◇Epilogue〈Central Cardinal〉
「玲衣‼」
司令船から降りてきた彼女を見るなり、エドモンドは駆け寄った。
「……エド」
彼女は嬉しそうにはにかんで、力無く彼に寄りかかる。彼は受け止めた彼女の身体を、力いっぱい抱きしめた。
「おい、苦しいぞ……」
言葉とは裏腹に、玲衣は愛おしげな様子で彼の身体に腕をまわす。エドモンドは彼女の耳元に顔を近づけて、不意に囁いた。
「玲衣……愛してる」
「ッ⁉」
玲衣は一気に赤面して、口をモゴモゴと意味もなく動かす。
「あ、あれはその……わ、忘れろ‼」
「やだ」
腕の中でポカポカと可愛らしく暴れる恋人に口元を緩めて、エドモンドは顔を上げた。その先には、今回の作戦最大の功労者と言って良い双子がいる。
「カイン君、ありがとう」
「……何の話ですか?」
カインはわざとらしく目を逸して、僕は何にもしてないですよ、と言った。
「なら、そういうことにしておこう。だけど、玲衣を怖がらせた件については、分かっているね?」
分かっているね、の部分だけ声音が低くなったのは勘違いではない。
「……何の話ですか?」
今度も目をそらして、カインは冷や汗を垂らした。
エドモンドの視線がルルワを向くと、カインはホッと肩の力を抜く。
「ルルワ君も、ありがとう」
「いえいえ、私は何もしてませんから」
恐縮です、とルルワは一礼した。
「全く、謙遜も過ぎると嫌味にしか聞こえないよ」
エドモンドは呆れたようにそう溢す。
「それでは先輩方、私達はこれで」
「うん、しっかり休んでね」
並んで帰る双子の背を見送ってから、彼は玲衣の方へと向き直った。
「よかったよ、玲衣。君が生きていてくれて」
「……やめてくれ、その、照れる」
頬を染めて恥じらう玲衣を見て、エドモンドは笑みを浮かべた。
彼は抱擁を解いて、学園へ戻る道を歩き出す。隣に居る玲衣の手を握って。
同級生達は、慣れない防衛戦で疲れた身体を休めているのだろう。誰も居ない寮の廊下を、二人で並んで歩く。
突然、ルルワがその足を止めた。
「兄上……申し訳ありませんでした」
「突然どうしたの?」
キョトンとした顔で振り返って、カインも立ち止まる。
「兄上に、あれを使わせてしまったことです」
あれ、が何を示すのかは、言わずとも分かった。
「海獣召喚――本来秘匿すべき切り札の一つを、大勢の前で晒してしまった」
「……そうだね」
「その責任を、私は兄上に背負わせてしまいました」
もう一度、申し訳ありません、と言って彼女は頭を下げた。
「気にしないで良いよ、ルル」
「……ですが」
「あれは僕が決めたことだよ、僕の責任だ。ルルが気に病むことはないさ」
柔らかな手付きで妹の頭を撫でると、カインはお茶目な笑顔とともに付け加える。
「それにほら、ルルの半身は目立つでしょ?」
「兄上の(モササウルス)だって大概ですよ」
まったく、とルルワは苦笑して、止まっていた足の動きを再開した。その後ろにカインも続いた。
気づけば、六〇八区画が目の前だ。
ルルワが扉に生徒証を翳して、解錠する。
双子が玄関口に入ると、リビングに繋がる廊下から二人のルームメイトが現れた。
「おかえりなさい、二人共」「おう、遅かったじゃん」
その迎えの挨拶に、双子は揃った声で返す。
「「ただいま」」
無機質な白を基調とした、奥に長い直方体の大空間。
側面の壁には一定間隔で細やかな細工の施された荘厳な柱が並び、天井付近に設けられたステンドグラスからは色鮮やかな光が差し込む。空間の中央を貫くように鮮やかな青のカーペットが敷かれ、奥三分の一は床が階段状に高くなっていた。
