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愛のコンチェルト

作者: 原一文

 愛のコンチェルト

   


1988年10月の大連は異常に暑かった。毎年涼しかった秋は今年なかなか来なくて、夏が10月にのびたようだ。人々も心がせわしく動いて、激動な時代に期待、希望、喜び、憤怒など全ての感情が一斉に社会に溢れ出していた。中国は文化大革命の反省から改革開放に切り替えて、政治もある時右、ある時左、色々なことを模索している時代だった。長い間乾いた土地はやっと雨が降ってきたように、文学、音楽、愛情など今まで禁断されたことが急に人々の心を潤ませてきた。大学生になった王進もデートする先輩達を憧れていた。その時期、王進は日本の留学生ゆりに出会った。

 王進(おうしん)が初めてゆりを見たのは大学二年の大学文化祭のコンサート会場だった。王進の大学は大連科技大学だった。郊外に立地していて、中国での知名度がランキング十位くらいの立派な大学だ。千人座れる音楽ホールは一万の学生を持つ大学にとって、かなり狭苦しい感じだった。この音楽ホールは文化祭のメイン会場だ。プログラムとしては、歌、詩の朗読、相声(シャンション)(中国の漫才)、楽器演奏等。王進は特に人前に立つのが苦手だったが、ルームメイトの楊民(ようみん)に無理矢理相声(シャンション)をやらされた。

  王進は一七〇センチぐらいでクラスメートの中で身長は普通の方だった。体が丈夫だが、顔がハンサムではなく、かといって醜くはない、人混みの中ですぐ見失われる特徴のない顔たちである。楊民は上海の出身で、父親が政府のエリートらしい。難関高校を卒業した楊民はルームメイトの中で一番賢く、一番ハンサムだった。学校の成績が勿論常にトップだったが、ピアノ、社交ダンス等にも精通し、文武両道だった。端正(たんせい)な目鼻立ちで、颯爽(さっそう)たる風姿(ふうし)である楊民は、まるで俳優のように、女性にすごく人気があった。一年間で、彼女が代わる代わる三人もできた。女の子をデートに誘ったら、断られた実績がないらしい。不特定な女性と出掛けることも多く、本人も今彼女がいるかどうか分からないようだ。楊民はいつもピアノ演奏を披露するが、今年相声(シャンション)が流行っているので、楊民は王進に無理矢理頼み込んで、今年の文化祭会場で二人で相声を披露した。

楊民はボケ役で「今日は相声(シャンション)を披露する楊民です。隣の者は省略させてください。」

「まてよ、名前ぐらい紹介してね」と王進はツッコミ役だった。

「そんな紹介しても覚えられないから」扇子で王進の頭を叩いた。

楊民はさらに「二人は若手で、年齢合わせても五十歳です。ちなみに私は今年十九歳です。」

「ちょっとまて、計算合わないよ。合計五十歳です、君は十九歳、私は三十一歳ですか?十九歳なのに」

「その顔は三十歳以上でしょう」楊民はさらに王進の頭を叩いた。こう言う感じで進行していた。王進はただ筋合わない相槌を入れて、楊民に扇子で頭を散散叩かれただけだった。

王進はちっとも面白く感じなかった。しかし、会場では笑い声が溢れていたので、盛り上がった雰囲気は王進を慰めてくれた。

 次々にプログラムが進行して、司会が

「次のプログラムはピアノ演奏「愛のコンチェルト」、演奏者日本の留学生小沢ゆりです。」。

拍手の音を踏まえて,小沢ゆりは登場した。ふんわりとした深緑(ふかみどり)のドレスで歩くたびに綺麗に大人の魅力が揺れていた。渾身で優しい雰囲気に、上品な印象を演出した日本の女の子だ。王進はさっきまで相声(シャンション)に出演することを後悔していたが、今、出演したおかげて、一番前の席に座れて、近くでゆりを見れるのが嬉しく思った。王進の全霊はただ一目でこの美しい才気(さいき)みなぎる、やさしさあふれたゆりの容姿(ようし)に吸い込まれてしまった。ハイライトがゆりの深緑のドレスを照らして、その反射された緑の光の粒が音楽に合わせて、優雅に会場に漂っている。(はかな)げで美しく、(しと)やかなメロディーが会場全体を抱き込んで、優しく空に舞い上げていく。王進は初めて音楽に、初めて女性に感動した。心臓がどうしょうもなく高鳴っている。とても恥ずかしくて、同時に楽しくもあり、それまでに経験したことがないほど気が高ぶっていた。ゆりを昔も知っているかのように、一緒に海辺で散歩した光景、一緒に月を眺めた光景、抱いて泣いた光景、何故かリアルに脳裏に映されていた。今まで、花鳥風月(かちょうふうげつ)を知らない王進の心に、愛のダムが放流されたのように、波が怒濤(どとう)に湧き出した。ついに、涙も溢れ出た。王進にとって、一生忘れられない曲「愛のコンチェルト」だった。

  

少し我に返った王進はまた泣いたこと対して恥ずかしくなった。 小さい頃はよく「泣き虫」と言われた。なぜが王進は村でよく悪ガキに殴られたり、夏に泥を顔に塗られたり、冬に雪玉を投げられたり、お父さんの昔の解放軍の帽子をかぶるとき、奪われたりして、いじめられた王進は泣きながら、家に帰るとき、母にいつも抱いてもらった。

「泣いていいよ、よく泣く子が優しいから。」と慰められた。

「なんで皆がぼくを嫌がる?」

小進(しょうしん)を嫌がるんじゃなくて、うちの成分を嫌がっている」母はいつも「小進」と王進を呼んでいた。

「うちの成分?」王進は意味がわからなかった。当時の中国では、階級闘争によって、人が階級成分に区別された。資産がなく、無産階級がいい人で、土地を持っている地主は一番悪い人と見なされた。

「小進のお爺さんは地主だから」

「地主は皆が悪い人だ、お爺さんも悪い人?」地主が皆悪い人と(おそ)わた王進は戸惑った。

「いいえ、地主も皆が悪い人じゃないよ、お爺さんはいい人。小進が大きくなったら、そのうち分かるよ」

王進は大連から五百キロ離れた鉄嶺(ていりん)という所に生まれた。王進のお爺さんは牡丹江の郊外の地主だった。王進のお父さんはお爺さんに反抗して、18歳のとき大学をやめて、共産党に参加した。建国後、王進のお父さんは瀋陽市政府の宣伝部幹事になったが、「反右運動」で追放された。「反右運動」は1956年、毛沢東が行った政治運動だ。まず、共産党に意見を述べてもらい、それから、意見を述べた方を鎮圧したという運動。王進のお父さんは当時若くて、自分の能力をアピールするために、会議で共産党に意見を述べた。それで、「反右運動」で失脚した。且つ、お爺さんは地主のため、王進のお父さんは「反動派」「人民内部に隠した悪い人」「地主の犬の子」とかレッテルが貼られて、鉄嶺の農村で、労働改造という名目で働かせた。王進が生まれたとき、もう十年間くらい農場で働いた。王進は姉が居て、「文化大革命」が始めたとき、ちょうど中学生だっ た。たくさんのクラスメイトは「紅衛兵(こうえいへい)」になった。「文化大革命」というのは、1966年,毛沢東は〈資本主義の道を歩む実権派〉によって中国の社会主義を修正主義に変質させられたと確信し,これら〈走資派〉を一掃し,修正主義化を防止する目的をもって,プロレタリア文化大革命(文革)を発動した。毛沢東を支持する学生グループは「紅衛兵」という組織だった。王進の姉は「紅衛兵」を憧れて、何度も申請して、「紅衛兵」に加入しようと思ったが、階級成分が地主のため、却下された。

王進のお父さんは中国の古典文学が好きで、農民になっても、家の中に沢山の歴史小説などがあった。 当時、共産党を褒め称える物以外のほとんどの小説は「毒草」として禁止させていた。文化大革命が始まったとき、「紅衛兵」達はたまに「走資派」の家の中に押し入れて、犯罪の材料を探していた。その時、「毒草」など小説を読むのも、罪になるので、王進のお父さんは心配して大部分を焼いたが、一部貴重な物がこっそり隠されていた。王進は小さい頃、いつも家族の歴史問題で、いじめられて、あまり外で遊べなくて、家の倉庫に隠された小説にはまって、古典文学三昧の生活を送った。


 一九八七年に入学して、二年生になると王進は八人のルームメイトとすっかり馴染(なじ)んでいた。狭い部屋に二段ベッドを無理やり詰め込んだ八人部屋の寮で毎晩「臥談会(うぉたんへい)」[ベッドに横になりながらの語らい]を楽しんでいた。大体の話題はどこのクラスの女性がきれいとか、どうやって口説いたらいいとかで、田舎出身の王進は、はずかしがって、ルームメイトの談笑(だんしょう)をいつも黙って聞いていた。「臥談会」で活躍の人物は楊民と劉意東(リュウイトン)だった。劉意東(リュウイトン)はルームメイト中で一番年上の子で、ぽっちゃりした丸顔を持ち、キラキラな目の中に激動な(みなもと)伏在(ふくざい)してる。身長が低いが、足が速いため、サッカーチームのフォワードだった。しっかりしているので、クラスの班長と学校の学生委員会の役員として務めている。入学の時、右も左も分からない王進を救ってくれたのは劉意東(リュウイトン)だった。それから、劉意東(リュウイトン)は王進にとって、頼もしい存在となった、王進にいろいろを教えた。

「きのう、文化祭でピアノを演奏した小沢ゆりと、だれか連絡取れる?」楊民が皆に話しかけた。

「あの日本から来たかわいい子?」と劉意東(リュウイトン)の目が輝いていた。

「手懸かりがないね」

「あの演奏がすごい、才色兼備ね」

「ガールフレンドになったらいいな」と劉意東(リュウイトン)はいつものように妄想(もうそう)している。

「日本語もできないし、無理だよ」

「まず、留学生になかなか会えないし。」

「留学生寮の外で待ち伏せしたらどう」劉意東(リュウイトン)はゆりに会いたい気持ちが隠せなかった。

「留学生はかならず食堂にいくから、留学生寮と食堂の途中で屋台を出し、はがきを売ろう」楊民のアイデアは常に斬新(ざんしん)だった。

八十年代中国全土が商売の風潮になって、権力を持っている人がその資源を利用して、自分の利益になるように、商売をしたりしていた。権力に無縁の民衆も物を仕入れして、他所で販売したりしていた。学生達もアルバイトするところがなく、まとめてはがきを買って、バリ売りしたりしていた。 

