2話
眠くて眠くて仕方なかった。それなのに
何か温かい大きなゴツゴツした手?
そう、手で耳を触られた気がする。
同時に「ふっ」と誰かの息と言うか声と言うか、それがあまりにも生々しくて一気に目が覚めた。
もちろん誰も居ない。怖すぎる。
幽霊???
生きた人間の方が何倍も怖い。すぐにベッドから出て玄関の鍵を確認しに行った。
大丈夫。鍵もドアガードもかかってる。
あーびっくりしたぁ。
しかし、リアルな感触。怖すぎ。まぁ、夢だし気にしないでおこう。七時か。
大きなあくびをしながら髪を一つに括り
夕食の用意をするため手と手首を洗っていると何故か左肩が少し痛くて左手前腕の内側に丸い跡が付いていた。
え?ボタン?イヤイヤ無い無い。Tシャツにボタンは無い。もしかして、ベッドにさっき脱いだシャツがクシャクシャになってるとか?イヤ、こんな大きさのボタンの付いてる服では無い。ベッドを確認する。上掛けをのけても何も無い。
何で?
とりあえず何か怖い。
怖いので考えるのをやめよう。気のせい。気のせい。絶対、気のせい。
さてと、簡単にパスタにしよう。大きめナス一本を一口サイズの乱切りにして、高リコピントマトは小さいので三個を半分に切ってから大きめのみじん切りに、100gのブロックベーコンは4〜5cmの長さで幅1cmぐらいの短冊切り、しめじ小1パックをほぐして、ニンニク一個は半分に切って芽を取り出してから微塵切りに、ナスを多めのオリーブオイルで炒めた後にしめじとトマトとソーセージとにんにくを炒めて濃いめのケチャップを入れてブラックペッパー少々とハバネロ数滴で味を整えて火を止めた。
後は湯でたパスタと合わせて仕上げにパルメザンチーズをかければ出来上がり。何だか、少し量が多い気がする。
雷が酷い。万が一停電にでもなったら嫌だ。
まぁ、このマンションで停電になった事は、まだ無いけど念のため、先にお風呂に入ろっかな?うん。そうしよう。
お風呂の用意をして浴槽に溜めてる間に歯を磨き、髪を洗い一つにクルッとまとめて体にかからないようにする。体を洗い終わると、ちょうどお風呂も溜まっていた。チャップンと湯船に浸かり「はぁー」っと息を吐く。バスダブの縁に右腕をかけて後ろにもたれて目を閉じる。やっぱり湯船に浸かるのは気持ち良い。極楽。
ゆっくり浸かろう。ボーっと何も考えずに。
人が消えるか?女が消えた。確かに居た。誰が何と言おうと女は居た。疲れて帰って来たら俺の家の俺のベッドに知らない女が居た。足が丸出しの、そこまで見せるならいっそ何も着なくて良いでは無いのか?と思うような格好の、長い黒髪の女が。女の眠っていた場所は確かに暖かかった。実在した証しだ。とにかく、湯にでも浸かって頭をスッキリさせよう。バスダブに湯をはり浴槽の縁に両腕を広げて左足はゆったり伸ばし右足の膝を少し立てて天井を見上げる。
外は相変わらず大雨で雷が鳴っている。
さっき起きたアレは何だったのか?
納得がいかない。おそらくこのまま、どれだけ考えても答えは出ないだろう。女が消えるあの瞬間なんとも言いようのないギュッと喉を掴まれたような感覚だけが残っている。
そんなことを考えているからか?心臓が急に早く鳴り出した。何かがおかしい。体が自然と警戒し呼吸が浅くなる。
ゆっくり、ゆっくりと右膝と右腕、右肩あたりと胸全体に、かすかな重みを感じる。
そして、そう。先程と同じ黒髪の女が徐々に現れ始めた。
俺の胸を背もたれにし、俺の立てた右膝を台座がわりに腕をを置き、俺の右肩あたりを枕代わりに黒髪をまとめた頭を預けて、また寝ている。今度は全裸で。
おい、おい、おい、おい。勘弁してくれ。
何がどーなったらこんなことが起きるんだ?
舐めてんのか?
「オイ、、、女、、、お前は誰だ?」自分の声が感情とは真逆に、あまりにも優しい言い方で穏やかな声だったことに驚いた。
全裸のせいだな。
ビクッと小さな身体が動いた後、断りもなく腕を乗せている俺の右膝を見つめ、たいそうゆっくりと顔を此方に向けた。黒い髪、黒い瞳。柔らかな肌の感触。
驚愕と恐怖。泣きそうな恥じているような、なんとも言えないその表情。俺が悪い訳では無い。勝手に現れたのだから。体は動かさないでおこう。
聴こえていないのか?
