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悪役令嬢の母になりました。断罪より先に子どもを連れて舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第4章:脚本力の核心と卒業

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第50話 公に立つ、という覚悟

「娘の意思を踏みにじるなら、公爵家は従わない」


 アデルの声は低かった。

 低いのに、白い会場の反響で、よく通った。


 “従わない”という言葉が白い床に落ちて、跳ね返って戻る。

 戻った言葉が、会場の空気に穴を開ける。


 拍手が起きない静けさが、続いていた。

 クラリスが「私は、その役を選びません」と言ってからずっと。

 脚本が止まった音が、まだ残っている。


 その止まった音を、王太子が立て直そうとしていた。


「治安のためだ」


 王太子レオンハルトの微笑みは整っている。

 善意の顔。

 けれど声は、さっきより一段大きい。


「噂が走れば、人が動く。人が動けば、暴力が生まれる」

「国益のために、誤解はここで解くべきだ」


 治安。国益。誤解。

 大きい言葉が並ぶほど、小さい意思は包まれて見えなくなる。


 祭司はその隣で、優しい顔のまま繰り返す。


「保護です」

「安全です」

「清めは負担ではありません」

「恐れる必要はありません」


 恐れる必要はありません。

 優しい言葉で恐れを否定する。

 否定された恐れは行き場を失い、別の形で噴き出す。


 会場は白く、広い。

 白い床が光を返し、影が薄い。

 影が薄いと表情が拾われやすい。

 拾われる表情は、役を作りやすい。


 観客は多かった。

 貴族。神殿関係者。一般の人々。

 視線が波のように揃って、また揺れる。

 揺れが戻りかける。

 拍手の匂いが、喉の奥に準備される。


 だからこそ、アデルの声が刺さった。


 短い。

 重い。

 説明しない。討論にしない。

 ただ線を引く。


 私はクラリスの後ろ半歩に立っていた。

 手を伸ばせば届く距離。

 でも、伸ばさない距離。


 今日は、支える側だ。

 娘が言った。父が立った。

 私は整える。


 ノエルが斜め後ろで咳払いをした。

 感動を隠す咳払いではない。

 「空気が動く前に息を整えろ」という、現場の合図だ。


 クラリスが一回、息を吸って吐いた。

 戻る呼吸。

 その呼吸が、会場の真ん中に小さな生活の光を作る。


 ハーゼ先生が端で腕を組み、目だけで頷いた。

 体が先。息が先。

 その現実の刃が、私の背中を支える。


 公証人ミロの筆が紙を走る。

 音は小さい。

 でも、この小さな音が「残る」を保証する。

 残る記録は、脚本を勝手に書き換えさせない。


 王太子はアデルを見た。

 笑顔を保ったまま、声を整え直す。


「公爵、君は国の安寧に背くのか」


 問い方が、もう誘導だ。

 「背く」か「従う」かの二択にして、物語を作る問い。


 祭司が重ねる。


「殿下のご憂慮は当然です。お嬢さまをお守りするのは神殿の責務」


 責務。

 その単語は、強い。

 強い言葉は、相手の逃げ道を削る。


 アデルは答えなかった。

 答えないのが、強い。


 代わりにもう一度、短く言った。


「娘の意思が先だ」


 それだけで、空気が止まる。

 拍手が起きない。

 ざわめきも起きない。


 正義が立ち上がれない静けさ。

 王太子はその静けさが嫌いだ。

 拍手の人は、拍手がないと正義が立たない。


 王太子の焦りが、声の大きさに出る。


「子どもの意思は尊重する。だが――」

「国家の不安を放置することはできない」


 また大義。

 また皆の前。

 舞台を立て直そうとする言葉。


 私は息を吸って吐いた。

 ここで感情で煽れば、観客が燃える。

 燃えれば物語になる。

 物語になれば、クラリスが“理由を言わされる”側になる。


 だから私は、淡々と並べる。


 整える。

 番号を振るように。


 私は一歩も前に出ず、声だけを置いた。


「娘は、今、意思を示しました」


 短い。

 それだけで成立する。


 会場の視線が私に少し寄る。

 寄る視線は照明だ。

 照明は増やしたくない。


 だから私はすぐに次へ移る。


「医師の所見があります」


 ハーゼ先生が一歩も動かないのに、存在が前に出たみたいになる。

 医師は現実だから。


「刺激は負担です。儀礼は負担です」


 言い切らない。

 断罪しない。

 淡々と言う。


 祭司が口を挟もうとした瞬間、私は三つ目を置いた。


「公証人が記録を取っています」


 ミロの筆が動く。

 筆の音が、白い会場で少しだけ大きく聞こえる。


 祭司の微笑みが、ほんの一瞬だけ固くなる。

 固くなって、すぐ戻る。

 戻すのが上手いのが中央の人だ。


「記録はもちろん、こちらでも」


「双方です」