「いいアイデアだ」

「やろうやろう」

「王進」楊民が王進に声かけた。「明日四時半、先に行って屋台の用意をしてくれ、五時は食堂がオープンするから、小沢ゆりが五時以降、かならず通るから」

「はい」。王進は楊民の手伝いができて喜んでいる。

 王進は温厚篤実(おんこうとくじつ)な人物で、よく家で農家の仕事を手伝っていた。だれかが物を運ぶとき、いつも王進に手を貸してもらう。王進も頼まれたら、すごく喜んで引き受けるので、だんだんと皆も力仕事はすべて王進のやるべきことだと思うようになった。屋台を出すのも、王進が何回も手伝った。屋台といっても、だた勉強机を一つ、道沿いに持っていくだけで済むことだったが。

 翌日四時半を過ぎた頃、王進が寮の勉強机を片付けて、屋台を出しに行くとき、

「ごめん、はがきも一緒に持っていってくれる?」ボンと、箱詰めされたはがきが机の上に置かれた。楊民だった。

「いいよ、まかせて」無邪気な笑顔を浮かべ、王進が答えた。

 屋台ができた時まだ誰も来ていなかった。まだ早いので、食堂に行く人も殆どいなかった。楊民が仕入れてきたハガキは、大連の青い海の風景、レトロな街並み、科技大学のキャンパスの風景など、どれも新入生達のお気に入りの物だった。ほとんどの新入生は別れたばかりの友達にハガキを送るのは一九八〇年代の習慣だった。はがきを並べてから、ルームメイト達が販売にくるのを待ていればいい。王進はルームメイトのようなに大声をあげて売りさばく事ができない上に、女の子をくどく気持ちも毛頭なかった。五時になると、校内放送が始まって、「愛のコンチェルト」が校内に響き渡った。

 王進は音楽に耳を傾けながら、机の下のはがき箱を整理してるとき

「これは・いくら・ですか」

 すごくゆっくりとした喋り方で聞かれた王進はびっくりした。見上げると、夕日に染められた長い髪の毛が、風の中でゆらりとしている。風と共に淡いせっけんの香りが漂って、「愛のコンチェルト」のメロディーと混ざり合って、王進の全身に絡み合った。

 ゆりだ。すぐ解った。白い陶器に薄紅を刷いたような肌で、マシュマロのような柔らかい頬を持ち、そのうえ、輝いている三日月のような目。王進はゆりの微笑みの中から(みじ)み出てくる優しさに胸を打たれた。王進の顔が真赤になった。慌てて「いくらかな」と頭を掻いた。ゆりは少し頭を傾けて微笑みながら、王進を待っていた。王進はハガキを売ったことがなかったが、チラッと一元と聞いた気がして「一元かなあ」となんとなく答えた。

「安いね、じゃあ三十枚ください」

「ありがとう」

 三十枚のハガキをまとめながら、ことばを探った。何も出てこなかった。ハガキの束をゆりに渡した。

百合は会釈(えしゃく)して、微笑みながら、

「ありがとうございました」と去って行った。

結局、王進は何にも言えないままゆりが遠くへ消えるまで見送った。「日本から来たの?」「この大学慣れた?」「困っていることある?」といろいろ聞けたならよかったが、何も聞けなくて悔しかった。しかし、最も悔しいと感じるのは劉意東(リュウイトン)だった。

「ゆり、もう行っちゃった?くそー、会いたかったのに」

「王進、ハガキを売った?」楊民は聞いた。

「三十枚三十元で売りました。」

「うそ、それは一枚三元のやつ。一元のはこの小さいやつだ」

「ごめんなさい」王進は慌てて謝った。


 第二外国語である日本語の授業は大人気だった。二百人の大きい講義室はほぼ満員になった。王進とルームメイト達は全員日本語の授業を選択した。道でゆりにばったり会った時、皆は陽気になって習ったばかりの日本語で挨拶するようになった「こんにちは」「さようなら」。ゆりは最初に少し戸惑(とまど)いながら、軽く会釈(えしゃく)して、笑顔で「こんにちは」と日本語で挨拶してくれた。何回か会ううちに、ゆりからも手を振ってくれるようになった。ゆりに会った日の夜の「臥談会」はかならずゆりの話題になった。

「 おいおい、みんな聞いて、今日ゆりが俺に手を振ってくれたよ」。

「違うよ、俺に振ったよ」

「違うよ、違うよ、俺だよ」

 劉意東リュウイトン軽蔑(けいべつ)的な微笑を浮かべながら、揉めごとを止めて、

「それはいいから。Gentlemen,Your Attention Please,(皆さん聞いて)。ただ今、小沢ゆりの情報を発表致します。

 小沢ゆりは千葉大学三年生、交換留学で一年勉強する予定らしい。実家も千葉市にあるようだ。」

 劉意東リュウイトンは声を低くして「極秘情報を手に入れたぞ、ゆりがよく自習する教室はーー」

 皆は耳を澄ませて聞いた。

 劉意東リュウイトンはさらに低い声で「三〇一教室だぜ」。

「さすがだ、役員だ」

「すごい」

 王進はいつもの通り、笑いながら、聞いていた。その晩も淡いせっけんの香りと共に「愛のコンチェルト」に包まれた夢をみた。

 大学の教室は一〇〇人以上の講義室も有れば、三十人から八十人が入れる教室もある。授業に利用する以外、どれも自習室として学生に開放している。三十人までの小教室は一番人気があった。三〇一室は二百人座れる講義室で、普段なら七十人くらい自習で利用しているが、なぜが今年から、人気があって、百五十人ほど利用するようになった。

 ルームメート全員が三〇一講義室に通い始めた。ゆりはいつも真ん中の列の窓辺に座っていた。楊民はいつもゆりの後ろの席に座っていた。たまにゆりに声かけて、消しゴム、定規等を借りたりしていた。劉意東(リュウイトン)が真ん中に座っていた。王進は逆の廊下側を選んだ。特に声をかけようとは思っていなかった、ただちらっとゆりがみえるだけで、温かな気持ちが心から湧き上がってくる、その感じが好きだった。

 ある日、王進は自習が終わって、教室を出るや否や、ゆりが声をかけてきた。

「すみません、この前ハガキを買った者ですが、またハガキが欲しいです。まだありますか?」ゆりがだいぶ流暢な中国語で聞いてきた。

「あるある」王進は慌てて答えた。

「何枚欲しい?」後ろに楊民の声が聞こえた。

「十枚ください」ゆりが戸惑いながら答えた。

「いろいろお世話になったから、俺の余った物をあげるよ。」と楊民は颯爽に答えた。

「そうだ、俺は楊民です。こちらは俺のルームメイト王進です。」

「俺はルームメイトの劉意東(リュウイトン)です」劉意東(リュウイトン)が急に後ろから現れた。

「私は小沢ゆりです、お金を払いますから。よろしくお願いします」。ゆりはお辞儀した。

「よろしくお願いします」三人も真似して一緒にお辞儀(じぎ)した。

「じゃ、またね」ゆりは軽く会釈(えしゃく)して、にこやかに笑って、足早に去っていた。

 楊民はゆりを追った。

 しなやかで美しい後ろ姿が王進の心の中にカメラのように焼き付いた。そのまま動かず、ゆりが階段を曲がるまで見送りして、淡いせっけんの香りの余韻を楽しんでいた。

 それからしばらくの間、毎回自習が終わって教室から出る時、

「またね」廊下を歩いているゆりが手を振ってくれた。

「またね」王進はゆりの後ろ姿に手を振りながら見送った。楊民はいつものようにゆりの後を追いかけた。今日もきっとゆりにまた用事があるようだ。

「楊民は積極的だね」劉意東リュウイトンが王進の後から呟いた。

 ゆりが階段へ曲がる時、振り向いて王進に微笑んだ。王進は幸せと嫉妬の感情がひしめき合って心がいっぱいになった。その夜、脳裏に焼き付いた嫣然一笑(えんぜんいっしょう)しながら、手を振ってくれたゆりの姿が何度も目に浮かぶ。朝、目覚めてもその姿を思い出し、いつの間にか「愛のコンチェルト」が響き渡っている。


 王進はサッカークラブに所属している。普段、勉強に力入れているせいが、サッカーの練習はよくサボっていた。実力もイマイチだった。試合の時、目立つパフォーマンスがほとんどなかったし、ボールをパスしてくれることも少なかった。劉意東リュウイトンは同じチームのフォワードで、「ショット王子」とニックネームが付けられたほど大活躍していた。観客席では劉意東リュウイトンの名前を叫び応援する声が飛び()うが、王進に対する声援は殆ど聞こえない。その中に「王進、頑張れ!」と鈴の()がシャリンと鳴り響き、ほかの声援が掻き消され、ゆりの応援だけが聞こえた。そしてその声が王進の身体(からだ)を突き通った。ゆりに励まされて、王進は心臓が激しく鼓動(こどう)して力が(みなぎ)った。相手チームから素早くボールを奪い取って、劉意東リュウイトンに長いパスした。劉意東リュウイトンがボールを受け止めて、シュートして決めた、観客席から歓呼の声が春の潮のどよめきのように起こった。チームメイト達は王進の背中を叩いて「よくやった」と(たた)えた。王進は嬉しくてゆりに手を振った。ゆりも両手を振って答えてくれた。観客席から「ショット王子」「ショット王子」の叫び声の中に、ゆりの声も聞こえたことが王進にとって少し寂しかった。


楊民はゆりに接近するために、わざわざ中国語研究会を立ち上げった。メンバーはゆり、ゆりのルームメイト、フィリピンの女の子「レイン」。楊民が厳選したメンバーは王進、と劉意東(リュウイトン)だった。活動の内容は、ピクニック、大連の観光など。研究会の仕事分担もうまくやっていた。楊民の仕事はゆりの中国語レベルをアップすること、劉意東(リュウイトン)はレインの中国語を担当。王進は力仕事だった。はじめての研究会活動は大連星海公園でのBBQだった。星海(せいかい)公園はとても大きい規模で、ビーチもあって、山もある。五人は星海公園の山を登って、一時間掛けて、頂に着いた。ここから、眼下に広がる海を見下ろしていた。皆は海の風景に感動され、「大海、故郷」という中国語の歌を歌い始めた。ゆりとレインは中国語の授業でこの歌を習ったことがあるので、一緒に歌った。王進はシートを敷いたり、火を起こしたり、肉を焼いたり、諸々な仕事はすべて王進の担当だった。

