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悪役令嬢の母になりました。断罪より先に子どもを連れて舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第3章:こちらの舞台を作る

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第37話 噂に対抗するのは、噂だけじゃない

「王都の噂、仕入れてきました。新鮮ですよ」


 リュシエンヌは商会袋を机に置いて、にやりと笑った。

 朝の光がまだ柔らかい。祭り当日の朝だ。

 柔らかいのに、空気の中にはもう、人の匂いが混じっている。集まる匂い。


 噂は空気より軽い。

 軽いのに、胃に沈む。


 でも今日は、沈む前に“地図”にする。


 ノエルが袋の口を一瞬見て、淡々と言った。


「鮮度は」


「今朝の分。朝の口で出たやつ」


 朝の口。

 朝は飾りが落ちる。

 だから噂もよく通る。


 私は息を吸って吐いた。


「聞かせて」


 短く言う。

 聞くけれど、噂に乗らない。

 乗った瞬間、舞台ができるから。


 リュシエンヌは袋から紙束を出した。

 紙は厚い。字は細かい。

 噂を“記録”にする商会のやり方は、少し怖いほど確かだ。


「まず、これ。王都の商会と線をつないだ」


 線。

 この人は線を増やす。人と人の間に、見えない道を作る。


「噂ってね、止めると逆に跳ねるのよ。だから追う。どこから出て、どこで膨らんだか」


 ノエルが机の端に紙を寄せる。

 視線が速い。読む速さが現場の速さだ。


「通信は定期ですか」


「定期。あと、危ない匂いがしたら臨時」


 臨時。

 噂は臨時で襲ってくる。

 こちらも臨時で受ける必要がある。


 私は紙の上の文字を見た。

 発生地点。拡散経路。増幅要因。

 言葉が冷たいのに、助けになる。


 噂は敵じゃない。

 敵になる前に、観測対象にする。



 リュシエンヌは指で一つの行を叩いた。


「ここ。王都の西門近くの茶屋。夕方から増えた」


「誰が言い出した?」


 私が聞くと、リュシエンヌは肩をすくめた。


「御者。それを聞いた店の女の子。次に門番。そこから貴族の下男に移る」


 階段が見える。

 噂は階段を上がる。上がるほど言葉が整う。

 整った言葉ほど厄介だ。


 ノエルが短くまとめる。


「入口は低い。出口は高い」


「そう。で、高い方に出た時点で“正しさ”の服を着る」


 リュシエンヌが笑った。

 笑ってから、次の紙を出す。


「次。これが新鮮。胃に来る」


 ハーゼ先生がちょうど入ってきた。

 そのタイミングで「胃に来る」は悪い。


 ハーゼ先生は一瞬だけ顔をしかめた。


「私の前で胃の話をしないでください」


 リュシエンヌが両手を上げる。


「はいはい。じゃあ胸に来る話」


「余計悪いです」


 ノエルが真顔で言う。


「今は子どもが先です」


 短い。通る。

 その言葉で場が戻る。


 私は紙を見る。

 新情報。断片。

 でも断片は、地図の端になる。


 リュシエンヌが低い声で言った。


「神殿が“器”を求めて動いてる」


 器。

 その言葉が背中を冷やした。


 導く器。

 制度に載せるための言葉。

 役にするための言葉。


 ハーゼ先生の指が、無意識に胸ポケットへ向かいかけた。

 胃薬だ。

 本人も気づいて、手を引っ込める。


「……どこから」


 私が聞くと、リュシエンヌは紙を指でなぞった。


「王都の商会の奥。神殿に物を納めてる筋。あそこは噂じゃなくて“空気”を嗅ぐ」


 空気。

 それは、脚本力の匂いだ。


「『器が見つかれば、話が一気に整う』って」


 整う。

 整うという言葉は、怖い。

 整った瞬間、人は安心して誰かを責められる。


 ノエルが短く言った。


「成果です」


「そう」


 リュシエンヌが頷く。


「上が急いでる。誰が先に“結果”を出すか。神殿の中も、ひとつじゃない」


 私は息を吸って吐いた。

 敵は個人じゃない。

 制度。成果。証。

 縄の形が、またはっきりした。


「だからね」


 リュシエンヌが私を見る。


「奥さまは正面衝突しちゃだめ。正面でぶつかると、あっちの土俵になる」


 分かっている。

 分かっているけれど、確認されると背筋が伸びる。


 私は短く言った。


「今日を成功させる」


 ノエルが頷く。


「祭りは生活の舞台です」


 ハーゼ先生が付け足す。


「無理はしない。刺激は増やさない」


 私はクラリスの方を見た。

 娘は机の端でぬいぐるみを抱え、こちらを見ている。

 目が少し硬い。


 私は娘の手を取って握った。

 強すぎない。逃げ道のある握り方で。


 ここは生活。窓がある。出ていい。


 クラリスが小さく頷いた。

 それだけで、今日は進める。



 準備は、音で加速する。


 商会から物が届く音。

 木箱が置かれる音。

