第三部:融合(ゆうごう) 第21章:ねじれの国会
歴史的な総選挙の翌朝。
日本列島は、興奮というよりも、ある種の「戸惑い」に包まれていた。
一夜にして、永田町の勢力図は激変した。自民党は単独過半数を大きく割り込み、結党以来維持してきた「絶対王者」の座から転がり落ちた。一方で、安野貴率いる『チーム未来』は野党第一党へと躍進したが、政権を奪取するには至らなかった。
どの政党も、単独では過半数を持たない。
誰が総理大臣になるのか、どのような組み合わせで政権を作るのか、全く見通しが立たない。
日本政治史上初めてとなる、完全な「ハング・パーラメント(宙吊り国会)」が誕生したのだ。
その混乱の震源地である自民党本部では、早朝から怒号と悲鳴が飛び交っていた。
「どうするんだ! 公明党と合わせても、過半数に届かんぞ!」
「維新や国民民主に声をかけろ! 何としても連立を組むんだ!」
権力の座から滑り落ちる恐怖に、長老議員たちはパニックに陥っていた。
その中で、石破下流総理は、青ざめた顔で記者会見場に現れた。
「国民の審判を、厳粛に受け止めます。この敗北の責任を取り、私は総裁の職を、辞します」
それは、あまりにもあっけない、旧世代のリーダーの退場だった。
質問の手が挙がる中、石破は逃げるように会見場を後にした。彼にはもう、この未曾有の事態を収拾する気力も、体力も残されていなかった。
一方、『チーム未来』のオフィスもまた、別の種類の熱気に包まれていた。
電話が鳴り止まない。野党各党からの「連立の誘い」と、メディアからの「取材依頼」が殺到していた。
「安野さん、どうしますか?」
夏目響が、困惑した表情で尋ねる。「野党A党からは『一緒に連立政権を作って、自民党を完全に下野させよう』と持ちかけられています。一方で、自民党の一部からも、水面下で接触が」
安野は、オフィスの窓から、雨に煙る国会議事堂を見つめていた。
彼の手元には、選挙結果の議席分布図が表示されたタブレットがある。
「連立、か」
安野は、独り言のように呟いた。「数合わせで権力を握っても、意味はない。我々の目的は、大臣の椅子に座ることではなく、この国のOSを書き換えることだ」
彼は、夏目と羽生の方を振り返り、静かに言った。
「全ての誘いを、一旦、保留にする。安易な連立には乗らない。我々は、我々の『政策』を実現できる相手としか、組まない」
「キャスティング・ボート」
議会の決定権を握る、決定的な一票。
それを手にしたのは、間違いなく『チーム未来』だった。だが、その使い道を誤れば、政治は停滞し、国民の期待は一瞬で失望に変わる。安野は、その重みを痛いほど理解していた。
数日後、特別国会が召集された。
本会議場の空気は、異様だった。
議席の配置は一変し、向かって右側の巨大な区画を占めていた自民党の席は減り、左側に『チーム未来』の若々しい議員たちが、一大勢力として陣取っている。
議長の開会宣言の後、首班指名選挙が行われた。
結果は、誰もが予想した通りだった。
自民党の新総裁候補に投票した議員、安野貴に投票した議員、その他の野党党首に投票した議員。
票は完全に割れ、誰も、過半数である233票に届かなかった。
「過半数を得た者がいないため、上位二名による決選投票を行います」
議長の声が響く。
決選投票に残ったのは、自民党の新総裁と、安野貴。
だが、ここでもまた、決定打は出なかった。他の野党が白票を投じたり、棄権したりしたため、どちらも決定的なリーダーシップを確立できないまま、宙ぶらりんの状態が確定してしまったのだ。
「決められない政治」
ニュースキャスターが、深刻な顔で伝えた。
「予算も通らない、法案も審議できない。日本の政治機能は、完全に停止しました。このままでは、経済や外交に、深刻な影響が出ることは避けられません」
国会は、ねじれ、そして凍りついた。
旧来の「数の論理」が崩壊し、新しい「合意形成のルール」がまだ確立されていない、混沌の時代。
だが、その凍てついた膠着状態を、冷ややかに、しかし虎視眈々と見つめる男がいた。
自民党の最前列、辛くも生き残った小泉寸次郎である。
彼は、石破が去った後の、空席となった総裁の椅子を、じっと見つめていた。
「チャンスだ」
彼は、内心で呟いた。
「党が壊滅した今だからこそ、毒を食らわば皿まで。私が、この腐りきった党を乗っ取り、そして、あの安野貴と対峙する、唯一の『カード』になる」
混乱は、野心を育む最高の土壌となる。
ねじれた国会の闇の中で、次なる権力を巡る、より高度で、より冷徹な交渉戦が、始まろうとしていた。