「わたしも手伝いたい。野菜を洗いましょうか」とゆりはテキパキ動いてくれた。

「王進さんは料理も家でよくやっているの?」とゆりは王進に聞いた。

「百姓だから、親が忙しい時、手伝いしないと」

「すごいね、中国の男性はよく料理するので、日本では男性は家事とか、料理とかあまりやりませんね」

「中国はかかあ天下だから、男性は家で頑張らないと、嫁を貰えませんね」

劉意東リュウイトンはこの話題について、さらに補足した。

「中国は日本と共に儒教(じゅきょう)文化を受けているんだから、昔も男は外、女は内という概念がありました。でも中国の革命運動の結果、女性も根本的に解放されて、今は逆に、女性が家事だけをやってる人は珍しくなっています。特に文化大革命を経て、強い女性がよく取り沙汰されて、今の女性は皆が家でも、職場でも強くなっています。男性は嫁をもらうために、ますます腰を低くして、彼女に一刀三礼(いっとうさんらい)、言いなりになりますね。うちの一人ルームメイトは、毎週彼女の家に行って、家事をやって、彼女のお母さんの歓心(かんしん)を買いに行きますね」

「日本では想像できないね」とゆりが言った。「でも、どうしてお母さんの歓心を買わないといけないの?」

「中国では妻の母は家庭で権威が絶大だから。歓心を買わないと、反対されたら、破局する恐れもありますね」

「だから、ゆりのような日本の子と結婚するやつは世界中いちばん幸せなやつだ」と劉意東(リュウイトン)はさらにまとめた。

王進は色々と想像していたが、心の中の喜びが溢れて、顔全体上気して、真っ赤になった。

食事をする時、劉意東(リュウイトン)は政治の話題を始めた、

「皆さん、現在の政府は腐敗している。一部の人が権力を利用して、自分の利益を取得している。その原因は中国に権力を制限する力がないから、その力というのは民主の力である。中国がさらに発展するには、西洋の民主制度を導入しないといけません。」そして、劉意東(リュウイトン)の長いスピーチが始まった。色々難しい単語が飛び出して、ゆりとレインはなかなか理解できなくて、(まゆ)(ひそ)めた。

気まずい雰囲気を打開しようと思って、楊民は

「今日は風雲(ふううん)(政治の事)を言わずに、風月(ふうげつ)(生活の(おもむき))たけを話しましょう」

ゆりに向かって

「ゆりはどんな料理が好きですか?」

「わたしは中華料理が好きです。」

皆は話題を中華料理に変えて、話が盛り上がった。

楊民はさらにゆりに聞いた「日本の中華料理どんなものあります?」

「家の近くに一軒中華料理店があって、いつも麻婆豆腐とか、酢豚とか、注文していますね。」

劉意東リュウイトンは笑った。「麻婆豆腐は四川料理ですが、酢豚は広東料理です。中国では四川料理店なら、四川料理だけ提供するのが一般的だ。中国では料理店の専門性を保つために、違う系統の料理を同時に提供することがめったに無い。だから、中国では麻婆豆腐と酢豚を同じレストランに出さないね」

「面白いですね」とゆりが相槌を打った。


 科技大学には日本語コーナーがあった。日本語コーナーとは、日本語フリートークを練習する場所だった。王進は毎回欠かさず出席した。ゆりが出席している姿もよく見たが、楊民は自分の特技だけが披露するが、苦手なものは見せたくないため、日本語コーナーに出席しなかった。劉意東(リュウイトン)もよく来た。毎回ゆりが出席すると、かならずゆりの周りには大勢の学生たちが決まって集まって来た。

 劉意東リュウイトンは日本語コーナー中で一番お喋りだった。寡黙(かもく)な王進も普段と違って、日本語で喋るときは饒舌(じょうぜつ)になった。毎回日本語コーナーが終わると、王進は劉意東(リュウイトン)と決まって最後まで残り、片付けをした。ゆりもいつも手伝ってくれった。王進達の寮はゆりの寮と方向が同じなので、三人は一緒に帰るようになった。劉意東(リュウイトン)がいると、王進は結構リラックスして色々と冗談を言えた。たまに劉意東(リュウイトン)がいない時、ゆりと二人きりになると、王進は手に汗を感じるまで緊張して、何を喋ればいいが分からなくなった。幸いゆりはいろいろと話かけてくれた。

「王さんさ、いつもハガキを売るの?」

「いいえ、あれはルームメイトを手伝うだけ。小沢さんは、よくハガキを書くね」

「恥ずかしいけど、今俳句を習っているから、たまに句が有ったら、友達に送っているよ」

「本当、俺も俳句に興味があるよ、見せてくれる?実は最近漢詩を少し書いてみた。」

「わあ、私も漢詩を習いたい、教えてくれるの?」

「じゃあ、一緒に勉強しましょう」

「そうね」

 二人は漢詩と俳句を話し盛り上がった。王進はゆりと共通点を持てたことにすごく幸せを感じた。ゆりを送った後、王進は嬉しくて、嬉しくて、すうっと体が煙になって空に吸われていくようなきもちだった、子供のようにいきいき飛び上がって寮に帰った。何回も一緒に帰るうちに、二人の関係が少しずつ縮んできた。

 楊民はゆりを誘ってダンスパーティーに行くようになった。九十年代では社交ダンスが大学で流行っているので、毎週パーティーが開かれている。ゆりはダンスが苦手なので、最初に断ったが、楊民に「ダンスを教えてやる」と何回も言われて、結局行くようになった。ダンスパーティーといっても大学院生の寮の廊下で、誰かが持ってきたカセットレコーダーを流しているだけであった。実際に自習から帰ってきた学生達が、一時間ほど曲を流してダンスするという活動だった。大半の方はダンスが出来なくても、音楽に合わせて歩くだけでよかった。社交ダンス以外にも、中国で中学校から練習した「16ステップ」というフォクダンスがあって、社交ダンスが苦手な方も参加しやすかった。殆どダンスに関心がなかった王進も、急にダンスに興味を示した。そして、王進はダンスパーティーを見に行った。王進がはじめて参加したとき、百人くらいの参加者がいた。そして、ゆりもいた。白いワンピースを着たゆりはとても可愛かった。王進は遠くから、ゆりがダンスする姿を眺めた。楊民がゆりにダンスを上手に教えたおかけて、彼女はすごく綺麗に踊っていた。科技大学の学生の男女比率は4対1になっているので、ダンスパーティーに参加する男子は女性より圧倒的多かった。毎回、踊りたくでも、パートナーがいなくて踊れない方がほとんどであった。ゆりがダンスを一曲踊り終わた頃、他の学生は必ずすぐに、ゆりにダンスの誘いに行った。ゆりはダンスの誘いを断ってもよかったが、たくさんの学生達がパトナーがなくて、可哀想だと思い、なるべく付き合いようにした。王進もゆりにダンスの誘いをしたかったが、どうしでも自分に自信がなく、足をうまくゆりのところまで運ぶことが出来なかった。ゆりを抱いて踊ることを考えることさえ、急に恥ずかしくなってしまった。そして、パーティーの途中で逃げるように帰ってしまった。


 何ヶ月か経った。王進は日本語コーナーからゆりと一緒に帰る時、今までよりかなりリラックスする様になった。中国の漢詩から、歴史、文化までいろいろ話していた。王進は日本語がかなり上達して、日本のこと、ゆりのこといろいろ聞いた。毎回ゆりと別れると、空気が爽やかになっていた。

 ある夜、寮の「臥談会(うぉたんへい)」で楊民は急に

「明日、ゆりにプロポーズをするぞ」と宣言した。

「おい、すごい」

「頑張ってね」

「ああ、俺のチャンスがなくなったなー」劉意東(リュウイトン)がしょんぼりした。


 王進は何も話さなかった。

 今まで断られることがないから、楊民はかなり自信があった。その夜、王進は初めて眠れなくなった。「愛のコンチェルト」も哀愁漂う甘いメロディーから変調して騒音に近いハードメタルになった。どうしても眠れなかった王進は外に散歩しに行った。意識朦朧(いしきもうろう)しながら、しばらく歩いた。気づいたら、留学寮の前に立っていた。ゆりの部屋の窓をしばらく眺めていた。王進は長い溜息をついて、とぼとぼと弱々しく学校の公園まで歩いた。学校の公園というより、小さい植物園のようなところだった。いろいろな植物が植えられていた。曲がりくねった小道に、いくつかのベンチが道沿いに置かれてあった。カップルのデートスポットとして有名だった。王進はベンチに座って、月を眺めた。一輪大きい花のような月が空に掛かっている。月に寂しく暮らしている嫦娥(じょうが)を思うと、一層寂しくなった。心がわけもなく膨み、震え、揺れ、痛みに刺し(つらぬ)かれる。そしてそれは、ゆっくりと長い時間かけて通り過ぎ、あとに鈍い痛みを残す。その夜、「愛のコンチェルト」は淡いせっけんの香りと絡み合って王進の周りに漂っていた。             

 

 次の日、楊民は寮に帰った時、すでに遅かった。ルームメイトが楊民の凍っている顔を見ると、皆がプロポーズの結果が分かった。楊民は新しい彼女ができた時、いつも生き生きして、皆が眠れないほど饒舌(じょうぜつ)だった。今の部屋に漂っている寂寥感(せきりょうかん)を感じて、誰も何にも聞かずに、寝るふりをした。王進は()やかな喜びを感じる同時に、楊民にも心苦しく思っていた。

 いろいろな感情が同時に溢れて、甘味(あまみ)苦味(にがみ)酸味(さんみ)辛味(からみ)は一斉に王進の心を満たしていた。

 自習の時間になってもゆりが三〇一室に来なかった。王進はあちこちゆりを探していた。最後四〇五教室で見つかった。四〇五教室は七十人の教室だ。ゆりは真ん中の列の窓辺に席に座っている。王進が教室に入った時、ゆりは微笑んで会釈(えしゃく)してくれた。王進は手を振って、一番後の席を選んだ。毎回自習が終わると、王進はいつもゆりが去って後に帰るようになった。常に距離を取るようにした。同じ教室で勉強できることは王進に対して、相当な至福の時間だった。

 日本語の授業は想像より難しかった。一学期が終わる頃、半分の学生しか出席していなかった。二学期がはじまると、二百人いたクラスが三十人のクラスになった。王進、劉意東、楊民だけがクラスに残って、他のルームメイトも全員脱落した。

 皆はほとんど彼女ができて、デートに忙しかった。劉意東(リュウイトン)は民主運動に熱心になって、各地の大学と連絡したり、民主運動のチラシを作ったりしていた。日本語を勉強する時間もなくなった。ゆりに告白して、振られた楊民はゆりを諦めたのと同時に、日本語の授業まで諦めた。中国語の研究会も活動中止になった。王進は日本語の授業に励んでいた。いつもトップの成績だった。

 二ヶ月後、楊民が芸術大学の彼女をルームメイトに紹介した。彼女は(うるわし)しくて、()々しくて、目が眩む(くら)ほどのオーラをはなつ。美しさを比べたら、きっとゆりの上だろう。

 四月は透き通るような青みを帯びた空だ。カップル達は外出したり、爽やかな季節を楽しんでいる。王進はゆりを誘う気持ちを抑えきれなくて、便箋にユリ宛にメッセージを書いた。

    青山碧海映長空  

    遠処帆船点点紅  

  愿得佳人踏潮去  

  平沙白浪沐春風  


    (青い山、青い海へ、空に映す

遠い帆船が赤い点になり

佳人と一緒に海へ行けると願う

なだらかな渚、白い波、春風を楽しむ)


  今週日曜日一緒に海を見に行きませんか?

