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最強の海洋  作者: 空ノ横笛
◇Episode 1〈Silver Integrator〉
5/6

◇Chapter 4〈Prince of Ocean Beast〉

 九月十六日――土曜日。

 新入生達がこの学園都市で迎える、二回目――カインは一回目――の休日がやってきた。


 午前七時三十分。

部屋から出てきたアーサリアを出迎えたのは、既に着替えを済ませてソファに座るカインとルルワの兄妹だった。

「おはよう二人共」

「おはようリア」「おはようございます」

 アーサリアが挨拶すると、二人も顔を向けて挨拶を返してくる。

 失礼、と一言声を掛けて、二人の座るソファに彼女も座る。

「二人は何時に起きたのかしら?」

「僕はさっき起きたばっか」

「私もです」

三人とも起床時間は殆ど変わらなかったらしい。

「シュンはまだ寝てるの?」

「うん、そうだよ」

 学校があるならともかくとして、今日は休日。特筆すべき用事も無いのだし、多少の寝坊であれば許容範囲内だろう。

「さてと、今日は僕が朝ごはん作ろうかな……」

 カインが立ち上がる。

 六〇八区画の調理頻度はアーサリアが最も高く、続いてカイン、ルルワ。俊介は一度も台所には立っていない。本人曰く「生活に必要な最低限の能力はある」らしいから、出来ないという事はないのだろう…………たぶん。

「一瞬手伝おうかと思ったけど、よく考えたら不要だったわね」

 アーサリアが呆れたように言った。

「そんな事ないよ。リアが手伝ってくれるなら百人力だ」

「無理よ、無理。私じゃあ貴方の手際にはついていけないわ」

「それは残念」

 言葉とは裏腹に、それほど残念そうでもない表情で肩をすくめる。

 カインは備え付けの大型冷蔵庫を開けて、中に入った食材を確かめた。持ち前のレパートリーから、それらの食材で作れるものを抽出する。

「今日は、オムライスにしようかな」

 オムライスとは、洋機艇フジで食されることの多い料理だ。カインは様々な国や地域の料理を食べたことがあるが、オムライスはその中でもお気に入りの中に分類された。

 レシピを決めると、彼は迷いない動作で食材を冷蔵庫から取り出す。但し手を使ってではなく、その能力で操った水で。

「相変わらず、反則級の操作能力ね」

 アーサリアが皮肉げに漏らす。

 これこそが、料理上手な彼女に「ついていけない」と言わしめた元凶。同時並行で行われる超精密な液体操作が、人手不足という概念を消失させる。カインが手を動かすことは殆ど無い。

 いつの間にか調理器具まで取り出されていて、それらはひとりでに動き食材を加工していく。カインはその様を、一歩後ろで俯瞰するように眺めている。

 それはさながら、おとぎ話に出てくる魔法使いを彷彿とさせた。


 オムライスが出来上がった所で、料理に釣られたかの如く俊介がやってきた。

「おはよ」

「おはよう、シュン」

 片手を上げて挨拶してくるので、カインも同じ仕草とともに挨拶を返す。

 俊介が他の二人にも朝の挨拶をしているのを横目に見ながら、カインはオムライスの乗った皿をダイニングテーブルに並べる。

 オムライスにはそれぞれ、ケチャップでアルファベットが書かれていた。それは四人の頭文字で、Aがアーサリア、Cがカイン、Lがルルワ、Sが俊介だ。アーサリアのそれは、彼女が朝食ではそれほど量を食べられないとあって他より一回り小さい。

 スプーンなどを並べ配膳は終了。

「用意できたよ」

 ソファに座り雑談をしていた三人に声を掛けて、一足先にカインは椅子に座った。

「おぉ、オムライスだ」

 テーブル上に置かれた料理を見て、俊介が嬉しそうに声を上げる。それを聞いたルルワが彼に問いかけた。

「シュン君はオムライス好きなんですか?」

「おう。俺の好きな食べ物ランク、ベスト3の一つだ」

 残り二つが気になる所だが、それを尋ねるのはまた別の機会だろう。カインは尋ねること無く、オムライスの乗った皿を興味深げに覗くアーサリアの相手をする事にした。

「へぇ、これがオムライスなのね」

「リアは食べたこと無い?」

「ええ。知ってはいたのだけど食べるのは初めてよ」

 美味しそうね、と嬉しいことを言ってくれる。

 全員が席についた所で、カインが食べてるよう促す。

「さ、どうぞ召し上がれ」

 そう言われた俊介は「いただきます」と手を合わせてから、アーサリアは短く黙祷してから、スプーンを握った。双子は慣れた様子で食前の祈りを口にする。

「「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事を頂きます。ここに用意されたものを祝福し私たちの心と体を支える糧として下さい。わたしたちの主、イエス・キリストによって。アーメン」」

 祈りが終わると、双子もその手にスプーンを握った。


 大満足の朝食を終えて、四人は紅茶を飲みながら一服する。

ソーサーにカップを置いた俊介が「ふぅ」と吐息を溢す。

「なあカイン。お前、前の日曜は原稿書きで居なかったろ?」

「そうだね」

 それで? と俊介に話の続きを促す。

「というわけで、予定延期になった六〇八区画メンバーの親睦会を開催したいと思う‼」

「いやいきなりどうした」

 確かにそれも良いとは思うが、そんな予定は存在しなかった筈だと戸惑うカイン。

 一方で、女性陣二人からは賛成の声がすんなりと上がった。

「良いわね、親睦会」

「そうですね。ですが、場所はどちらで行うのですか?」

「フッフッフッ、親睦会の定番といえば決まってるだろ‼」

「ごめん、分かんない」

 俊介が無駄にテンションを高めて言ったので、カインは逆に素でレスポンスしてしまった。彼は出鼻を挫かれたのも気にせず話を続ける。

「カラオケ行くぞ!」

 彼が一人だけ拳を天につき上げた。満足げな表情をしている。

「ってあれ、皆はやらないの?」

「「「やらない」」」

 即答されて、俊介は残念そうに肩を落とした。


 結局、親睦会をカラオケで開催することは承認された。 出発は午前九時、カラオケ店の開店時間がそれぐらいなのだという。その時刻までに、出かける支度をしなければならない。

 カインは自室に戻って、本校舎にも持っていったトートバッグを取り出す。その中には、既に幾つかの荷物が入っている。

 覗き込んで確認するが、特に過不足は無さそうだった。

 バッグをベッドに置いたカインはクローゼットを開けて、青いギンガムチェックのアウターシャツを取り出す。相変わらずの白Tシャツの上からそれを羽織る。

 彼はバックを拾うと部屋を出てリビングへと戻った。

 リビングは無人で、最初に支度を終えたのがカインであることを教えてくれる。彼はソファに腰を下ろすと、他のメンバーが来るまでの暇つぶしに書籍端末を取り出した。適当に選んだ書籍データを開いて、画面に展開された文字列を視線でなぞる。

 読書開始から一分もしない内に、リビングに俊介がやってきた。足音を捉えてカインが顔を上げる。

「あ、悪い。邪魔したか?」

「大丈夫だよ、ただの暇潰しだったから」

「なら良かった」

 話し相手も来たことだし、とカインは読みかけの書籍端末をバッグに戻す。

「暇潰しなら、これやらねぇか?」

 カインの隣に座った俊介が、バッグの中から小さな箱を取り出して提案した。紺の地に、銀色で細やかな紋様が描かれた高級感のある箱である。

 俊介はローテーブルにそれを置いて、上部の蓋を開けた。箱の中に入っていたのは、箱と同じ意匠の施された長方形のカード。

「これは、トランプかな?」

「その通り」

「ちょっと見せてもらって良い?」

「おう、勿論だ」

 取り出したカードの束を、差し出したカインの掌に乗せる。その瞬間、カードの感触に彼は驚いた。

「これ、紙のカードだ」

 現代では、こういったカードゲームはプラスチック製の物が主流で、紙製のカードはかなりの高級品だ。そうお目にかかるものではない。

「よく分かったな」

「ああ、一応僕も持ってるからね」

 プラスチック製のカードと紙製のカードは質感にあまり違いがない。プラスチック製のカードしか触ったことのない人に紙製カードを渡しても「何か違う気がするけど、何処が違うかはよく分からない」で終わってしまうだろう。

 両者を明確に区別できるのは、どちらも触ったことがある人ぐらいなのである。

「で、トランプで何する?」

「そうだな。ババ抜きは二人じゃつまんねぇし………」

「ダウトとかは二人じゃ終わらないね」

「「うーん、どうしよう」」

 二人は顎に手を添えて唸りを上げた。


「で、こうなったと?」

「おう、自信作だぜ‼」

 ソファに座るアーサリアが見下ろすローテーブルの上には、トランプのカードで築き上げられた壮大な建築物が立っていた。

極めて絶妙なバランスの元に建造されたそれは、鋭角に尖った六段のトランプタワーである。本来、六段のトランプタワーを作るのに必要なカードの枚数は五十七枚。だが、鋭角にして各段に使われる水平方向のカード枚数を削減することで、一デッキ五十四枚での作成を可能としたのだ。

