表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/48

第19話 先生、説明が長いです

 朝の光は、王都よりやわらかい。

 同じ窓から入ってくるのに、ここでは空気が急かしてこない。


 それでも私は、机の上の封筒から目を離せなかった。


 神殿の紋。

 「“確認”の内容を書面で」と求めた返事が、きっちり届いている。


 紙は薄い。文字は丁寧。

 丁寧だからこそ、息が詰まる。


「奥さま」


 ノエルが、封筒の横に小皿を置いた。果物だ。


「……ありがとう」


 私は封筒を開ける前に、ひと口だけ果物を食べた。

 甘さが舌に残る。それでようやく、紙に触れられた。


 中身は予想通りだった。


 質問の項目。

 同席者。

 祈りの形式。

 そして、いちばん危険な言葉。


 安全のため。


 “安全のため”と言われたら、断る側が悪者になる。

 あの笑顔は、それを知っている。


「奥さま、顔色が」


 ノエルが言いかけたところで、控えめなノックが入った。


「失礼します。今朝、お時間をいただけますか」


 エミルだった。

 家庭教師。元学園講師。言葉で世界をほどこうとする人。


 私は封筒を伏せ、息を整える。


「ええ。ちょうど相談したいことがあるの」



 学習室には木の香りがした。

 紙とインクの匂いは、ここでは「勉強」の匂いになる。

 王都だと「審査」の匂いになってしまうのに。


 クラリスは椅子に座り、膝の上のぬいぐるみをぎゅっと抱えた。

 眠そうな目。でも、ちゃんと私を見ている。


「今日は、なにするの?」


 明るくしようとして、少しだけ無理が混じる声。

 私は笑って、娘の髪をそっと整えた。


「今日はね、“安心の練習”よ」


「安心のれんしゅう」


「うん。怖くなったら止める。そこで終わりにしていい、って練習」


 エミルが、早速、紙を一枚取り出した。

 そして二枚。三枚。四枚。


 ノエルの視線が冷たくなる。


「先生、三行でお願いします」


 エミルは真顔で返した。


「三行は無理です」


「では五行」


「五行でも足りません」


 私は思わず口元を押さえた。

 行数交渉が始まってしまった。しかも二人とも本気だ。


 クラリスが小さく笑う。


「ノエル、こわい」


「お嬢さまの呼吸を守る仕事です」


 ノエルは真顔のまま言い切った。

 笑えるだけで、胸が少し軽くなる。まだ大丈夫だと思える。


 けれどエミルは、いつも通り、丁寧に講義を始めた。


「まず、神殿の“確認”は言葉の上では確認ですが、実際には段取りです。段取りは流れです。流れは、断りづらい形で作られます」


 早口ではない。むしろ落ち着いている。

 落ち着いているから、言葉が重くのしかかる。


「質問には型があります。答え方にも癖があります。沈黙にも意味があります。相手が“安全のため”と言ったとき、それは……」


「先生」


 ノエルが、すっと手を上げた。


「要点だけでお願いします」


「要点だけ、というのが難しくてですね。背景を理解していないと、要点が要点にならないのです」


 悪気がない。

 その優しさが、時々、刃になる。


 私はクラリスを見る。

 娘は最初、ちゃんと聞こうとしていた。

 でも、説明が進むほど、ぬいぐるみを抱える腕が固くなる。


「……質問の型、ってなに?」


 クラリスが小さく尋ねた。


 エミルが嬉しそうに頷く。


「良い質問です。例えばですね、AかBか、と見せておいて実際にはCを選ばせる質問があります。あるいは、Yesと答えた瞬間に“同意した”と扱われる言い回しがあり……」