  」

 ゆりのテーブルを通るとき、便箋を取り出して、渡す所で、劉意東が後ろから来た。王進は慌てて、便箋をポケットにしまった。

「意東、海に見に行かない?」

「行こう、行こう、小沢さんも行こう、大連の海が綺麗ですよ」

「いいね、私も行きます。いつですか?」

「今週日曜日にしましょう」劉意東は嬉しそうに言った。


 日曜日は水色の空に、(かすみ)のような春の雲が流れていく。

 海はどこまでも渺々(びょうびょう)として青い、緑の滑らかな山が海のまで伸びて、とても(おもむき)がある。カモメが海と山の間に飛び違う。波は(なぎさ)を静かに洗って、砂に残された三人の足跡を、少しずつ消していく。伸びていた足跡の先に若い男女三人がゆっくり歩いて、ときに止まって貝を拾ったりして、ときにお互い追いかけたりした。中国語、日本語、笑い声は飛び()い、波の優しいメロディに伴奏(ばんそう)を加える。「愛のコンチェルト」が交響楽団により鮮やかに演奏されている。

王進、劉意東、ゆり三人は一緒にビーチにある石に座って、素足(すあし)を海水に入れて、半分くらい砂に(うず)めた。

「小沢さんはよく海に行きましたか?」劉意東は聞いた。

「家は海まで車で一時間ぐらいかかります。小さい頃、父がよく連れて行ってくれました。」

「お父さんはどんな人ですか」

「日本の典型的なサラリーマンで、毎日仕事仕事で、家での時間はほとんどなく、よく単身赴任したりしていた。でも、休みの時、よく連れられてあっちこっちに行ってます。家は一人娘なので、結構甘やかして育ってくれました。」

「中国で女の子は甘やかして育った方がいいって」王進はそういう理論を読んだことがあった。

「本当、そう言われたら嬉しいね。そうが、父は小さい頃、中国で暮らしたらしい。」

「小さい頃って、もしかして、戦争の時、中国にいたかな」

「私もそう思っていました。一回父に尋ねたが、何も答えませんでした。父が昔の事に触れたくないです。」

「ところで、王さんのお父さんはどんな人?」

「父は中国建国する前に重慶大学の大学生だった。共産主義を憧れて、大学時代、革命の聖地延安(えんあん)に行って、革命に参加した。建国後、瀋陽政府の宣伝部で幹事に務めていた。しかし、1956年に共産党は【百家争鳴(ひゃっかそうめい)】【百花斉放(ひゃっか-せいほう)】のスローガンを上げて、皆の意見を求めた。父は若くて、それを信じて、会議で共産党に意見を述べった。それで「反右運動」で打倒されて、鉄嶺の農村に追放されて、農民になった。お父さんは元々爽快でハキハキ話す人だったが、今は無口になって、黙々と農作業をするだけ、笑うこともあまり無くなってしまった。」

「そうか、人間は変わりますね」


ゆりの長い髪が残照を浴びて光っている。空を見上げると赤と紫が絶妙に美しく混ざり、「愛のコンチェルト」が淡いせっけんの香りを絡めて、その美しい空にゆったり漂って上昇して行く。



 四月十六日から、北京の大学生などは民主化を求めるデモを行った。各大学では政治の話題がメインになった。今まで、「臥談会(うぉたんへい)」は主に女の子の話しばかりが、もう完全に政治の話に変わった。一番活躍しているのは劉意東(リュウイトン)だった。毎晩、劉意東(リュウイトン)が「臥談会(うぉたんへい)」で政府を非難した。

「中国は一党独裁政治を今まで行ってきました。だから文化大革命のような悲劇が起こりました。今皆さんは歴史の分岐点に立っています。北京の大学生と北京市民が皆立ちあがりました。全国民が立ち上がれば、きっと民主主義が勝ちます。」

楊民は「でも失敗したら、痛い目に遭うぞ」

劉意東リュウイトン凜然(りんぜん)と言い放つ「確かに失敗する可能性もあります。でも人生は元々短くて、百年を生きても、歴史上でただの一瞬、重要なのは長さではなく、生きている濃さこそいちばん大事です。打ち上げ花火のように一瞬でもいいから、鮮やかに生きて欲しいです。」


五月に入ると日本語コーナーに参加する人も少なくなった。全国各地の大学生は授業をボイコットしていた。劉意東(リュウイトン)も積極的に民主運動に参加している為、日本語コーナーに出席しなくなった。

ある日、日本語コーナーが終わった後、帰り道に、ゆりは王進と二人になったとき、

「あのう、、、日本の大学から、要請があって、私、来週、日本に帰ります。」と言い淀(いいよど)んでいた。

 王進は呆然(ぼうぜん)としていた。これまでのゆりとの出来事が走馬灯(そうまとう)のように脳裏を駆け巡った。ゆりがはがきを買いに来たときのシーン、道であって、手を振っているシーン、窓辺に座って勉強しているシーン、日本語コーナーで笑いながら喋っているシーン、研究会でBBQをするシーン、一緒に帰っていろいろ喋っていたシーン、サッカーの試合を応援してくれたシーン、ビーチで一緒に話していたシーンなどスライドショーのように王進の目の前に映し出されていた。たくさんの思いが、一斉に心に降り積もって、何を喋ればいいか、わからなくなった。頭の中に千言万語(せんげんばんご)が渦巻いているのに、それを取り出そうとすると言葉は液体のように崩れ落ちて掴むことができない。ただ

「ああ、、、本当?」

 後は黙ってゆりを寮の近くに送っていた。別れる時、目が湿ってきた。一生懸命(こら)えるように、上を向いて、空を見上げた。一輪の大きい月が夜空に掛かっている。

「月が綺麗ですね」

 ゆりの優しい声が遠い夜空の奥から伝わってくるように小さく聞こえてきた。

 但愿人長久, 但だ願う人の 長久にして、

 千里共嬋娟。  千里嬋娟(せんけん)を共にすること。」

(人々が永遠にいられるよう祈っております。千里離れても同じ月が見えます)

 の蘇軾(そ しょく)の詩文が浮かんできた。

「手紙を書いてもいい?」と王進は言った、

「うん、私も書くね、約束するわ」

 と優しい声が淡いせっけんの香りと共に王進を包んで、遠い夜空に舞い上がた。


 ルームメイトの間ではゆりから初めてのはがきが寮に届いたと、すごい騒ぎになった。

「劉意東宛」「王進宛」

「ゆりからだ」と叫んだ。皆さんはゆりから劉意東宛のはがきが許すが、王進宛のはがきが届いたのを納得しなかった。

 王進は、ルームメイトの目から、羨望(せんぼう)とか、嫉妬とか、軽蔑とかいろんな感情を読み取った。でも嬉しかった。楊民の怨恨(えんこん)の目付きを見て、なぜか嫌の予感を感じた。

「王進様:元気ですか」

 ルームメイトはよくゆりのはがきの最初の言葉で王進をからかっていた。

 八〇年代末、中国で海外に手紙をおくるのは大変な作業だった。必ず国際郵便局に行って、窓口で送らないといけない。そのため、王進は自転車で往復三時間かけて国際郵便局へ手紙を送りに行った。劉意東の返信も一緒に送った。

最初の手紙は中国の学生運動の最中だった。

「先日、俺は初めてデモに参加しました。劉意東(リュウイトン)はデモのリーダーになって、いつもデモする前に、スピーチを行いました。、、、

今日も市政府の前で抗議するため座り込みました。大連大学連合委員会が設立したが、劉意東(リュウイトン)は委員になりました。、、、

僕は目立つ人ではなく、でも学生達の気持ちを理解しているし、声援しています、、、楊民はもう実家に帰りました。、、、

劉意東(リュウイトン)が第一線で民主運動を行いたくて、何回も彼に頼まれて、来週一緒に北京に行くようになりました、、、」

ゆりも日本の報道を紹介した。「最近、テレビのニュース番組も毎日天安門のニュースばかりで、軍隊も大学生達と睨み合っている状態になりましたが、王進さんは気をつけて、命が第一ですから」

王進達が天安門広場に着いたのは五月二十九日だった。解放軍は天安門から八キロほどの()()()()に止められて、今膠着状態になっていた。天安門広場に無数のテントが建てられて、人は海のように溢れていた。劉意東(リュウイトン)はスピーチの達人で、すぐ全国大学連合会と連絡を取って、大連の代表として、連合会の委員になった。北京市民がかなり学生達をサポートしていた。テント、毛布、カーペット、弁当などを寄付して、天安門広場に届けた。北京警察はほとんど機能しなくて、市民が独自に治安を維持して、その間、逆に犯罪がほとんど見られなかった。王進はテントを設置したり,市民からもらった弁当,毛布などを配ったりしていた。また交代で戦車の前に行って、肉体で盾になった。六月に入ると、天安門広場は急に甚だ(はなはだ)しく静かになっている。今まで大学連合会のスピーカーからいつも放送されていたが、いま放送さえ止まった。劉意東(リュウイトン)は連合会から帰ってきた。

「王進、軍隊はそろそろ強行に進軍すると言う噂があった。連合会のリーダー達はほとんど海外に逃亡した。俺の名前はブラックリストに載っている。今日、ある人物に海外に行かないかと誘われたが、俺は断った。俺は国の民主運動のために、死んでもいい。たくさんの血でこの土地を染めないと、中国の民主運動が成功しない。それなら、俺の血でこの土地を染めてやる」

王進は劉意東(リュウイトン)の話に感動させられて、心の血も騒ぎ始め「偉東、君が決心するなら、俺も伴ってやる。」

「王進、それは絶対だめだ。君はブラックリストに載ってないし、まだチャンスがある。君には生きて欲しい。俺の分まで生きて欲しい。俺は彼女がいない、でも好きな子がいた。一生で初めて一人を好きになった。今まで誰にも話したことがない、それはゆりだ。この間、君もゆりの手紙を貰ったが、正直に言うと、君にヤキモチをやいた。でも、今思うと、それで良かった。君がいれば、ゆりはきっと幸せになれる。もし君がゆりと一緒になれば、必ずゆりをよく世話してやって欲しい。ゆりが幸せになれることが俺の最後の願いだから。もうひとつ頼みがある、もし、俺が帰れなかったら、この懐中時計を私の祖父に渡してください。」。劉意東(リュウイトン)が話しながら、ひとつ古い懐中時計を王進に渡した。

王進は時計を受け取って、「偉東、一緒に逃げようよ」

「王進、頼むぞ」と言いながら、劉意東(リュウイトン)は走って木セイ地に行った。そこでは学生達が戦車と睨み合っているところだった。

王進はどうすればいいか分からなくなって、泣きながら、撤退する列に並んだ。ぼんやりして、バスに乗って、列車に乗った。列車が走り始めた時、

北京の静かな夜が連発の発砲音で打破された。北京は戦場になった。木セイ地のあたりは、激しい発砲音が聞こえる。火事のように赤い炎が深夜の空を赤く染めた。列車に乗った学生達は皆泣きながら、国歌を歌い始めた。

「立ち上がれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!

