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勇気の屍

作者: 緑 優

「…だからですね、彼女は可愛くて優しくて朗らかで笑顔がたまらなく素敵で…彼女の店に行く度に癒されるっていうか、疲れた体に生きる力が湧いてくるっていうか…この一月、彼女の店に通うのが楽しみで楽しみで仕方なかったのに、それがもう今日で終わりだなんて…僕は、僕は、いったいどうすれば良いんですかぁぁぁぁぁッッ!?」


 飲んだビールのグラスを、古い木製のカウンターテーブルに叩きつけながら、半べそ顔の若い男が隣で同じビールを飲んでいた大柄な年上の男に食って掛かる。多少酔払っているのか顔が赤い。


 普段ビールなんぞ飲んだこともない年下の若造をやれやれと見下ろしながら、背中に大剣を背負った精悍な顔付の男は、頬杖をつきながら面倒くさそうに口を開いた。


「…で、つまりお前は何が言いたいんだ?  出発の予定を延ばせってか? 次の仕事の話が付いちまってんだから、そんなの無理に決まってんだろ。いつまでもウジウジメソメソ悩んでないで、さっさと好きだと告っちまえよ。俺達のここでの仕事は終わった。明日の朝にはこの辺境の村を出る。早くしないと夜が更けて、店が閉まっちまうぜ」


 大柄の男は通りに面した窓に顎をクイッと向けて指し示した。


 通りの向こうの道具屋は、閉店前の夕刻にも関わらず今日も大盛況のようだ。簡素な鎧や使い込んだ武器を身に着けた荒々しい男達が、店に入り切れずに通りにはみ出て溢れかえっている。男達の目的が薬草や冒険に必要な道具類ではなく、店主を兼ねた小柄で可愛らしい看板娘であることは、二人が酒を飲んでいるギルドに出入りする者達なら誰もが知っていた。


 ギルドとは、所謂モンスター狩りの賞金稼ぎ達が仕事を探しに集う場所である。概ね男が多いが、たまに女も混じっている。一人で来る者もいれば、複数人でパーティーを組んで来る者もいる。ギルド内で一時的なパーティーを組むのも自由だ。そのため、ギルド内にはバーが併設され、パーティー交渉や情報交換の場として提供している。


 ギルドは各地にあり、高額な賞金首を求めて放浪するハンター達に仕事を紹介しているが、大抵は田畑を荒らす小型の害獣モンスターの駆除仕事が多いのが実情だ。運が良ければ中型くらいには出会えるが、高額賞金首のモンスターに出会いたいのなら辺境の田舎ではかなり稀な話で、王都へでも向かわなければ、まず無理な話であろう。


 筋骨隆々な男達が集い合うギルドのバーで、空しい恋愛話を興じているのは、賞金稼ぎの若い剣士の二人組である。一月前にこの辺境の村のギルドに辿り着き、依頼された仕事をこなし続けていた。

 あと一人、インテリ臭い若い男の魔術師が仲間に加わっているが、少しばかりの顔の良さと王都出身を鼻にかけているせいか、むさ苦しいギルドの中に入ってくることは滅多にない。華やかな王都出身者が、どうしてこんなド田舎のギルドを頼る羽目になっているのかは、お察しである。


 もうお気づきだろうが、剣士二人と魔術師一人のパーティーでは回復役がいない。そのため仕事を始める前に、毎回一番若い剣士が道具屋に通って薬草と必要な物を買い揃いに行っていたわけだが、一目見て看板娘に惚れてしまい、若さゆえに今ではすっかり恋愛脳に染まってしまったようである。


「…こ、告白なんて無理ですよぉ。あの道具屋に足繫く通っているのは、僕だけじゃないんです。店先を見たら分かるでしょう。あの店に通っている男達全員が、彼女狙いなんですよ。駆け出しの見習い剣士の僕なんて、とても分け入る隙なんてないんです。それどころか、彼女は僕の顔を覚えているかどうかも…」


「でも、毎回優しく笑いかけてくれているんだろ?  全く脈無しじゃないかもしれないじゃないか。自信持てよ」


「そ、それは客に対する接客マナーというもので…僕だけに笑いかけているわけではないし…僕よりレベルが高くて金持ってそうな顔の良い客には、もっと最高の笑顔で対応しているように見えるし…やっぱり、ぺーぺーの僕なんて…僕なんて…む、無理なんですよぉぉぉぉぉ…ひっくひっくッ!」


