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悪役令嬢の母になりました。断罪より先に子どもを連れて舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第2章:舞台が追ってくる

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第24話 正しさが滑る日

 会議室の扉を開けた瞬間、空気の温度が変わった。


 領地の集まりに特有の、木と紙と人の匂い。

 それに混じって、王都の匂いがする。清潔で、正しくて、逃げ道を消す匂い。


 長机が据えられ、椅子が並び、窓の光が斜めに落ちている。

 記録係が羽根ペンを構え、紙がすでに数枚、机の上で待っていた。

 椅子を引く音が、どこか開幕みたいに揃う。


 私は笑顔を装備して席に着いた。

 右にハーゼ先生。左にノエル。

 少し距離を置いて、領地の有力者たち。町の代表、商会の顔役、地主たち。

 向かいに神殿の聖務官セレス、その背後に随行。

 そして端に、王都の代理人。丁寧な言葉で圧を出す人。


 セレスは穏やかに頭を下げた。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。奥さま。領地の皆さま。王都の皆さま」


 礼儀は厚い。声は柔らかい。

 柔らかいからこそ、刃が見えにくい。


「議題は、お嬢さまの安全と静養の調整です」


 安全。静養。

 正しい言葉が並ぶ。正しい言葉ほど、拒む側が悪者になる。


 王都の代理人が、落ち着いた声で添えた。


「王家も案じております。神殿の儀式は保護であり、善意です。穏やかに整えられればと」


 保護。善意。穏やかに。

 言葉がこちらを包んでくる。包むふりをして、結び目を作ろうとする。


 領地側の代表が、居心地の悪い笑みで頷いた。


「そりゃあ……王都からのご好意なら……」


 その一言で、会議室の空気が一段、傾いた。

 善意の側が正しい。拒む側は頑な。

 構図が作られる。


 セレスが微笑み、ゆっくり私に視線を移す。


「では奥さま。“拒む理由”をお聞かせください」


 その瞬間だった。

 空気が一斉に、私の背中へ回り込んだ。


 視線が集まる。

 紙の音が大きく聞こえる。

 椅子の軋みが、やけに響く。


 敵になる。

 空気が、敵になる。


 私は息を吸って吐いた。

 ここは生活、窓がある、出ていい。

 合言葉を自分に使うのは少し情けない。でも、今は必要だ。


 口を開く。言葉は短く。


「医師の判断で静養が最優先です」


 正論だ。

 でも正論は、滑る日がある。


 セレスは微笑んだまま頷く。


「もちろん、医師の見解は尊重いたします。ですが、儀式は医療ではありません。むしろ守りです」


 守り。

 否定しづらい言葉が来る。


 王都の代理人も、同じ方向へ押す。


「お嬢さまの将来に関わります。ここで一度、正式に整えるのは良いことです。拒む必要は薄いかと」


 拒む必要は薄い。

 薄いと言いながら、拒む隙を削る。


 領地の有力者の一人が、ためらいがちに言った。


「奥さま……神殿に逆らう形になるのは……」


 逆らう。

 その言葉が、胸を刺す。


 違う。逆らっているのではない。守っている。

 でもこの場でそれを言えば、私は「正しさを振りかざす頑固者」になる。


 論破はできる。

 論破しても、勝ちにならない。

 ここで勝ったら、“悪役”になる。


 手が冷えた。指先が机の木目を掴む。

 笑顔が薄くなるのが自分でも分かる。


 セレスは柔らかい声で畳みかけた。


「奥さま。お嬢さまは神殿の保護を受けるに相応しいお方です。善意を拒むのは、なぜですか」


 善意。

 拒む。

 言葉の順番が、こちらを悪者へ運ぶ。


 私は一拍遅れた。

 言葉が喉で止まる。

 正しさが滑る日。足元が、少しだけ裏切る。


 そのとき。


 ノエルが静かに立った。

 背筋を伸ばし、口角だけを整え、丁寧に頭を下げる。


 そして、丁寧すぎるほど丁寧な声で言った。


「恐れ入ります。論点を戻させていただきます」


 会議室が、しんとした。


 ノエルは続ける。丁寧に、鋭く。


「お嬢さまは子どもです。今の話は、信仰の話ではなく健康の話です」


 視線が、セレスから医師へ移る。

 空気の矢印が、少しだけ向きを変えた。


 ノエルはさらに、静かに言葉を置く。


「医師の管理下にある静養の計画を、どなたが変更する権限をお持ちでしょうか」


 丁寧語なのに、刃だ。

 刃が机に刺さる音が聞こえそうなくらい、場が静まる。


 領地側の代表が咳払いをした。

 王都の代理人が、わずかに眉を動かす。

 セレスの微笑みが、ほんの一瞬だけ薄くなる。


 私は、やっと息を吐けた。

 胸が温まるというより、背中を支えられた感覚。倒れかけたところを、静かに支えられた感覚だ。


 ハーゼ先生が椅子から少し前へ出た。

 顔色は薄い。手はわずかに震えている。