我らが血肉(けつにく)(きず)こう、新たな長城を!

中華民族に最大の危機せまる、

一人ひとりが最後の雄叫(おたけ)びをあげる時だ。

立ち上がれ!立ち上がれ!立ち上がれ!

我々すべてが心を一つにして、

敵の砲火(ほうか)に向かって進め!

敵の砲火に向かって進め!

進め!進め!進め!」

北京を去っていた。学生達は何回も国歌を歌っていた。王進は喉が痛くなるまで歌っていた。涙が溢れてままで、拭こうと思っていなかった。列車が大連に着いた時、警察官は待っていた。全員連行されて、ブラックリストに名前がある者は全員逮捕されて、ほかの方は各学校の警備員に連行され、各学校に軟禁された。王進も学校に軟禁されて、先生達が毎日王進を説得した。

「王進、民主運動が失敗した。全て鎮圧された。反抗しても、何にもならないから。反省文を書いてくれば、今度のことは将来に何も影響しない。」

「先生、劉意東(リュウイトン)はどうなりましたか?」

「本当は言ったらいけないが、誰にも言わないで、劉意東(リュウイトン)はもういなくなった。」

「偉東、、」王進はうなだれ、重ねた両腕に顔を伏せた。忍び泣きが嗚咽(おえつ)に変わった。

二週間軟禁されて、王進は反省文を書いた後、釈放(しゃくほう)された。先生との約束の通り、誰かに北京のことを聞かれても、何にも話さなかった。釈放されても、毎日授業が終わった後、必ず政治を勉強しないといけません。毎日反省文を書かされた。ある夜、ルームメイト達とこっそり劉意東(リュウイトン)を追悼した。皆はお酒を買って、寮で泣きながら飲んでいた。王進は劉意東(リュウイトン)に申し訳ない気持ちがいっぱいだった。王進は懐中時計を出して、よく見つめた。


王進は次の日に早速ゆりに手紙を送った。

「ごめんなさい、この二ヶ月いろいろありました。あの事件が落ち着いてから、今、ようやく手紙を書けるようになりました。いまやっと解禁されて、でも審査が厳しく、敏感な話題が書けません。詳しくは言えないが、劉意東(リュウイトン)は北京から帰りませんでした。昨日寮で劉意東(リュウイトン)のために、メールメイトは皆酒を飲んだ。皆は泣きました。行くとき、一緒に行ったが、帰りに一人で逃げて帰ったのは劉意東(リュウイトン)に申し訳ないと思っている。これから、太原市に行って、劉意東の家を訪ねに行きます。」


劉意東の家から帰ってきたとき、ゆりの返事もきた。

「王進様、無事でよかった。テレビのニュースを見て、すごく心配しました。劉さんの事は大変残念と思っています。劉さんは自分でそう言う生き方を選びました。王進のせいではありません。王進は劉さんの分まで生きて欲しいですね。」

王進はゆりの手紙に、劉意東(リュウイトン)の最後の言葉がそのまま出てきたのは不思議だと思っていた。ゆりと一緒になって、一生、ゆりを世話する気持ちがますます強くなった。

王進は手紙で太原での出来ことを書き(つづ)った。

「今度は劉意東の家を訪れたが、劉意東一家は相当な有名人と知らなかった。

太原市に行く電車の中でも、旅館でも、劉意東一家のストーリを皆噂していた。

まず劉意東のおじいさん劉元蔵(りゅうげんぞう)、清末の秀才(しゅうさい)同盟会(どうめいかい)に参加し、上海《民国新闻》の総編集長。劉元蔵は当時同じ同盟会の女子解放運動のリーダー陳默君(ちんもくくん)を密かに片思いしていた。何ヶ月一緒に仕事して、劉元蔵は陳默君に告白した。しかし陳默君は同じ気持ちを持っていなかった。断るつもりで返事した。「私の結婚相手は大将じゃないといけません。」劉元蔵は陳默君が断る口実で出した言葉について理解出来ず、その言葉をそのまま信じた。劉元蔵は陳默君のために総編集長の仕事を辞めて、軍隊に入った。でも、軍曹から大将まで登り詰めることは容易ではない、なかなか昇進出来なかった。でも当時は歴史が激しく動いた時代で、民国の大統領袁 世凱(エンセイガイ)は急に共和を辞めて、皇帝になった。それで全国の反対する風潮になって、劉元蔵も一揆して、叛乱を起こした。叛乱が成功して、大将の座に登り詰めた。大将になって、まず陳默君に再度告白した。しかし陳默君はまた断るつもりで返事した。「私の夫は必ず留学生です。」

劉元蔵はそれをまた素直に信じて、大将を辞めて、アメリカに留学しに行った。アメリカで本を出版して、再度陳默君に本を送って、告白した。やっと陳默君が感動して、二人は結婚した。その婚約の印は懐中時計だった。劉意東は高校生になったとき、八〇代の陳默君が無くなる前に、その時計を孫劉意東に譲った。私は今回太原に行く目的は劉意東に頼まれて、この懐中時計をお爺さんに返すことだった。お爺さんは時計を受け取って、黙って時計を見つめて、長い間、何も喋らなかった。きっと、いろいろな思い出があるようだ。劉意東のお父さんも立派な方だった。三十歳の若さで北京大学の教授になった。文化大革命が始まったとき、学生に打倒されて、太原の農場に追放された。文化大革命後もそのまま、太原市に定住した。いま、劉意東も学生運動に参加して、命まで犠牲にした。すごい血脈だね」

王進はゆりと手紙のやり取りが少しずつ増えた。はじめの頃は二週間に一回の手紙だったが、二、三ヶ月が立つうちに、週一回のペースになった。先週出した手紙がゆりにまだ届いてないうちに、次の手紙を送るようになった。最初に王進様、小沢ゆり様と互いに呼んでいたが、いつの間かに進君、ゆりちゃんと呼ぶようになった。王進は手紙をソラで言えるくらい何度も何度も読んだ。天安門事件から、王進は何か月間か落ち込んでいたが、幸いゆりの手紙があって、王進は少しずつ元気になった。


 毎回ゆりの手紙を広げると、ふわっとほのかにせっけんの香りが漂う、この香りは神秘的で、いつも王進の心の一番深いところに届いた、彼の心臓がこの香りに気付くと、ブレイクダンスのように、激しく踊り始めた。王進はこの手紙の香りにはまり込んだ。いつもポケットに入れて、どこに行っても、かならずゆりの手紙と一緒だった。不思議なのは、この香りが王進にしかわからなかった。何人かの友達に嗅いでもらったが、だれも香りを感じなかった。


次の半年ぐらい、王進はゆりと手紙の中で主に日本語、中国語の勉強問題など、漢詩、俳句などの練習など展開していた。新しい一年を迎えてきた。


 ゆりの手紙には、油絵のようにゆりの生活風景が展示されていた。手紙から飾り気のない暖かさがしみじみ伝わってくる。最後に習ったばかりの俳句で飾っていた。


「あけましておめでとう、千葉に帰った。初詣から帰ったばかりで、窓を開くと、春の紺碧(こんぺき)をまだらにしている白い雲が広がって。雲は風に押しされて、こちらにわれ先にと(あらそ)い飛んで来る。

 初空(はつぞら)の雲に運ばれ便りかな」

 王進は手紙で学校生活、ルームメイトのエピソードなど紹介した。今クラスの郵便の係になって、クラスの全員の郵便を毎日取りに行くの仕事だった。最後にゆりの俳句を配合して、五言詩(ごごんし)を披露した

「 醉卧享春時  

   晴空落日遅  

   浮云伝吾意  

   万里寄相思  

(

 醉卧(すいが)で春の時間を楽しむ

 晴の空、遅くなった夕日

 雲を俺の心意を届けて

 万里を離れて相思相愛の気持ちを伝える

 )」

 二人でこのような手紙をやり取りしていた。四月にゆりが就職した。

「埼玉の大宮市に就職しました。会社は郊外にあって、鴨川に沿ってるのよ。鴨川の両側には、桜の木がいっぱい植えられているの。四月の初め頃、花が爛漫の季節。岸の桜が白っぽく川に影を映している。よく若い着物姿のカップルが桜の下で写真を撮ったりしている。あの若い男は若い女の肩から、落ちた桜のびらを摘み取った。それを見てここで一句を披露するわ:好い人の肩から摘む花のびら。」


 王進も学校の花咲く事、ルームメイトの恋物語について色々と手紙で書いた。ゆりの俳句に感心して、最近王進は七言詩を書き始めた、最後、ゆりが披露した俳句に中国の七言詩で答えた

「 桜下蔭蔭伉儷行

  香漂雪落惹風情

  肩頭一片花愁去

  留却心頭万語声

(       

   桜は二人の美しい影を覆っている。

   花の香りと花びらが風に任せて漂う。

   私の肩に積もる花びらのように

   私の心の中に千言万語の愛の言葉が

   降り積もる。

 )

 ゆりは引っ越しした、

「大宮にあるアパートの二階に住んでいる。そこはレンガ調な小さい建物。すてきでしょう。アパートの前には広い公園があって、その真ん中には、大きい滑り台、その周りにはブランコとか、砂場とかの遊具があるのよ。そして三本の大き銀杏の木が地面に広い樹影を落としているわ。日曜日なると、子供の笑う声、かわいいはなし声、子供の母が心配する声、そして叱る声も聞こえてくる。春風が穏やかで、太陽がうららかな日に、私も子供の心が蘇って、公園で子供と一緒にブランコで遊んだ…

 ここでも一句を:

 ぶらんこや押す人がなし風任せ

 」

 王進はゆりに返事をした。

「ゆりちゃんの手紙を読むと、ブランコを遊びたかった。いろいろ探すと、大学の附属保育園の前の公園に、ブランコがあった。早速行った。久しぶりに遊んだ。いつかゆりと一緒に遊んだらいいなと思った。ゆりはブランコに座って、俺は後ろにゆりの背中を押す、ゆりのスカートの姿は白鳥のように空に飛んで、飛んで行く。あのシーンは何故かいつも脳裏で映されている。