「兄上、これ凄いです‼」

 アーサリアより少し先にリビングへやってきたルルワは、興奮気味にそのトランプタワーを見ている。

「確かに、凄いのは認めるわ」

 ――だけどこれ、ものすごく片付けにくいじゃない。

心の中で彼女はそう溢した。

建造者である俊介とカインは達成感に満ち溢れた表情で、とても楽しそう。タワー自体の完成度も極めて高い。崩すのはあまりにも忍びないが、これから出かける以上、今すぐにでも取り壊す必要があった。

「はぁ」

 思わず、ため息をつく。

「「「っ⁉」」」

 他の三人が、何をやってくれたんだ! と言わんばかりの形相でアーサリアを見た。そして彼女は気付く。

 トランプタワーの前でため息をつくのは、あまりにも危険だったという事に。

 彼女の吐息を受けたカードの一枚が倒れる。それによって支えを失ったカードもまたバランスを崩し、タワーの外へと放り出される。構造体を喪失したトランプタワーは、連鎖的に崩壊した。

 建材のカードが、ローテーブルとその周囲に撒き散らされる。

「ねえ、リア。何か、言うことがあるんじゃない?」

 カードが散らばる様を無言で見ていたカインが、ニッコリと笑って問うた。しかしその目は全く笑っていない。

「何か、言うことはない?」

アーサリアの頬に冷や汗が垂れる。

「……ごめんなさい」

 彼女は素直に頭を下げた。

「うん、じゃあ許す」

「ぇ……」

 カインが言ったその言葉に、アーサリアは思わず間の抜けた声を上げてしまう。それが、自分が許した事への戸惑いの発露であると理解したカインはその理由を率直に述べた。

「しっかり謝ったんだから、別に良いよ」

「まあそうだな、崩れちまったもんは仕方ねぇよ」

 カインの言葉に、俊介も賛同する。

「そんなことより、散らばったトランプを片付けましょう」

 ルルワの号令で、四人は床に散乱したカードの回収を始めた。カイン達は口も動かしながら片付けを進める。

 それが終わって時計を確認すると、時刻は出発予定の目前にまで迫っていた。


 やはりというべきか、カイン達の一団は人混みの中で大いに目を引いた。先週の土曜日と比べても、注目度が高いのは勘違いではあるまい。

とびきりの美少女が二人に美男子が一人、しかも美人――見た目だけ――なカインまでが一緒にいるのだ。注目されない通りがない。

「何か、すごく見られてる気がして落ち着かない……」

「大丈夫よ、そのうち慣れるわ」

 小さく溢したカインに、アーサリアが慰めとも取れる言葉を返す。

「やっぱり、学園都市は人が多いですよね」

 ルルワが周囲の人混みを見て感想を漏らした。事実、この学園都市は世界的に見ても人口密集地帯に分類される。

 だが、このグループにはそれを上回る人口密集地帯を出身とする人物が居た。その人物がルルワの感想にこう返した。

「フジなんてもっと凄いぞ」

「そうなんですか?」

「おう。人口密度どうなってんだって話だ」

 その人物――俊介が住む洋機艇フジは、世界最大の人口密集地帯としてその名を轟かせている。凡そ五十平方キロメートルと言われる中心市街地に、三百万人もの人が暮らしているのだから。

高層都市なので実情はそこまで酷くないらしいが、かなり異常な人口密度であることには間違いがない。

「フジの人口密度は異常よ、比べることが間違ってるわ」

「まあ、その通りだけどよ」

 俊介が肩を竦める。そして何かを言おうと口を開きかけて……。


 けたたましいサイレンの音が街中に響いた。


 何事か⁉ と全員が付近で最も大きな街頭ディスプレイを見る。

 企業の宣伝と思われる映像が流れていた画面の表示が途切れ、次の瞬間には別の映像に切り替わった。街頭のスピーカーから音声が流れる。男とも女ともつかない、抑揚の乏しい声だった。

《連盟統治域カラコルム諸島、学園都市マッシャーブルムに滞在中の皆様にお知らせします》

 画面には、幾つもの言語で字幕が表示される。

《つい先程、学園都市守衛隊の観測部隊が、極めて多数の海獣の集団を都市周辺海域の深海部にて発見しました。また該当の海獣集団は学園都市方面へ向かって進行中とのことです》

 その知らせに、静かに耳を傾けていた市民達がざわめく。

《到着時刻は、凡そ二時間後と推定されます》

 誰もが一斉に、画面脇に表示されている現在時刻を見た。九時二十一分。

《国際海洋異能者学園の生徒並びに守衛隊員の皆さんは至急、学園敷地内の大講堂に集合してください。またそれ以外の方々も、学園敷地内へと避難してください》

 集合の知らせを聞いた瞬間、四人はそれぞれ視線を合わせた。そして頷くと、おもむろに腰を屈める。

 直後、四人が常人には考えられない跳躍力で空に跳び上がった。靴の下に生み出した水で押し上がりながら跳躍したのだ。

その高さは凡そ五メートル、カイン達は通行人の遥か頭上まで上がった。そして上昇速度がゼロになった所で、足元に薄い水の床を生み出して着地する。

本来、市街地での能力の発動は禁止されている。だが、こういった緊急事態には使用が解禁されるのだ。

「空歩で一気に行くよ‼」

 カインがいつもと違った鋭い声で一喝した。

 空歩とは、空中に水の足場を作りながらそこを走る技術。地上の障害物を無視して空中を移動できるこの技は、緊急時の集合速度を飛躍的に上昇させる。

「ええ‼」「はい!」「おう‼」

 三人がそれぞれ威勢の良い返事を返す。それと同時に、四人は空中を駆けた。

 カイン達が前傾姿勢で一直線に学園を目指すその下で、通行人達も押し合いへし合いしながら大通りを学園の方へと流れていく。

 前方に走りながら、一瞬だけ後ろを振り返るカイン。彼は自身の後方にチラホラと、空歩で学園を目指す人影を認めた。彼らも学園の生徒達、或いは学園都市守衛隊の隊員なのだろう。

 ――急がなければ。

カインは加速して、三人より前方へと躍り出る。

「悪いけど、先に行かせてもらうよ!」

 彼はそう声を掛け更に加速、三人を引き離す。

「兄上、私も!」

「私も行くわ‼」

 彼に追従して、ルルワとアーサリアもその速度を上げた。

 俊介だけが一人取り残される。

(俺はまた置いてきぼりかよ⁉)

 三人が加速しているのは、足場の水を使って走るのを補助しているからだ。

空歩は比較的容易とされる技だが、足場を使って疾走を補助するのは極めて難しい。実技がそれなりに優秀な俊介にも、空歩の補助は未だ出来ない。

彼があの三人に追いつくことは、ほぼ不可能だった。


 学園正面門の上空を通り抜け、カインは道を無視した経路で大講堂へと一直線で駆ける。

 そして大講堂南口の前で飛び降りると、見事な受け身を取り着地の衝撃を逃した。

 遅れて、彼の両隣にルルワとアーサリアが着地する。三人とも、その額には僅かだが汗が浮かんでいる。

 何故か講堂から出てくる私服姿の一段とすれ違いながら、開け放たれた扉をくぐって大講堂に入場する。

 座席は全て床に仕舞われ、何もない巨大な空間。その中は制服私服入り混じった大勢の人でごった返している。構内には幾つものグループが形成され、どうやらクラスごとに纏まって集合している様だった。

幸い、一年A組のグループは入り口のすぐ近くに見つけることが出来た。

「ウスマン先生!」

 駆け寄ったカインが、そのグループに居たウスマンに声を駆ける。

「カイン君ですか。それにルルワ君とアーサリア君まで……」

 三人の姿を確認してウスマンが言った。

「三人とも、寮に戻って制服に着替えてきてください」

 制服に着替える、という事はつまり『海中での戦闘に参加する』という事を示す。あのアナウンスを聞いた時点で予想はしていたが、かなり緊迫した事態らしい。

「アーサリア君は着替えたらこちらに戻ってきて、二人は中央司令所へ向かうように」

「「「了解しました」」」

 揃った返事に彼が頷いたのを確認してから、三人は駆け足で寮へと向かった。


 寮のエントランスに駆け込んだ三人は、力強く床を踏みしめ跳び上がった。シャンデリアを軽々と飛び越え、六階のエレベーターホールに着地する。

 ホール内には、制服に着替えに行くだろう同級生や、着替え終わって大講堂に急ぐ同級生の姿が多く見て取れた。普段であれば跳び上がって来たカイン達に一斉に視線が向くだろうが、今はそんな余裕もないようだ。皆焦った様子で駆けている。

