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悪役令嬢の母になりました。断罪より先に子どもを連れて舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第3章:こちらの舞台を作る

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第26話 指導役は、にこにこして刺す

「安心してください。皆さまのために“整えに来ました”」


 門前に降り立った女性は、春の光みたいな笑顔でそう言った。

 神殿の指導役、ルミナ。


 声は柔らかい。礼儀も完璧で、角がない。

 だからこそ背筋が冷える。角がない言葉は、逃げ道を探しにくい。


 彼女の背後には随行が数名。歩幅が揃っている。頭の下げ方まで揃っている。

 そして何より、荷の量が揃っていない。


 多い。

 多すぎる。


 箱が三つ、四つ。寝具のような巻物。帳簿の束。布で包まれた道具。

 短期の訪問ではない。居座る前提の荷だ。


 ノエルが私の斜め後ろで、小さく息を吸った。

 彼女が息を吸うときは、数を数え始める合図だ。


「……奥さま」


 ノエルの声は小さい。けれど、短く刺さる。


「荷物が多すぎます。短期の訪問じゃありません」


「見れば分かるわ」


 私は笑顔を装備したまま、小声で返した。


 ルミナは私に向かって丁寧に一礼した。


「神殿より派遣されました、指導役のルミナと申します。奥さまのお心に沿う形で、整えをお手伝いいたします」


 お手伝い。

 その言葉の中に“決定”が混じっているのが分かる。


 私は笑顔を崩さず頷いた。


「遠路ありがとうございます。こちらへどうぞ」


 ルミナは穏やかに頷き、当然のように続けた。


「滞在の準備は神殿で整えております。皆さまのお手を煩わせません」


 煩わせません。

 つまり、こちらに拒否権はない、と言っている。


 ノエルが一歩前に出た。声は丁寧。目は冷たい。


「荷は、こちらで保管いたします。必要なものはお申し付けください」


 ルミナの笑顔が揺れないまま、視線がノエルに移る。


「お気遣いありがとうございます。では、寝具一式と帳簿、それから祈りの道具は手元に」


 当たり前のように言う。

 当たり前の顔で「居ます」と言う。


 私は先に手を打った。


「寝具は客室へ。帳簿は応接の隣の小部屋に。道具は……」


 道具は、と言いかけて言葉を止めた。

 “祈りの道具”を娘の生活の近くに置かせたくない。


 ルミナが先回りするように微笑んだ。


「お嬢さまの生活に合わせます。ご安心ください。整えは優しいものです」


 優しい。

 優しいほど、断りづらい。


 ノエルが淡々と補足した。


「お嬢さまの生活は、医師の指示に従います」


 ルミナは瞬きを一つした。

 笑顔は崩れない。でも頭の中で別の道を探しているのが分かる。


「もちろんです。医師の見解は尊重いたします。神殿も同じく、守りのために」


 守り。

 これも便利な刃だ。


 私は息を吸って吐いた。

 焦らない。順番を決める。場を選ぶ。主語を選ぶ。


「では、まずは中へ」


 私は“応接室”と言わなかった。

 言わなかったのに、ルミナの足取りは自然に応接室へ向かっていた。迷いがない。慣れている。


 だから、こちらが先に曲げる。



 廊下の途中、ルミナは柔らかい声で言った。


「お嬢さまの生活を、神殿式に整えましょう」


 さらり。

 さらりと言うほど、刺さる。


「起床と就寝の祈りを定め、食事前の清めを。遊びの時間にも規律を。訪問者も、神殿が整理いたします」


 定めましょう。

 整理いたします。

 提案の顔をした決定。


 背筋が冷える。

 このまま応接室に入れば、会談の形になる。そこで“整える”が既定路線になる。


 私は足を止めずに言った。


「まず、こちらへどうぞ」


 ルミナが首を傾げる。


「応接室は……?」


「ちょうど台所が動いています。朝の支度が終わったところで。お腹が空きませんか?」


 ルミナは一瞬だけ言葉を失った。

 神殿の人はこういう“生活の質問”に弱い。正しさの鎧に匂いが付くから。


 ノエルが当然の顔で言う。


「空腹は刺激です。医師の指示です」


 誰が医師なの。

 心の中で突っ込みつつ、今は味方にする。


 ルミナは微笑みを崩さず頷いた。


「なるほど。では、台所へ」


 来た。

 舞台の照明を薄める場所へ。



 台所は、生活の音で満ちていた。

 包丁の小気味いい音。皿の重なる音。木の机に置かれる器の音。