構造的には謁見の間のそれに極めて近い。
奥の壁面には、内部に青白い光の線が張り巡らされた透明な十字架――大きさは二メートル程――が掲げられ、その真下には大理石を削り出して作られた壮麗な椅子――玉座とでも言うべき物が設けられている。
そこに座するのは、いっそ気味の悪いほど美しい一人の女性。
身に纏うのは、滑らかな純白の貫頭衣。
穢れのない処女雪の如き白い柔肌で、白銀の長いまつ毛に縁取られた瞳は、左がルビーレッド、右がサファイアブルーの金銀妖瞳。一切の癖がない銀髪が、周囲の床にまで溢れるように広がっていた。
彼女はただ無機質に、空間の中央で頭を垂れる老人を見下ろしている。
「ノア、顔を上げてちょうだい」
涼やかな声が、女性の口から発せられた。
「はっ」
ノア、と呼ばれた老人が顔を上げる。
その顔を見れば、大半の者は凄まじい驚愕に襲われるだろう。老人の名をノア十四世。彼こそはカトリック教会の最高位――即ち|教皇(Pope)の地位に座する者。
「要件は何かしら? 随分と慌ただしい謁見申請だったけど、緊急の報告でもあるの?」
「その通りで御座います」
「簡潔にお願いね。私はこう見えても忙しいの」
「勿論、心得ております」
ノアは鷹揚に頷いてから話しだした。
「つい先程、実験体一号に貸与されていた媒体十字の使用が確認されました」
その簡潔な一文を聞いて、女性は初めて表情を動かす。
「へぇ、あの子があれを使ったの……」
「一両日中に探索用の海獣ユニットを派遣し、残骸の回収を行う予定です。それに際し、猊下のお持ちする輸送潜水艇をお借りしたく」
「分かったわ、許可します」
「感謝いたします」
一礼して、ノアは退出しようとした。しかしそれを遮るように、女性がある物を投げ渡す。ノアは慌ててそれを捉えると、疑問顔で女性を見た。
「猊下、これは……」
女性が投げたのは、ガラスのように透き通った素材で造られたロザリオ。双子の持っていたそれと、少なくとも外見上は同じものである。
「ついこの間完成した、改良型の媒体十字よ。任務のついでに、あの子に届けておいてちょうだい」
「承りました、その様に手配いたします」
再び礼をして、ノアは今度こそ退出する。
重苦しい音を響かせながら、入り口の大扉が閉ざされた。
大空間に唯一人となった女性は徐に立ち上がると、衣装の裾と長い髪を引きずりながら歩き出す。
玉座の裏に回った彼女が、何の変哲もない壁面に触れる。すると俄に、白かった壁がみるみる内に透明なガラス窓へと変貌していく。降り注いだ太陽光が、薄暗かった室内を照らし出した。
彼女の眼前にあるガラスが、横にスライドして道を開ける。女性はそのまま、大空間の外へと踏み出した。
爽やかな風と共に、僅かな磯の香りが漂う。
そこにあるのは、海と見紛うほど広大な水槽を望むバルコニー。細やかな意匠の施された黄金のフェンスが、そこを縁取るように囲んでいる。
女性は端にまで歩み寄って、柵の上にその両手を乗せた。
「私の大願を叶えるために、精々役に立ってちょうだいね。愛しい愛しい我が子」
女性はその顔に、薄っすらと形の良い笑みを浮かべる。
彼女の名は、イヴ・インテグラム。教皇さえ従えるカトリック教会の実質的な最高権力者。中央枢機卿にして、カインとルルワの母親である。
「キュァ―――――――――――――――‼」
眼下の水面から顔を出した巨大海獣が、機嫌良さそうに咆哮を上げた。
「私の半身も、とても気分が良いみたいね」
彼女はその鳴き声を聞いて、ほんの少し笑みを深めた。
〈This Episode is End〉