 布が広げられる音。

 椅子が並ぶ音。

 人が「ありがとう」と言う音。


 物資が揃うと、場が落ち着く。

 落ち着くと、笑いが出る。

 笑いが出ると、噂の餌が減る。


 リュシエンヌの仕組みは、そこまで見ている。


 町の人が、少しずつ物を持ってきた。

 紐が一束。紙が一束。椅子が一脚。

 毛布が二枚。

 温かい飲み物の準備に使う乾いた葉。


 大口じゃない。

 でも分散している。

 折れない形だ。


 アデルが箱を運んでいた。

 黙って。汗をかいて。

 公爵の顔ではなく、生活の顔だ。


 私は一度だけ目を合わせ、頷いた。

 言葉はいらない。今は動く。


 エミル先生は、祭りの読み聞かせ用の箱を抱えて立っていた。

 例え話が出そうになったところを、ノエルの視線が止める。

 先生が咳払いして短く言う。


「短い話にします」


 奇跡が続く。


 ノエルは動線を整える。

 通路を空ける。逃げ道を作る。

 泣いたら下がっていい。水はここ。休憩はここ。

 声に出さずに、形で示す。


 ハーゼ先生は顔色を見る。

 子どもの顔。母親の顔。

 「大丈夫」の嘘が出そうな顔を見逃さない。


 そしてクラリスは、私の隣にいる。

 前に出る準備ではなく、隣にいる準備。


 私は手を握るだけに徹する。

 言葉で守ると照明が強くなる。

 温度で守る。



 準備が一段落したところで、リュシエンヌが当然のように数字を出した。


「で、今日の人の流れはここ。屋台をこう並べると、買い物動線がこうなる。支援は増えるし、来月の取引も――」


 ハーゼ先生が露骨に顔をしかめた。


「胃が痛い話を、胃の前でしないでください」


「胃は正直ねえ」


 リュシエンヌは笑う。


「信用はね、後で利息がつくのよ。今の笑いは、来月の笑いを買う」


 ノエルが短く刺した。


「数字は役に立ちますが、今は子どもが先です」


 リュシエンヌが肩をすくめる。


「はいはい。分かってる。だからこそ、今日を勝つ」


 勝つ。

 リュシエンヌの言う勝ちは、舞台の勝ちじゃない。

 生活の勝ちだ。


 その言い方が、この人の強さだと思う。


 私は小さく息を吐いた。

 皆が支える空気が厚くなっている。

それだけで、噂に削られにくくなる。


 噂に対抗するのは、噂だけじゃない。

 支える手の数だ。

 生活の笑いだ。

 今日のパンの匂いだ。



 祭りの開始が近づく。

 外から人の声が増える。

 屋台の呼び声が混じり始める。


 その時、リュシエンヌの伝言係が走ってきた。

 息を切らして、紙を差し出す。


「王都から追伸です」


 追伸。

 嫌なものほど追伸で来る。


 リュシエンヌが紙を受け取り、目を走らせる。

 笑顔が一瞬だけ消えた。

 消えて、すぐ戻る。戻すのが上手い。


「奥さま」


 彼女が私を見た。


「白い花の令嬢……フィオナ。名前が出た」


 フィオナ。

 王都の“白い花”。ヒロイン枠。

 舞台の中心に置かれやすい人。


 紙には短く書かれていた。

 ――会いたいと言っている。

 ――公爵夫人に話がある。

 ――涙が増えている。


 涙。

 舞台の涙か、生活の涙か。

 まだ分からない。


 でも、名が出た。

 名が出た瞬間、噂は形になる。

 形になると、呼び寄せられる。


 ノエルが短く言った。


「接触は“場”を選びます」


 私は頷いた。

 そう。場がすべてだ。


 祭りの場を選ぶのは、勇気がいる。

 けれど祭りの場は生活の灯りが強い。

 王都の照明より、生活の灯りで迎えられる可能性がある。


 私はクラリスの手を握り直した。

 合図の握りではない。確認の握り。


 クラリスが小さく言う。


「……だれ?」


「王都の人」


 私は嘘をつかない。

 でも怖がらせない言い方を選ぶ。


「泣いている人、らしい」


 クラリスが眉を寄せる。

 そして、少しだけ首を傾げた。


「……なにか、かなしいの?」


 その問いが、生活の問いだ。

 舞台の問いじゃない。


 私は息を吸って吐いた。


「分からない。だから、決めない」


 決めない。

 それも、線引きの一つだ。


「会うかどうかも、どこで会うかも、順番を決める」


 ノエルが頷いた。

 リュシエンヌも頷いた。

 ハーゼ先生が眉を寄せながらも頷いた。

 エミル先生が、紙の上の短い言葉を握りしめる。


 順番を決める。

 それが、私たちの剣だ。



 外で、祭りの音が大きくなる。

 木が打たれる音。笑い声。呼び声。

 生活の大きな音。


 私は胸の奥で息を整えた。

 噂は来る。照明も来る。

 フィオナの名も来た。


 でも、生活もある。

 支える手もある。

 そして、噂の地図もある。


 私は小さく言った。


「行こう」


 クラリスの手を握ったまま。

 逃げ道を残したまま。

 生活の舞台へ。

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