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悪役令嬢の母になりました。断罪より先に子どもを連れて舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第2章:舞台が追ってくる

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第21話 主役がいないと、正義は焦る

「王都、空回りしてますよ。主役がいないから」


 リュシエンヌは商会の扉を押し開けるなり、そう言った。

 息も整えずに言うあたり、彼女にしては珍しく落ち着きがない。


 私は椅子に座ったまま、指先でお茶の湯気を追った。

 湯気は逃げ道の形をしている。上へ、外へ、勝手に抜けていく。


「主役がいない……」


 口にした瞬間、背中がひやりとした。

 主役がいないというのは、舞台が成立しないということ。成立しないなら、誰かが焦って“代わり”を用意し始める。


 ノエルが隣で短く言う。


「代役探しです」


 短い。刺さる。


 リュシエンヌは腕を組み、顎を上げた。


「そう。王都ってね、舞台が空くと黙ってられないのよ。空いた席があると、そこに誰か座らせたくなる」


 言い方は乱暴だけれど、正しい。

 空いた席に誰かが座った瞬間、物語は回り始める。回り始めたら、止まらない。


「どんな噂?」


 私が尋ねると、リュシエンヌは指を折りながら言った。


「まずね。学園で“泣く役”が増えてる」


「泣く役……?」


「うん。ちょっとした言い争いが大事件になって、誰かが泣く。泣くとどうなる?」


 ノエルが答える。


「取り巻きが増えます」


「そうそれ!」


 リュシエンヌが指を鳴らした。


「泣く人が増えると、心配するふりの人が増える。心配するふりの人が増えると、話が増える。話が増えると、噂が増える。噂が増えると――」


「パンより早く揉めます」


 ノエルが淡々と続ける。


 リュシエンヌは笑った。


「あなた、話が早いわ」


「短いほうが通ります」


 ノエルは真顔だ。

 笑いが混ざると、胸が少し軽くなる。笑えるだけで、まだ大丈夫だと思える。


 けれど、噂の中身は軽くない。


「でね、取り巻きが増えると、今度は“正しい側に立ちたい人”が増えるの」


 リュシエンヌが続ける。


「正しい側に立ちたい人が増えると、何が起きる?」


 私は答えた。


「……誰かを悪い側に置きたくなる」


「そう。で、今ね、悪い側が足りない」


 リュシエンヌは言い切った。

 その言葉が、胸の奥に冷たい針を落とす。


 悪い側が足りない。

 つまり、探している。


 ノエルが小さく言った。


「代役悪役」


 『代役悪役』。その言葉が、部屋の温度を下げる。


 私は息を吸って吐いた。

 息を整える。ここは王都じゃない。ここは生活の場所だ。


「ほかには?」


 リュシエンヌは肩をすくめた。


「王太子殿下もね、焦ってるみたい」


「殿下が……?」


 直接は見ていない。見た人からの話。けれど噂というものは、こういう“匂い”の方が当たる。


「公開の場で『秩序』だの『民のため』だの言って、判断が雑になってるって」


 雑。

 その言葉が怖い。


 雑な判断は、誰かの人生を簡単に削る。

 正義の顔をして削る。削ったあとで理由が付く。順番が逆になる。


 ノエルが言った。


「後から証拠が付きます」


 私は頷いた。

 それは王都のいつものやり方だ。


「聞いた話だとね」


 リュシエンヌが声を落とす。


「殿下が皆の前で『これは正しい』って決めたことがあるらしいの。ちゃんと話を聞かずに」


 背中が冷えた。

 “正しい”と決める。舞台の照明を強くする合図だ。


 リュシエンヌは、わざと明るい声に戻した。


「まあでも、王都の正義は焦げやすいのよ。火が強いから」


「焦げやすい……」


「ええ。だから今日は煮込みの話をしましょう。弱火で、じっくり。焦げない」


 噂を料理の話にすり替える。

 さすがだ。生活で上書きするコツを知っている。


 ノエルが真顔で言う。


「煮込みは、砂糖が要ります」


「そこ?!」


 リュシエンヌが吹き出した。


「あなた、やっぱり怖いわ」


「正確です」


 ノエルは揺るがない。

 私は笑いそうになって、お茶を一口飲んだ。甘いものが足りないなら、笑いを足す。


 ――けれど、笑いの奥で私は整理していた。


 主役がいない。

 舞台が成立しない。

 成立させたい人たちが焦る。

 焦りは“代役”を探す。


 代役は、誰だ?