「どうやって、此処に来た?」返事は無い。
言葉が通じないのか?
「言葉はわかるか?」先に聞けば良かった。
消え入りそうな声で小さく
「はい」と、ようやく返事が返ってきた。
よし、言葉は通じる。
まぁ、状況は全くもって良くは無いが。
鎮まれ俺。
一人暮らしの私のマンションの、しかも玄関の鍵もさっき間違いなく確認した私のお風呂に知らない大きな男が居る。
いや、違う。ここはどこ?
陶器の浴槽?全く見覚えの無い広いバスルーム。
間違いなく、知らない浴槽に知らない男と浸かっていて、その男が背後から話しかけている。
英語でも無い、スペイン語とかフランス語とかドイツ語でも無い、聞いたことが無い言語。
パニクッて心臓が口から出そうになりながら
一生懸命グルグル脳みそをフル回転していると
なぜか何を言っているのか理解できた。
今の低く穏やかな声は多分「お前は誰だ?」と言われたと思う。
恐る恐る振り向くと茶色の髪に緑の目をした大柄な男が居た。
怖い。怖い。怖い。怖い。
息ができない。
「喋れるか?」とか「言葉を理解しているか?」みたいな感じのことを問われている。
両腕で自分を抱くようにギュッっと胸を隠して消え入りそうな小さな声で返事した。「はい。」
人生初の過呼吸。
頭がグラグラする。逃げないと。でも、どうやって?
のぼせたのか熱いし息苦しいし何がなんだかわから無いし。
私の心臓は暴れまくっている。
すると「大丈夫か?落ち着け。」みたいなことを言ってきてゴツゴツした男の手が両肩を掴んだ。体が強張る。
さわらないで!!!!!言葉が出ない。凄く怖い。
知らない男と素っ裸で、男に椅子みたいにもたれかかっていたなんて。
「ったく。」と言いながら男が浴槽から出たため
その勢いで体が滑りゴボッとバスダブに飲み込まれた。
パニックになり手を伸ばし枠を掴む。鼻にお湯が少し入って鼻の奥がツーンとして、かなり痛い。涙が出そうになるのを堪えながら顔を上げると、両手を引っ張られ立たされ「大丈夫か?悪かった」っと困ったような顔で言われた。
何!!!!
顔も体も近すぎ。
両手が使えない。
体を隠せない。
何故、立たせたの?
最悪。
手を離された瞬間に裸を見られたく無くて手で体を隠した。
男はラックから取り出した大きな布を肩から掛けてくれた。
そして自身も腰に大きな布を巻くと私を抱き抱えてドアを開けスタスタとベッドの上へ運んでいった。
ベッドにちょんっと座らされ、愕然としていると。
生成りの大きな長袖のシャツを手渡された。
え?「あの、ありがとうございます。」
通じているのか分からなかったけど、多分なんとなく伝わった気がする。
優しそうに頷いてくれたから。
そーゆーわけで、全裸を見られベッドに運ばれ布を巻いて座っている。
本当に最悪。
男はそのまま部屋を出て行き、すぐにコップを手に戻ってきて、手渡してくれた。中には冷たい水が入っていた。
喉が乾いていたので、有難うございます。と言って素直に飲んだ。
私が飲み終わると、空のコップを受け取りながら何か言ってきたけど、さっきは、あれほどはっきりと「大丈夫か?悪かった」って理解できた言葉が今度は全く理解できず
困って首を傾ける。「ごめんなさい。わかりません。」と言って少し首を左右に振った。男は頭を少し掻いて
また、何かを話してきた。私が理解できずに首を傾けながら「ごめんなさい。」と言うと、引き出しから服を取り出し、
そのままドカドカと部屋から出ていってしまった。
どうして良いのかもわからず体を拭いて手渡された大きなシャツを着た。膝の上までの長さが有った。髪の水分を布で押さえるように取りながら手櫛で緩く絡まりをほぐした。ドライヤーは無さそう。
この部屋は少しひんやりする。
大人しくベッドに座って、改めて部屋を見てみると
大きな窓が1つと先程、服を出した木のチェストが2つ。その横にワードローブクローゼットが1つ。全身が映る鏡が有り
どことなく「ザ・よその国」っぽい。
ベッドは大きく、枕は4つも有りベッドの横には小さなテーブルに金色の取っ手がついた透明のガラスのシンプルなランプが置いて有る。天井に電気は無い。
余分な物が無くモデルルームみたいで、生活感が感じられない。
私のマンションより断然綺麗に片付いている。
先程のバスルームとは扉一つだけで続いてて
この部屋が一階なのは窓の外の木と地面が、同じ高さだと教えてくれる。
しかし凄い雨。
しばらくすると先程の男が今度は服を着てやってきた。
何かを言っているが、さっぱり理解できない。
集中して聞いてないと理解できないみたいで
先程のように私の脳は翻訳してくれなかった。
聞いていても、どうして良いのか分からず
先程と同じように少し首を傾ける。「あの、本当に言葉がわからないんです。」と言ったら何か言われた後
スタスタと寄ってきて、慣れた感じで
ヒョイっと抱えられて別の部屋に運ばれた。
びっくりして体が硬直した。
あーー多分、歩けるか?とか?言われたのかな?
