◇Prologue〈Flood of Rebellion〉
西暦二一〇六年二月二十七日、協定世界時午前九時。
昼間ながら空はどんよりとした雲に覆われ、その隙間から差し込む陽光が幾本の筋となって見えた。
土曜日の今日は、平日と比べて多くの人が街路を行き交っている。友人同士で盛り上がる学生達や、はしゃぐ子供を慈愛の表情で眺める夫婦。はたまた、休日出勤の所為で憂鬱な気分の会社員なんというのも居た。
その会社員はふと空を見上げると、怪訝そうな表情で自らの首筋に手を触れた。
「…雨か?」
彼がそう呟くと同時、無機質なコンクリートの地面にポツリと一つ小さな染みが現れる。再び、ポツリ。染みはどんどんと増えて、広がって、地面を征服していく。
通行人は皆、雨に気付くなり近くの屋根がある場所まで駆け寄った。念の為と折りたたみ傘を持っていた者は、荷物の中からそれを取り出して、何事もなかったかのように再び歩き出す。
実際、彼らにとっては突然の雨など何も起きていないのと同じだ。気象予報の発展したこの時代に予測できない雨は珍しいが、予報が必ず的中するわけでは無いと皆が知っていた。
近年、地球温暖化の影響もあってか気象予報というのは難しさを増している。一世紀前であれば百発百中だっただろう精度を持つ現代の気象予報も、ここ最近の異常気象には対応しきれていなかった。
だから、この雨もそうであろうと皆が思っていた。たまたま予測しきれなかった、ただの通り雨の様な物だと。
やがて雲は、より分厚くなって陽光を遮る。真っ暗になった空に一筋の雷が轟いた。
その地球を宇宙から見れば、異変は一目瞭然だった。
砂漠、密林、草原、大海原――あらゆる場所の上空を、分厚い積乱雲の塊が覆っている。最早地表は一切見えない。自転軸を中心に雲が渦巻くその姿は、さながら木星や土星に代表されるガス惑星だった。
雲の下では場所を問わずに、降水量の歴代記録を大きく上回る未曾有の大雨が降り続いている。海水面は日に日にメートル単位で上昇し、人類の築き上げてきた文明の跡が刻々と海の底へ沈んでいった。
この雨は、丁度十年間にも渡って降り続く事となる。その間に、地球を覆った雲が晴れることは一度もなかった。
海水面は凡そ七千五百メートルも上昇し、存在していた陸地のほぼ全てが沈んだ。大陸という存在は、完全に失われたといっていい。残された陸地は、元は世界有数の標高を誇る山々だった僅か四十九の小さな島のみ。当時百三十億人以上あったとされる人口は、僅か一億人程にまで激減していた。彼らの大半は、その生活の場を陸上から大海原に浮かぶ洋上艇へと移す事となる。
後に〈反故の大洪水〉と呼ばれるようになるこの天変地異を起点として、地球という惑星の有り様は大きく変わっていった。