第二部:摩擦(まさつ) 第11章:沈黙の反撃
羽生翔太のドローンに関するフェイクニュースは、数日の間、ネット上を荒れ狂った。
安野たちが提示した「全フライトログの公開」という誠実な対応は、技術に詳しい層や、冷静なジャーナリストたちからは、「前代未聞の透明性だ」と高く評価された。
しかし、一度、拡散された「炎上するドローン」の衝撃的なイメージは、多くの人々の脳裏に、消えないシミのようにこびりついていた。「火のない所に煙は立たぬ」という、古くからの諺が、データやファクトよりも、強く人々の心を支配していたのだ。
この結果に、小泉寸次郎は、確かな手応えを感じていた。
「見ろ。奴らは、反論さえ、まともにできない。クリーンなイメージを守るために、泥仕合を恐れているのだ」
彼は、安野たちの「誰かをおとしめない」という原則を、ただの綺麗事、そして、最大の弱点だと、完全に見抜いたつもりでいた。
彼は、ネットの傭兵部隊に、第二の、より強力な砲撃を命じた。
今度の標的は、夏目響が率いる、AI翻訳『KOTOBA』だった。
その週末。
ある著名なゴシップ系インフルエンサーが、告発動画をアップロードした。
『【衝撃】あなたの会話、全部抜かれてます。国産AIの女王・夏目響の裏の顔』
動画の中で、男は、深刻な顔で語りかけた。
「『KOTOBA』は、皆さんの会話データを、秘密裏に、海外のサーバーへ送信している可能性があります! ここに、その動かぬ証拠があります!」
画面に映し出されたのは、『KOTOBA』のアプリの通信記録とされる、真偽不明のスクリーンショットだった。そこには、ユーザーのデータが、海外の、聞いたこともないような国のサーバーへと、送信されているかのように、巧妙に偽装されていた。
この攻撃は、羽生の時とは、比較にならないほどの破壊力を持っていた。
「安全性」への不安ではなく、「プライバシー」という、現代人が最も敏感に反応する神経を、直接、刺激したからだ。
『KOTOBA』のユーザーレビューは、瞬く間に、星一つの罵詈雑言で埋め尽くされた。株価は暴落し、企業の存続さえ危ぶまれる、致命的な事態へと発展した。
『チーム未来』のオフィスは、野戦病院のような様相を呈していた。
「ひどすぎる。これは、もう、ただのネガティブキャンペーンじゃない。事業を、私たちの夢を、殺しに来ている!」
夏目は、モニターの前で、悔しさに唇を噛み締め、その目には、涙が浮かんでいた。
チームの若いスタッフたちも、怒りを爆発させた。
「もう、黙っている必要はありません! 相手の汚いやり方を、全て暴露して、法的に訴えるべきです!」
「『誰かをおとしめない』なんて、甘いことを言っている場合じゃない!」
チームの原則が、初めて、内側から、崩壊しかけていた。
その喧騒の中心で、安野貴は、ただ一人、冷静に、データの奔流を分析していた。
彼は、やがて、キーボードを打つ手を止めると、静かに、しかし、全員に聞こえる声で、言った。
「訴えない。反論もしない」
「なぜですか!」と夏目が叫ぶ。
「敵の狙いは、俺たちを、奴らと同じ、泥のリングに引きずり込むことだ。俺たちが、感情的になり、相手を罵り始めた瞬間、国民の目には、俺たちも、旧世代の政治家たちと、同じ『醜い争いをしている連中』にしか見えなくなる。それこそが、奴らの、本当の目的なんだ」
安野は、立ち上がると、震える夏目の肩に、そっと手を置いた。
「俺たちの原則が、今、試されている。ここで、俺たちが、自分たちの誓いを破れば、俺たちは、もう、二度と『チーム未来』を名乗る資格はない」
彼は、チームの全員を見渡し、静かに、しかし、断固として、告げた。
「今回も、俺たちは、沈黙を貫く。そして、圧倒的な事実で、反撃する」
その数時間後。
『KOTOBA』の公式サイトに、前代未聞のページが、公開された。
一つは、『KOTOBA』の根幹をなす、ソースコードの一部、その公開。
『第三者のセキュリティ専門家チームによる、厳格な監査を受けた上で、ユーザーのプライバシー保護に関する、全てのコードを、ここに開示します』
そして、もう一つ。
『未来まる見えデータフロー』と名付けられた、リアルタイムのダッシュボード。
そこには、『KOTOBA』の全サーバーの通信状況が、24時間365日、誰の目にも明らかな形で、可視化されていた。
『我々のデータが、日本の国内法規に基づき、国内のデータセンターの外へ、一ビットたりとも送信されていないことを、あなた自身の目で、監視してください』
それは、反論ではなかった。
自らの全てを、国民の前に、裸で晒け出すという、究極の「透明性」をもって、信頼を問う、という、あまりにも潔い、覚悟の表明だった。
この「沈黙の反撃」は、ネット上を、再び、震撼させた。
最初は半信半半疑だった人々も、そのあまりの誠実さと、技術的な自信の前に、少しずつ、その色眼鏡を外し始めた。
『マジかよ。ソースコード公開とか、普通じゃありえない』
『ここまでやるってことは、本当に、やましいことは何もないんだな』
小泉寸次郎は、自民党本部で、その報告を受け、初めて、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
自分が放った、最も汚れた砲弾。
それを、敵は、避けるでも、撃ち返すでもなく、ただ、自らの身体を透明にすることで、無力化してしまった。
自分は、一体、どんな、得体の知れない怪物と、戦っているのだ。
彼の脳裏に、初めて、安野貴という男に対する、「恐怖」という感情が、芽生えていた。