 領地の誰か。

 娘の周辺の誰か。

 そして、母である私。


 私は背筋を伸ばした。

 ここで焦らない。焦りは向こうの燃料だ。



 商会から戻る道すがら、ノエルが隣を歩いた。

 彼女の歩幅はいつも一定で、迷いがない。


「奥さま」


「なに?」


「王都が焦ると、言葉が強くなります」


「……分かってる」


「強い言葉は、逃げ道を減らします」


 逃げ道。

 私たちが守ってきたもの。


 私は頷いた。


「だから、逃げ道を増やす」


 ノエルがこちらを見る。

 ほんの少しだけ安心した目。ほんの少しだけ。


「奥さまが決めたことなら」


 その言い方が妙に頼もしい。

 この人は、私の決めた順番を信じてくれる。だからこそ、辛口でも揺れない。


 別邸に着くと、居間からクラリスの声が聞こえた。

 お茶の時間らしい。生活の音が先にあると、胸が少し軽くなる。


 けれど噂は、生活に混ざって入ってくる。

 扉の隙間から、軽い顔をして。


 居間に入ると、クラリスがぬいぐるみを抱えたままこちらを見た。

 目が少し硬い。何か聞いた目だ。


「お母さま……」


「どうしたの?」


 クラリスは言葉を探し、短く言った。


「……王都、揉めてるって」


 聞こえた。

 使用人の小声。あるいは私たちの会話の端。噂はそうやって入ってくる。


 私は息を吸って吐いた。

 ここで否定しても、怖さは消えない。

 怖さを言葉にして、小さくする。


「うん。揉めてるみたい」


 クラリスの指がぬいぐるみの耳を強く握った。

 肩が少し上がる。


「……わたし、また……」


 言葉が途切れる。

 “あそこ”と言わなくても分かる。舞台の光。大人の目。正しい台詞。


 クラリスの手が、私の袖をぎゅっと掴んだ。


 合図。


 私はすぐに握り返す。手の温度で「今ここ」を渡す。


「大丈夫」


 短く。通る言葉で。


 そして、合言葉を置く。


「ここは生活。窓がある。出ていい」


 クラリスがその言葉を聞き、息を一つ吐いた。

 呼吸が少しだけ深くなる。


「……出ていい」


 小さく復唱する。

 復唱できるなら戻れる。


 私は頷いた。


「そう。怖くなったら、出ていい。休んでいい。やめていい」


 クラリスがもう一度息を吐き、頷く。

 目の硬さが少し溶けた。


 ノエルが机に果物を置きながら言う。


「噂は軽いです。軽いものほど、こちらへ飛びます」


「うん」


 私は頷き、クラリスの髪を撫でた。


「だから、生活を重くする。重いって悪い意味じゃないの。動かないって意味」


 クラリスが首を傾げる。


「……動かない?」


「安心が動かない。ここにある」


 クラリスは少し考えてから頷いた。


「……ここにある」


 その言葉が胸に落ちた。

 合言葉は、ちゃんと効く。



 夕方、アデルが応接へ入ってきた。

 旅の泥は落ちたが、目の下の影はまだ残っている。


 彼はまずクラリスの方を見て、すぐに視線を逸らした。

 近づきすぎない。娘の距離を尊重する。昨日の練習が生きている。


「今日、少し話していいか」


 私に向けた言葉。娘に向けてではない。


 私は頷いた。


「クラリスは、ノエルとお茶の続きにしよう」


 クラリスは小さく頷き、ノエルの方へ寄った。

 選ぶ距離がある。選ぶのは娘。私は急かさず、見守る。


 隣室の扉が閉まり、応接に残ったのは私とアデルだけ。


 アデルは椅子に座らず、窓の方へ一歩歩いてから止まった。

 公爵の癖だ。動きながら考える。


