野心〈2〉
「なるほど、あれが銃ってやつなのか」
銃というすこぶる殺傷能力の高い武器の存在を、サクラも一応知ってはいた。自動車と同様に。だが実際に目にするのは初めての経験だ。
なのでつい間の抜けた感想を抱いてしまう。
あの先端から射出される弾丸というものを喰らえば、誰であろうとあっけなく死んでしまうのだろう。屈強なジルベールであってもきっと同じに違いない。
それでも思いのほか自分が落ち着いていることに、サクラは少し驚いていた。
貴賓席での混乱を受けて、すでに周囲を大勢の警備兵が固めている。もはや東春妃には逃亡する道も残されていない。
だが彼女は気丈に声を張った。
「陛下、誤解なされませぬよう」
石造りの屋根に東春妃の言葉が残響する。
「この銃で陛下に危害を加えるつもりなど、天に誓ってございません。もしも事が露見した際、自決するために所持していたのでございます」
王侯貴族、それに政務や軍部の高官たち、さらにはその一族。サクラにとっては生きる世界の違う人々だし、口にする理屈もよくわからない。自ら死を選ぶよりも前に、なすべきことはなかったのか。
けれども今、東春妃には東春妃なりの矜持があるのを理解した。同時に、ラグビーチームを所有する資格を持ち合わせていない人だったことも。
自分のところでボールを止めてしまっては誰にも繋げないではないか。
カンノトの好プレー以来、ずっと立ち上がったままだったダエン皇が、注目を集めるためにすっと右手を上げた。耳を傾けよ、という意思表示である。
「その必要はない。約束しよう、命までは取らぬ。マヤシャー・レムよ、妃の座は剥奪せざるを得ないが、決して悪いようにはせぬつもりだ」
「ご厚情に感謝いたします、陛下」
「ならばまずその銃を下ろせ」
苛立ちを一切滲ませず、穏やかにダエン皇は言った。
しかし東春妃がほんのわずかだけ首を横に振る。
「そうは参りません」
拒絶の言葉を発しつつ、狙いはサクラから逸らさない。
巨漢のジルベールがその大きな体で盾になってくれているが、東春妃からすれば最大の標的二人が固まっているわけだ。
「あきらめた方がよろしいのでハ? そんな小さな銃の弾丸など、この筋肉の鎧で容易く防いでみせますヨ?」
ジルベールはあえて威圧的に、袖が弾け飛びそうなほどに盛り上がった両腕の筋肉を誇示している。
貴賓席での騒動に関係なく、ゲームは中断されることなく続いていた。
カンノトも他の選手たちも必死に戦っているのだろう。
そんな彼らを指差し、ジルベールが言った。
「見てくださイ。アナタに足りなかったものが、あのフィールドにはありまス」
さすがに東春妃は警戒しており、視線を向けたりはしない。
それでも意に介さずジルベールが熱弁を振るった。
「どれだけ劣勢になっても足を止めたりなどせず、激しいタックルで相手に食らいつき、楕円球を求めて肉弾戦を挑み続けル。それがラグビーですヨ。もちろんアナタの絶望の深さもわからないではありませン。連覇の夢があっけなく潰え、未来への希望を失ってしまったのですかラ。どれほど辛かったことでしょウ」
ここで一拍置き、大きく息を吸い込む。
「だけどアナタは、そこで踏ん張らなければならなかっタ! 倒されても起き上がり、自分を信じてくれている仲間を信じ、再び希望の火を自らの手で灯すべきだったのでス!」
獣の咆哮に似たジルベールの絶叫だった。
「──心が折れたのに、どう立ち上がれと?」
ほんの一瞬、勢いに気圧されて東春妃の心の柔らかい部分が垣間見えた。
この機を逃すサクラではない。鍛えてきたタックルに彼女は賭けた。
ジルベールの巨体の陰から低く鋭く飛びだし、東春妃へと躍りかかっていく。狙いをつけて銃の引き金を引く時間を与えてしまえば、そのときはサクラの死をもって掛け金を支払うことになる。
距離を一足飛びに詰め、東春妃の腰に組みつく。そのまま容赦なく押し倒し、素早く馬乗りになって、銃を握っていた彼女の右腕も全力で締め上げた。
「はな、せ……! この、裏切り、もの……!」
憎々しげに吐きだされた声は、しかし弱々しくもあった。
一方で残酷なほど対照的に力強い拍手を送るのはジルベールだ。
「おおう、さすがはサクラ! ワタシが教えた以上の素晴らしいタックルでス!」
「いやはや、見事なものよ」
ダエン皇もにこやかに同調する。
「タックルだけではないぞ。ジルベール殿が重病との噂を皇都中に流布させ、いったん状況を膠着させた冷静な判断もだ。これで東部の不穏な動きが止まった。まさに先のカンノトと同様、値千金の守りよ。のちほどそなたには褒美を取らせなければな。ただ、まずは大罪人であるそこの女の処分からだ」
表情を消したダエン皇の声音は一気に凍てついた。
台詞の前半と後半とで、こうも雰囲気を変えられる人間が他にいるのだろうか。
