第19章:決戦前夜
投票日を、翌日に控えた、土曜日の夜。
選挙戦最後の、喧騒が嘘のように、街は、嵐の前の、静けさに、包まれていた。
その夜、小泉寸次郎は、一人ではなかった。
彼は、父である、元総理と、自らの邸宅の、書斎で、静かに、向き合っていた。
テーブルの上には、年代物の、ウイスキーのボトルと、二つのグラスだけが、置かれている。
「厳しい、戦いだったようだな」
父は、静かに、グラスを傾けながら、言った。その声には、息子を気遣う、優しさと、全てを見透かすような、厳しさが、同居していた。
「はい」
小泉は、短く、答えるのが、精一杯だった。
彼は、父にだけは、見抜かれていることを、知っていた。自分が、この選挙で、勝利のために、魂の一部を、悪魔に売り渡してしまったことを。
「寸次郎」
父は、息子を、まっすぐに、見つめた。「お前は、安野貴という男を、恐れているのか」
「っ!」
小泉は、図星を突かれ、言葉に詰まった。
「恐れる必要など、ない」と、父は続けた。「だが、決して、侮るな。あの男は、我々とは、全く違う種類の、獣だ。我々が、地上で、群れのルールに従って、戦っている間に、奴は、空から、たった一人で、獲物の、急所だけを、狙っている」
彼は、窓の外の、暗い夜空を見上げた。
「時代は、変わったのかもしれん。我々が、信じてきた、地上のルールそのものが、もはや、通用しない、新しい時代が、始まっているのかもしれな」
その言葉は、小泉の、最後の、プライドの砦を、静かに、しかし、完全に、打ち砕いた。
父もまた、自分と、同じ、得体の知れない「恐怖」を、感じていたのだ。
「父さん。俺は、明日、勝てるのでしょうか」
初めて、彼は、父の前で、弱音を、吐いた。
父は、何も、答えなかった。
ただ、息子のグラスに、静かに、ウイスキーを、注ぎ足しただけだった。
それは、旧世代の王が、自らの時代の、終わりを、静かに、予感しているかのようだった。
同じ頃。
『チーム未来』の、オンライン作戦室では、最後の、全体ミーティングが、行われていた。
画面には、北は北海道から、南は沖縄まで、全国の選挙区で、この一ヶ月間、死に物狂いで戦い抜いてきた、候補者たちの、疲労と、緊張が入り混じった、無数の顔が、並んでいた。
その、全ての顔を見渡しながら、安野貴は、静かに、語りかけた。
彼の背後には、あの「五つの誓い」が書かれた、ホワイトボードが、ライトアップされている。
「皆さん、本当にお疲れ様でした。長い、そして、タフな戦いでした」
彼の声は、いつものように、冷静だった。
「メディアの、最終予測が出ました。我々の獲得議席は、80から、100。自民党は、過半数を、割り込むか、どうか、極めて、微妙なライン。正直、我々が、政権を獲れるほどの、数字ではありません」
画面の向こうで、何人かの候補者が、悔しそうに、唇を噛むのが、見えた。
「ですが」と、安野は続けた。その声に、初めて、確かな、熱が、こもった。
「数字など、どうでもいい。思い出してください。我々は、そもそも、何のために、この戦いを、始めたのか。それは、この国の政治に、自民党か、そうでないか、という、不毛な二択以外の、『新しい選択肢』を、示すためだったはずです」
彼は、画面の向こうの、一人ひとりに、語りかけた。
「結果が、どうであれ。我々は、それを、やり遂げた。
クリーンな金で、選挙が戦えることを、証明した。
データと、ファクトで、政策が語れることを、証明した。
そして、名もなき、普通の人々が、この国の未来を、変える力を持っていることを、我々は、この一ヶ月で、確かに、証明したのです」
「だから、胸を張ってください」
「明日の、結果が、どうであれ、我々は、もう、すでに、勝っている。
我々の勝利とは、議席の数ではない。
日本の政治に、新しい扉を、こじ開けた。
それだけで、我々の、完全な、勝利です」
彼の言葉は、候補者たちの、張り詰めていた心を、静かに、解きほぐしていった。
画面の向こうで、涙を拭う者。固く、頷く者。そして、晴れやかな笑顔で、サムズアップを送る者。
そうだ。
自分たちは、もう、一人じゃない。
この画面の向こうにいる、無数の仲間たちと、そして、自分たちを信じてくれた、国民と共に、歴史を、創ったのだ。
安野は、ミーティングの最後に、こう、締めくくった。
「明日は、ゆっくり、休んでください。そして、月曜日から、また、新しい戦いが、始まります。どんな、未来が、待っていようとも」
決戦の前夜。
旧世代の王者は、自らの時代の、黄昏を、静かに受け入れ。
新しい時代の、挑戦者たちは、結果を、恐れることなく、夜明けを、待っていた。
日本の、長い、長い、夜が、明けようとしていた。