「行くよ」

 カインはそう声を上げて駆け出す。その後ろに二人も続く。三人はすぐに、自分たちの住む六〇八区画に到着した。

 もどかしい思いをしながら、懐から取り出した生徒証を入り口に翳す。解錠音がなって扉がスライドする。

 それが全開するのを待たずに、彼らは区画内に入った。全員が靴を雑に脱ぎ捨てて、一直線に自室へと向かう。

 それぞれの自室に飛び込むと、彼らは今までにない程の早着替えで制服を纏った。

早足になりながら区画を出て、エレベーターホールに駆け込む。

そのまま吹き抜けの開口部へと走って、凡そ十五メートルの高さから三人は飛び降りた。カインとアーサリアの長い髪が翻る。

足元に生み出した水の板を操り、落下直前に急減速。床に降りると再び駆けて寮を出る。

「じゃあリア、僕らはこっちに行くから‼」

真正面の道へと進むアーサリアに、北に方向転換したカインが一瞬立ち止まって叫ぶ。

「了解よ!」

 彼女はそう言って加速する。

「ルル、行こう!」

「はい、兄上‼」

 遠く離れて行く彼女の姿から視線を外し、双子は学園都市中央司令所に続く道を駆けた。

 正面の道よりも細い石畳の道を抜けると、そこは司令所のすぐ近くだ。

「「レイ先輩‼」」

 司令所前に見知った人影を見つけて、二人は声を上げる。それを聞いた彼女が振り返って彼らを見据える。

「カイン君とルルワ君か。これで、全員集合だな」

 どうやら、二人以外の構成員は既に集まっているようだった。

「遅れて申し訳ありません」

「いや、問題ない。それよりも、すぐに作戦本部へ向かうぞ。私についてこい」

「「はい」」


 司令所内では、前と違って大勢の大人たちが慌ただしく動いていた。纏う制服からして、彼らが学園都市守衛隊の隊員なのだろう。

「こっちだ」

 レイが通路を曲がる。その道筋からして、向かっているのは生徒統括会の本部とは違う場所のようだった。

 二人が初めて立ち寄る通路を、玲衣は迷いなく進む。そして到着したのは、他の扉とは一線を画する大きさの扉の前。三人が近づくと、それに反応したのか重苦しい音を立てながら扉が開く。

 その先にあったのは大きな空間。至る所にディスプレイが並べられ、様々な情報を映し出している。大勢の人が慌ただしく動き、室内は喧騒に満ちていた。その中央、極めて目を引く巨大な円卓を囲む人垣の中に、統括会の構成員達はいた。

 三人は動き回る隊員達とぶつからないように注意しながら、その場所へ向かう。

「エド、二人を連れて来たぞ」

「ありがとう、玲衣」

 この時ばかりは二人の会話にも甘い空気は一切ない。エドモンドも普段の掴みどころのない調子ではなく、真剣な顔だ。

 彼は玲衣の後ろに居る双子を確認して頷くと、隣りにいる老人に向かって報告する。

「学園長。生徒統括会構成員、全員集合しました」

「うむ、了解したのじゃ」

 その老人――コンスタンス老は目前の円卓を見下ろしながらも厳かに頷いた。

「二人とも、ここに並んでくれ」

 玲衣に促されて、双子もテーブルを囲む人垣に加わる。右には湘権も居たが、気軽に話しかける雰囲気でもない。

玲衣は定位置と思われる、エドモンドの隣に立った。

「これより、学園都市防衛戦の作戦会議を始める‼」

 よく響く声で、コンスタンス老がそう宣言した。

それと同時に、不思議な起動音が鳴り響く。円卓の上にある空間に、半透明の立体地図が出現した。どうやらこれは、机の形状をした三次元投影装置だったらしい。

そこに現れた地図は中心にIAAの本校舎を据え、学園都市周辺の海中まで含む広大なものだ。赤い光点が、装置の外周部に幾つも見て取れる。

「赤い点が、五分前の観測で発見された海獣の位置じゃ。少なく見積もっても二万以上の海獣が、学園都市の南側に向かって進んでおる」

「そのうち八割がD級、残り二割がC級と推測されます」

 コンスタンス老の隣に立つ男性がそう補足した。筋骨隆々とした体付きの、五十代と思われる人物だ。その身に纏う制服からして、学園都市守衛隊の代表者だろうと推察された。

「この組織立った動きからして、統率個体が居るのは間違いないね」

 エドモンドが腕を組んで、地図を見下ろしながら指摘する。

「そうだな。問題は……」

「統率個体の強さ、ですかね」

 統率個体というのは、群れの中でも突出した強さを持つ個体のことで、これが居る群れと居ない群れでは危険度が大きく異なってくる。

統率個体は群れの指揮官個体で、その存在によって群れは、一つの巨大な生物の様に巧みな連携を見せるのだ。また、統率個体というのは群れの構成個体と比べ一等級高いことが殆どで、それ単体での強さも無視できない。

「C級がこれだけの数居るのじゃから、B級と見て間違いないじゃろう」

「B級、ですか」

 誰かが溢した。

「B級であれば、上級隊員が三名居れば討伐可能です」

 守衛隊の代表者がそう述べる。

「ですが、現在学園都市に配属された上級隊員は五名しか居りません。三名というのも、希望的観測です。できれば、六名は欲しい」

「統率個体の位置は、確認できておるのか?」

「残念ですが、未だ判明しておりません」

 それはつまり、何処から統率個体が現れるか分からないという事だった。

「じゃが、予測はできるか……」

「ええ、過去の例から推測して、群れの中央にいる可能性が高いです」

 代表者がマップ上の光点、それが最も密集している場所に触れる。そこを中心に紫の円が広がった。

「観測でも、この辺りにC級の個体が集中していると判明しております。この場所に統率個体が居るのは、間違いないでしょう」

「うむ、分かった」

 ゆっくりと頷いてから、学園長は隣のエドモンドに目をやった。

「五年生なら、B級にも十分に対応できますよ。討伐できるかは分かりませんけど、重傷者が出ることは無い筈です」

 それは言うならば、軽傷者ならば出るという事だ。しかし、誰もその事は指摘しない。

「そうじゃな。群れの正面には五年生を配置するとしよう」

 地図の上の表示に《五年生(5th Grade)》と書かれた青い集団が加わる。学園都市の南側だ。

 五年生の配置が決まると会議はどんどん進んで、あっという間にIAA生徒の配置が決定した。

「これでもって、事前の作戦会議は終了とする‼ 時間がない、直ちにこの会議の結果を通達するのじゃ‼」

 コンスタンス老の合図で、司令所内はより一層慌ただしさをまして動き出した。


 大講堂の中には既に、全校生徒が集合していた。別の一角では守衛隊員と思われる者達がピリピリとした空気で一糸乱れず整列しており、その緊迫感が生徒にも伝播して構内は何処か落ち着きのない雰囲気だ。

 そんな中で、緊張感の欠片も無いことを堂々と行ってのける人物が居た。

「暇ね」

「完全に同意だ」

 アーサリアと俊介の二人である。

 こんな事を言って居れば教師に見つかれば注意されそうなものだが、緊張でガチガチになるより良いと判断したのか注意されては居ない。二人の内片方が、実技で極めて優秀な成績を出していることも理由かもしれなかった。

 これから戦闘に参加するので、暇潰しの道具など持っているはずもない二人。暇さのあまり欠伸でもしそうな勢いである。

 そんな二人であるからこそ、ウスマンの先程までとは違う行動に気付くことが出来た。先程までは一年A組の生徒達の方を定期的に見ながらも端末に視線を落としていたのだが、今は講堂のステージの方に注目が向いているように見えた。

「どうやら、作戦の説明があるみたいね」

 アーサリアがそう言うと同時に、構内の明るさが半減する。一年生の生徒が「何事か⁉」とざわつくが、上級生たちは「やっとか」という様子だ。経験がある故に、こういった時の進行順序を把握しているのだろう。

そして、ステージ奥に配置されたスクリーンに映像が投影された。構内に居た全員が、一斉にそちらを向く。

映像に映ったのは、司令室と思われる場所を背景にしたIAA学園長――コンスタンス老の姿。

《これより、此度の防衛戦、その作戦概要を伝えるのじゃ》

 スクリーンの片側に、学園都市とその周囲の地図が映し出される。地図上には赤い光点で海獣の群れが表示されていた。

《此度の群れは、推定二万匹以上と極めて数が多い。そのため、未だ防衛戦についてしっかりと授業しておらん一と二年生の生徒達にも、参加をしてもらう事となる》

 コンスタンス老の言葉に、言われた方の一、二年生の一部から戸惑いの声が上がる。

通常、防衛戦に参加するのは三年生以上の役目であって、ここ二十年以上、防衛戦にそれらの生徒が参加したという記録はない。戸惑うのも無理はない事だ。

 だが彼らの大半は、構内の緊張感ある空気から自身らも参加することを予期していた様だった。

《群れに含まれる海獣じゃが、大半がD級、一部にC級が確認されておる》

 その情報で、少し場の空気が明るくなった様にアーサリアは感じた。数は一万以上と多いが、D級であれば対処は可能だと安堵したらしい。

《五年生には、群れを正面から迎え撃つ形で配置についてもらう。その左右には、それぞれ三と四年生。一と二年生はその後ろで、上級生の討ち漏らした海獣を倒すのじゃ》

 大雑把な作戦だが、細かい事を言っても混乱するだけだと司令部は判断していた。

《また、現場の指揮を各学年の統括会構成員が執る事になっておる。それぞれ、指示には従うようにするのじゃぞ。説明は以上じゃ》

 スクリーンの映像が終了し、構内は明るさを取り戻す。

「皆さん、学園長の説明は聞きましたね‼」

 ウスマンが声を張り上げる。一年A組の生徒はそれに「はい」と揃った返事を返した。

「現場指揮の統括会構成員が到着し次第、上級生から順に迎撃地点へ配置につくこととなっています。移動開始まではこのまま整列して待機です。緊張しすぎるのも良くないですが、各自気を引き締めておく様に!」