 鍋の蓋が触れ合い、湯気がふわりと空気を撫でる。


 使用人が出入りし、パンの匂いが広がる。

 ここは“人の目が多い場所”だ。言葉が密室で固まらない。


 ルミナが、少しだけ目を見開いた。


「……賑やかですね」


「生活ですから」


 私は笑って返した。


 ノエルは台所に入った途端、空気が変わった。

 屋敷の侍女ではなく、台所の権限者になる。ここでは彼女が強い。


「そこは通路です。荷は壁際に。鍋にぶつけないでください」


 随行が慌てて荷を寄せる。

 神殿の人が台所で指示を受けている。少し可笑しい。


 ルミナが咳払いをして、柔らかく言った。


「ご配慮ありがとうございます。では、先ほどの整えについて……」


 ノエルが、ルミナの言葉を切らないまま皿を置いた。


 湯気がふわりとのぼる、温かいスープ。


 香草の匂い。塩の匂い。焼いたパンの匂い。

 “会談”の匂いではなく、“食事”の匂いが先に立つ。


「まず食べてから話しましょう」


 ルミナの微笑みが、一瞬だけ止まった。


「……お茶ではなく?」


「お茶は後です」


 ノエルは真顔で言う。


「温かい汁物は落ち着きます。医師の指示に従います」


 また医師。

 万能すぎて、医師が増えている気がする。


 ルミナは笑顔を戻し、椅子に座った。


「確かに、落ち着くのは大切ですね」


 随行の人たちも、いつの間にか椅子に案内されている。

 ノエルがスープを置いて回る。全員に。容赦なく。


 台所のテーブルに神殿一行が並ぶ光景は、少し滑稽で、だから救いになる。

 生活の匂いは舞台の照明を薄める。輪郭を柔らかくする。


 ルミナがスープを口にした。

 上品に。微笑みを崩さずに。


「……美味しいですね」


「そうでしょう」


 ノエルが即答する。


「味が薄いと、話が濃くなります。今日は味を整えました」


 何を言っているの。

 でも妙に納得してしまうのが悔しい。


 ルミナが楽しそうに笑った。


「なるほど。では、話も整えましょう」


 整え。

 またその言葉。


 私はスプーンを置き、短く言った。


「整える前に、決めておきます」


 ルミナがこちらを見る。


「何をでしょう」


 私は笑顔を装備したまま、芯だけを出した。


「ここでは、医師の判断が優先です」


 ルミナの目が、ほんの少しだけ細くなる。

 でも微笑みは崩さない。にこにこしたまま刺してくるタイプだ。


「もちろんです。医師の見解は尊重いたします。ですが、神殿の整えは医療ではなく、守りです」


 守り。

 否定しづらい言葉をまた出す。


 私は頷く。否定しない。対決しない。

 その上で、順番を置く。


「守りの形は、子どもの生活が中心です」


 ルミナが、柔らかい声で返す。


「生活を整えることが、安心に繋がります。お嬢さまの起床時間、食事の作法、祈りの言葉……」


 ノエルが口を挟む。丁寧に。鋭く。


「恐れ入ります。お嬢さまは静養中です。起床時間は体調で変わります。作法は負担になります」


 ルミナの微笑みが、ほんの一瞬だけ固くなる。


「負担にならない範囲で整えるのです」


 整える。

 逃げ道を削る言葉。


 私は、短く言った。


「負担になる提案は受けません」


 ルミナが驚いた顔をする。

 笑顔は保ったまま、目だけが「頑な」の型を作りに来る。

 だからすぐに“場”を戻す。頑固ではなく、生活。拒否ではなく、医師主語。


「静養は盾です。盾を壊す整えは、守りになりません」


 ルミナは微笑んだ。


「盾、ですか。素晴らしい表現ですね」


 表現を褒めて、主導権を取ろうとする。

 にこにこして刺す。ここが彼女の技術だ。


「では、盾をより強くするために、神殿が支えます」


 支えます。

 支えるふりをして握る言葉。


 ノエルがスープのおかわりを置きながら言う。


「支えるなら、まず食べてください」


「食べていますよ」


「二口では足りません」


 ルミナが笑った。


「随分と厳しいのですね」


「台所は厳しいです」


 ノエルが真顔で言い切り、随行が息を呑んだ。

 場が静まり、次に小さな笑いが起きる。

 笑いがあるだけで、胸が軽くなる。まだ大丈夫だと思える。


 私はその隙に、迎撃方針をもう一段、具体にする。

 言葉を抽象にしない。ここからは、家の外も含めた話だ。


「ルミナ様。ひとつお願いがあります」


 ルミナが頷く。


「何でしょう」


「お嬢さまに会うのは、医師の許可がある時だけにしてください」


 ルミナは、笑顔のまま言う。


