第13話「北部の村」
テルミナを出て北に半日。
ラーゼル村が見えてきた時、煙の匂いがした。
丘の上から見下ろすと、村の半分が黒く焼けていた。家屋の残骸がくすぶり、畑は踏み荒らされている。村の広場に住民が集まっているのが見えた。怪我人を介抱している者、泣いている子供、呆然と焼け跡を見つめている老人。
「ひどいな……」
シャルロットが呟いた。自分が呪いで森にいた頃、世界ではこんなことが起きていた。
丘を駆け下り、村に入った。住民たちが俺たちに気づいて、駆け寄ってくる。
「冒険者さんか! ギルドから来てくれたのか!」
「テルミナのギルドから来ました。状況を教えてください」
村長は六十代の痩せた男だった。顔に煤がこびりつき、左腕を布で吊っている。
「三日前の夜に現れたんだ。魔物の群れが。だが普通の魔物じゃない。殺しても死なないんだ。剣で斬っても、火で焼いても、何度でも立ち上がる」
殺しても死なない。その言葉に、嫌な予感がした。
「今はどこに?」
「村の北側の森に潜んでる。夜になると出てくるんだ。毎晩少しずつ、村を壊していく」
日はまだ高い。夜までに時間がある。
「魂視」
展開した。北の森に意識を向ける。
——いた。
三十体近い魂の反応。だが、生きている魂ではない。死んだ魔獣の魂が、呪いの力で無理やり肉体に縛りつけられている。死にきれない魂が、苦しみながら暴れている。
呪屍獣。死んだ魔獣を呪いで蘇らせた存在だ。魂が肉体に固定されている限り、何度斬っても再生する。普通の冒険者には対処できない。
だが、それ以上に気になったのは——呪いの系統だった。
「……この呪い」
見覚えがあった。
シャルロットにかけられた呪いと、同じ系統。同じ術式の構造。同じ冷気。偶然の一致にしては、あまりにも似すぎている。
今はまだ、シャルロットには言わない。まず目の前の脅威を片づける。
◇
「作戦を伝える」
村の広場で、二人に向き合った。
「敵は呪屍獣。呪いで蘇った死体だ。通常の攻撃で肉体を壊しても、呪いの核が無事な限り何度でも再生する。倒すには、核を破壊してから魂を鎮める必要がある」
「核の場所はわかるの?」
シャルロットが聞いた。
「俺の魂視で見える。一体につき核は一つ。光っている場所を伝えるから、そこを斬れ」
「了解」
「リリス。お前は血の魔法で群れを分断してくれ。三十体が一斉に来たら捌ききれない。小分けにして各個撃破する」
「任せよ。800年の封印でなまっておるが、この程度ならどうということはない」
「シャルロットは前衛。俺が指示した核を一撃で斬り裂く。剣技は今日の素振りで確認した。十分いける」
シャルロットが剣の柄を握った。右腕に力がこもる。今朝解放されたばかりの、自由な腕。
「……任せて」
静かだが、芯のある声だった。
◇
日が落ちた。
北の森から、呪屍獣が現れた。
第1波。十体。
元は狼や猪だったのだろう。だが今はその面影はほとんどない。腐りかけた肉体に黒い紋様が走り、目は紅く濁っている。口から瘴気を吐きながら、こちらに向かってくる。
「リリス」
「心得た」
リリスが右手を掲げた。血の茨が地面から噴出し、十体を三つのグループに分断した。四体、三体、三体。茨が絡みついて動きを封じる。
「シャルロット、右の四体。核は——首の付け根、胸の中央、左肩、右腿!」
「見えてる!」
シャルロットが駆けた。
速い。呪いに蝕まれた体とは思えない加速。右腕一本で剣を振り、一体目の首の付け根を斬り裂いた。黒い光が散る。核の破壊だ。
間髪入れず二体目。回転しながら胸を横一文字に斬る。三体目は踏み込みからの突き。四体目は上段から振り下ろす一撃で右腿を断った。
四体の核が砕かれた。
俺が魂鎮を展開する。核を失った呪屍獣の魂に触れ、呪いの縛りを解く。苦しみから解放された魂が、静かに消えていった。四体の肉体が崩れ落ち、今度は再生しなかった。
残り六体も同様に処理した。リリスが拘束し、俺が核の位置を伝え、シャルロットが斬り、俺が魂を鎮める。流れるような連携だった。
第1波、殲滅。
「次が来るぞ」
第2波。十体。今度は大型だ。
元は熊や大猪だったらしい。一体一体が第1波の倍近い体躯で、呪いの紋様も濃い。茨で拘束しようとしたが、力ずくで引きちぎる個体が出てきた。
「厄介じゃの。力が強い」
リリスの茨が三体に破られた。大型の呪屍熊が、直接こちらに突進してくる。
「魂喚」
俺は地面に手を当て、古い魂を呼んだ。この土地に残る戦士の魂の残像。半透明の兵士が一体、地面から立ち上がった。大盾を構え、呪屍熊の突進を受け止める。地面がめり込むほどの衝撃。だが、盾は砕けなかった。
五秒で残像は消えたが、その隙にリリスが新しい茨を展開した。シャルロットが横合いから飛び込み、呪屍熊の核——背骨の中央——を一突きで貫いた。
連携が噛み合っている。即興とは思えないほどに。
第2波も片づけた。呪屍獣の残骸が地面に積み上がっている。シャルロットの息が上がっていたが、目は輝いていた。戦える喜びが、全身から溢れていた。