 再び、揃った声が上がる。ウスマンは一つ頷くと一年A組の集団から離れ、別の場所へと移動した。本人が海能者だからか、こういう時はひっぱりだこだ。

 彼が去っていくのを見送って、アーサリアが隣に立つ俊介に声を掛ける。

「シュン、緊張してる?」

「まさか。防衛戦だって、フジで何回か経験してんだ。慣れてるっての」

 バカにするなよ、と肩を竦めた。

 入学前に参加経験のある事は珍しいが、IAAでは新入生の一割ほどがそうだとも言われている。俊介はその一割に含まれていた。

「それは頼もしいわね」

「そう言うお前こそ、大丈夫なのかよ」

 珍しい気遣いを見せて俊介が問う。

「あら、私の実家が何処かお忘れで?」

 アーサリアの実家――アンブローズ公爵家。そこは英艇ベン・ネビスの軍事を担う将軍を排出してきた家系である。彼女には防衛戦の指揮は勿論、戦い方も仕込まれていた。防衛戦への参加経験だってある。

「アンブローズ公爵家は、対海獣戦闘の名門なのよ」

「そうだった」

 自信満々にアーサリアが言い放てば、俊介はすぐに引き下がった。

「それより、現場指揮は誰が来るのかしら?」

 まだ到着していないようだけど、と彼女は入り口の方を見る。

「湘権、は無いな。アイツは現場指揮って感じじゃねぇ。双子のどっちかだろ」

「確かに、同感よ」

 三択を二択に絞ったが、二人はそこで行き詰まる。

「私は、ルルワだと予想する」

 予想というよりも、単に同性だから選んだようにも思える。

「じゃあ俺はカインで」

 同じではつまらないからと、俊介はカインを選んだ。

どちらの予想が正しかったかは、直ぐに明らかとなった。西口から、現場指揮に就くメンバー五人が構内に入ってきたのだ。

その中でも目立つ白銀の髪は、肩に掛かる長さ。つまりやってきたのはカインではなく、ルルワだった。

「私の勝ちね」

「勝ち負けなんてあるのかよ」

 予想を当てたアーサリアが勝利を宣言して、俊介は呆れ気味に返す。

 入場して来た統括会のメンバーは、それぞれが散らばって別々の教師の元へ向う。ルルワが向かったのは、ウスマンの元だった。

「ウスマン先生」

「来ましたか、ルルワ君」

「はい」

 ルルワとウスマンがそんな言葉を交わしている間に、五年生達が教師と現場指揮の統括会構成員に率いられて大講堂を出発する。それを確認した四年生達も、五クラス全てが集合して移動準備を開始した。

「私達も、移動準備を始めましょう」


 IAAに併設された港は、学園都市の中でも最南端に位置している。

カイン達が入学の時は新入生とその保護者で賑わっていたその港は今、これから防衛戦が始まるという、張り詰めた空気感で満たされていた。桟橋には、負傷者を救護するための軍用小型船が幾つも待機している。

防衛戦の参加経験がある上級生たちは、既に海中で最前線まで向かっている筈だ。群れが学園都市に到着するまで、あまり時間がない。三十分もしない内に交戦が始まると予想された。

そんな中でルルワは、一年生のグループと別れて桟橋を歩いていた。彼女の前を歩き案内するのは一人の女性――玲衣だ。

どういうわけか、彼女は港の入り口でルルワのことを待っていた。その理由が気になったルルワは、我慢できず尋ねる。

「どうして、レイ先輩がここに?」

「ああ。ルルワ君達は、学園都市での防衛戦は初めてだからな。サポートだ」

 そう言って、玲衣は微笑む。

「それは有り難いのですが、司令室の方は大丈夫ですか?」

「心配には及ばんさ。あちらには学園長やエドも居るんだから」

 揺るぎない信頼関係を伺わせる彼女の返答は、ルルワを納得させるのに十分だった。

「さて、これに乗り込むぞ」

 立ち止まった玲衣が、その目の前には一隻の船に触れる。

 船体は白。流線型のボディは洗練され、この船の航行速度が速いだろう事を教えてくれた。上部に突き出たマストの様な柱には、国際都市連盟の旗が掲げられている。

 一見すると、停泊している救護船と変わらないように思える外見。しかし比べてみると、装甲部が僅かに分厚くなっていて、船体も一回り大きい。

「司令船――現場指揮の時に使う船だ」

 玲衣が跳んでデッキに上がる。ルルワもそれに続いて飛び乗った。手慣れた様子で船室に続く扉を開ける玲衣。

「先に入ってくれ」

「分かりました」

 上枠が低いので、ルルワは腰をかがめてそこを潜る。船室内は、外側から見て予想したよりも広い空間だった。

壁面には幾つもの大型ディスプレイが配置されていて、彼女が入るなりそれらが一斉に起動する。黒かった画面が切り替わると、そこには各種計器や司令部から送られてくる情報が所狭しに表示されていた。

 そのディスプレイが囲む場所に、背もたれのない椅子が一脚。

「そこに座れ」

 遅れて入ってきた玲衣が、後方の壁に背を預けて言った。その通りに、ルルワはその椅子に腰を下ろす。

「情報の見方は分かるか?」

「はい、大体は」

 海獣と防衛戦力の位置が示された周辺海域の地図に船底の広角カメラ映像、周辺地形の三次元情報など、何の表示か理解した箇所を説明する。

「それだけ分かれば十分だろう。操作方法も、問題ないな?」

「ええ、大丈夫です」

 船そのものは自動操縦なので、ディスプレイを操作して指示を出せば簡単に動いてくれる。通信なども、画面からの操作で行うことが出来た。

「普通なら、二と三年の間の夏休みに研修があるんだがな。ぶっつけ本番で悪いとは思うが、頑張ってくれ」

「はい」

 ルルワは力強くうなずくと、船の制御コンピューターに戦闘海域への移動を指示する。水中のスクリューが回転を開始し、船体がゆっくりと動き出した。


「……来たか」

 何も無い海上にポツンと佇む司令船の中、一人の男が溢す。彼が見ているのは、複数ある船底カメラの内、前方に配置されたそれの映像だった。そこにはこちらへと向かってくる、海獣の群れが確認できた。

彼は手元の画面を素早く操作して、司令部に通信を繋ぐ。

「こちら第一司令船、敵影を確認した」

《了解したよ。作戦通り、殲滅してくれ》

 短い通信で答えたのは、司令室に残っていた唯一の五年生エドモンド。彼の役割は五年生達の作戦を立案する事で、適時通信を使って司令船に指示を出している。

「分かった」

 男はエドモンドの指示を承諾して通信を切ると、再び画面に手を踊らせた。

「皆、海獣は視認出来たか?」

《《《《《はい》》》》》

 重なった同意の声が、設置されたスピーカーから聞こえてくる。

 船内マイクの繋がっている先は、AからEまであるクラスの代表者五人。彼らを通して現場指揮は行う。

 他にも、船底に設置された大型の海中スピーカーを使って全員に通達することも出来た。

「後ろにいるのは下級生だ。取りこぼしは彼らが処理してくれるが、一匹も逃さないつもりで行け。もし通すとしても雑魚だけだ、大物はこっちで仕留めるぞ‼」

《《《《《了解‼》》》》》

 それを合図に、海獣の群れと上級生たちが激突した。


 その後方では、一年生達が一定間隔で並び待機していた。

『始まったみたいね』

『そうだな』

 隣同士に位置するアーサリアと俊介が、そんなふうに言葉を交わす。彼らの視線の先では、既に上級生たちと海獣の群れの戦闘が始まっていた。そこを突破した海獣が、こちらへ向かって泳いでくる。

《リア、海獣は目視できた?》

「バッチリよ」

 遠目で確認できる海獣たちは、全てがD級――その中でも弱いとされるものだった。どうやら上級生たちは、後方のことまで考えてくれていたらしい。

 彼らがしっかりと見える距離まで近づいてきて、海中にルルワの声が響いた。

《全員、戦闘準備です‼ 後方には先生方も居ますが、一匹だって通しません!》

『ええ‼』『おう‼』

 アーサリアや俊介だけでない、気合に満ちた返答が全員から発せられた。それに続いて彼女は右手を前に構え、目を瞑り集中の構えを見せる。

 周りに満ちる海水を練り上げて、圧縮。直径五センチ程の小さな水球が五つ、彼女の目の前に作り出される。

 一面に並んだ同級生達も、同じ構えで水球を生み出す。数は各々で異なっていて、一つや二つの生徒も居る。最も多いのは三つで、アーサリアの五つは最多数だ。

《発射‼》

 司令船の海中スピーカーから発せられたルルワの指示。それと同時に、水球が彼らの手を離れ海獣へ向かって飛び出す。

その様子はまるで、大砲による一斉砲撃にも似ている。しかし、その速度はバラバラで水球の位置が入り乱れた。それぞれの水球は海獣との距離を縮めながら、先頭が鋭く尖った形へと変形する。

最も早かったアーサリアの攻撃五つが、先頭の海獣五体を貫く。彼らの体を構成する圧縮海水の屈折率の違いによって現れる明瞭な輪郭が曖昧化し次の瞬間、激しい水流を撒き散らして消滅した。これは圧縮された海水が元に戻る体積の変化によって発生する現象で、海獣が死亡した事を表している。

