表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の母になりました。断罪より先に子どもを連れて舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第4章:脚本力の核心と卒業

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/60

第49話 私は、その役を選びません

「お嬢さま、言葉を」


 祭司の声は穏やかだった。

 穏やかなのに、白い会場の反響で、逃げ道を塞ぐ。


 クラリスが一歩前へ出た。


 その一歩の音が、白い床に返って戻る。

 戻る音が、会場に「今から始まる」と知らせる。


 神殿中央の公開の場は、白くて広い。

 白い床、白い柱、白い壁。

 光が落ち、影が薄くなる。

 影が薄いと、表情が拾われやすい。

 拾われやすい表情は、役を作りやすい。


 観客がいた。


 王太子レオンハルト。

 神殿の祭司たち。

 白い衣の随行。

 貴族たちの整った顔。

 そして、後ろの方には一般の人々のざわめき。


 人の数が多いほど、空気は一つの形になりやすい。

 一つの形になった空気は、台詞を求める。


 拍手の前の静けさが、会場に満ちた。

 「待っている視線」が波みたいに揃う。


 私はクラリスの後ろ半歩に立っていた。

 手を伸ばせば届く距離。

 でも、伸ばさない距離。


 医師に「休むのも守り」と命令され、私は前に出すぎない位置に戻った。

 今日ここで私が前に出たら、物語が伸びる。

 物語が伸びると、役が固まる。

 役が固まると、娘の言葉が削られる。


 だから私は、支える側にいる。

 手を伸ばしたい気持ちごと、胸の内にしまって。


 ノエルが少し斜め後ろにいた。

 毛布と水の位置を確認している。

 神殿中央でも平然と生活の道具を持ち込む人だ。

 それが、こちらの“光”。


 廊下の端にはハーゼ先生。

 腕を組み、クラリスの顔色を見る。

 医師の存在は言葉より強い。

 現実の刃だ。


 少し後ろに、公証人ミロ。

 筆を持ち、紙を構えている。

 記録が外へ出るというだけで、脚本は少し書きづらくなる。


 エミル先生の姿は目立たない場所にあった。

 けれど目だけは、クラリスに向いている。

 言葉の盾を渡した人の目だ。


 アデルは前方の端に立ち、王太子側と神殿側の視線を同時に受け止める位置を取っていた。

 公爵の盾ではない。父の盾の立ち方だ。

 必要になれば、前に出る。

 その気配が、ここまで届いている。


 祭司が穏やかに言葉を続けた。


「本日は“清め”です。恐れる必要はありません」


 恐れる必要はありません。

 優しい言葉で、恐れを否定する。

 否定された恐れは、行き場を失う。


 祭司の声がよく通る。

 通る声は、空気を整える。

 整った空気は、答えを一つにする。


「お嬢さまは、ご自分の意志でここへ来られましたね」


 来た。

 答えが決まっている質問。


 「はい」しか言えない形。

 「いいえ」と言えば、誰かに連れてこられた被害者になる。

 被害者になれば、次に“保護”が来る。


 どちらも、役ができる。


 観客の視線がクラリスに集まる。

 集まる視線は、待っている視線だ。

 待っている視線は、「はい」を待っている。


 拍手が、喉の奥に準備される。


 クラリスの肩がわずかに上がった。

 指先が冷たくなるのが、ここからでも分かる。


 喉の奥に、最初の音が上がってくる。


 わ――。


 “役の口調”の、最初の一音。

 夢で見た光と視線が、現実と重なる。


 私は手を伸ばしたくなった。

 合図の握りをしたくなった。

 握れば戻れる。握れば守れる。


 でも、今日は違う。


 今日は、クラリスが自分で戻る日だ。

 私が手を伸ばしたら、私が主役になる。

 主役が増えると、照明が増える。

 照明が増えると、舞台が喜ぶ。


 私は手を伸ばさない。

 胸の中で、温度だけを送る。


 クラリスが一回息を吸って吐いた。


 戻る呼吸。


 それだけで、肩が少し落ちる。

 目線が一度、床の白い線に落ちる。

 落ちた目線が、戻る。


 クラリスの口の中で、短い言葉が握り直されるのが見える。

 練習した言葉。

 短い言葉。

 台詞ではない言葉。