 言葉が増える。紙が増える。線が増える。矢印が増える。

 机の上が、だんだんと“劇場の裏側”になっていく。


 クラリスの顔から、色が落ちた。

 目が泳ぐ。肩が上がる。呼吸が浅くなる。


 私は娘の膝にある手に、そっと指を重ねた。

 合図は、娘が決めたものだ。怖くなったら、ぎゅっと握る。


 クラリスの指が、ぎゅっと私の指を握った。


 私は椅子を少し引き、息を吸った。


「エミル先生」


「はい」


「止めましょう」


 エミルが瞬きをした。


「止める、とは……」


 私はクラリスの肩に手を置いた。

 小さな体が必死に耐えている固さだった。


「クラリスは子どもです。怖がらせる教育はしない」


 言葉は短く。通る言葉で。


「知って備えることは大事。でも、怖さを増やしたら意味がないわ」


 エミルは口を開きかけた。

 言い訳ではなく、“追加説明”が出そうな顔だ。


 ノエルが淡々と刺す。


「先生の説明は、子どもの呼吸を奪います」


「ノエル」


 私は目だけで釘を刺した。言い方、という釘。

 ノエルは一拍置いて、少しだけ柔らかく言い直す。


「……お嬢さまが疲れています」


 クラリスは小さく頷いた。

 自分の疲れを、言葉にできた。

 それだけで今日は十分だ。


 私は立ち上がって窓を開けた。

 風が入ってくる。木の匂いが混ざる。

 “今ここ”に戻る匂い。


「今日の授業はここまで。続きは、安心が戻ってから」


 エミルは、ようやく息を吐いたように肩を落とした。


「……申し訳ありません」


 その声は、ちゃんと反省の声だった。


 クラリスが、ぬいぐるみを抱えたまま言う。


「先生。わたし、こわくなった」


 エミルの顔が、ほんの少し歪んだ。痛みを飲み込む顔。


「……そうですね。そうなるべきではなかった」


 私はクラリスの頭を撫でた。


「庭に行こうか。小枝の家、増やしたいって言ってたでしょう」


 クラリスの目が少し明るくなる。


「うん。まど、ふやす」


「窓を増やすの?」


「うん。にげみちも」


 私は笑った。

 娘はちゃんと、自分の守り方を考えている。



 クラリスをノエルに任せ、庭へ行かせたあと。

 私はエミルと廊下に残った。


 エミルは頭を下げたまま、しばらく顔を上げない。


「守るために、全部伝えなければと思いました」


 声が少し震えている。

 この人は、言葉の強さではなく、焦りで人を押してしまう。


「全部、ですか」


「はい。全部言っておけば、避けられると思って」


 私は問い詰めなかった。

 問い詰めたら、彼はさらに説明する。

 今は、それが必要ない。


「先生の優しさは分かります」


 エミルが顔を上げる。


「でも、子どもに必要なのは“勝ち方”より“息の仕方”です」


 口にした瞬間、私自身の肩も少し軽くなった。

 守るとは、勝つことだけじゃない。息ができる場所を作ることだ。


 エミルは唇を噛み、視線を落とした。


「……学園で、似たことがありました」


 匂わせるように言う。それ以上は言わない。

 言えないのではなく、今は言わないのだ。


 私は頷く。


「焦る理由があるなら、なおさら短くしましょう」


 遠くでノエルの視線を感じる。三行。三行。

 私は少し笑ってしまった。


 エミルも困ったように笑う。


「……三行は、やはり無理です」


「じゃあ、まず一行」


 私が言うと、エミルは真面目に考えた。


「……お嬢さまが怖くなったら、止める」


「それでいい」


 私は頷いた。



 庭には陽だまりができていた。

 小枝の家は、前より少し大きくなっている。最初は囲いだったのに、今はちゃんと“家”だ。


 クラリスはしゃがみ込み、枝を並べていた。

 ノエルはその横で、不思議なくらい良い枝を選んでいる。


「それ、どこで見つけたの?」


 私が聞くと、ノエルは平然と答えた。


「折れにくく、曲がりにくい枝です」


「……選ぶ基準が実務ね」


「家は実務です」


 クラリスが笑った。


「ノエル、まじめ」


「お嬢さまの家は大事です」