その跡には、キラキラと煌くガラスの破片にも似た物体が散らばっていた。それらは獣核結晶(ビースト・コア)と呼ばれる結晶構造体――言わば海獣の心臓の残骸である。等級外海獣と、等級内海獣の大きな違いは体内にそれ――獣核結晶を持つか否か、と言われることもあった。獣核結晶は等級内海獣に共通した弱点で、それを破壊された海獣は身体を保てなくなり死亡する。

遅れて、他の生徒達の攻撃が次々と着弾した。最前線に居た海獣達の身体は全て海水に還元され、後には粉々になった獣核結晶の残骸が残る。

それを開戦の狼煙として、一年生達の防衛戦が始まった。

『それじゃあ行ってくるわね、後方支援よろしく!』

『おう、任せとけ』

 アーサリアが自らの生み出した水流に乗って、勢い良く海獣の方へと飛び出す。彼女の右手には、圧縮海水で作られた直剣が握られていた。

 彼女に続いて、並んでいた生徒達の二割程が群れへと突進する。彼らの手にも、形や大きさは様々な近接戦用の武器が収まっていた。

 水を操って作り出した武器で戦うのは対海獣の近接戦闘として最も一般的な手法で、海能者の家系には『水中武術』とでも言うべき独特の技を伝える所もある。

 先陣を切るアーサリアに、海獣たちが一斉に群がった。

『ッ‼』

 まず彼女は右腕を薙いで、正面から来た魚型の海獣を頭から両断する。その身体が拡散する水流に任せ素早く後退。その直後、後ろから飛んで来た水弾が彼女の居た場所を通過して三匹の海獣を貫く。

『シュン、ナイス!』

 一瞬で周囲を見回して、最も厄介そうな海獣を確認する。

 彼女が視線を固定したのは、十メートル程先に佇む巨大な巻き貝――アンモナイトの海獣。分類はD級だが、殻に該当する部分が硬いことが有名だ。

 彼女は一瞬で加速、経路上に居た小型の爬虫類型海獣の首を切り落としてから、アンモナイトに肉薄する。海獣はそれに気付いたのか、触手に囲まれた口から水を吹き出して回避を試みた。

『ハッ‼』

 気合を込めて、中段に構えた剣を突き出す。

 その刃は硬い殻部分ではなく、柔らかな頭部を貫き、内部に収められた獣核結晶を木っ端微塵に砕く。輪郭がぼやけるようにして、海獣の残骸が四散する。アーサリアはその勢いに乗って素早く移動、次なる標的をまたしても一閃のもとに切り伏せた。

『リア、そっち行ったよ‼』

 背の方から、女子生徒による警告が届く。

『了解!』

 突進してきたウミサソリ型の海獣、その身体を曲芸じみた身体捌きで躱すアーサリア。海獣はすれ違いざまに、そのハサミを彼女に向かって振りかざした。

だが、後方から飛んで来た水弾が海獣を貫通、その体は霧散して攻撃が彼女に当たることはなかった。

『ありがと‼』

 水弾を放ったのは、先程警告を発した女子生徒だった。アーサリアが振り返りざまに礼を言うと、彼女はパチリとウィンクを返す。その後ろに、彼女を狙う小さなサメ型海獣の姿が見えた。

女子生徒は、気づいていない。

『危ない⁉』

咄嗟に警告を発すると同時に、アーサリアは左手をそちらに突き出して掌から水弾を射出しようとした。だが、そうするまでもなく海獣が爆散する。

後方から射出された水弾が、その身体を穿っていた。

女子生徒は海獣が死に際に撒き散らした水流でよろめくも、それだけだ。

『良かった。背後にも注意するようにね!』

『りょ、了解‼』

 いくらD級と言っても、無防備な姿勢から攻撃を受ければ致命傷を負うこともあり得る。

アーサリアは視覚だけでは無く、薄っすらと能力を広げ周囲の様子を探知する。

辺りでは戦闘が散発的に行われているが、海獣は減ってきた。しかし前方からは、前線の防衛部隊を抜いた海獣たちの群れが向かってくる。

『まだまだ始まったばかりって訳ね』

 誰に言うでもなく、アーサリアは小さく漏らした。


 戦闘開始から、三十分が経過した。既に海獣は半数以上が討伐され、各所で戦う生徒達にも僅かだが余裕が生まれてきている。

「順調ですね」

 戦局を映す立体地図を眺めながら、エドモンドが半ば独り言のように溢した。

「その様じゃな。ところで、統率個体は見つかっておるのか?」

コンスタンス老が問う。

「いえ、未だ発見できておりません。時折り映像に、それらしき姿は確認できるのですが……特定はできない状況です」

 彼の隣に立つ守衛隊代表者が、今回の作戦から試験的に導入された自律移動式小型水中カメラの映像が映る端末を見せる。

 その映像には、数多のD級やC級の海獣に隠されながらも、更に巨大な海獣の姿らしき物が写り込んでいた。

「最後に確認できたのは何処じゃ?」

「三分前にこの地点です」

 無数に配置されたカメラの内一つの場所が、地図上に緑の光点として映し出される。それは最前線の五年生が戦う地点の、僅かに前方。

「遭遇が予想される五年生達の所には現在、上級隊員三名を向かわせてあります。到着し次第、統率個体の捜索を開始する予定です」

「うむ、それで良いか」

(上級隊員三名が居れば、万が一という事も起こるまいて)

コンスタンス老はそう考えて少し肩の力を抜いた。

学園都市の防衛戦で死亡者が出ることはあまり無い。それでも、全く無いということも無かった。一か二年の内に、必ず一人は犠牲者が出ている。去年の防衛戦でも、当時の五年生が一人亡くなった。

学園長というのは事実上、この学園都市の頂点だ。防衛戦での最高司令官も任されている。自分が指揮した作戦で、将来有望な生徒に犠牲者が出たというのは中々心に来るものがあった。

まして今回は、本来ならば参加しないはずの下級生まで巻き込んでの防衛戦。これでもし、下級生に犠牲者が出てしまう事があれば………。

(それだけは、絶対に駄目じゃ)

 コンスタンス老が改めてそう決意すると同時に、隣のエドモンドに通信が届く。それは前線を指揮する、第一司令船からだった。

《こちら第一司令船、守衛隊の上級隊員三名と合流した》

「了解。A組の第一班と一緒に、統率個体の探索をさせてくれ」

 頭部の左に着けられたヘッドセットを手で触れながら、エドモンドが次なる指示を出す。

《分かった》

 了解の声が届いて、通信は終了した。

 ヘッドセットに触れていた手を放して、彼はふぅと力を抜く。

「これでようやく、作戦も終りが見えてきました」

「そうじゃな」

 彼の言葉に、コンスタンス老が同意を示す。

 司令室の空気そのものも、緊迫感とでも言うべきものが和らいで、僅かながら弛緩したように思える。だが勿論、誰一人として気を抜いたりはしない。

 ある者はカメラ映像を食い入るように見つめ、ある者は地図とにらめっこ、またある者はヘッドセット越しに指示を出す。

それぞれの職務に、全霊を傾けていた。

『それ』を見つけたのも、そんな人物の一人だ。

「は、発見しました。統率個体です‼」

 カメラ映像を監視する内の一人が、そう大きな声を上げた。

 室内の中央に据えられた三次元投影装置。地図が表示されていたそこに追加で、該当の映像が映し出される。

 そこに映っていたのは、小さな海獣達に囲まれ優雅に泳ぐ、一際巨大な海獣だった。

体長の二割弱を占める大きな頭部は細長く、口には鋭い牙が並ぶ。泳ぎに適した洗練された胴体からは二対四枚のヒレが飛び出しており、尾はあまり発達していない。その身体は他の海獣と違い透き通ってはおらず、青系統の色を基調とした半透明。

映像から推定した個体情報が、合わせて浮かび上がる。

『国際データーベースに保管された情報から判断して、該当個体はB級海獣――リオプレウロドンと推定。体長は約9.8メートル、脅威度はレベル5と推定』

「レベル5、じゃと……」

 海獣には、その脅威度によってレベルというものが与えられる。レベルは1から5まであり、その等級の中でどれだけの脅威度があるのかを示す。

 海獣のレベルは種類も勿論だが、その個体の大きさなどを総合的に判断して決定される。レベル5というのは、限りなく次の等級――つまりはA級に近い強さの存在、という事だ。

 リオプレウロドンというのは凶暴性の高いB級海獣として名が知られているが、平均的な脅威度推定はレベル4。この個体は、リオプレウロドンの中でも強力な個体に分類される。

「このレベルの個体が都市を襲撃したなんて話、聞いたことない」

 戦慄の表情で、エドモンドがそう溢した。

 司令室に居る全員が、その情報を見て動きを止めていた。室内が重苦しい空気に包まれる。

「え、映像を送ってきたカメラの位置は何処じゃ⁉」

 いち早く硬直から復帰したコンスタンス老が、切迫した様子で叫ぶ。

 それもそうだ。彼らが推定していた統率個体の強さは、精々でB級のレベル3。五年生なら重傷者が出ないと判断したのは、その前提があってこそ。レベル5の場合、軽傷者は言うに及ばず重傷者、場合によっては死亡者さえ出る可能性がある。