「まさか銃を隠し持っていたとは、計算外だったぞマヤシャー・レムよ。だがその浅慮によっておまえは処刑される。すべての名誉を失って、な」
サクラはひたすら恐ろしかった。
先ほど銃で脅されても感じなかった恐怖が今、虫のように全身を這いずり回っていくのを感じる。
それでも目の前にいる最高権力者の酷薄さはまだ終わらない。
「教えてやろう。東部に君臨するマヤシャー家も、つかめなかった正妃の夢とともにもうすぐ終わる。今頃は皇国の正規軍と連邦軍によって攻め立てられているはずだ。その血を未来へ繋ぐことはできぬ」
旅立ちも一人でなければ寂しくなかろう、とまで言い放つ。
もはやサクラの下で東春妃の出す声は言葉になっていなかった。嗚咽のようでいて、悲鳴のようでもある。あまりにも哀れだった。
精神にとどめを刺された彼女の身柄は、ダエン皇の側を守る警備兵に引き渡された。このまま投獄されるのだという。
「さて、サクラよ。褒美の話であったな」
何ごともなかったかのごとく、ダエン皇が穏やかな表情へと戻った。
サクラとしては一刻も早くこの場を辞去したかったのだが、そんな勝手が許されるはずもない。早々にあきらめて平伏の姿勢をとる。
平民である彼女への褒美なので、考えられるのは米か、金か、あるいは酒か。しかし酒ではジルベールが喜ぶだけだ。サクラも呑めないわけではないが、さほど好んでもいない。
馬一頭というのはどうだろう。
サクラにとってはこれが最もうれしい褒賞のように思えた。大手柄であるならば選りすぐりの駿馬もあり得る。
少し想像してみた。カンノトを後ろに乗せ、駆けに駆けて遊牧民の暮らす土地へ帰る。族長ミカフクをはじめ、皆が駿馬を見て驚き、口々に褒め称えるだろう。
そして彼女は羊の乳から造った酒を少し呑み、何となく酔った気分になりながら、明日はどこまで遠乗りしようかと考えを巡らせるのだ。まあ、どうしてもと望むならカンノトも一緒に連れて行ってやってもいい。
しかしサクラのささやかな夢は、ダエン皇の次の一言によって打ち砕かれる。
「そなた、余の妃になれ」
意味を理解できなかった。いや、反射的に理解を拒んでしまっていた。
妃の座を剥奪された東春妃を含め、二十四人の妃の中に平民出の者は一人としていない。元は商人の家系である者もいるにはいたが、官位を金で買っている。
サクラのようにただの鉱夫の娘であり、紆余曲折を経て遊牧民とともに暮らしてきた女など後宮にいるはずがないのだ。
まさにそこがダエン皇の狙いなのだろう。
二十四番目とはいえ、初めての平民出の妃が誕生する。そのことが皇国の仕組みそのものへ与える衝撃はいかほどだろうか。
「断ってもよいが、とっさに頭に浮かんだものでな。悪い話ではなかろう」
あくまでダエン皇は思いつきの褒美の体を装う。
とんでもない話だ。これは明らかに政治判断に基づく働きかけなのだから。
まだ推測の域を出ないが、ダエン皇はさらに踏み込んで政治の形、国の形を作り替えようとしているのではないだろうか。
行政府に平民登用を推し進めているのもその一環だろうし、絶好の口実を得た東部平定もそう。旧態依然とした勢力の影響を大きく削げる。
何よりラグビーもそのために利用しているのだろう。
だが後宮改革の矢面に立つのは誰か。サクラだ。
この話を受けたが最後、きっとまともには死ねない。四方八方から矢で狙われ、全身に突き刺さってしまうような結末が待っているに違いない。
「断ってもよい」との言質はダエン皇本人から得ている。
ならばここは身分不相応を理由に固辞し、その上で行方をくらませるのが最善ではなくとも次善の策ではないだろうか。
その結論に傾きだしたサクラへ、ジルベールが一声掛けてくる。
「おう、これでサクラもチーム持ちになりますネ」
どういうチームが出来上がるか楽しみですヨ、と。
無邪気すぎる不意打ちに、サクラの心が激しく揺れた。
妃になるということは、すなわちラグビーチームを保有できる数少ない人間の一人になれることも意味する。
明星闘球団にだってやりようはあった、自分ならあんな惨状を招いたりしない、連覇をも狙える強いチームを構築できるはず。酒場でくだを巻くファンと同じような夢想だって何度かした。
たった四か月ほど前を思えば、信じられない状況に今の自分はいる。
二度と巡ってこない機会を得るか、捨てるか。
サクラの脳裏にラグビーの広大なフィールドが浮かぶ。
後ろへ後ろへとボールを繋ぎつつ、何度も攻撃のフェイズを重ねていく。FWが体を張り続けたおかげで、ようやく大外でWTBがボールを持った。相手ディフェンスは追いついてきていない。千載一遇の好機だ。
そんなの、ライン際を駆け抜けるしかないだろうが。
誰にも追いつかれないような速さで。
緊張のせいで乾いていた唇を湿らせ、サクラは真っ直ぐにダエン皇を見据えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




