表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

第10話「治療の開始」

 テルミナの宿屋に戻り、シャルロットをベッドに寝かせた。

 帰路で既に日が暮れていた。宿の女将が俺たちの姿を見て目を丸くしたが、事情を説明すると黙って一番大きな部屋を用意してくれた。「大変だったね、あんたたち」とだけ言って、湯と布巾を持ってきてくれた。

 シャルロットはまだ意識がない。呼吸は安定しているが、鎧から放出される呪気が部屋に充満し始めている。リリスが血の魔法で部屋の四隅に結界を張ってくれた。これで宿の他の客に影響はない。

 魂視で、改めてシャルロットの呪いの全容を解析した。

 息を呑んだ。

 森の中で見た時よりも、近くで見るとさらに酷い。七重構造。外側から順に、異なる性質の呪いが層になって魂を締め付けている。第1層は魂の表面を覆う「拘束」。第2層は筋肉と骨に食い込む「侵食」。第3層以降は、もっと深い——魂の核に向かって、螺旋状に絞り込まれていく。

 各層の呪いが互いを補強し合うように設計されていた。一つの層を外すと、隣の層がそれを補おうとする。全部を一度に外そうとすれば、反動で魂が崩壊する。一枚ずつ、順番に、慎重に剥がしていくしかない。

「7段階か。……1段階ずつ、確実にやるしかないな。期間は……最短で2ヶ月」

「2ヶ月? 長いのう」

「呪いの規模を考えれば短い方だ。これを施した術者は相当な手練れだな。教会の魔術師じゃ解けないわけだ」

 リリスが俺の隣に立ち、魂視の結果を覗き込むように目を細めた。

「この構造……800年前にも似た呪術があった。『冥渦の呪術』と呼ばれた古代の禁術じゃ。誰がこんなものを——」

「叔父だと言っていたな。名門騎士家の家督争いで、か」

 個人の叔父がどうやって古代の禁術を手に入れたのか。気になるが、今は治療が先だ。

 第1段階——最外層の呪いに取りかかった。

 魂魄支配を最大限に集中させ、呪いの鎖に触れる。

 手のひらに灼けるような痛みが走った。呪いが抵抗している。外されまいと暴れる。鎖の一本一本が意志を持っているかのように、俺の指に巻きつこうとする。

 力ずくではいけない。力で押せば呪いは硬化し、魂を傷つける。少しずつ、呪いの編み目を解きほぐすように、一本ずつほどいていく。織物の糸を抜くような繊細な作業だ。

 三十分が経った。額から汗が顎に垂れる。

 呪いの一部が逆流してきた。黒い紋様が俺の右手に転移しかける。皮膚の下を這うような冷たさが肘まで登ってくる。

 その瞬間、リリスが俺の手を握った。

 不死再生。真祖の吸血鬼の再生力が、転移しかけた呪いを即座に焼き消す。黒い紋様が煙のように散った。

「無茶をするでない! ぬしが倒れたら、誰がこの子を治すのじゃ!」

「……悪い。でも、もう少しだ」

 最後の一巻きを解いた。第1段階の呪いが黒い霧となって霧散する。シャルロットの顔色が、わずかに良くなった。蒼白だった唇に、微かに色が戻っている。

 俺は椅子にもたれて、長い息を吐いた。全身がだるい。魂魄支配を限界まで使った反動だ。

    ◇

 翌朝。シャルロットが目を覚ました。

「……ここは?」

 金色の瞳がゆっくりと開いた。天井を見て、壁を見て、窓から差し込む朝日を見た。そして——ベッドの横に座っている俺と、部屋の隅に立っているリリスを見た。

 瞬間、体が強張った。

「あなたたちは……」

 警戒の目だった。当然だ。見知らぬ場所で、見知らぬ人間が二人。半年間、呪いに苦しみながら一人で過ごしてきた少女にとって、他人は全て「近づいたら呪いが移る」対象でしかなかった。

「俺はレイド。死霊術師だ。お前の呪いを治療している」

「死霊術師……?」

 シャルロットの目に、一瞬だけ何かが光った。だがすぐに消えた。

「嘘。死霊術師なんて都市伝説じゃ——」

「嘘ではないぞ。このわらわが保証する」

 リリスが胸を張った。

「保証って……あなた誰?」

「わらわは真祖の吸血鬼。血薔薇の女王リリスじゃ」

「……余計に信じられないんだけど」

 まあ、そうだろうな。

 シャルロットは少しずつ、自分の置かれた状況を理解していった。俺たちが森で彼女を見つけ、テルミナまで運んだこと。昨夜のうちに第1段階の呪いを解除したこと。

 名前を聞いた。シャルロット・アイアンメイデン。17歳。名門騎士家の長女。

 話してくれた背景は、オルガから聞いた内容と一致していた。叔父グレゴリーに呪いをかけられ、追放された。父は病床、母は他界。どの治療院、教会、宮廷魔術師にも「治療不可能」と宣告された。半年の命。