「出します‼」

 リオプレウロドンの発見を告げた映像の監視員が、カメラの位置情報を光点としてマップ上に反映した。

 それの出現した地点を見て、コンスタンス老――否、その場に居た全員は衝撃のあまり声が出なかった。

(な、何故じゃ……一体どうやって奴は、最前線を突破(・・・・・・)したというのじゃ⁉)

 光点が現れた地点は、上級生と下級生の中間――最前線の、後方だった。


「エ、エドモンド……最前線での被害報告は、無いのじゃな」

「はい、発見報告すらこちらには来ていません……」

 あれだけの個体が前線を抜けたのに、被害報告はともかく発見報告すら無いと言うのはあまりにも不自然だった。

(儂らが、何かを見落としていた? いや、そんな事は後回しじゃ)

 早急に考えるべきは、リオプレウロドンが前線をどの様に突破したかではなく、どの様に奴に対応するか。コンスタンス老はそう判断する。

 彼は手元の端末を素早く操作して、下級生達の後方で待機している筈のウスマンに通信を繋いだ。

《コ、コンスタンス老⁉ どうして……》

「話は後じゃ‼ 急いでこの地点の近くまで移動してくれ」

 そう言って彼は、ウスマンの端末に捕捉したリオプレウロドンの位置情報を送る。

《りょ、了解しました‼》

 ウスマンはコンスタンス老の緊迫した様子から只事ではないと判断し、全速力で移動を開始した。提示された地点までは凡そ八百メートル。ウスマンの全速力で一分弱といった所だ。

《それでコンスタンス老、一体どういった事態で?》

 素早く海中を進みながらもウスマンが問う。

「単刀直入に言おう、レベル5が出た」

《……》

 通信越しでも、彼が絶句したのが分かった。

《レベル、5ですか………個体情報は?》

「リオプレウロドン、体長は9.8じゃ」

《……それまた随分と、大物ですね》

 リオプレウロドンの平均的な個体の体長は七メートル弱、今回の個体はそれを大きく上回っている。

海獣は基本、体長が大きい程厄介とされている。それは、海獣にとってその身体の質量そのものが大きな武器となりえるからだ。その大質量から繰り出される体当たりは、大型艦船でさえ一溜まりもない。

「ウスマン、正直に答えよ。お主が奴と相対して、どれぐらい持ちそうじゃ」

《討伐を考えずに回避に専念すれば、十分は持つでしょうね。それ以上は厳しいです》

 ウスマンは、コンスタンス老を除けば現在この学園都市の最高戦力に位置している。その彼でさえ、討伐など持っての外、時間稼ぎもあまり出来ないと来た。

「じゃろうな。良い、お主は時間稼ぎに集中せよ」

《了解しました》

 コンスタンス老は、隣に立つ守衛隊代表者に目をやった。

「上級隊員五名も、全員そちらに向かわせます」

「うむ。聴いたな、ウスマン」

《はい》

 これで戦力は六人。だがそれでも、今回の個体を討伐する事はほぼ不可能だ。B級のレベル5を討伐するには、平均的なA級海能者が一小隊規模で必要と言われていて、それだけの戦力は現在の学園都市には存在しなかった。

 討伐できなかったリオプレウロドンに攻撃を許せば、学園はともかく市街地が大きな被害を受ける可能性が否定できない。

「奴の動きはどうなっておる?」

「堂々とした泳ぎで、ゆっくり学園都市方面に進行中です。後方の下級生部隊と接触するのも時間の問題かと」

 もし、十分な訓練も受けていない下級生がリオプレウロドンと相対すれば重症は確実、死亡者が複数人出る可能性もあった。

「エドモンドよ、下級生達に戦線後退の司令を出すのじゃ」

「了解ですよ、学園長」

 一と二年生の統括会構成員に、後退司令を出すように促すエドモンド。

 それを見て、これでひとまずは安全か、とコンスタンス老がため息を吐こうとしたまさにその時。リオプレウロドンを追尾していたカメラの映像に、あるものが映る。

 錐体にも見える形のそれは、屈折率の変化によって輪郭が浮き出した圧縮水弾だ。

「こ、これは不味いです‼」

 映像を注視していた守衛隊の一人が叫ぶ。

 水弾は十分な速さで以て一直線に進み、リオプレウロドンの四つあるヒレの一つ――その先端部に直撃した。水弾は奴のヒレをその半ばまで貫いて……圧縮が解除されたことでその体積は一気に増大。圧力に耐えかねたヒレの一部が爆散した。

《ギュァ―――‼》

 スピーカー越しでなお大音量の咆哮が、司令室に轟いた。


『ギュァ―――‼』

 その咆哮は勿論だが、戦場となっている海中でも響き渡った。

『な、何事⁉』

 まさに海獣と戦闘中だったアーサリアは、反射的に咆哮の聞こえた方へ振り向いた。その隙きを突いて、海獣が一気に彼女との距離を詰める。

 幸い直ぐに気付いた彼女は、横に逃れる形で海獣の突進を回避した。すれ違いざまに首を一閃され、その海獣は拡散する。

 周囲に他の敵影が無いことを確認してから、咆哮の聞こえた方へ改めて振り向いた。遠目に見えるのは、先程まで相手にしていたのと同じ様な海獣の群れだけ。

 他に何か無いかと目を細めていた彼女の元に、後方支援に徹していた俊介が近寄って話し掛けた。

『おいアーサリア、さっきの咆哮聞こえたか?』

『ええ、あっちの方向からだったように聞こえたけど……』

 そう言ってアーサリアが、咆哮の聞こえた方を指し示す。その方向で間違い無いだろうと、俊介も同意する。

しかし、咆哮の発生源は一体何処なのだろう? そんな事を俊介が言いかけた時、一年生の戦域に司令船から発せられた音声が響く。

《司令部より緊急の指示です! 当海域で活動する全ての生徒は可及的速やかに後方へと退避してください‼ 繰り返します、当海域で活動する全ての生徒は可及的速やかに後方へと退避してください‼》

 ルルワの声は聞いた者に、非常に鬼気迫る事態が発生したのだと理解させるのに十分な切迫感を伴っていた。

『こりゃ直ぐに退避しないとヤバそうだな』

『ええ、同感よ』

 一年生が退避するということは同時に、この戦線が後退する事を意味している。そうすれば、討ち漏らした海獣に上手く対処できず都市部に被害が出る可能性もあった。

 司令部としては都市部には被害を出したくない筈、それでも戦線を下げるというのだから、それだけ危うい事態という事になる。

 そしてその事態というのが、先程の咆哮に関連することはほぼ間違いないと、この場の全員が確信していた。

 そのため周囲の同級生達は、正面から向かってくる海獣を適時相手にしながらも、かなりの速度で戦線の後退を始めた。

『ともかく、俺らも下がるぞ!』

『了解よ』

 二人はそんなやり取りをして、後退の姿勢に入る直前にちらりと、咆哮のした南の方に視線を向けた。

 その先に見えたのは、先程と変わらぬ海獣の群れ――否、それだけではない。

今まで相手にしてきた雑魚達とは一線を画する巨大な海獣が、凄まじい速度でこちらに向かって泳いでくる。

『あれが、緊急事態の正体って訳ね……』

 圧倒された様に、アーサリアが漏らす。

 姿が遠すぎて種類までは判別できなかったが、B級海獣であろうと当たりをつけることは出来る。恐らく、奴こそがこの群れの統率個体だとも。

 二人は後退しているのに、奴との距離は短くなるばかり。

『ちょっと不味くないか? このまんまじゃ追いつかれちまうぞ……』

『ええ、そうでしょうね』

 このままでは、一年生は奴に追いつかれ、甚大な人的被害を受ける事となる。事と次第によっては、十数人規模の人的被害を受ける可能性さえあった。だからといって二人は、自分たちに奴をどうこう出来るなどとも思っていない。

たとえ奴の注意を引いたとしても自分たちが一分と持たないだろう事、ともすれば一瞬さえ耐えられないだろう事を、二人はしっかりと理解していた。

『…ッ‼』

 体当たりをしかけてきた海獣を、アーサリアが両断する。

警戒のため周囲に視線を巡らせて、彼女は高速で前方へ進む人影を見つけた。

『ウスマン先生……』

 彼女は、奴へと向かって行く人物の名前をそっと溢した。


(これは中々、私には厳しそうな相手ですね……)

 相手を観察するのに十分な距離――とはいえ、相手が巨大な分それ相応に離れている――まで近づいたウスマンが、心の中でそう愚痴る。

 もっとも、そのような事は既に分かりきっていた事だ。

『さあ、貴方の相手はこの私ですよ‼』

 あえて気を引くように叫びながら、ウスマンは両手を勢い良く後ろに引いた。その手元に、圧縮海水で出来た無数の小型水弾が出現する。彼は水弾を保持した両手を、前方へ勢いよく振り抜いた。

左右の手に五個ずつ、合計十個の水弾は手の動きと連動するように加速し、最高速に到達した所で手元を離れる。それらは互いに合体し、一つの大きな水弾となってリオプレウロドンの胴を直撃する。