 会場が「間」を飲み込む。


 張り詰めた間。

 拍手の前の間。


 祭司が、穏やかに促した。


「お嬢さま、言葉を」


 冒頭の合図が、もう一度。


 クラリスが一歩前へ出た。

 その一歩は、さっきより確かだった。

 逃げ道を探す一歩ではない。

 自分の足で立つ一歩だ。


 白い床が足音を返し、会場に残す。

 残る音は、逃げない。


 クラリスは顔を上げた。

 王太子の方を見ない。

 祭司の目も見ない。


 目線は少し下。胸元あたり。

 練習した目線。

 戻れる目線。


 クラリスが言った。


「私は、その役を選びません」


 短い。

 白い会場に反響して、戻ってくる。


 言葉が会場に残った。

 残った言葉が、空気の形を壊す。


 会場が凍った。


 拍手が起きない。

 ざわめきも起きない。

 凍る静けさ。


 凍る静けさは、怖い。

 でも、この静けさは、拍手のための静けさじゃない。

 脚本が止まった静けさだ。


 私は息を吸って吐いた。

 胸が熱くなる。

 泣きそうになる。

 でも泣かない。照明を当てない。


 私は、支える側にいられている。

 それが、ほっこりだ。


 ノエルが咳払いをした。


「こほん」


 妙に固い咳払い。

 感動しそうなのを必死に隠している。

 そんな咳払いだった。


 その音が可笑しくて、私は少しだけ口元が緩んだ。

 緩んだだけで、また息ができる。


 公証人ミロの筆が走る音が、白い会場に小さく響いた。

 記録が残る。

 残る記録は、逃げ道になる。


 祭司の微笑みが、一瞬だけ固くなった。

 固くなって、すぐ戻る。

 戻すのが上手いのが、中央の人だ。


「お嬢さま……その“役”とは?」


 来た。

 説明を求める。

 説明させれば、物語になる。


 物語になれば、討論になる。

 討論になれば、観客が熱くなる。

 熱くなれば、役が固まる。


 クラリスが一回息を吸って吐いた。

 戻る呼吸。

 そして、短く追撃した。


「私は私の言葉で話します」


 短い。

 理由を言わない。

 討論にしない。


 それだけで、空気の刃が少し鈍る。


 王太子が前へ出た。


 微笑みは整っている。

 善意の顔。

 でも、足音が静かすぎる。

 静かすぎる足音は、刺すための音だ。


 王太子は穏やかに言った。


「安心してほしい」


 安心。

 その単語が、会場の空気を取り戻そうとする。


「皆が不安なのだ。誤解がある」


 誤解。

 またその言葉。

 不安を否定して、正義の台を作る言葉。


 王太子は続ける。


「君たちが拒むから、余計に噂が立つ。皆の前で説明を」


 皆の前で。

 説明を。

 討論へ引きずり込む言葉。


 拍手の人は、拍手が欲しい。

 拍手がないなら、説明が欲しい。

 説明は拍手に繋がるから。


 私は言葉を飲み込んだ。

 ここで私が反論したら、物語になる。

 物語になったら、クラリスが“理由を言わされる”側になる。


 だから黙る。

 黙るのは負けではない。

 黙るのは、枠を守るためだ。


 クラリスが私の方を見た。

 助けを求める目ではない。

 確認の目だ。


 私は小さく頷いた。

 合図ではない。温度の頷き。


 その時、アデルが一歩前に出る気配がした。


 足音が、白い床に返る。

 返る足音は、盾が立つ音だ。


 王太子の視線が、そちらへ滑る。

 滑った視線が、次の幕を告げる。


 私は息を吸って吐いた。

 クラリスは役を選ばなかった。

 短い言葉で、脚本を止めた。


 けれど舞台は終わらない。

 拍手の人は、まだ拍手を欲しがっている。


 次は、父が立つ番だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
此処まで状況がほぼ詩的表現で表現されている事もあって、読者視点だと何を言ってるのか言葉から受け取れない状況で困惑してます。演技指導の先生に新規の役を与えられて、その通りに演技をした結果に空気が何とも言…
同じことをなんども書きますが申し訳ありません でもお願いですからせめて読者に判る役名を下さい もう1ヶ月近く朝晩読んでいまだに何も分からないままです 「何かを期待されている」「母娘はそれを危険と感じて…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