「もちろんです。ですが、医師の許可が遅れれば、お嬢さまの安全が遅れます」


 遅れます。

 前に聞いた「待ちません」と同じ匂いがする。


 私は笑顔を崩さず、短く返す。


「医師の判断は遅れません。必要な時に、必要なだけです」


 ルミナの目が一瞬だけ動く。

 計算が走る目。


「承知しました」


 口では承知する。

 でも、次の道を探している。


 だから彼女は、次の一言を置いた。


「では、生活の場を見学します」


 見学。

 柔らかい言葉。けれど次の扉を開ける言葉。


 私は息を吸って吐いた。

 見学はさせる。見せる範囲は、こちらが決める。

 順番は、こちらが決める。


「分かりました」


 私は頷き、続けた。


「見せる順番を決めます。まずは町の商会、次に医師の診察室。最後に、お嬢さまが無理のない範囲で」


 ルミナが微笑んだ。


「素晴らしい。順番があるのは安心です」


 順番を褒める。

 順番を褒めて、順番を奪いに来る。

 この人はそういう人だ。


 ノエルが短く言った。


「順番は変えません」


 ルミナは穏やかに頷いた。


「ええ。変えません」


 言い方が上手い。

 頷きながら、別の順番を作る準備をしている。



 その日の夕方、ルミナ一行の部屋割りが決まった。

 客室は別棟。娘の生活から距離を取る。

 祈りの道具は、娘の部屋の近くに置かせない。

 帳簿は応接隣の小部屋。出し入れはノエル管理。


 ノエルは最後に言った。


「台所への立ち入りは、許可制です」


 ルミナが微笑む。


「台所が城壁なのですね」


「城壁です」


 ノエルが即答した。


 私は思わず口元を押さえた。

 台所が城壁。確かに、今日の城壁はそこだった。


 夜、クラリスの部屋を覗くと、娘は窓辺に座っていた。

 ぬいぐるみを抱き、庭の小枝の家を見ている。


 私はそっと近づき、隣にしゃがむ。


「クラリス」


 娘が私を見て、小さく袖を掴んだ。

 合図。私も握り返す。


「今日、神殿の人が来たの」


 クラリスの肩が少し上がる。

 でも、前みたいに息を止めない。怖さを飲み込まない。


「……こわい?」


 娘が私に聞く。

 自分の怖さではなく、私の怖さを確かめる目。優しい目。


 私は笑って頷いた。


「少しね。でも、大丈夫」


 短く。通る言葉で。


「ここは生活。窓がある。出ていい」


 クラリスが小さく復唱する。


「……出ていい」


「そう」


 私は娘の髪を撫でた。


「来るなら、こっちの舞台で迎えるって決めた」


「……舞台?」


 クラリスが首を傾げる。


 私は言い換える。子どもが分かる言葉で。


「ここでの暮らしのこと。いつものごはん。いつものお茶。いつもの笑い声」


 クラリスが少し考えてから、頷いた。


「……いつもの」


「うん。いつものを増やす」


 娘の指が、ぬいぐるみの耳を撫でる。安心している時の手だ。


「お母さま」


「なあに」


「わたし、いやって言えるよ」


 胸が、ふっとほどけた。

 小さな拒否は、強い。

 その強さが今夜もここにある。


「うん。言える」


 私は笑って頷く。


「それを守るために、神殿の形に合わせる前に、こちらの暮らしを先に広げる」


 クラリスは、少し照れたように笑った。

 意味の全部が分からなくても、“増える”が分かる顔。



 翌朝、ルミナがまた微笑んで言う。


「では、生活の場を見学します」


 それは宣言であり、次の侵入経路だ。


 私は息を吸って吐き、頷く。


「どうぞ。ただし、こちらの順番で」


 ノエルが横で、当たり前のように付け足した。


「まず食べてからです」


 ルミナが笑った。


「やはり、台所が強いのですね」


「強いです」


 ノエルは真顔だ。


 笑いが一つ入る。

 だから、まだ大丈夫だと思える。


 指導役は、にこにこして刺す。

 なら、こちらは生活の匂いで包む。


 刺されても折れないように。

 刺されても息ができるように。


 次は、領地の外へ。

 こちらの暮らしが、本当に“舞台”になる番だ。

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― 新着の感想 ―
「二週間、現状維持が必要、その後に症状が落ち着けば検討可能」 「医師の決定に従う」「医師の見解を王家は支持する」 「悪化は本位ではない、二週間は干渉しない」 正式な記録の残る場所での言葉、双方での合…
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