キッチン?この状態で、まず食事をしようと考えるなんて、よっぽど空腹なんだ。この人は。
暖炉にはパチパチと焚火が燃えている。
ブラウンシチューみたいなのとゴツゴツした大きな茶色い丸いパンと大きなチーズの塊がバスケットに入れてあった。
木のテーブルに木の椅子。まるでテーマパークの部屋みたいで思わずホワーっとなってしまった。
何がどうなって、こんな事態になっているのか
全く分からないけど、この美味しそうな香りでお腹が空いていたことを思い出した。それぐらい魅力的な香りだ。
せっかくなので、いただくことにしよう。
スッと手を合わせて小さい声で「いただきます。」と言ってから、まずシチューっぽいのをいただいた。見た目も香りも美味しそうなシチューっぽいのは "ザ・食材そのままトマトで煮込みました。何か文句ありますか?" って感じで、味が微妙だった。きっとアクも取っていないのだろう。苦味が少しある。とにかく失礼の無い様に残さず頑張って食べよう。
スライスしたパンにバターを塗り、切ったチーズを乗せて渡してくれた。
パンは噛みごたえがあり美味しい。もっちり、しっとりしていて、周りがカリカリで香ばしい。さらにチーズが濃厚で、旨味と甘味と塩味が有り濃厚でとっても美味しい。そして、困った事に、このパンの上にチーズを乗せて食べるのが凄くあう。
噛めば噛むほどパンの旨味とチーズの旨味が口の中に広がる。とにかく夢中になるくらいチーズとパンの組み合わせが美味しかった。
あまりに食べた時の顔が良かったのか
何か言いながら優しい顔でさらにチーズと丸パンを切り分けて渡してくれた。私も人の事は言えない。こんな状況で幸せな気持ちで口いっぱいに頬張って食事をしている。コップには林檎ジュース。グラスには恐らく赤ワインが入っている。どこぞとわからない場所で、しかも知らない大きな男の家で言語も全く理解できない状態で、流石にアルコールは遠慮したい。飲まないと失礼かなと林檎ジュースを飲みながらワインの入ったグラスを眺めていると、男はまた何か言った後に少し笑いながら私の方に置いていたワインを飲み干した。
食器を重ねて流しに運んで行ったので
慌てて立ち上がり身振りで洗いますって伝えようとしていると、キョトンとした表情で暫く眺められていたが
そのまま食器を洗っていたので、袖を捲り洗ったお皿を私が水ですすぐ流れ作業になった。
水道が有るのはありがたい。しかもお湯が出ている。
洗い物が済むと、また抱えられバスルームへ、
歩けるんですけどって言おうとして口にするのを辞めた。
多分、通じない気がしたのと、この家は靴を履いたままで歩くことに気がついたから。
先程のバスルームに連れてこられた。
そして手渡された、これはまさしく取手が木で出来た歯ブラシだ。おそらく豚とか馬とかの天然毛で出来た感じのブラシの部分にミントの香りの歯磨き粉を小さな丸い入れ物から付けて渡してくれパタンと扉を閉めて一人にしてくれた。すべての用を済ませてバスルームから出ると、彼はベッドで本を読んでいた「あの、ありがとうございます。」って伝えた。少し笑いながら頷くと、入れ替わりでバスルームに入っていった。
外は変わらず大雨で、これからどうすれば良いのか
不安で泣きそうになった。この大きなベッド、知らないはずなのに、何故かこの毛布の肌ざりに身に覚えが有る気がする。ぼんやりそんな事を考えていると男がバスルームから出てきた。今、気が付いた。彼の上着にはコルクの様な木の様なボタンが、いくつか付いていた。
私の左腕内側に付いていた丸い痕の大きさと同じぐらいの。
思わず左腕をさするとそこに有ったボタンのような痕は当然、消えていた。
ゾワッとした。