第3波。残り全て。
森の奥から、最後の群れが現れた。八体。そして——その中央に、一際大きな個体がいた。
元は何だったのかもわからない。三メートルを超える巨体。四本の腕を持ち、全身が黒い鎧のような甲殻に覆われている。呪いの紋様が体表を脈動し、瘴気が霧のように噴き出していた。
中型ボス。
魂視で見て、息を呑んだ。
「——核が7つある」
「7つ?」
シャルロットが目を見開いた。
「全身に分散している。頭、胸、両腕、腹、背中、左脚。7つ全てを同時に壊さないと、残った核から再生する」
「同時にって……無理じゃない?」
「無理じゃない。リリス、6つを頼めるか」
リリスが目を細めた。
「血の茨を6本同時に操れと? ……面白い。やってみようかの」
「シャルロットは最後の一つ。左脚の核だ。一番深い位置にある。茨では届かない。剣で直接抉り出す」
シャルロットが剣を構えた。迷いはなかった。
「合図は俺が出す。三、で同時に撃つ。——行くぞ」
残りの雑魚八体をリリスの茨とシャルロットの剣で掃討し、ボスだけが残った。
四本の腕が振り回される。瘴気の波が地面を抉る。避けながら、位置取りを整える。リリスが左側、シャルロットが右側。俺は後方から魂視で全体を見渡す。
「——今だ。三」
リリスの血の茨が六本、同時に撃ち出された。頭、胸、両腕、腹、背中。六つの核を正確に貫く。800年の真祖の精度。一本も外していない。
同時に——シャルロットが跳んだ。
地面を蹴り、ボスの左脚に突っ込む。甲殻に剣を叩きつけた。硬い。だが止まらない。腕に力を込め、甲殻を割り、肉を裂き、骨を砕いて——最奥の核に刃が届いた。
「——砕けろ!」
七つの核が同時に壊れた。
ボスの巨体が、内側から崩壊した。黒い霧が噴き上がり、夜空に散っていく。肉体が瓦解し、骨が崩れ、呪いの紋様が消えていく。
俺は魂鎮を全力で展開した。ボスの中に閉じ込められていた魂——元は何だったのかもわからない、古い魔獣の魂——が、ようやく解放された。長い苦しみから。
静寂が落ちた。
呪屍獣は全て消滅した。
◇
村人たちが広場から出てきた。
恐る恐る、戦場の跡を見渡している。呪屍獣の残骸は既に塵となって風に散り、後には焦げた地面と倒れた木だけが残っていた。
「終わった……のか?」
村長が震える声で聞いた。
「ええ。もう来ません」
村長が膝をついた。深々と頭を下げる。周囲の住民たちも、次々と頭を下げた。子供が母親にしがみついて泣いている。安堵の涙だった。
「あなた方は……何者ですか」
「テルミナの冒険者です。死霊術師のレイドと申します」
村長の目が見開かれた。
「死霊術師……! 呪いを祓える方が、本当にいたのか……」
「何かお困りのことがあれば、いつでもギルドに依頼を。死者の魂に関わることなら、力になれます」
村長が何度も頷いた。住民たちの目に、恐怖はなかった。死霊術師という言葉に怯える者はいなかった。目の前で村を救ったのがその死霊術師だと知って、感謝だけがあった。
◇
翌朝。村の被害状況を調査しながら、帰路の準備をしていた。
呪屍獣の残骸は消えている。だが、地面に残った呪いの痕跡は魂視で読み取れる。俺は一つ一つ確認していた。
そして——確信した。
「シャルロット」
呼ぶと、シャルロットが駆け寄ってきた。
「何?」
「一つ、聞きたいことがある。お前の叔父——グレゴリーは、呪術の心得があったのか?」
シャルロットが怪訝な顔をした。
「叔父上は騎士よ。剣術と政治しか能がない人だった。呪術なんて……」
「じゃあ、誰かに呪術を依頼したか。あるいは、呪具を手に入れたか」
「何が言いたいの」
俺はシャルロットの目を見た。
「この村の呪屍獣に使われていた呪いは、お前にかけられた呪いと同じ系統だ。術式の構造が一致している。同一の術者か、同一の呪術体系から出ている」
シャルロットの顔から血の気が引いた。
「……叔父上が? まさか、こんな辺境の村にまで……」
「わからない。だが、これは個人の恨みで説明がつく規模じゃない」
俺は地面の呪いの痕跡を示した。
「この量の呪屍獣を作るには、膨大な呪力が必要だ。騎士一人が手に入れられるような力じゃない。組織的にやっている。誰かが——意図的に、呪いをばら撒いている」
リリスが腕を組んで言った。
「各地で呪い関連の事件が増えていると、ギルドの冒険者が話しておったな。この村の件もその一部じゃとすれば——」
「大きな何かが動いている」
シャルロットが拳を握りしめた。右腕が震えている。今朝解放されたばかりの、自由な腕が。
「……叔父上のことは、いずれ自分で決着をつける。でも今は——」
「ああ。今は、テルミナに戻る。情報を集めてからだ」
帰り道、三人とも無言だった。
呪いの糸は、俺たちが思っていたよりも遥かに深く、遥かに広く張り巡らされている。その先に何がいるのかは、まだ見えない。
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