 死を覚悟して、あの森で一人きりで過ごしていた。呪いが周囲に害を及ぼすから、人のいない場所を選んだのだ。自分のためではなく、他人を巻き込まないために。

 ——この子は、呪われてなお、他人を気遣っていた。

「治せるなんて嘘でしょ」

 シャルロットの声は平坦だった。感情を殺した声。もう期待しないと決めた人間の声だ。

「みんなそう言って、結局匙を投げた。教会の最高司祭でも無理だったのに、死霊術師なんかに——」

「嘘じゃない。第1段階は昨夜解除した」

 シャルロットの目が止まった。

「体、少し楽になってないか?」

 シャルロットが自分の体に意識を向けた。右腕を持ち上げようとする。

 ——動いた。

 昨日まで呪いで麻痺していた右腕が、自力で持ち上がった。指が動く。握れる。開ける。肩が回る。鎧はまだ融合しかけたままだが、その下の筋肉が自分の意志に従っている。

 半年ぶりだった。

 半年間、自分の右腕を自由に動かせなかった。剣を握ることも、食事をすることも、自分の涙を拭うこともできなかった。それが——動く。

「……本当に」

 シャルロットの目が揺れた。

「嘘じゃ、ないの……?」

「あと6段階ある。時間はかかるが、必ず治す」

 俺がそう言った瞬間——シャルロットの顔が崩れた。

 気丈に張りつめていた表情が、一気に歪んだ。唇が震え、目の縁から涙が溢れ出した。堰を切ったように。

「ずっと……怖かった」

 声が震えていた。

「一人で死ぬのが怖くて……。でも誰も助けてくれなくて……。お父様も来てくれなくて……教会も匙を投げて……。森で一人で、毎日痛くて、眠れなくて……もう、いいかなって、もう終わりでいいかなって……」

 嗚咽が止まらなくなった。半年間、たった一人で呪いと死の恐怖に耐えてきた17歳の少女の、限界が決壊した。

 俺は静かにシャルロットの頭に手を置いた。

「もう一人じゃないよ」

 リリスがそっと近づき、シャルロットの背中に毛布をかけ直した。

「泣きたいだけ泣くがよい。ここは安全じゃ。わらわたちがおる」

 シャルロットはしばらく泣いていた。声を上げて、子供みたいに。呪いの鎧の隙間から、涙が何筋も伝い落ちた。

 泣き疲れて眠るまで、俺はずっとそこにいた。リリスも部屋を出なかった。

    ◇

 それから数日が経った。

 シャルロットは少しずつ回復していた。食事を取れるようになり、ベッドの上で上体を起こせるようになり、短い会話ができるようになった。まだ気丈で、素直に甘えることはしない。だが、朝食を運ぶと「ありがと」と小声で言うようになった。

 俺は治療の合間に、第2段階の呪いの構造を調べ続けていた。夜になると机に向かい、魂視で見た呪いの構造を紙に書き写す。各層の呪いの性質、互いの補強関係、解除の順序。一つでも間違えればシャルロットの魂が壊れる。慎重に、何度も検算しながら。

 ある朝。

 目を覚ますと、視界がぼやけていた。椅子に座ったまま眠っていたらしい。机の上に呪いの解析資料が広がっている。手元にはインクの跡。昨夜——いや、今朝の3時頃まで第2段階の構造を調べていたのを思い出した。

 顔を上げた。

 シャルロットが、ベッドの縁に座ったまま、毛布を手にして固まっていた。

 目が合った。

「……ん? ああ、悪い。寝てた」

 シャルロットの顔が一瞬で真っ赤になった。

「べ、別にアンタのためじゃないから! 風邪ひかれたら治療が遅れるでしょ! だから——その——」

「ああ、そうだな。ありがとう」

「っ……!」

 シャルロットは顔を背けた。耳まで赤い。

 だが、背けた横顔の中に——シャルロットの心の声が見えた気がした。共鳴ではない。魂視でもない。ただ、表情が全てを語っていた。

 ——この人、本当に私を治そうとしてる。徹夜で、こんなになるまで。なんで? 私みたいな呪われた人間のために、なんでここまで。

 部屋の隅でリリスがくすくす笑っていた。

「シャルロット、朝食は何がよい? わらわがレイドに作らせてやるからの」

「べ、別に何でもいいわよ……」

「では卵と、パンと、スープじゃな。レイド、頼むぞ」

「なんで俺が召使いみたいになってるんだ」

「朝食を作ってこそ一流の男じゃ。800年の経験から言うておる」

 シャルロットが呆れた顔で俺たちのやり取りを見ていた。

 だがその口元には——ほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。

 半年ぶりの、誰かと一緒にいる朝だった。


読んで下さりありがとうございました!

★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!

Youtubeにて作品公開中!

http://www.youtube.com/@mizukara-h2z

ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