37話
レクサスと朝食を済ませて、一子に電話した。流石に七時は早すぎたかな?五回コールしても出なかったので切った。後でかけ直してみよう。レクサスと実家に行く事にした。祖父母は喜んで迎えてくれた。覚えてくれていた。「これで最後ね。」と、言われた。レクサスと一緒にこちらの世界に来たので、私はこの世界の異物と認識される。このまま、あちらの世界に行けば、もう移動する事は無くなると言われた。分かっていても寂しかった。今夜はいつも通り普通の夕飯を皆んなでいただきましょう。と祖母が言ってくれた。八時、九時と、一子の携帯に連絡しても電話に出てくれなかった。折り返しの連絡もこない。職場に連絡すると今日は代休で休みだと教えてくれた。胸騒ぎがする。急ぎレクサスと一子のマンションに行った。応答が無いので心配になって実家から一子の家族に連絡をして貰い、管理人さんにマンションのドアとドアガードを開けてもらった。眠る一子に声をかける。ただ眠っていたのではなかった。意識不明の重体だった。脳梗塞の恐れが高いので救急隊員の方達もかなり慎重に搬送してくれた。すぐに実家の総合病院へ搬送してもらい父と兄が直接担当した。勿論、私も白衣に袖を通した。脳梗塞か肺塞栓症、心臓弁膜症、狭心症からの心筋梗塞などを疑ったがCT血管造影 、心エコー図検査、換気血流シンチグラフィーでも見つけることが出来なかった。MRIも血液検査も細菌検査も、念の為にした薬物検査も何も出なかった。原因不明。手の施しようが無かった。このまま自発呼吸も難しくなる様なら人工心肺に移行する。それでも厳しい。と一子の家族に父が説明していた。絶望的だった。心臓が止まれば呼吸器では救えない。レクサスはICUの一番近い廊下の椅子に座ったまま動こうとしなかった。死に物狂いで調べても救う手立てが見つからない。昨夜の内に連絡してれば、もっと早くに搬送出来たのに。悔やんでも悔やみきれない。
何が有ったの?
ねえ、一子。
真守さんは直ぐに動いた。どんな方法を使ったのかわからない。その落雷で私とレクサスが移動する事は無かった。
恐らく祖母に頼んだのは間違いない。真守さんは病院から一人であちらの世界に行きアルを引っ張ってきた。アルの腕を握りつぶす勢いで掴んでいる。
怒り狂っていた。
「お前のした事を見てみろ!」ICUのガラス越しに一子は眠っている。
「糞ほど移動させやがって!」
「結果このザマじゃ!」
おじさんと修一さんが
真守さんを諌めた。
アルに八つ当たりをするな。と。
病院で騒いでどないすんねん。
「原因不明なんかあるわけないやろ!コイツが一子に手ぇ出したせいで…」真守さんは最後まで言葉にならなかった。
おじさんは「頭冷やしてこい。」と静かに諭した。
二人はアルの肩に手を置きすまないと謝っていた。
この状況に君は関係無い。アルは何も悪く無い。と言っていた。「こんな姿を見せてすまない。」
「真守の吐いた毒は全部こじつけや。堪忍したってくれ。」と。
アルは一言も話さなかった。話せなかったんだと思う。
ただ、真っ直ぐに立ち、ガラスの向こうの一子を見つめていた。私の父と話しを終えたおじさんは、そんなアルの傍に立ち肩に触れ「手の施しようが無いそうだ。一子は生きるのを終えようとしている。」とだけ伝え、「ここ任せて良いか?すまん。少し一人にさせてくれ」と離れて行った。
その夜、一度だけ一子は心室細動で心肺が停止した。エピペン投与と除細動器を施し心配蘇生を行った。一子!一子!声にならない。私は震える手で心臓マッサージを始めた。心電図のフラット音が小さくピーーーーーと鳴ったまま波形が戻らない。涙が溢れそうになる。ガタガタと手の震えが止まらなかった。すぐに怒鳴られた。
「手、震えとるやんけ!どけっ!変わる!」
「泣くなら出て行け!」
二人の声が木霊する。「チャージ」「離れて!」1.2.3.4.5……胸骨圧迫のカウント「上げろ!」「180」「チャージ」「離れて!」数を数える声と機械の唸る音「上げろ!」「戻って来い」「200」「チャージ」「離れて」「一子ちゃん、頑張れ、戻って来い。」
肝心な時に私は無能だった。
二分以内に自己心拍が再開した。
一子の時間は思っているより残されていないかも知れない。
アルは来た時と全く同じ位置で微動だにしない。
一子のお父さんが、医療スタッフに義理の息子で娘の夫だと言いきって「ワシは良いから代わりに入れたってくれ。」とICUに入れる様にしてくれた。父も兄もその気持ちを受け入れた。アルは指示されるままに無菌室に入るクリーンルーム用の無塵衣を着て一子の横に座り手を握っていた。アルから全く生気を感じない。ただなす術もなく一子の傍に居続けていた。
「厳しいな。人工心肺を繋げても、明日を迎える事が出来ないかも知れない。」父の言葉がグルグルと頭を廻る。今は私ですら、そう思うようになってしまっていた。
雨が降り出した。きっとそのうち雷も鳴るだろう。そしてアルとレクサスと私は一子を残したまま、この世界から弾かれる。あんまりだ。
雨だ。
イチコ。
雷も鳴っている。
俺は、しばらく離れてしまうけど
必ず逢いに来るから心配しなくて良い。
生きていてくれ。
もし、頑張っても難しかったら
そっちに逢いに行くから心配しなくて良い。
大丈夫。必ず見つけるから。
一緒に居よう。
凄まじい落雷がそれから暫く鳴り響いた。
窓の外は真っ白に光りバリバリバリバリと大きな音を立てていた。その間、イチコと一緒にアークランドの、俺の寝室と病室を何度か移動した。病室も寝室も地響きで揺れている。だが、それとは別に少しの間、横に揺れた。機材がガタガタ揺れるほどに。機材が倒れて当たるのではと、思わずイチコに被さった。落雷が酷すぎてイチコが息をしているのかすら確認できない。ヘアーキャップとマスクが腹立たしくて自分から剥ぎ取り床に投げ捨てた。
今、城の寝室に二人で居る。よりによって、こちらに移動した所で移動は止まってしまった。繋がれていた器具が消えた。イチコを死なせてしまう。誰か助けてくれ。誰か。声を上げる事も出来ない。涙が溢れる。死んでしまう。この世界では何もしてやれない。イチコの体を抱きしめた。
何でこんな事になってるんだ。
マモルの言う通りなのか。
俺が抱いた為に本来は移動すべきでないイチコが法則に反して移動する様になってしまいイチコの体を壊してしまったのか?俺がイチコを殺しているのか?