『ギュァ‼』

 水弾は直撃した場所を、僅かばかりに抉っていた。しかし問題ないとばかりに、奴は威勢の良い咆哮を上げてウスマンを標的と定めた。

 ギョロリとした大きな瞳孔が動いて、彼を真っ直ぐに見据える。

『ええそうです、こっちを向いてください‼』

 僅かに強張った顔を挑発するように歪ませて、ウスマンは気丈に声を上げた。

 右手からテニスボール程しかない小さな水球を発射して、彼は奴を誘導するように進路を変更する。

 奴は顔先の小さな鼻の穴から勢い良く水を噴射すると、ヒレを大きく動かして方向転換した。

(ここまでは狙い通りです。さぁ、私は何処まで耐えらるか)

 口を大きく開けて、捕食せんとばかりに襲ってくる奴の身体を大きな動きで回避するウスマン。これが持久戦である以上、無駄に細かな動きで脳を疲れさせるのは下策と判断してのことだ。

 更にすれ違いざま、彼は三つの水弾を叩き込む。

『ギャ‼』

 小賢しい、と言わんばかりに鳴いて、奴は俊敏な動きで旋回する。

 ウスマンはその動きを、身体の向きだけを動かして追う。いつの間にかその右手には、長細い柄と鋭い穂先を持つ、圧縮海水の長槍が握られていた。

『さぁ‼ ここからが勝負ですよ‼』

 ニヤリと好戦的な笑みを浮かべて、ウスマンが宣言する。それの返礼として、リオプレウロドンは再び咆哮を上げた。

 そして奴が、再び突進の構えを見せる。ウスマンは回避の姿勢を準備して、その視界にある物を収めた。

『なっ⁉』

 何ということだ、と彼は顔を歪ませる。

 視線の先にあったのは、撤退中の一年生たちから飛んで来たと思われる小さな水弾。恐らく、流れ弾だろう。

 奴を傷つけるには不足した、しかし注意を引くには十分な威力の水弾が奴の胴体に真横から命中した。


 カメラ映像で、流れ弾が直撃したのを見たカインは勢い良く席から立ち上がった。

「湘権、僕はちょっと行ってくる」

「え、行くってまさか⁉」

 その耳を疑う発言に、湘権はカインを引き留めようと手をのばす。しかしそれより早く、彼は駆け出した。

「ちょっ、待ってカイン‼」

「なっ、カイン君⁉」

 エドモンドもそれに気づき、一体どうしたんだと声を上げる。

「何処へ行くつもりじゃ‼」

 そう怒鳴りながら、コンスタンス老がカインの左腕――その制服の袖を掴んだ。

「……学園長、離してください」

 彼は振り返る事無く、うつむき加減でそう言った。離した途端に走り出す気なのは、誰が見ても明らかだった。

「何処へ行くつもりじゃと聞いておる」

 先ほどとは打って変わって、諭すように優しくコンスタンス老が問う。しかしカインは変わらずただ「離してください」とだけ返した。

「それは無理じゃ。お主を、あそこへ向かわせる訳にはいかん」

「……」

 沈黙。

「危険すぎると、何故分からん?」

 カメラ映像には、リオプレウロドンが一年生達に襲いかからんと加速している姿が映っていた。ウスマンは追いかけていたが、その速度について行けず距離が開いている。

「……僕は、首席です」

 カインは突然、そんな事を言った。

「僕が一番強いのに………知ってる誰かを、見殺しになんてしたくない‼」

 弱々しい声で、彼はそう絶叫する。

 今度は、コンスタンス老が沈黙する番だった。

「……離してください」

 三度目の要求――否、それは懇願とでも言うべきものだ。

「一つ、約束せい。絶対に、誰一人死なせぬのじゃな?」

 コンスタンス老は気づけば、そんな事を口にしていた。それが不可能だと、彼自身がなにより理解している筈なのに。

 いや、彼ならばやってくれるかもしれない。そんな期待が彼の中に生まれた。

「はい、絶対に」

 しかしカインは、揺るぎない声で頷いた。

 コンスタンス老が無言で、袖を掴んでいた手を離す。

「ありがとうございます」

 カインはそう礼を述べると、全速力で司令室を後にした。

 その背がとても頼もしく思えたのは、コンスタンス老が彼の正体(・・)を知っているからかもしれない。


(母上が知ったら、怒るだろうな)

 カインはこれから実行しようとしている事を考えて、そんなふうに思った。

 開け放たれた司令所の扉を潜り外に出ると、彼は全力で地面を蹴って跳び上がる。あっという間に、放物線の頂点に到達した。

 それから落下する筈の身体はしかし、空高くに浮遊したまま動かない。

 ――自己肉体操作。

 海能者は持たない、しかし双子は持っている特殊能力。己の肉体を自在に操るその力によって、カインは擬似的に浮遊しているのだ。

 彼は一気に加速すると、戦場となっている南の海上へと急ぐ。

(……到着するまで百秒弱。ルルワ、頼む)

 戦場に居るはずの妹に、彼は願った。自分が到着するまで、皆を守っていて欲しいと。

 彼の長い髪は、強風に煽られて激しく靡いていた。


 水弾の直撃を見たルルワは直ぐに、司令船の席から立ち上がった。振り返った先に居る玲衣と目を合わせて、彼女に頼む。

「レイ先輩、後をお願いします」

「お断りだ。私が行く」

しかし玲衣は、毅然とした態度でそう言い切って船室の扉を開ける。外のデッキに片足を出してから、彼女は今一度ルルワを見据えた。あえて語調を強めて、玲衣が命令する。

「君はそこに居ろ」

「いえ、お断りです!」

 予想外に鋭い返事に、玲衣は意外感を露わにした。しかし一転、彼女は口元に笑顔を浮かべると「そうか」と小声で返す。

「なら、一緒に行くぞ」

 一足早く、玲衣がデッキに出る。ルルワもそれに続いた。

一瞬で吹き抜けた風が、二人の髪を揺らす。

「覚悟は良いな?」

 デッキの端に立って、玲衣が問う。ルルワはそれに、力強い頷きと共に返答した。

「はい」

 彼女の真剣な顔を確認して、玲衣はその言葉に偽りがない事を確信する。ニヤリと口元に笑みを浮かべてから、彼女は躊躇いなくその身を投げ出した。

 それを見届けてから、ルルワも海に飛び込んだ。

 海中に入った二人は直ぐに、口から数多の気泡を吐き出す。そして空気と入れ替えるように、肺の中までを海水で満たした。

 それを終えた二人は、一瞬だけ視線を交わらせると急加速。その先にあるのは、一年生たちの方へ向かって突進する奴の姿だ。

 奴の正面に居る生徒達は、蛇に睨まれた蛙の如く体をこわばらせている。ルルワが予想するに、このままの速度では奴と彼らの間に割り込めてもかなりギリギリ。

『レイ先輩、お先に失礼します‼』

 ルルワはそう声を掛けて、ただでさえ早かった速度を更に増して玲衣を置き去りにする。

『おい⁉』

 彼女に遅れて、玲衣も加速した。しかし、ルルワの速度には敵わない。その事に、玲衣は内心で大いに驚愕していた。

 彼女は五年生の中でも、実技で第二位の成績を獲得している。

過去の統計から、一年生と五年生では能力の強さが二倍から三倍も違うと言われていた。にも関わらずルルワの能力は、五年生トップクラスの玲衣を上回ると言うのだから。

(ルルワ君……君は一体、何者なんだ)


 玲衣が内心で戦慄を覚えている事などつゆ知らず、先行したルルワはその両手に小さな水弾を一つずつ生み出す。そして十分に奴に近づいたと判断した所で、まずは右手を突き出してそちらの水弾を打ち出した。

水弾は僅かに屈曲した軌道を描いて、奴の頭に着弾する。

『ギュェ⁉』

 奴は憎々しげに声を上げて減速すると、ルルワの方をその大きな瞳で見据えた。しかし、優先度は低いと判断したのか奴は視線を前に戻す。再び加速して奴が同級生達に襲いかかろうとした瞬間、ルルワは左手を薙いでもう一つの水弾を発射する。

 奴の出鼻を挫くように、鼻先に命中した水弾。

『ギュァ――‼』

 今度こそ我慢ならないと、奴は怒りの声を上げる。そして顔ごとルルワの方を向いて、彼女を喰らおうと襲いかかった。

 彼女は軽やかな動きで奴の顔を躱す。その足先で、奴の口が勢い良く閉じた。あと一瞬でも遅ければ、足首の先を持っていかれていただろう。見ている者の肝を冷やす、ギリギリの回避行動だった。

 しかしルルワの顔に浮かぶ感情は、余裕。

『さあ、貴方に私の相手が務まりますか‼』

 挑発的な笑みを浮かべて、彼女は更に水弾を投げる。殆どダメージにはならない、しかし鬱陶しい威力に調整された水弾は奴の敵愾心を増大させ、その注意を自分(ルルワ)だけに向けさせていた。