「王都は……荒れている」


「リュシエンヌから聞いた」


 アデルは頷いた。


「学園が荒れているのは、主役がいないからだ」


 その言い方が胸に刺さる。


「舞台が成立しないと、正義は焦る」


 アデルの低い声は、公爵の分析であり、父親の恐れでもある。


「焦った正義は雑になる。誰かを悪い側に置けば、話が早いからだ」


 私は息を吸って吐いた。

 雑な正義。最悪の組み合わせ。


「だからこそ」


 アデルが続ける。


「王都の圧は、俺が受け止める。公爵として受け止める」


 昨日の約束の続きだ。


「娘には近づけない。近づけさせない」


 私は頷いた。

 その言葉は、父の盾になる。


「必要なら、王都へ戻る」


 アデルの指が椅子の背を握る。決意はある。けれど怖さもある。


 私は短く言った。


「焦らない」


 アデルが苦く笑う。


「……焦らないようにする。練習だな」


「ええ。練習」


 謝罪だけじゃない。守り方も練習だ。


 そのとき、ノックが入った。

 ノエルの声がする。


「奥さま。封が届きました」


 封。

 その一語で、背中が冷える。


「入って」


 ノエルが入ってきて、封筒を差し出した。

 厚い紙。硬い封。神殿の紋。前より“正式”だ。拒否しづらい顔をしている。


 アデルの表情が固まった。


 私は封を切る前に息を吸って吐いた。

 焦らない。順番。短い言葉。


 封を開ける。

 中の文面は、優しいふりをやめていた。


 確認ではない。

 検査でもない。


 儀式。

 清め。

 立ち会い。


 言葉が強い。

 強い言葉は、逃げ道を減らす。


 ノエルが短く言った。


「来ました」


 アデルが低い声で言う。


「……招請だ」


 私は紙を伏せた。

 見えるけれど、まだ触れない距離に置く。

 この家の空気を、紙に飲まれたくない。


 私はアデルを見て、短く言った。


「順番を決める」


 アデルが頷いた。


「場所を選ぶ」


「人の目を使う」


「密室にしない」


 言葉が、私たちの間で揃う。

 揃うと、少しだけ怖さが薄まる。


 隣室から、クラリスの笑い声が聞こえた。

 お茶の時間の笑い。生活の音。

 それは舞台の拍手じゃない。生きている家の音だ。


 私はその音を胸に入れてから、もう一度紙の方へ視線を戻した。


 主役がいないと、正義は焦る。

 焦った正義は、言葉を強くする。


 なら、こちらは生活を強くする。

 怒鳴らない。殴らない。

 逃げ道を増やす。順番を決める。


 そして、娘の呼吸を守る。


 次は、その番だ。

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― 新着の感想 ―
これって短編と同じで6歳設定でしょうか?それなのに学園荒れるって無理があるような?そして両親共々重苦しっ。もう他国に留学しなよ!と的外れに言いたくなります。静養先は王都から近いんですか?噂回るの早すぎ…
感想は感想。 創作物はご自身のもの。 あたためきたものがあるはず。 感想に振り回されてご自身のものを見失わないでください。 ゆるゆると愉しみながらお付き合いさせてもらいますので。
初めから読み進める中でずっと疑問に思う事ですが、王宮も神殿も何故執拗にクラリスに執着するのでしょう? 単に「悪役」を求めるのであれば、クラリスでなくても良いはずです。大の大人達がまだ幼い少女をなぜこう…
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