(そりゃ、上客に媚び売ってるだけだろ…)


 と、言いかけたが、酔ってるのか泣きじゃくってるのか分からない涙と鼻水だらけの顔を見て、大柄の剣士は言うのを止めた。


「とにかく、明日の朝には俺達はこの村を発たなきゃならないんだから、勇気出して最後に告ってこいよ。いつまでも引きずってられると、こっちも適わねぇし。万に一つの可能性もあるかもしれねぇし。最後に漢を見せて来いよ」


「無理です無理ですッ!  絶ッッッ対ぃぃぃ、無理ですぅぅぅぅぅぅッッッッッッ…!!」


 頭を抱えて絶叫した見習い剣士がカウンター机に泣き崩れたのと同時に、同じく絶叫しながらギルドの入口に駆け込んできた男がいた。


「う、う、嘘だろぉぉぉぉぉぉッッッ!?  この俺様が、あっさり振られるなんてぇぇぇぇぇッッ!!  こ、この、王都魔術アカデミー出身の俺様に、言い寄られて断る女がいるなんてぇぇぇぇぇッッ!!  有り得ない…、絶ッッッ対に有り得ないぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッッッッ!!!」


 ギルド内の猛者達が一斉に会話を止めて引いた雰囲気もお構いなしに、軽薄なまでに派手な青いローブの裾を、これまた派手に翻しながら、魔術師の若い男が一目散に大柄な剣士の元へ駆け寄ってきた。

 ちなみに駆け寄ってこられた剣士も、固まったように引いていた。狂気を漲らせた眼で自分に向かって突進してきたのは、仲間の魔術師だと分かるのに、少し時間が必要だった。


「…え?…え? まさかお前も、道具屋の看板娘に告ってきたの?」


「なぁッ!! なぁなぁッ!!! 俺って顔イケてるよなッ!? このド田舎で王都出身者って俺だけだよなッ!? 魔力だってレベル高いよなッ!?  巨大獣を一撃で倒すくらい強いよなッ!? なッ!!!」


(いや、良いとこ中型一匹……しかも何十発か食らわせて、やっとって感じ…)


 と、言いそうになったが、両手で胸倉掴まれて上下に激しく揺さぶられた途端、言うのを止めた。


「だよなぁッ、だよなぁッ!!  こんッッな良い男を振るなんて信じられないよなぁぁぁッ!? 全く田舎の娘って、王都出身の男の価値が全然解ってないんだよなぁぁぁッッ!!  まったく信じられないよなぁぁぁッッッ!!  彼女から言わせるのは可哀想だと思って、折角この俺様から勇気凛々に告白してやったっていうのにぃぃぃッッッ!!」


「いや、俺何も言ってないけど…」


「…もうッ、…もうッ、俺は宿に帰って寝るッッッ!! 明日の出立は早いから、お前ら寝坊すんなよなッ!! …うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッん!!!」


 一気に捲し立てて駆け去っていく魔術師の男を、大柄の剣士はポカンと見送った。


「てか、お前…明日一緒に来るの? 人生の一大事があるから悪いけど行けないとか言ってたけど…?」


(上手いこと恋が実って結婚出来ると思っとったんか~い…)