 私は短く返した。

 説明しない。

 討論にしない。

 枠を置く。


 その枠の中で、クラリスが崩れずに立っている。

 それが、今日のほっこりだ。

 母が前に出なくても、娘が立っている。


 アデルが私の言葉に合わせて、もう一つだけ足した。


「娘は“清め”を望んでいない」


 望んでいない。

 否定は強い。

 でも父の声は、怒りではない。線引きだ。


 王太子の目が細くなる。

 細くなるのに、笑顔は崩さない。

 笑顔のまま冷たいのが、王都の上の人の怖さだ。


「望まない理由を、皆の前で説明してもらいたい」


 来た。

 説明。

 物語の餌。


 祭司も重ねる。


「拒まれるなら、神殿としては“安全のための確認”が必要です」


 確認。安全。

 言葉が、また檻になる形。


 会場がざわめき始める。

 けれど拍手は起きない。

 ざわめきは割れている。


 国のためだと言う人。

 子どもの意思だと言う人。

 神殿の保護は当然だと言う人。

 医師の判断を尊重すべきだと言う人。


 割れたざわめきには、拍手が生まれない。

 拍手が生まれないと、王太子の正義は立たない。


 王太子の焦りが、声の大きさに出る。


「沈黙は誤解を生む。誤解は混乱を生む」

「混乱は――」


 言葉が大きくなるほど、観客は熱くなる。

 熱くなれば、物語になる。


 物語にしない。


 アデルが再び短く切った。


「説明はしない」


 それだけで空気が止まる。

 止まる空気は、拍手ではなく“穴”になる。


 王太子が言い返そうとした瞬間、ノエルが咳払いをした。


「こほん」


 今度の咳払いは、講師級の咳払いだ。

 「話が長くなる前に切れ」という咳払い。


 クラリスがその咳払いを聞いて、一回息を吸って吐いた。

 戻る呼吸。

 娘が自分で戻れる。

 それが一番の勝ちだ。


 その時、私の視界の端で、セレスが動いた。


 祭司の近く。

 白い衣の列の中で、セレスだけが少しだけ揺れている。


 セレスが祭司に近づき、小さく口を動かした。

 声は聞こえない。

 でも異議だと分かる動き。


 祭司が一瞬だけ視線を斜めに動かした。

 その視線の先に、上席の随行がいる。


 上席の随行が、セレスの肩に手を置いた。

 それだけ。


 言葉はない。

 でも「止まれ」が伝わる。


 制度の縄。

 正しさの中にも縄がある。

 セレスはその縄に引かれて、ほんの少しだけ目を伏せた。


 迷いの音が増える。

 増える迷いは、次の扉を示す。


 私は表情を変えない。

 拾われないために。

 拾われた表情は、脚本に使われる。


 上席の随行が前に出た。

 中央の声が、会場の白い壁に当たって増える。


「これ以上、公開の場で混乱を広げるべきではありません」


 “混乱”という言葉で場を締める。

 締めた上で、逃げ道を削る。


「最終確認は、落ち着いた場所で行います」


 落ち着いた場所。

 優しい言い方。

 でも、その言葉の次に来るのはいつも同じだ。


「奥の間で」


 奥の間。


 その三文字が、会場の空気を変えた。

 反響が弱くなる場所。

 観客の目が届かない場所。

 公証人の筆が届きにくい場所。


 密室。

 舞台。


 ノエルが即座に小声で言った。


「奥の間は舞台です」


 冗談みたいに短いのに、逆らえない強さがある。

 舞台。

 今度は舞台袖ではない。舞台の心臓だ。


 アデルの顎がわずかに動いた。

 迷いではない。怒りでもない。覚悟の動きだ。


 私はクラリスの手を、そっと握り直した。

 合図ではない。温度だけを渡す。

 クラリスは一回息を吸って吐いた。戻る呼吸。


 家族が、同じ方向を向いている。


 娘は役を選ばない。

 父は公に立つ。

 私は整える。

 ノエルは舞台を見抜く。

 医師は現実を握る。

 公証人は記録を残す。


 ほっこりするほど揃っているのに、怖い。

 揃っているからこそ、次の舞台が強い。


 奥の間へ誘導する動線が、白い会場の端に開く。

 扉が見える。

 扉の向こうは反響が少ない。

 反響が少ないほど、声が拾われにくい。


 拾われにくい声は、奪われやすい。


 私は息を吸って吐いた。

 次は、脚本力の核心。

 密室の舞台。


 ノエルの短い声が、背中を押した。


「奥さま、息を」


 私は頷いた。

 言葉を増やさない。

 温度を増やす。


 扉へ向かう一歩が、白い床に返る。

 返る足音は、まだ公開の音だ。


 でも次に返る音は、奥の間の音になる。

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― 新着の感想 ―
公爵が言葉を言えた事は良かったです。読者的には1章が終わった時点から貰えると思っていた言葉がようやく此処で貰えたのかと、疲労の方が強いなと感じました。 世界観による枠組みがない事もあって、契約を重ん…
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