第6章:データとファクトの選挙戦
補欠選挙の火蓋が切られると、東京・多摩地区は、まるで時代の縮図のような、奇妙な選挙戦の舞台となった。
自民党候補の陣営は、まさに「王道」だった。
党の幹部や、現役の閣僚たちが、連日、応援演説に駆けつける。駅前には、候補者の名前が書かれた巨大な看板が立ち並び、選挙カーが、有権者の名前を、ひたすら大音量で連呼しながら走り回る。
「皆様! 皆様の暮らしを守るため、自民党は、全力で戦います! どうか、この地元を知り尽くした、我が党の候補者に、皆様の貴重な一票を!」
小泉寸次郎は、その先頭に立っていた。
彼は、父である元総理譲りの、巧みな演説で、聴衆の感情に訴えかけた。
「『チーム未来』とやらは、耳障りのいい理想ばかりを語ります! しかし、皆さん! 我々が生きているのは、理想の世界ではありません! 汗をかき、歯を食いしばって働く、現実の世界です! 彼らの甘い言葉に、どうか、騙されないでください!」
その演説は、常に熱狂的な拍手に包まれ、テレビのニュースは、連日、「自民党候補、盤石の戦い」と報じていた。
一方、『チーム未来』の候補者、神崎麗奈の選挙運動は、あまりにも静かで、地味だった。
彼女の陣営には、巨大な看板も、名前を連呼する選挙カーもない。
彼女が立つのは、駅前の一等地ではなく、平日の昼間のスーパーマーケットの前や、夕暮れの商店街の片隅だった。
彼女は、マイクを握らない。
代わりに、一枚のタブレットを手に、集まってくれた数人の主婦や、仕事帰りのサラリーマンに、語りかける。
「皆さん、こんにちは。神崎麗奈です。今日は、この地域が抱える『待機児童問題』について、皆さんと一緒に考えたいと思います」
彼女がタブレットに示すのは、『未来議会』で、この地域の人々から寄せられた、膨大なデータだった。
『保育園の数が、小学校の学区と、全く連携していない』
『延長保育を利用したくても、手続きが複雑すぎる』
『病児保育の施設が、隣の市まで行かないと、一つもない』
神崎は、感情に訴えない。ただ、データと、そこから導き出される事実を、淡々と、しかし、丁寧に説明していく。
「これらのデータを分析した結果、私たち『チーム未来』は、三つの具体的な解決策を提案します。第一に、空き家となっている地域の古民家を改装し、NPO法人と連携した、小規模保育所を、三年間で、五ヶ所増設します。そのための予算は、市が保有する、利用されていない公用車の売却益と、ふるさと納税の一部を充当することで、新たな増税をすることなく、捻出可能です。第二に」
それは、演説ではなかった。
まるで、ビジネスのプレゼンテーションのようだった。
聴衆は、熱狂的な拍手はしない。だが、彼らは、真剣な顔で頷き、メモを取り、そして、鋭い質問を投げかける。
「そのNPOの選定方法は、どうするんだ?」
「病児保育の問題は、どう解決するつもりだ?」
神崎は、それらの質問の一つ一つに、データと、具体的な計画をもって、誠実に答えていく。
その地道な対話の様子は、チームの若者たちによって、全て録画され、ネット上で、ノーカットで配信された。
小泉は、そんな彼らのやり方を、冷笑していた。
「ドブ板選挙の真似事か。哀れだな。そんな数人の声を聞いて、何になるというのだ」
だが、彼は知らなかった。
神崎と対話した人々が、その夜、SNSや、地域のコミュニティで、何を語り始めていたのかを。
『今日、神崎さんって人に会った。正直、最初は期待してなかったけど、あの人、本物だわ。ちゃんと、私たちの生活を見てくれてる』
『自民党の演説は、いつも同じことしか言わない。でも、チーム未来は、俺たちの街の、具体的な問題点を、数字で示してくれた。どっちを信じるかなんて、もう決まってる』
水面下で、人々の心は、静かに、しかし、確実に動いていた。
それは、旧世代の「声の大きさ」や「感情の熱量」では、決して測ることのできない、新しい民意の潮流だった。
投票日まで、残り一週間。
テレビの世論調査では、依然として、自民党候補が、ダブルスコア近い差で、圧倒的にリードしていた。
だが、安野のチームが、ネット上の言論を独自に解析したデータでは、二人の支持率は、すでに、誤差の範囲にまで、肉薄していた。
データとファクトが、旧来の感情論を、本当に打ち破ることができるのか。
見えない戦争の決着は、すぐそこまで、迫っていた。




