第1話『空白の目覚め』
土の匂い。
湿った空気。
肌を刺す冷たい風。
気がつくと、俺は、どこかの森の中に倒れていた。
「っ……う……」
喉が渇いている。
体が重い。
そして何より──何も思い出せない。
俺の名前は、レオン。
それ以外、すべてが霧の向こうに消えている。
俺は、誰だ。
ここは、どこだ。
震える手を地面について、よろめきながら立ち上がる。
目の前には、ただ深い森。
幾重にも絡み合った木々の影。
どこか異様な気配が漂っている。
──まずい。
直感が叫んだ。
次の瞬間、草むらがざわりと揺れる。
黒い影が、地を這うように現れた。
牙。
爪。
血に飢えた魔獣。
(こんな……いきなり……!?)
足がすくんだ。
武器など持っていない。
防具もない。
満足に動ける体力すらない。
──死ぬ。
このままじゃ間違いなく。
それでも、体は動かなかった。
魔獣は咆哮を上げ、飛びかかってくる。
そのとき。
「下がって!」
鋭い声が森を切り裂いた。
銀の刃が、空を裂く。
目にも止まらぬ速さで魔獣が両断され、黒い血を撒き散らしながら地に伏した。
そこに立っていたのは──
銀髪の女騎士。
冷たい青の瞳。
戦うために生まれたような気高さ。
ただ一振りで、魔獣を屠った。
「……生きてる?」
彼女は俺を一瞥して言った。
声は冷たい。
けれど、その背中には、確かな温もりがあった。
俺は、こくりと頷く。
女騎士はふう、と息をつき、剣を鞘に収めた。
「ここで何をしている? ──いや、今はいい。まず、動けるか?」
頷く。
体はまだ重いが、なんとか歩ける。
「よし。ついてこい。ここは危険だ」
そう言って、彼女は迷いなく森の奥へ歩き出した。
──名も知らぬ誰かの、背中。
なぜだろう。
どうしても、その背中を見失いたくなかった。
俺は、必死に、その背中を追った。
(──もう二度と。
もう二度と、誰かを失いたくない。)
そう願いながら。
「伸ばされた手に、触れた気がした。ほんの、わずかに。」