第10話「治療の開始」
テルミナの宿屋に戻り、シャルロットをベッドに寝かせた。
帰路で既に日が暮れていた。宿の女将が俺たちの姿を見て目を丸くしたが、事情を説明すると黙って一番大きな部屋を用意してくれた。「大変だったね、あんたたち」とだけ言って、湯と布巾を持ってきてくれた。
シャルロットはまだ意識がない。呼吸は安定しているが、鎧から放出される呪気が部屋に充満し始めている。リリスが血の魔法で部屋の四隅に結界を張ってくれた。これで宿の他の客に影響はない。
魂視で、改めてシャルロットの呪いの全容を解析した。
息を呑んだ。
森の中で見た時よりも、近くで見るとさらに酷い。七重構造。外側から順に、異なる性質の呪いが層になって魂を締め付けている。第1層は魂の表面を覆う「拘束」。第2層は筋肉と骨に食い込む「侵食」。第3層以降は、もっと深い——魂の核に向かって、螺旋状に絞り込まれていく。
各層の呪いが互いを補強し合うように設計されていた。一つの層を外すと、隣の層がそれを補おうとする。全部を一度に外そうとすれば、反動で魂が崩壊する。一枚ずつ、順番に、慎重に剥がしていくしかない。
「7段階か。……1段階ずつ、確実にやるしかないな。期間は……最短で2ヶ月」
「2ヶ月? 長いのう」
「呪いの規模を考えれば短い方だ。これを施した術者は相当な手練れだな。教会の魔術師じゃ解けないわけだ」
リリスが俺の隣に立ち、魂視の結果を覗き込むように目を細めた。
「この構造……800年前にも似た呪術があった。『冥渦の呪術』と呼ばれた古代の禁術じゃ。誰がこんなものを——」
「叔父だと言っていたな。名門騎士家の家督争いで、か」
個人の叔父がどうやって古代の禁術を手に入れたのか。気になるが、今は治療が先だ。
第1段階——最外層の呪いに取りかかった。
魂魄支配を最大限に集中させ、呪いの鎖に触れる。
手のひらに灼けるような痛みが走った。呪いが抵抗している。外されまいと暴れる。鎖の一本一本が意志を持っているかのように、俺の指に巻きつこうとする。
力ずくではいけない。力で押せば呪いは硬化し、魂を傷つける。少しずつ、呪いの編み目を解きほぐすように、一本ずつほどいていく。織物の糸を抜くような繊細な作業だ。
三十分が経った。額から汗が顎に垂れる。
呪いの一部が逆流してきた。黒い紋様が俺の右手に転移しかける。皮膚の下を這うような冷たさが肘まで登ってくる。
その瞬間、リリスが俺の手を握った。
不死再生。真祖の吸血鬼の再生力が、転移しかけた呪いを即座に焼き消す。黒い紋様が煙のように散った。
「無茶をするでない! ぬしが倒れたら、誰がこの子を治すのじゃ!」
「……悪い。でも、もう少しだ」
最後の一巻きを解いた。第1段階の呪いが黒い霧となって霧散する。シャルロットの顔色が、わずかに良くなった。蒼白だった唇に、微かに色が戻っている。
俺は椅子にもたれて、長い息を吐いた。全身がだるい。魂魄支配を限界まで使った反動だ。
◇
翌朝。シャルロットが目を覚ました。
「……ここは?」
金色の瞳がゆっくりと開いた。天井を見て、壁を見て、窓から差し込む朝日を見た。そして——ベッドの横に座っている俺と、部屋の隅に立っているリリスを見た。
瞬間、体が強張った。
「あなたたちは……」
警戒の目だった。当然だ。見知らぬ場所で、見知らぬ人間が二人。半年間、呪いに苦しみながら一人で過ごしてきた少女にとって、他人は全て「近づいたら呪いが移る」対象でしかなかった。
「俺はレイド。死霊術師だ。お前の呪いを治療している」
「死霊術師……?」
シャルロットの目に、一瞬だけ何かが光った。だがすぐに消えた。
「嘘。死霊術師なんて都市伝説じゃ——」
「嘘ではないぞ。このわらわが保証する」
リリスが胸を張った。
「保証って……あなた誰?」
「わらわは真祖の吸血鬼。血薔薇の女王リリスじゃ」
「……余計に信じられないんだけど」
まあ、そうだろうな。
シャルロットは少しずつ、自分の置かれた状況を理解していった。俺たちが森で彼女を見つけ、テルミナまで運んだこと。昨夜のうちに第1段階の呪いを解除したこと。
名前を聞いた。シャルロット・アイアンメイデン。17歳。名門騎士家の長女。
話してくれた背景は、オルガから聞いた内容と一致していた。叔父グレゴリーに呪いをかけられ、追放された。父は病床、母は他界。どの治療院、教会、宮廷魔術師にも「治療不可能」と宣告された。半年の命。
