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7話

そういえば夕食が、まだだった。

ユイを抱きしめながらぼんやりと思いついた言葉をそのまま口にした。

「ユイ、食事にしよう」

俺の大きめのシャツを着せて

ユイを抱き上げてキッチンへ連れて行った。

「温め直します。」俺の腕に触れながら

優しい声で伝えてきた。

その間にワインを出して2つのグラスに注ぐ。

念のためユイには林檎ジュースも入れた。

パチパチと燃える暖炉の灯りまで優しく感じる。

いつもの通りユイの好きなパンとチーズを切り分けて

「ユイ」と静かに声をかけながら渡した。

二人で「いただきます。」をする。ゆっくりと時が流れているのがわかる。目が離せない。ユイは目が合うと恥ずかしそうに少し微笑む。

こんな穏やかな時がこの先もずっと続いてほしい。

ただ食事を一緒にとる行為が、これほど幸せだとは知らなかった。食事が終わり、「ご馳走様でした。」と、ユイが食器を運ぼうとしたので、その手をとり「ユイ」と声をかけた。

まだ、足りない。全然足りない。

だが俺は帰ってから、まだ風呂に入っていない。

ユイと離れていたくも無い。つまり一緒に入るしかない。ユイを抱き上げてバスルームへ連れて行った。ユイの可愛い喘ぎ声と息遣いは外の雨にかき消されていった。


抱けば満足して眠れるかと思ったが

今度は、失う事が昨日より、もっと怖くなった。

だが、抱かずには居られなかった。

気付けば、ユイの事ばかり考えている。

限界だった。消えてしまったと思った。

バスルームでユイを見つけた時、本当はその場で抱きしめたかった。でも、ユイの驚いた顔を見て、俺だけが一人で盛り上がっている気がして、多分そうなんだろう。だからバスルームから出てきたユイに触れて、もし、ユイが後退りしたら

諦めるつもりだった。何としてでも我慢しようと思っていた。それなのにユイは「おかえりなさい」と言ってくれた。

考えるのを辞めた。

大切にするから。優しくするから。途中で一度でも拒まれたら全力で辞めよう。壊れてしまいそうだから。

雨に連れて行かれるその前に。

そう決めて実行に移した。

ユイは戸惑いながらも身を委ねてくれた。ユイの寝息がする。そっと、起こさないように抱きしめた。

明日、ユイと話しをして、これからの事を二人で決めよう。

ユイの髪を染めればきっと大丈夫だ。

家族になろう。

そうすれば守ってやれる。今よりもっとしっかりと大腕を振って守ってやれる。

国王から何としてでも守ってみせる。


昨夜から降り続く雨は、だんだんと激しくなっていた。

まさに土砂降りの雨だ。

もともと、今日は朝の時点で雨ならば

害獣討伐には出れないので

休みにすると部隊で決めていた。

この上なく喜ばしい天気である。

まぁ、たが、ラガーの世話をしないと。

今日はいつにも増してユイはぐっすり眠っている。

昨晩は、あまり寝かせてあげられなかったからだろう。

俺がベッドから出ても起きる気配が無かった。

良かった。雨は関係なかったようだ。

そのままバスルームへ。身支度を軽く整えて

眠っているユイの頬にキスをして

ラガーの、待つ馬小屋へ行った。

キッチンのテーブルの上の野花の小瓶。

後で水を変えておこう。

ラガーの小屋に小走りで入り

新しい藁と、新鮮な水と餌をやり軽くブラッシングをかけてやった。雨はだんだんと激しく雷まで鳴り出した。

ラガーは大雨なのに満足そうだ。「雨も良いもんだな。」そう言ってラガーをポンッポンッと撫でて、家に戻った。全てが違って見えた。何もかもが愛おしい。昨日の夕食の皿を洗いながらコーヒーとユイの紅茶を入れるためにお湯を沸かす。茶葉を取ろうと棚を見ると紅茶が無くなっている。なんだ?この違和感。テーブルに目を向けると、さっき馬小屋に行く時には有ったテーブルの上のピンクと白の野花を入れた小瓶が無くなっている。そう言えば、今、洗った昨晩の皿もいつもの二人分ではなくて一人分だったのではなかったか。洗い終わった皿を見る。

一人分だ。頭が割れそうだ。部屋が歪んで見える。

あぁそんな。慌てて寝室のドアを開けるとベッドは空になっていた。もちろんバスルームにもユイの姿は無かった。おかしな事に寝室に有ったユイの服も靴も帽子も、ハルの店の赤い袋も、歯ブラシも目にした途端、スッと、消えていった。消えたのが理解できる。女に関する全ての物が振り出しに戻ったかのように、この家から消えてしまった。

名前を口にできない。何故なんだ。

雨は嫌いだ。大切な人を連れて行ってしまうから。

これは流石に酷すぎる。女は服を着ていない。

何で消えるんだ。本当に無事なのか?

あの、女は。

女?

何を考えていたんだ?

あぁそうか、今日は朝から雨で討伐は休みだからユイと過ごそうと思って

「ユイ?」そうだ、ユイが消えた。クソッ。

目を離したからだ。だから消えたんだ。一度目、消えた時は雨が降っていてまだ寝ているユイの髪に触れると消えてしまった。次に浴室に現れた時、一度目と同じユイは眠ったままで、雨が降っていて話しかけたら目を覚まし、触れているのに消えなかった。身体を重ねていた時も雨が降っていたのに消えなかった。一晩中。そうだ。一晩中、微睡んでは何度も抱いた。そして今、雨は降っていたが、眠ったままにしてユイにキスをしてベッドから出た。戻ると消えていた。

駄目だ。

共通点がわからない。

こちらの世界に来た時は雨だった。だか、消える時の共通点も雨という以外何も無い。しかも雨の日でも昨晩はちゃんと居たじゃないか。

駄目だ。

すぐそこに答えが有るはずだが出てこない。まるで頭に靄がかかっているようだ。思考がまとまらない。

駄目だ。

慌ててキッチンへ行きテーブルに「ユイ」とナイフで彫った。ユイが戻っていないか再度、寝室へ行った。

こんなに殺風景な部屋だったか?何をしに寝室へ来たんだ?

今日は、仕事が休みだ。そうだ、読みかけの本を読もう。

確か栞がわりに紙を挟んでいた。ページを開けると蝶の形をした可愛い銀杏の葉が挟んであった。温かい気持ちになる。あぁ、きっとユイが作ったんだ。

そうだここにはユイがいた。

「ユイ」忘れたく無い。

そっと手に取る。

外が白く光り雷が鳴っている。窓に目をやると外は酷い雷雨だ。

「雨か」そう呟いて本に視線を戻すと

可愛い蝶の葉は手の平から消えていた。

雨の音がする。

コーヒーでも飲みながら、この本を読んでしまおう。キッチンで丁寧に熱々のコーヒーを入れベッドルームに戻ってきた。カップを手にしながら小さな声で「いただきます。」とつぶやいてコーヒーを一口飲み本を開く。

たった今、自分が口にした言葉で押し潰されそうになる。

消えてしまった。

大切な女を失ってしまった。

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