 彼女に噛み付いてやろうと、奴が大口を開けて再び突進する。

 ルルワは舞いの様に華麗な所作でそれを回避、いつの間にか握られていた短剣で奴の左目を貫く。

『ギョァ―――⁉』

 走った激痛に、奴は大きく頭を振り回す。二メートル近くある頭部の質量は伊達でなく、直撃を受ければ骨折は間違い無い。場合によっては即死もあり得る。

『危ない⁉』

 追いついてきた玲衣が、思わず叫んだ。

 だがそれが届くよりも早く、ルルワは水の抵抗を感じさせない軽やかさで飛び上がる。その直後、彼女が立っていた場所を奴の巨大な頭部が通り過ぎた。

 奴に対して上方に陣取ったルルワは、何も持たない右手を勢い良く振り下ろす。五本の指先に生み出された水の針が、奴の背に一列に打ち込まれた。

『こっちですよ!』

『ギュァ‼』

 彼女は奴を見下ろしながら、ゆっくりと上昇する。その足に噛みつかんと追いかけるリオプレウロドン。

 追いつかれまいと勢いを増したまま、彼女は海面間近まで上昇する。そしてそこで急停止、奴は隙きを見せた彼女に食らいついた。

 だがルルワは、直前で更に上方へ移動しそれを躱す。閉じきった口の鼻先にその両足を置いて、上昇する勢いに任せて彼女は奴と共に海面から飛び出した。

 その瞬間、彼女は足をつけた鼻先を蹴って宙へ舞う。見事な後方宙返りの最中、ルルワは上下逆になった視界の中に自分の乗っていた第五司令船を収める。

 そこに降り立つ銀の髪を見つけて、彼女は笑った。

(兄上、お任せします)

 口の中は水でいっぱい、声は出せない。

 しかし、彼女の心の声を聞き届けたかの様に、その(カイン)は一つウィンクした。


 リオプレウロドンの巨大な図体が海面を打ち付けて、凄まじい水しぶきが飛び散った。押し寄せた大波が、カインの乗る司令船の船体を揺らす。

(任されたよ、ルル)

 空を舞っていた妹が静かに海へ潜るのを見届けてから、カインは舳先に踏み出した。果てない海を見据えて、その口を開く。

「父と」

 指を伸ばした右手で十字を切る。まずは額。

「子と」

 続いて胸。

「聖霊の」

 今度は左肩。

「み名によって」

 次は右肩。

「アーメン」

 最後に胸の前で、両手を合わせる。

――チリン。

僅かな金属音が鳴って、彼の胸元に輝く透明なロザリオがスルリと落下した。

落下途中のチェーンを掴んで、それを持ち上げる。

 眼前に十字架を掲げ、カインは集中するかのように瞳を閉じた。

「汝、求めに応え姿を現せ。我が半身――流麗たる海獣の王子」

 呪文――或いは祈りの言葉に反応して、透明な十字架が僅かに煌めく。

「其の牙は全てを貫き、其の泳ぎは海をも割く」

 何もしていない筈なのに、ピクリと十字架が跳ねる。

「大海を統べる巨獣の子よ、荒波に潜む破壊の子よ」

 十字架の中に、複雑な幾何学模様が浮かび上がった。

「今此処に顕現せよ‼」

 ロザリオが一際力強く反応を示す。その十字架は眩いばかりの光を放った。瞬間、強烈な風が吹いて、滑らかな銀の髪が大きく広がる。

 カインは瞳を開けると腕を振って、ロザリオを海へと放り投げた。

 それは緩やかな放物線を描いて、静かな海面に波紋を生み出す。

「〈海獣召喚(サモン・ビースト)〉」

 投げ込まれたロザリオは、強い力で引き込まれるように凄まじい速さで海の底へと沈んでいった。


『全員、奴から離れて‼』

 唐突なルルワの一喝に、奴の周囲を囲ってた七人――ウスマンと玲衣、そして守衛隊の上級隊員五人――は退避する。

 突然どうして⁉ と誰かが言いかけた時……。

『ヴァァ――――――――――‼』

 足元から大音量の咆哮が響いた。

『な、何事ですか⁉』

 それを聞いた全員が、反射的に音の発生源を向く。

『何で、足元から咆哮が……』

 戸惑ったように下を向いて、玲衣がそう溢す。

 聞き間違い、ではない。咆哮が轟いた時、奴は一切そういった素振りは見せていなかった。

『ギュァ⁉』

 リオプレウロドンもまた、突然聞こえた咆哮に戸惑いの鳴き声を上げる。

 足元を見ていた玲衣は己の視界に、ある巨大な存在を認めた。

『まさか……』

 海底の闇から悠々とした佇まいで顕れるそれを見て、誰しもがその顔を絶望に染める。ただ一人、ルルワだけを除いて。

 長大な樽型の身体から飛び出す二対四枚のヒレ、前肢のそれは特に大きい。その身は全く透き通っておらず、全体的に青白い色合いをしている。人を丸呑みにするのも容易いだろう大口には鋭い円錐形の牙が数多並び、細長く伸びた尾には滑らかな輪郭の巨大な尾ビレ。巨大な瞳は上方の獲物(・・)をただ見据えていた。

 その体長は、リオプレウロドンの倍はあると思われる。

『特A級海獣――モササウルス……』

 誰もが恐れる最強の海獣が、戦場に現れた。


《該当個体はA級海獣――モササウルスと推定。体長は約20.3メートル、脅威度はレベル5と推定》

 映し出された情報に、司令室には最早絶望の空気が漂っていた。

「そんな、バカな⁉」

 信じられない、とエドモンドは目を見開く。そしてはっと気付いて、猛烈な焦燥感に駆られて慌ただしく端末を操作する。

 小さな接続音が聞こえると同時に、彼は自分でも驚くほど焦った声を上げた。

「玲衣! 急いでそこから離脱して‼」

《む、無理だ……今、動いたら……奴の注意を、引くかもしれん》

 恐怖心を必死に押し殺した恋人(レイ)の声に、エドモンドは冷水を浴びせられた気分になった。足から力が抜けて、呆然と椅子に腰を落とす。

 何も持たない右手を見ると、生まれたての子鹿みたいにプルプル震えている。

《これ以上、話していては危ない……切るぞ》

「…ぁ」

 情けない声が、喉の奥から溢れた。

《エド……愛してる》

 最期を覚悟したかのような台詞が聞こえて、その音声が切れる。

「あぁ、私も……」

無情にも《通話終了(END CALL)》と表示された端末を机上に置いて、彼は項垂れた。

「会長、ダイジョブっすか?」

 この時ばかりは、無駄に調子の良かったウィリーの声も萎れたようだ。

「……そう、見えるかい?」

「いえ」

 無理やり繕った苦笑いで問えば、当然の様に返ってくるのは『No』の返事。

 ――せめて、最期の瞬間は見届けよう。

 そんな意地にも似た気持ちで、エドモンドは空中に投影されたカメラ映像の方を向いた。

 モササウルスの登場によって、そこに映る全てが動きを止めている。海獣も含めて。

《ヴァァ》

 モササウルスはそう鳴くと、前肢と尾のヒレを力強く動かして突進を開始した。それを合図にして、映像内の止まっていた時間が動き出す。

《ギュァ‼》

 リオプレウロドンが、周囲を囲む七人の内一人に向かって襲いかかった。彼、或いは彼女はそれから逃げるようにして、一目散に後退する。

 だが、それは悪手だ。

 海中の移動速度で海獣に勝てる通りなど無く、二者の距離はあっという間に縮まる。映像を見る誰しもが、ここで犠牲者が出るのだと確信した。

 だが、真下から急上昇してくるモササウルスによって、その確信は覆される。

 大口を開けて、モササウルスは獲物――リオプレウロドンの無防備な腹部に喰らいついた。

「なっ⁉」

 予想外の出来事に、エドモンドが驚愕の声を上げる。

《ギュァ――⁉》

 腹に食らいつかれたリオプレウロドンが、暴れながら声を荒げた。しかしモササウルスは、そんな事を意にも介さず、より一層顎の力を強める。リオプレウロドンは四肢をばたつかせて逃げようと試みるが、捉える顎は揺るぎもしない。

 モササウルスが、力強く尾ビレを振った。二体は共に加速して、凄まじい勢いで海面を破った。


 凄まじい水しぶきと共に、二体の海獣が飛び出してくる。

「ギョァ―⁉」

 リオプレウロドンが絶叫した。

 重力に引かれてその勢いが失われる中、モササウルスは顎の力を一気に強める。ミチミチと、骨の軋む音が響く。何かがひび割れるような、そんな音が聞こえた気がした。

「ギュォァ―――――⁉」

 断末魔の叫びを上げて、リオプレウロドンがその形を崩す。

 次の瞬間、奴の身体を構成していた圧縮海水の体積が元に戻って、強烈な破裂音と共に爆散した。数多の水滴が、大雨のように海面へ降り注ぐ。

 モササウルスの巨大な身体が海に戻る時、再び大きな水しぶきが上がった。


『ヴァァ―――――――――――――――‼』

 リオプレウロドンを仕留めたモササウルスが、勝利の咆哮を上げる。

 それは不思議な響きを持って、戦場となっているすべての海域に届いた。

 咆哮を聞いた海獣は不思議と敵対行動を止め、一目散に南の方へと去っていった。モササウルスもまた、一仕事終えたと言わんばかりの様子で海底の暗闇へと潜った。


 翌日、少人数の調査隊が派遣されたが、海底にモササウルスの潜んでいた痕跡の一切が発見される事は無かった。

 細かな砂に埋れたひび割れたロザリオには、誰も気づかなかった。

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