  風舞秋千半尺高

  佳人不見彩縄揺

  但期会有重逢日

  蕩起裙羅再窈嬈

ブランコが風にゆらゆらしていて、

良い人がまだ来てなくて、

無駄に揺れているね。

きっといつか会える日に、

君のブランコに乗るスカートの姿

は一番美しい。

 )

 ゆりがよく本屋に行った。「アパートの後ろに大きいTSUTAYAという本屋さんがあるの。本屋さんの中におしゃれなのカフェーがあって、本棚と植木鉢で席をいくつかの区画に分けてあって、書斎にいるように心地よく落ち着くのよ。いつも窓辺に座って、カフェオレを飲みながら、本を読んでいます。。何組のカップルも利用していて、すごく羨ましいわ。」


 王進からの手紙

「最近、いつも四〇五教室を通っていた。ゆりちゃんが座った席にすわっている。この席に座ると、ゆりの淡いセッケンの香りが感じる。窓から外を眺めると、講義棟間の渡廊下が見える。学生達の中に、たくさんカップルの姿が見える。手を繋いで歩く方のいるが、ただ揃えて歩く方もいる、口喧嘩しているカップルもいる。どのシーンを見ても、幸せなカップルだなと思っていた。」



 今日にもらったゆりの手紙の中にが一枚コブシの葉があった。「今年の夏はすごく暑く、三連休を利用して、軽井沢に来た。いま、旅館いこい荘で手紙を書いているよ。窓の外のコブシの木は花が全部散ったけれど、その緑が好き。ここも一句を。夏深し滴る緑こぶしの木。」

 王進の手紙の最後もゆりの俳句を七言詩で答えた。


    炎炎夏日樹增華   

    叶茂枝繁掩绛纱。

  佳麗折枝伝愛意   

    辛夷緑色勝于花

      (暑い夏日に 木が元気が増す

       枝が茂ってスカートの姿を隠す

      佳人が枝を折り気持ちを伝えよう

      コブシの緑は花より美しい)

 」

 王進は百回くらいの手紙のやり取りを重ねって、ゆりに対して感情も(たかま)った。普段あまり喋るタイプではなかったが、手紙を書くと、才華爛発だった。手紙には情緒があって、感傷があった。激励もあれば嫉妬もあった。ペンの先から思いが溢れてこぼれ散た。ついに、ゆりに告白の詩を書いた.


「 

 鏡に嫉妬した、

 あの輝いている瞳を

 じっと

 見つめることができるから。


 箸に嫉妬した、

 あの柔らかいの唇を

 いたずらに

 いじることができるから。


 枕に嫉妬した、

 あのマシュマロのようの頬を

 心地よく

 触れることができるから。


 ハンカチに嫉妬した

 あの暖かい涙を

 優しく

 拭うことができるから。


 風に嫉妬した

 あの楚々とした姿を

 大胆に

 抱擁することができるから。


 神に願った

 身を投げ捨てても

 一瞬でもいいから

 あなたの

 あなたの周りのものに

 なりたかった。」


 ゆりの心に淀んでいた血が波立ち騒ぐような、微かなざわめきが聞こえた。現代詩の形で答えた

 もし

 あなたが海の波なら

 私は渚になりたかった

 いつか 

 いつか

 私を被ってくれるから

 もし

 あなたが遠洋航海の船なら

 私は港になりたかった

 いつか

 いつか

 私のところで止まってくれるから

 もし

 あなたが蜜蜂なら

 私は世界中一番綺麗な花になりたかった

 いつか 

 いつか

 私の懐に入るから

 でも今

あなたが何になっても

 私は

ただ

ただ

 空気になるから

 あなたの周りに静かに居て

 そっとあなたの体に入って、

あなたの一部になるから 」   

 王進はゆりの詩に感動された。何回も何回も読んでいた。涙がゆりの詩を染み込んだ。詩から淡いセッケンの香りと「愛のコンチェルト」のメロディは王進を胸がつかえる程しっかり抱きしめた。

 王進はゆりを手紙でデートに誘った、二人で満月の日に同時に月を鑑賞することを約束した。ゆりが家の前の公園で、王進が学校の公園で、同じ月を見ていた。王進はいつものベンチを利用した。青白い月光が夢のようにそのあたりの風物を包み込んだ。周りがだんだん暗くなると、林の茂みから、空に漂うようにゆったりと女の子が歩いてくる、淡いせっけんの香りがふわあと立ち込めて、遠いどこからともなく「愛のコンチェルト」が流れてくる。王進の隣に座って、頭を王進の肩に乗せた、ゆりだった。囁くような小さな声で「月が綺麗ですね」。王進はその声に感動して、今までのゆりに対しての思いをいっぱい伝えた。二人はカフェオレで乾杯した。初めて飲んだ王進は口じゅうにしびれるような甘美な味わいがじーんと広がる、一生忘れられない味になった。最後ゆりはいつも「約束するわ」と言って消えていく。

 王進も埼玉に行こうと決心した。埼玉大学の大学院に申込した。来年二月の受験があって、それを目指して、猛勉強しはじめた。二年ぶりにゆりに会えると考えるだけで、パワーいっぱい満ちていたように感じた。ゆりも王進の来るのことを雛鳥のように首を長くして待っていった。

 正月に二人、各自の実家に帰って、一月八日に成田空港で会おうと約束した。

  王進が鉄嶺の家に帰ったとき、お母さんは肉まんを作っていた。久しぶりに息子が帰ってくるのを楽しかった。食事の後、王進は母さんに話かけた。

「僕、日本に行きたいです。日本の大学院を申し込みました。来月に試験を受けに行きます。」

「日本か」母さんは落胆した様子でため息した。

「日本はだめですか?」

「君はもう大人になったし、一つ昔のことを教えないといけないね」

「どんなことですか?」

「実は、私は日本人だ」

「ああ?」

「話すと、すごく長くなるね。この話も、私だって、最近、少しずつ、わかるようになった。わたしのお父さん、君のおじいさん、日本の群馬県出身だった。名前は貝沼進二。群馬沼田の百姓だった。確か1937年ごろ...]

  1937年、昭和12年、群馬利根郡沼田のある百姓の貝沼進二は美智子をお嫁に迎えた。おめでたいことだったが、貝沼家として、すごく困ったことになった。すこし土地を持っていたが、今まで進二はお兄さんと二人で畑仕事して、なんとか家を支えていた。しかし、美智子を迎えた年、たまたま、不況に見舞われて、収穫は殆どなかった。美智子は縁起が悪いと、姑に嫌われた。一家(いっか)は段々食料を食べ尽くしてしまって、お兄さんとお兄さんの嫁さんも美智子をいじめるようになった。進二もなかなか美智子をかばいきれなくなった。進二は役所の友達に相談したところ。

「進二、ちょうどいい話があります。満州農民移民の国策が設定されました。日本は土地が狭くて、なかなか全員を(やしな)えない。しかし満州は土地が広くて、豊かです。5年間試験的に開拓したから、大成功でした。満州行くと、家、土地をただで貰えるし、10年間免税です。満州こそ夢の大陸です。これから100万人以上移民するので、先に行った方は優遇されますよ。」

進二は喜んだ。満州に行こう、美智子も守れるし、(きら)めく未来が目の前にある。

「俺は行きます。よろしくお願いします。」

数日後、正式な通達が来た、群馬県初回の開拓団員が100人ほど居た。殆ど18−20歳の若い子なので、進二は団長になっていた。開拓団員は「万歳」「万歳」の応援の中で、物凄く気高(けだ)い気持ちを持って、満州に出発した。着いたのは満州の北安省、住宅、土地、簡単な家具まで用意してくれた。村より、軍事の団地に似ている。村周囲はフェンスで囲まれて、望楼もあった。この開拓団の村を作るために、元々ここに住んでいた百姓を排除したため、土地を失った者は一部が匪賊になった。開拓団は農作業だけではなく、日頃匪賊と戦わないといけない。開拓団は武装の農民になっていた。現地在住の日本関東軍の保護によって、なんとか無事過ごすことができた。昭和15年8月に、美智子は女の子を生んだ。名前は淑子だった。開拓団も200名ほどまで膨れ上がった。現地の中国の方も少しつづ仲良くなっていた。皆が淑子の誕生祝を兼ねて、お盆まつりを行った。お神輿をして、盆踊りもしていた。進二はお酒をのみながら、仲間たちと楽しく語り合った。すごく幸せだった。しかし、その日々も長くは続かなかった。昭和20年、太平洋戦争のため、関東軍は殆ど太平洋の島々に派遣されて、ソ連を牽制する仕事は開拓団の男性に任された。男性といっても、殆どは未成年の中学生と年寄りだった。若者と中年男性は特に二年前全員動員されて、関東軍に入った。進二は開拓団団長のために、兵役を(まぬが)れた。8月に入ると、ソ連軍は急に満州に侵入してきて、開拓団員によって結成した関東軍は瞬時に破られた。進二は村に残された140人を(ひき)いて、旅順に向けて、撤退した。北安から30キロ撤退していた所、無人の村があった。皆はとりあえず、この村で休んでもらって、先の方で人を探察してもらった。報告を受けて、前方で現地の抗日連軍は埋伏まいふくをしている。後方からはソ連の軍隊も攻めてきた。この晩、開拓団の20名ほど男性団員は会議を行った。

「もう行き場がないぞ」

「ソ連軍は残酷で、幼子から、おばあさんまで、女なら一人も残らず全員暴行するらしい」

「暴行されるより、死んだほうがましだ。」

「貝沼さん、どうしよう」

進二はずっと黙って、皆の話を聞いた。

最後、ゆっくり話した「明日、村の女と子供全員自決しよう、決心できない人、手伝ってやれ。我々男はソ連軍と最後に決戦しよう、靖国神社で会おう」

「そうそう、女を絶対にソ連軍に渡さない。」

「自決だ」

「そうしよう」

「靖国神社で会おうぜ」

次の日、朝、開拓団全員が集合した。進二は皆に自決してもらう意思を伝えた。皆「わあ」と泣き出した。

進二は「美智子、お前は団長の妻だから、お前と淑子からやれ、弾を無駄にしないように自分で考えろ」

「はい」美智子は泣かなかった。黙って、淑子を背中に背負って、周りを見て、「皆さん、今までお世話になりました。お先に失礼いたします。」深くお辞儀した。進二に「ありがとうございました。」とお辞儀をして、庭の井戸に頭から、飛び込んだ。進二は目をつぶって、なんの表情も現れなかった。他の女も木に首を吊っだ人もいるし、包丁で腕を切る人も居た。ソ連軍の戦車の音がゴォンゴォンと聞こえてくる。まだ決心できない人もいるので、進二は銃をだして、叫んだ「皆さん、手伝ってやれ。」