イチコが、大きく息を吸うのを感じた。「アル?」「泣いてるの?」
かすれた声でイチコが話しかけてきた。
嗚咽。アルが泣いている。
何で?あまりにキツく抱きしめられて苦しい。
「アル。痛い。」と伝えると「すまない。」と言って力を緩めてくれた。
アルの寝室。私のマンションから移動したのか。
「アル。大丈夫?」声を出すと何だか凄くしんどい。「声がかすれてる。水を飲んだ方が良い。」と水を持って来て飲ませてくれた。喉が凄く痛い。「アル?何そのカッコ。」
「ICUに、居た。一子の心臓が止まった。原因不明で。」「明日を迎えるのも厳しいかも知れないと、、、イチコの父上が俺を一子の夫だと偽って傍に居れる様にしてくれた。落雷が続き連続して移動した。この寝室で移動が止まってしまったので死なせてしまうと思い涙が止まらなかった。」と説明してくれた。「キスだけさせてくれ」と言われた。本当に軽いキスだった。「どこか痛い所は無いか?」と聞かれた。「あちこちしんどい。喉、痛い。」と言ってアルが何かを言っていたけれど眠ってしまった。寝入る寸前「泣かないで。アルのせいじゃ無い。」と、なんとか言えた。
イチコは少し話すと、元気だった時と同じ様に眠りだした。この部屋が少し肌寒いせいか時々モゾモゾして俺に擦り寄っている。ICUの時とは全く違う。あの姿を見た時、イチコの父上が言った言葉そのものだと理解した。「一子は生きるのを終えようとしている。」死んでしまう。それを止められない。体が反るほど器具を当てられハルやハルの家族に胸部を激しく押されていた。そんな乱暴をしないでくれ。辞めてくれ。と叫びたかった。説明されなくても分かる。あの時、一度死んだのだと。イチコの父上は、俺に別れの時間を与えてくれた。人は意識の無い最後の時でも耳だけは聞こえているから、伝えたいことが有るなら言っておきなさい。と言われた。言えない。別れが言えない。「大好きだ。」「愛してるよ。」「何もかも俺のせいだ。すまない。」
今は、明らかに普通に眠っている。寝入る直前に俺のせいでは無いと言った。聴こえていたのか。時々モゾモゾと動いて。無塵衣と上衣を脱ぎ、ベッドに入った。イチコの寝返りの度に抱きしめ直した。イチコの体温が暖かい。大丈夫。いつもの寝息。規則正しい心音。大丈夫だ。イチコの体に何が起きたのだろう。
移動が原因で死んだり体が弱ることは無いとハルの家族が言ってくれていた。「あちらの世界でも、こちらの世界でも、そんな症状は一度も聞いていない。」と。たまたまかも知れない。今迄は、たまたま誰にも何も起きなかっただけだったのかも知れない。イチコと離れるのが耐えられなかった。そのせいでイチコが死ななければならないのなら、やはりそれは俺の罪だ。「あちこち、しんどい。」と、言っていた。あまりにも、表現の範囲が広過ぎて良く分からない。日が昇ったら、こちらの世界の医師に診てもらおう。男だが王族の専属医に診てもらうべきか、それとも女医を手配すべきか。考えながら、どちらの医師に診て貰った所で、全てが無駄だと思っている自分がいる。分かる訳が無い。ハル達ですら手の施し様が無かったのだから。やはり女医にしよう。わざわざ男に触れさせる必要は無い。なにより女医の方がイチコも何かと相談しやすいだろう。症状に合った痛みを和らげる薬ぐらいは処方してくれるだろう。右腕に点滴の針の跡が左腕にも注射針の跡が残っている。俺は無力だ。
ノックの音がする。侍従と侍女が入って来た。
イチコが居るのを見て動揺している。
寝室に女が居た事は一度も無いので無理もない。
すまないが風邪をひいて喉を痛めているのでスープとなるべく柔らかい朝食を二人分用意してくれ。後、腕の良い女医を探して呼んで来たもらえないか。と小声で指示をした。
二人は速やかに出て行った。
イチコを起こしてしまった。
「おはよう。イチコ。」顔のあちこちにキスをした。
「結婚してくれ。」