 と、大柄な剣士が胸の内で突っ込みを入れていると、突然隣で机に突っ伏していた見習い剣士がガバッと起き上がった。虚を突かれた大柄の剣士が慌てて我に返る。

 見習い剣士の目は怖いくらい据わっていた。


「…な、なんだよ、お前まで。…ど、どうした?」


「…僕、彼女に告白して来ます」


「…は?」


「あのキザな魔術師野郎が振られたと聞いて、俄然勇気が湧いてきました。男は顔でも金でも地位でもレベルでもない。…心からの愛ですッ!!」


「お、おう…」


「では、今すぐ告白してきます。…明日の朝、僕の姿が見えなければ…どうか察して祝福してくださいッ! …さらばッッ!!」


 言い終わると同時に勢いよく外へ飛び出して行った見習い剣士を、大柄な剣士は呆気に取られてしばらく見送った。

 …が、不意に目尻が下がり、謎の笑みが口元に零れた。


「明日の朝、あいつ来るのかなぁ…」


「…そりゃ、来るでしょうよ」


 ふいに頭の上から野太い声がして、大柄な剣士は頭上を振り仰いだ。

 そこには剣士よりも更に大柄の初老の男が、カウンター机の向こう側にビール瓶を持って立っていた。昔はハンターとして生業を立てていたのだろうか、分厚い皮製のエプロンの下に着ている黒いシャツに隠された内側には、今も筋骨隆々な体が備わっているのが見て分かる。

 このギルドの元締めは、バーのマスターも兼ねていた。

 

「…マスター?」


「悪い男ですねぇ。お仲間に道具屋の娘のこと、何も教えてあげなかったんですか」


「いやぁ、まぁ…屍の仲間は増えた方が、お互い慰めになるし」


「よく言いますよ。着いたその日に道具屋の娘に告って、あっさり振られて魂抜け出た状態でカウンターに突っ伏してたあなたを、可哀想だと思った私が大馬鹿でした」


 そう言うと、帰れと言わんばかりにカウンター机に置かれた飲みかけの二つのグラスを片付け出した。慌てた大柄な剣士は、自分のグラスをマスターの掌から、ひょいと自分の手元へ避難させる。

                

 マスターは溜息を吐いて、見習い剣士が飲んでいたグラスだけ片付けながら言った。


「あの娘には婚約している男がいると言ったでしょう。もうじき式を挙げる予定だと」


「…ああ、しかも賞金稼ぎのむさ苦しい男じゃなく、この辺りの広大な農地を持つ領主の息子だとね」


「そういうことです。あの娘は可愛い顔に似合わず堅実な娘でねぇ、収入の不安定な賞金稼ぎよりも、辺境の地でありながらも安定した収入が得られる男を選んだってことです。まぁ、結局のところ、普通の娘にはヤクザな仕事の男は怖いってこってすよ」


「で、このギルドには俺のような、恋に破れた哀しき男達の勇気の屍が累々してるってわけか。気の毒に」


 大柄の剣士はそう言って、自分と同類と思われる周囲の猛々しい男達を見まわした。妻帯者や年老いたハンターを除くと、恐らく八割方あの娘に玉砕したのではないかと思われる。たまに叫び声や、すすり泣く声がギルド内のあちこちから聞こえるのは、仕事の依頼に失敗したばかりではないだろう。


「剣士、弓士、魔術師、格闘家、僧侶系もいるかな…。マスターこそ、なんであの娘のことを奴らに教えてやらないんだ?」


 マスターは仕事の手を止めて、苦笑を零した。


「あの娘との約束でね、婚約したのを黙っててくれって。客足が遠のくと困るってんでさ。このバーも、娘に振られた駆け込み男が酒を飲みに大勢やってきてくれるんで、…まぁ持ちつ持たれつってやつですな」


「上手い商売だねぇ…。なんで、俺だけ教えてくれたのさ?」


「あんたが過去一番、死にそうに凹んでたからだよ。だから心配して、つい…ね」


「はは…なるほどねぇ」


「まぁ、ここに居る男共は、血と汗に塗れて戦う男を称賛してくれる女を嫁さんにした方が、お互い幸せになれるんじゃないかと思いますがね」


 そう言うとマスターは、窓辺に佇む女二人のパーティーを顎先で示した。

 グラマーな若い剣士らしき女性と、丈の長いローブのフードを目深に被った細見の魔術師風な女性だった。女性剣士は赤みがかった金髪の美人顔だが、魔術師風の女性の顔は見えなかった。二人は楽しそうに何事か会話している。窓から差し込む夕暮れの眩い光に包まれたその姿は、一幅の美しい絵のように感じられた。


 しばらく魅入った後、大柄の剣士はグラスに残ったビールを一気に飲み干し、立ち上がった。


「…全くだ。確かに違いない」


 そうマスターに笑いかけると、大柄な剣士は二人の方へゆっくりと歩いて行った。


「懲りない男だねぇ…」


 マスターは苦笑しながら、男の広い背中を見送っていた。







〈終〉


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