一番近くの陽子という隣さんに「ごめんなさい、陽子さん、許して」、陽子の頭に弾を撃ち込んた。陽子は10人の大家族で、進二はだんだん狂乱(きょうらん)しながら、「ああ、ああ」叫びながら、次々と陽子の家族を殺した。他の男も一斉に叫びながら、殺しまくった。一瞬に120人ぐらい死体が横になって、残りの男が目が赤くなって、叫びながら、ソ連軍の方に向かって、走った。

王進は母の話を聞いて、愕然とした。

「母さんはその淑子という方ですか?でも、確かに美智子さんは一緒に井戸に飛び降りましたね。」

「実は今のチチハルにいたおじいちゃんは当時の抗日連軍のリーダーで、日本の開拓団を財産を奪おうと思って、埋伏した。あと、集団自決の事を聞いて、駆けつけると、開拓団の全員が亡くなった。抗日連軍は死体から、お金なるものを探しているところ、井戸で二人の体が見つかった。私は後ろにおんぶされて、ちょうど口は井戸水の上にあったため、生き延びた。おじいちゃんは結婚していたが、子供がいないため、私を拾って、育ててくれた。」

「でも、貝沼さんの話はどうやってわかったんですか?」

「その開拓団の男達は、ソ連軍に向かって、必死に決戦したが、三人が負傷されて、連行された。進二お爺さんも含めて、他の全員は戦死した。その連行された三人は後にシベリアに連行された。戦後日本に引き揚げた。その中の一人、つい最近個人の伝記を発表して、日本で話題になった。その伝記も中国で発表した。チチハルのおじいちゃんは読んだから、私の出身の事を始めて告げてくれた。これが分かったのは私もつい最近の事だった。」


「母さんは日本に帰りますか?」

「進二お爺さんはたくさんの日本人を殺したため、日本の世論は結構厳しそうです。今帰り辛いね。でももし親族がいれば、一度会いたいですね。先祖のお墓参したいですね。」

「じゃ、私は日本に行く時、親族を探してみますわ。」


王進はこの事を簡単にゆりに手紙で書いた。もう時間が迫ってくるので、ゆりの返事をもらえないまま、日本への飛行機に乗った。

  


 王進は成田に着いた時、胸の鼓動を押さえるのに必死だった。、別れるときただの友達だったが、今はもうすっかり久しぶりに恋人と再会する気分だった。ゆりを抱きしめたい、その瞳をじっとみつめたい、その長い髪の毛にやさしく触れてあげたい、その柔らかい唇を•••。

 もうすぐ世界一の幸せな男になるとわかると,胸の鼓動は最高潮に達し、王進の心臓は踊りはじめた。税関を通ってから走って、到着ロビーに入った。

ゆりは現れなかった。

 二時間も探した。

 ゆりは現れなかった!!

ゆりの実家に、なんとか連絡が取れたが、

「もしもし、小沢ゆりさんの友達の王進ですが、小沢ゆりさんはいますか?」

電話に出てきたのは婦人の声で、とても冷たい口調で

「小沢ゆりという者はしらない」と電話を切られた。

 

 王進はゆりが住んでいた大宮のアパートに行った。ゆりは留守だった。

ゆりの会社名を聞いてないため、連絡する方法がなかった。TSUTAYAのカフェーにも通っていた。いつかゆりがふらっと現れることを期待していた。カフェオレも飲んでいた、苦しみの果に流れた涙のような苦さがじわっと口の中に広がって、王進の頭がゆりの事でいっぱいになって、思わずまぶだに涙を滲ませてうつむいた。あるカップルが入って、隣に座った。王進はそのカップルがたまに同じカップを使ってコーヒーを飲んでいたシーンを見ると心がしくしく痛んだ。それでも、カフェに何度も何度も通っていた。

 しかしゆりは現れなかった。


 王進はアパートの前の公園でブランコをゆらしていた。それを見た子供達は列になって、王進にブランコを押しくれ、とせがんでいた。王進は一時間、二時間をかけて、ブランコを押してやった。毎回王進は公園に来ると、子供たちが自然に列に並んだ。王進は何回も何回も公園に来た。

 しかし、ゆりは現れなかった。

入学試験で完敗した。なかなか集中ができなくて、今までできる問題も何回読んでも要領を得られなかった。成績発表を見なくても、結果がわかった。そろそろ中国に帰らないといけないが、どうしてもゆりを探そうと思っていた。急に日本にいる親戚を思い出した。調べると中国残留孤児の支援センターという組織があって、早速親戚を探している事を伝えたら、支援センターの職員は凄く親切で、王進のお母さんの事を細かく聞いた。最後に職員は言った。

「王進さん、心配しないてください。我々は王進さんの親戚を一所懸命探しますから、王進さんは中国に帰られでも、必ず連絡いたします。」

三ヶ月のビザの期限が来た。ずっとゆりを探していたが、見つかなかった。王進はやむ得ず中国に帰った。

半年後、中国の外交部の職員から連絡があって、王進の母さんは日本の中国残留孤児と認定されて、日本へ肉親探しのツアーに招かれた。

王進の母は日本から帰ると、家族会議を開いた。

「この間日本の東京に行って来たが、凄い先進国だった。新幹線も乗ったし、早くて、快適だった。」

「親戚が見つかりましたか?」

「見つかったが、先方はもう縁を切ったって言った。会ってくれなかった。でも、日本政府はもし私達が日本に帰りたいなら、全て手配してくれるし、日本語の教育、住宅、仕事、収入を得るまでの生活費まで全部負担してくれる。皆はどうしますか?」

王進はすぐに「私は行きたいです。」

お姉さんも「私も行きます。」

父さんはずっと目を瞑たまま、軽くため息をついた。


一年後、王進の家族は日本の埼玉の大宮に定住した。大宮に決めたのは王進の勧めだった。王進はまだゆりを探している。大宮にいれば、いずれゆりに会えるかもしれないと心の中で思っていた。


王進は工学の大学を卒業したため、埼玉の小さいIT会社に就職した。王進はわざわざゆりが昔住んでいたアパートに引っ越しして、ひとり暮らしを始めた。プログラミング開発の仕事のはずなのに、入社して三カ月間、ほとんど雑な仕事しかなく、仕事らしい仕事を任せて貰えなかった。先輩にも散々叱られた。いつも叱られたせいか、仕事のミスも増えて、さらに叱られた。悪循環に陥ってしまった。幸い、事務員である鈴木純子という女性が良くしてくれた。純子は埼玉の出身で、見た目は二十二、三ぐらいで、垢抜(あかぬ)けして、大人の女性の魅力が溢れている美人だ。特に右頬(みぎほお)にひとつ黒子(ほくろ)があって、とても魅力的だ。席が隣になっている為、純子はよく王進とお喋りしていた。ある日の昼休みの時、王進が弁当を食べた後、純子は王進に声をかけた。

「ずっと気になっていますが、王さんはいつもひとりぼっちで鬱々としていますね。何か悩んでいることがあるですか?」

 「実は日本に来たわけは文通していた彼女がいたんです。成田空港で待ち合わせすると約束しましたが、結果的に現れませんでした。アパートも留守でした。彼女の親も消息を教えてくれませんでした。この二年間ずっと彼女を待っています。彼女がよく行ったところで待っていたが、彼女は現れませんでした。」

「名前は?」

「小沢ゆりです、千葉大学を卒業して、平成二年大宮のある会社に就職しました。」

「千葉大学に行った高校の同級生がいますから、王さんは心配しないで、小沢ゆりさんの消息を尋ねてみましょうか」

「ありがとうございます、心が強くなりますね。」

2週間後、純子は小沢ゆりの消息を掴んで、王進を誘い、カフェに行った。

王進は駅前の街角にあるお洒落なカフェに、先に着いた。窓辺に座って、ちょうど外の風景が見える。ナチュラルで可愛い、ふんわりとした形の白いデザインのブラウスを着て、ネービー色のサーキュラースカートをひらりと履いている純子は窓の向こうから現れて、笑顔で王進に手を振った。王進も慌てて、手を振り返した。

純子は座ってから、「お待たせしました」。

「いいえ、今着いたばっかりです。」

二人は少し世間話しして、

「ゆりさんについて、何人かの友達に頼んで、いろいろと調べてもらいました。具体的な経緯は分からなくて、ゆりさんは現在ウィーンにいます。元気だそうです。」

「そうか」王進はゆりが元気で生きていることに少し安心した。でも二年間も連絡がないことにがっかりした。こんな形で振られてどうしても納得出来なかった。二人はしばらくコーヒーを飲んでいた。

王進は急に言った。

「一緒に映画を見に行きませんか?」

鈴木純子は二、三秒王進を見つめて何かを考えている様子だった。微笑んで「いいよ」と。

ーーーー

 王進は会社で一年勤めていた。純子の優しさに慰められて、王進の心の中の嵐は少しずつ沈んできた。時間の経過とともに記憶が(まだら)になった。ゆりの影も徐々に薄くなった。夢にゆりが現れる回数はだんだん減って、いつの間にか、ゆりが 完全に出てこなくなった。

 王進は同僚と一緒にカラオケに行ったり、ボウリングをしり、仕事もうまくいった。王進が開発したソフトウェアが爆発的に売れ、仕事は昇進し、開発リーダーになって、年収は七百万にも上った。すらりとした体型もいつの間にかゆるんだ。腰の辺りの筋肉のしまりが無秩序に流れ出ている。しかし、純子とうまくいった。今年のバレンタインに純子から手作りチョコレートをもらった。王進は心の中に何かがぽっと点火された。毎週日曜日は純子と一緒に映画を見に行ったり、プールに行ったりしていた。ある日、仕事が早く終わって、純子に「いつものカフェで待てる」と言った。

「先に行って、私は今日少し仕事が残っているから、後で行きます」

「じゃあ、後で」

王進はカフェでコーヒーを注文して、窓の外の風景を眺めていた。サラリーマン達が会社からゾロゾロ出てきて、駅に向かっている。たまに幼稚園児を迎えたママ達は子供連れの姿も見えるし、カップルが駅で待ち合わせているのが見えるし、この窓からはまるでドラマの断片が上演されているようだ。駅から、カジュアルだが上品な襟付きのワンピースを着ている女性が現れた。フレアハットを深くかぶって、顔がよく見えないが、優雅な歩き方から王進はすぐ分かった。ゆりだ。