 それでも、声は通った。


「医師として申し上げます」


 先生は一度だけ深呼吸をした。


「現状、移動は負担です。儀式は刺激です。刺激は症状を悪化させます。私は許可できません」


 短い。強い。通る。


 先生は続けた。今度は“期限”という形で、先送りを医療計画に変える。


「二週間。最低でも二週間は現状維持が必要です。その後、症状が落ち着けば、改めて検討できます」


 二週間。

 数字は空気に強い。

 善意より、押し返す力がある。


 領地側の有力者が頷いた。


「医師がそう言うなら……」


 王都の代理人が言葉を選ぶように言った。


「医師の見解は重い。王家としても、悪化は避けたい」


 セレスが微笑みを整える。


「もちろん、悪化は本意ではありません。では、二週間の後に改めて……」


 流れが止まった。

 完全には勝っていない。でも、滑り落ちは止まった。


 私は胸の内で小さく頷いた。

 今日の勝ちは、“今ここ”を守ること。娘の呼吸を守ること。

 それ以上はいらない。


 そして会議が終わりに向かい始めた、その瞬間。


 セレスが、さらりと言った。

 さらりと言うほど怖い。


「では奥さま。次回までに、“神殿の指示に従う意思”を書面でいただけますか」


 文で。


 言質。

 逃げ道を塞ぐための、紙。


 会議室の空気が、また揺れた。

 領地側が「それくらいなら」と言いそうになる雰囲気。

 王都の代理人が頷きかける気配。


 私の手が冷えた。

 指先が机の木目を掴む。

 書いた瞬間、順番が逆になる。こちらが縛られる。


 ノエルが私に視線だけを向けた。

 「書かないで」と言う目。

 でもこの場でそのまま言えば、また“頑な”の構図に戻る。


 私は笑顔を装備し直した。

 薄くなった笑顔を、もう一度持ち上げる。

 滑る日でも、転び切らない。


「検討します」


 短く、曖昧に。

 肯定でも否定でもない。

 逃げ道を残す言葉。


 セレスは微笑んだ。

 勝った微笑みではない。

 小さく勝ちを取った人の、釘の微笑み。


「承知しました。次回の場までに、お願い申し上げます」


 紙の音が、また大きくなる。

 記録係が何かを書いた。羽根ペンがやけに滑らかに走る。


 会議は終わった。

 私たちは席を立ち、礼を交わし、外へ出る。


 廊下で、ハーゼ先生がようやく肩を落とした。

 落とした瞬間、胃を押さえる。


「……胃が……」


 ノエルが、待っていましたと言わんばかりに胃薬を差し出す。

 無言の段取り。怖いほど正確な優しさ。


 先生は震える手で飲み込み、息を吐いた。


「……今日の私は、悪者でしたか」


 私は先生に向き直り、深く頭を下げた。


「先生、ありがとうございます。先生が前に出てくれたから、守れました」


 先生が目を丸くする。


「奥さま、頭を下げるのは……」


「必要な作業です」


 ノエルが横から言って、先生が咳き込んだ。


「あなたまで……」


「満点です」


 ノエルは真顔だ。

 周囲が一瞬静まって、次に小さく笑いが起きた。

 笑いがあるだけで、胸のつかえが少し取れる。まだ大丈夫だと思える。


 先生は照れたように視線を逸らし、小さく言った。


「……職務です」


 でも声が震えている。

 職務だけで前に出られるなら、胃薬は要らない。


 私は息を吸って吐いた。

 会議室の空気を思い出す。正しさが滑る日。

 でも、滑り切らなかった。


 支えがあった。

 丁寧語の刃が、私を救った。

 医学の言葉が、流れを止めた。


 それでも、セレスは小さな勝ちを取った。

 文で従う意思。言質。


 次はそこだ。撤退戦術が試される。


 私は廊下の窓から外を見た。

 領地の空は広い。

 娘の小枝の家には窓がある。入口もある。出ていい場所がある。


 帰ったら、まず手を握ろう。

 合言葉を言おう。ここは生活。窓がある。出ていい。


 そして自分にも言う。


 焦らない。

 順番を決める。

 紙に縛られない言葉を選ぶ。


 正しさが滑る日でも、折れない

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― 新着の感想 ―
私が頭悪いのでしょうか。 ここまで読んできても神殿や王宮、学院がここまで囲おうとする理由がさっぱりわかりません。 クラリスはひどく幼い描写。学園に通う齢とは思えなくて。 神殿は夢見や何かで聖女候補?王…
初めてセレスさんと対話してかわした話数でさすが公爵婦人と感想を出しましたが、ここまで読んできて、勘違いしてたような?物凄く公爵婦人にしては会話術下手なのではっ?!と。もしかして転生者だからかな~。そし…
時間稼ぎは出来ましたが、検討と言っても約束をさせられてしまいましたね。 たた個人的には、療養を重視して、保護を拒んでいた事実を神殿以外が知った事で神殿と敵対してない事実を王宮が、町の住民が知り、此処…
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