死を覚悟して、あの森で一人きりで過ごしていた。呪いが周囲に害を及ぼすから、人のいない場所を選んだのだ。自分のためではなく、他人を巻き込まないために。
——この子は、呪われてなお、他人を気遣っていた。
「治せるなんて嘘でしょ」
シャルロットの声は平坦だった。感情を殺した声。もう期待しないと決めた人間の声だ。
「みんなそう言って、結局匙を投げた。教会の最高司祭でも無理だったのに、死霊術師なんかに——」
「嘘じゃない。第1段階は昨夜解除した」
シャルロットの目が止まった。
「体、少し楽になってないか?」
シャルロットが自分の体に意識を向けた。右腕を持ち上げようとする。
——動いた。
昨日まで呪いで麻痺していた右腕が、自力で持ち上がった。指が動く。握れる。開ける。肩が回る。鎧はまだ融合しかけたままだが、その下の筋肉が自分の意志に従っている。
半年ぶりだった。
半年間、自分の右腕を自由に動かせなかった。剣を握ることも、食事をすることも、自分の涙を拭うこともできなかった。それが——動く。
「……本当に」
シャルロットの目が揺れた。
「嘘じゃ、ないの……?」
「あと6段階ある。時間はかかるが、必ず治す」
俺がそう言った瞬間——シャルロットの顔が崩れた。
気丈に張りつめていた表情が、一気に歪んだ。唇が震え、目の縁から涙が溢れ出した。堰を切ったように。
「ずっと……怖かった」
声が震えていた。
「一人で死ぬのが怖くて……。でも誰も助けてくれなくて……。お父様も来てくれなくて……教会も匙を投げて……。森で一人で、毎日痛くて、眠れなくて……もう、いいかなって、もう終わりでいいかなって……」
嗚咽が止まらなくなった。半年間、たった一人で呪いと死の恐怖に耐えてきた17歳の少女の、限界が決壊した。
俺は静かにシャルロットの頭に手を置いた。
「もう一人じゃないよ」
リリスがそっと近づき、シャルロットの背中に毛布をかけ直した。
「泣きたいだけ泣くがよい。ここは安全じゃ。わらわたちがおる」
シャルロットはしばらく泣いていた。声を上げて、子供みたいに。呪いの鎧の隙間から、涙が何筋も伝い落ちた。
泣き疲れて眠るまで、俺はずっとそこにいた。リリスも部屋を出なかった。
◇
それから数日が経った。
シャルロットは少しずつ回復していた。食事を取れるようになり、ベッドの上で上体を起こせるようになり、短い会話ができるようになった。まだ気丈で、素直に甘えることはしない。だが、朝食を運ぶと「ありがと」と小声で言うようになった。
俺は治療の合間に、第2段階の呪いの構造を調べ続けていた。夜になると机に向かい、魂視で見た呪いの構造を紙に書き写す。各層の呪いの性質、互いの補強関係、解除の順序。一つでも間違えればシャルロットの魂が壊れる。慎重に、何度も検算しながら。
ある朝。
目を覚ますと、視界がぼやけていた。椅子に座ったまま眠っていたらしい。机の上に呪いの解析資料が広がっている。手元にはインクの跡。昨夜——いや、今朝の3時頃まで第2段階の構造を調べていたのを思い出した。
顔を上げた。
シャルロットが、ベッドの縁に座ったまま、毛布を手にして固まっていた。
目が合った。
「……ん? ああ、悪い。寝てた」
シャルロットの顔が一瞬で真っ赤になった。
「べ、別にアンタのためじゃないから! 風邪ひかれたら治療が遅れるでしょ! だから——その——」
「ああ、そうだな。ありがとう」
「っ……!」
シャルロットは顔を背けた。耳まで赤い。
だが、背けた横顔の中に——シャルロットの心の声が見えた気がした。共鳴ではない。魂視でもない。ただ、表情が全てを語っていた。
——この人、本当に私を治そうとしてる。徹夜で、こんなになるまで。なんで? 私みたいな呪われた人間のために、なんでここまで。
部屋の隅でリリスがくすくす笑っていた。
「シャルロット、朝食は何がよい? わらわがレイドに作らせてやるからの」
「べ、別に何でもいいわよ……」
「では卵と、パンと、スープじゃな。レイド、頼むぞ」
「なんで俺が召使いみたいになってるんだ」
「朝食を作ってこそ一流の男じゃ。800年の経験から言うておる」
シャルロットが呆れた顔で俺たちのやり取りを見ていた。
だがその口元には——ほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。
半年ぶりの、誰かと一緒にいる朝だった。
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