪我——」

「ボスに手が出ない。助けてくれ。後ろから来る」

 Sランクパーティが、Aランクパーティに救援を求めた。

 Aランクの連中の顔に浮かんだのは——驚愕と、かすかな軽蔑だった。

    ◇

 王都の宿屋。

 四人とも、包帯だらけだった。

 ゼノンはベッドに座り、壁を見つめている。肋骨にひびが入っている。エリーゼが治癒魔法を何度もかけたが、完治しない。以前なら一晩で治ったはずの傷が、三日経っても痛む。

 ダリウスは右腕と肩に包帯を巻いて、椅子に黙って座っていた。自分の炎で自分を焼いた。冒険者として、これ以上の屈辱はない。

 エリーゼは窓際で俯いていた。聖女の治癒魔法が効かない。それは、聖女としての存在意義が揺らぐということだ。

 沈黙が、重かった。

 ミレーヌが口を開いた。

「……ねえ」

 全員がミレーヌを見た。

「レイドがいた時は、こんなことなかったよね」

 静寂が落ちた。

 誰も答えなかった。

「倒した魔物が蘇るなんて、一度もなかった。ゼノンの聖剣はいつも全力で振るえてた。エリーゼの治癒魔法も、ダリウスの炎も、私の風も……全部、ちゃんと動いてた」

 ミレーヌの声は静かだった。責めているのではない。ただ、事実を並べている。

「私たちは——レイドが何をしていたのか、ちゃんと見ていた?」

 ゼノンが顔を上げた。

「……関係ない。あいつは後ろでブツブツ言ってただけだ」

「本当にそうかな」

 ミレーヌの目が、まっすぐゼノンを見ていた。いつもは大人しいミレーヌが、この時だけ、退かなかった。

「じゃあ、なんで今——全部おかしくなってるの」

「やめて」

 エリーゼが鋭い声を出した。振り向いた顔は蒼白だった。

「今それを言うのはやめて。……お願いだから」

 ダリウスが包帯を巻いた右腕を見下ろした。

「……くそ」

 それだけ言って、黙った。

 四人の間に、答えの出ない沈黙が横たわった。

 ゼノンは壁を見つめ続けた。脳裏に、あの日の酒場がよぎる。カウンターの端に座っていたレイドの背中。安い麦酒。「七年か。長い付き合いだったな」。振り返りもせず出て行った背中。

 あの背中を、追わなかった。

 追う理由が、あの時はなかった。——今は、ある。だが、もう遅い。

 レイドがどこにいるのか、誰も知らない。

    ◇

 翌日。宿屋に来客があった。

 教会の使者だ。白い法衣を纏った若い男。穏やかな笑顔だが、目が笑っていない。

「【曙光の英雄】の皆様。第十五層での不首尾について、教会は大変遺憾に思っております」

 遺憾。丁寧な言葉に包まれた圧力だった。

「Sランクパーティがボスを倒せず撤退。しかもAランクパーティに救援を要請。……これでは、教会が支援する意義が問われます」

 ゼノンの拳が震えた。だが言い返せなかった。事実だからだ。

「支援の継続については、今後の実績次第ということで。教会としても、投資に見合う成果を期待しています」

 使者が踵を返しかけて——立ち止まった。

「……ところで」

 何気ない口調だった。だが、その一言で空気が変わった。

「あなた方のパーティにいた死霊術師は、今どこに?」

 ゼノンが眉をひそめた。

「追放した。あんな奴、もう関係ない」

「追放、ですか。なるほど」

 使者が微笑んだ。意味深な笑みだった。

「どちらへ向かわれたか、ご存知ですか?」

「知らない。知る必要もない」

「そうですか。……それは残念」

 残念。その一語に込められた感情が、ゼノンには読めなかった。

 使者は一礼して去っていった。足音が廊下に消えるまで、四人とも動けなかった。

「……なんだ、今の」

 ダリウスが呟いた。

「教会がレイドを探してる……? なんで?」

 誰も答えられなかった。

 ゼノンは窓の外を見た。王都の空は曇っていた。

 ——あの死霊術師が何をしていたのか。

 その答えが、ゼノンの中で、少しずつ形を取り始めていた。認めたくない形で。


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