 ノエルは真顔で枝をそっと渡す。手つきは、やさしい。


 クラリスは枝を受け取り、私に見せた。


「ここ、まど。まど、ふたつ」


「窓が二つあるのね」


「うん。こっち、ひかり。こっち、にげる」


 私は膝をつき、同じ高さで覗き込んだ。

 枝の隙間から光が差す。小さな光でも、入ると安心する。


「いいね。出ていい場所を作るの、大事」


 クラリスが頷く。


「うん。でていい」


 その一言が、胸の奥の固いところをほどいた。


 エミルが少し離れた場所に立ち、静かに見守っている。

 きっと彼は、言葉で教えるより、今のほうが学んでいる。


 私は枝を一本手に取り、クラリスの隣に置いた。


「ここ、入口も増やそうか」


「いりぐち、ふたつ!」


「そう。二つあると、息がしやすい」


 クラリスは枝を並べながら、ふと顔を上げた。


「おかあさま」


「なあに」


「こわくなったら、ここにはいっていい?」


 私は迷わず頷いた。


「もちろん。ここでも、私のそばでも。どこでもいい」


 クラリスが、ふっと笑った。

 朝の固さが、少し溶けた笑い。


 ノエルが小さな布を取り出した。


「屋根にします。日差しが強いので」


「屋根……?」


 クラリスの目が丸くなる。


「おうち、ほんとにおうちになる」


 生活は、照明より強い。

 舞台の光に追われても、手で作った影が守りになる。



 夕方。居間に戻ると、机の上に小さな包みが置かれていた。


 リュシエンヌからだ。

 彼女の字は勢いがある。紙の端まで人がいる。


 ノエルが包みを開け、私に渡した。


 短い手紙。


『奥さま。王都の学園、荒れてるわよ。

 親睦がどうとか言ってるけど、要するにね。

 誰かを“悪い役”にしたくて揉めてる。主役がいないから。

 白い花みたいな令嬢が、最近よく泣いてるって話もある。

 舞台が空回りして、苛立ってる。気をつけて』


 私は紙を置き、息を吐いた。


 主役がいない。

 だから舞台が勝手に苛立つ。

 苛立ちは、別の形で押し寄せる。


 ノエルが言う。


「噂が、こちらへ寄せられます」


「ええ」


「生活を狙ってきます」


 私は頷いた。分かっている。

 だからこそ、生活を厚くする。


 そのとき、もう一通。別の封が届いた。

 差出人は、アデル。


 封に、わずかに泥がついている。旅装の匂いがする紙だ。


 私は指先で封を切り、短い文字を追った。


『王都で、学園と神殿が動いている。

 見た。聞いた。

 帰り次第、話す。

 娘を守れ。いや、家を守れ。

 焦るな。笑っていろ』


 最後の一行が少し歪んでいる。書き直した跡。

 彼もきっと、言葉を短くする練習をしている。


 私は手紙を胸に当てた。


 舞台は、主役がいなくても回ろうとする。

 だから次は、こちらの生活を壊しに来る。


 でも。


 私は庭の小枝の家を思い出した。

 窓を増やした。入口を増やした。逃げ道を作った。

 そして何より、“出ていい”を言えた。


 私は立ち上がり、台所の方へ声をかける。


「ノエル。お茶を淹れましょう」


「はい。お茶は逃げません」


 隣室からクラリスが顔を出す。


「おちゃ!」


 その声がちゃんと明るい。

 それだけで、今日の勝ちだと思えた。


 私は笑って、娘の手を取った。


「うん。お茶にしよう。今日の話は、甘くして終わりにする」


 エミルは少し離れたところで、反省した顔のまま、でもほっとした顔でもある。


 私は心の中で短く言った。


 焦らない。

 息を守る。

 そして、生活で上書きする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
子供に教えるには目的と内容を噛み砕いて欲しい所ですね。 保護者を相手に事情説明する時に追求を反らし続ける先生の動きしてる。 神殿の恩寵を考えた時に浮かんだ結論は 黒い羊の群れの中に白い羊を放り込むよ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