王進は直ちに外に飛び出した、ドアを出るや否や、純子が入って来た。

「ごめん、ゆりが居た。待ってね」

純子はショックを受けて、口を開けたまま、王進が走り去った姿を見届けた。

王進は駅の近くに行くと、もうすでにゆりの姿は見えなかった。周りを探したが、どこにもいなかった。でも、ゆりが大宮にいるのは間違いない。

王進は純子の事を思い出した。カフェに戻ると、純子の姿もなかった。

王進は駅前のホテルに一軒一軒電話した、最終的に、東横インホテルでゆりを見つけた。二人はその晩会う約束をした。

王進は東横インの近くのカフェに入ると、ゆりも待っていた。

ほぼ四年ぶりにゆりにあったが、今まで人形のような少女のあどけなさが全て抜かれて、成熟な大人の女性の風姿をたたえ、その美しさが眩しくで、王進は心臓がギュッと握られたように痛くなった。

「ゆりちゃん」

「しんくん」

二人はしばらく互いに見つめていた。

「ゆりちゃん、ずっと探していた。」

「ごめんなさい。成田空港に行きたかった。今まで、親がいつも私の主張を聞いてくれるが、なぜが今度は二人の交際を大反対した。何日も部屋に閉じ込められた。その後、あいにくウィーンの一人暮らしの叔母は急に入院して、家族は一緒にウィーンに行った。叔母が退院して、介護が必要なので、私をウィーンに残した。ずっとシンくんの消息を調べていたが、なかなかわかりませんでした。つい最近、シンくんは大宮のIT会社に勤めていることがわかって、すぐ大宮に飛んできた。きたばかりなのに、シンくんから電話をもらって、嬉しいわ」

「ゆりちゃんの消息全然ないから、すごく心配したよ」

「わかります、ごめんなさい。心配かけて悪かった。」

「今回もうウィーンに戻らなくていいでしょう。」

「いいえ、1週間しかないので、また帰らなくてはならないの」

「本当、1週間付き合うよ」

「嬉しいわ」

王進は休暇を取った。純子は機嫌がすごく悪かった。

王進はゆりと一緒に映画を見にいったり、寿司を食べにいったり、ビーチも行ってきた。でも、多分純子の事を気にしているから、王進はゆりを抱きしめなかった。あっという間に、一週間が終わった。王進はゆりを空港に送った。別れる時、ゆりは一枚の綺麗なメモを王進に渡した。住所と電話番号だった。

「私はしばらくウィーンにいます。シンくんは今仕事があるし、もしかしたら彼女もいるかもしれない、無理なこと言わないから。でも、もし可能性が有れば、シンくんがウィーンに来てくれれば、嬉しいわ。いつでもいいから、シンくんが来るのを楽しみにしています。これは私の連絡先」ゆりは無理に笑顔を作った、目が失望を語った。

ゆりが空港のゲートに消えてから、王進は急に心の中に大きな穴が開いた。

ゆりを失いたくない。どうしても。


翌日、王進が出勤すると、純子は愛嬌(あいきょう)のいい声で

「進くん、おかえり」

王進ははじめて純子に進くんと呼ばれたので、少しびっくりした。

「おう、おはよう」

純子は王進の耳元で小さい声で「仕事が終わったら、いつものカフェで待ています。」

「はい、わかった。」


駅前のカフェで二人が座っていた。純子は優しい口調で語っている。

「私の家族は両親と弟がいます。皆とても優しいです。父は会社員です、母は専業主婦、最近少しパートをしています。私は小さい頃、家族といつもキャンプに行きました。父がテントを設置したり、焚き火を起こしたりして、母は料理をしていた。私と弟が両親を手伝ったり、遊んだりしていた。あれは本当の幸せの家庭と思っているので、いずれ自分がそのような家庭を築きたいです。父は中国の文化が大好きで、よく三国志を読んだりしていた。仕事の関係で、何回も中国に行ってます。父はいつも中国は今まだ発展途上ですが、中国の頑張っている若者をみると、これから中国の時代になると言ってました」

「純子はいい家庭環境で育てられたね」



「わたしはいい奥さんを目指している。最近、料理教室も通っているの。一番幸せな家庭を作りたいですね」純子は王進に情のこもったまなざしで見つめている。

王進は小さいため息をついて、ほぼ聞こえない声で「stray sheep」(ストレイ・シープ)自分の頭を保護するように両手で覆ってしまった。

王進は自分のアパートに帰った。窓から公園を見つめた。あのブランコでかつてゆりが乗っていた。王進はゆりの手紙を取り出して、もう一度読んだ。大学時代の思い出が、ダムが放流したように波が怒濤(どとう)に湧き出した。たしかに純子を選んだら、きっと一生、幸せな家庭ができるかもしれない。安定な仕事、優しい妻、また二人かわいい子供ができれば、最高な人生になるはずだ。ゆりを選んだら、すべて未知になる。一生、浮草のようになるかもしれない。でもいくら理性で分かっていても、やはりゆりがいない世界が嫌だ。すべて捨てて、ゆりを探しに行こうと決心した。

王進は退職届を提出した。純子にゆりを探しに行くと伝えた。失望の色が純子の顔に浮かんだ。王進は他のスタッフに仕事を引き継いてもらって、オーストリアのビザを取得して、ウィーンに行く航空便に乗った。

ウイーンに着いた時、空港のロビーでゆりが待っていた。

ゆりは王進を見かけると、すぐに王進を抱きしめた。王進は顔が真赤になって、周りを見て、たくさんの人がいたが、二人をだれも気に留めなかった。

「進くん、ずっと待っていた。何回も飛行機のスケジュールを確認した。定時に着いてよかった。」

ゆりの情熱に王進は少し戸惑った。でも結構嬉しかった。

タクシー乗って、少し街を周った。ウィーンの道路が結構広くて、特に歩道がすごく広かった。道沿いのカフェ、雑貨店などがあって、すごく素敵だ。ゆりが住んでいるところは叔母のマンションだった。フォルガルテン通りで、ドナウ川に近いところだった。五階建ての二階の家だ。家に入ると、広いリビングの真ん中にグランドピアノが置いてあった。マンションは4LDKで、各部屋がかなり広い。品のいい家具やインテリアが置かれていた。周りの壁におばの受賞の写真がいっぱい飾ってあった。おばは有名なピアニストだった。名前は小沢佳子だ。そこには、佳子と一緒に写っている若い男性のバイオリニストの写真は多数あった。二人のコンサートで共演する写真、一緒に旅行した写真など、王進は気になって、「こちらはおばさんの彼氏?」

「元カレらしい、いま確か日本にいます。」

「おばさんは?」

「オバは最近調子が悪くて、入院繰り返しているの。ただいま入院中です。」

「あした、一緒に見舞いに行きましょうか」

次の日、二人は病院に行ったが、小沢佳子はずっと昏睡状態に陥っているので、話ができなかった。二人はオバの家で暮らして、ウィーンを拠点にして、ヨーロッパも少し周った。二人でウィーンを観光したり、ドナウ川下りをしたり、ローマ、パリ、ベルリンも観光したりして、楽しい時間を過ごした。

 ウイーンの空は常に青々しい。その指を入れでもしたら染まるような空の青さにだれもが感動するだろうと、王進はいつも思う。

 一ヶ月滞在したある日、アパートの電話が鳴った。ゆりが電話に出ると、王進の電話だった。王進は、ここで知り合いが一人もいないし、不思議だなと思いながら、電話を取ると、電話の向こうから親しい口調で

「おい、王進、俺だ、楊民だ」と聞こえてきた。

 ウィーンで楊民に会えるなんて想像もしなかった。三人は街角の一軒のカフェーで待ち合わせした。王進とゆりが座ったばかりの時、楊民が現れた。楊民は高級なスーツ姿で、テキパキした動きで、機敏(きびん)で練達であることを周囲に披露していた。生気にあふれた顔色もいまの仕事の順調さを伺わせる。楊民は「ゼアヴス」(あなたにお仕えします)と言いながら、力強く王進と握手して、ゆりをハグして、左右の頬に軽くキスをした。ウィーンでよく見られる挨拶だが、ゆりは戸惑(とまど)いを隠さなかった。楊民は爽やかに話した

「ごめんね、ウィーンの挨拶はまだ慣れていないかな」。

 楊民は前よりさらに魅力的になった。穏やかに話していた。

「俺さ、父親のコネを頼って外交部(外務省)に就職して、一年前からウィーンの大使館に配属された。この間、王進のビザのファイルを見たから、連絡が取れた。」

「電話があった時、私たちは不思議だと思ったよ」ゆりが納得したように頷いた。

「ここはね、素敵な街だけど、友達が出来なくて」

 楊民はゆりを見ながら意味深(いみしん)に「寂しかったよ、二人が来てくれて、よかった。」

 楊民はとても饒舌だ。ウィーンの歴史から、風土民俗までいろいろ話した。ゆりがタイミングよく相槌したせいか、楊民の話がますます盛り上がった。王進はなぜか楊民の前でいつも躊躇して、なかなか話に参加できなかった。別れる時、楊民が

「車があるから、いろいろ案内するよ。」

「本当に?嬉しいわ」ゆりが両手を胸の前で握って、喜んでいた。

「あしたディナーはいかが?良い所を知っている」楊民の目は奇異な光がちらついた。

 次の日のディナーは素晴らしかった。どれも妥協なしの厳選素材で、味を繊細に凝らした苦心の逸品、オーストリアの料理の真髄(しんずい)が完全に再現されていた。

 最後にコーヒーが出されている時、楊民が周りに気を配りながら、ウェイターに低い声で話した。そして

 楊民がゆりに「余興(よきょう)として、一曲差し上げます」。

 ウェイターが楊民をグランドピアノの前に案内した。楊民がピアノの前に座って、ピアノを弾き始めた。

ーーーーーーーー

「エリーゼのために」だった。優雅で(なめ)らかなメロディーが空間に漂って、その繊細な愛情表現が心の中に潜んだ秘密を切り裂いた。ゆりの目にはいつの間にか涙らしい光の影がだんだん溜まってきた。王進のお腹が少し不調になって、トイレに行った。王進が戻った時、楊民はゆりと二人で愉快に話していた。

「ウィーン交響楽団の明日のチケットを手に入れたよ、ラファエルが指揮者として最後の演奏だから、なかなか、チケットが入手しにくかった。行こうよ」楊民が真剣に言った。

「いくよ、いくよ」ゆりもすごく楽しみにしている。

「はい、わかった、いきましょう」王進はあんまり行きたくないが、ゆりの様子を見ると、行くしかないと思った。

 次の日に、王進のお腹の調子はますます悪くなって、コンサートに行ける状態ではなかった。

「ゆりが一人で行っていいよ、俺は少し寝れば、よくなるよ」

「じゃ、帰りに薬を買ってくる、お大事に」ゆりが深緑のドレスを着て、楊民と一緒に行った。


 コンサートから帰ってきたゆりがいきいきして、楽しそうに見えた。。王進は体調が良くなく、楊民に嫉妬したせいか、ゆりの態度にますます腹が立った。次の二、三日、王進がゆりと口喧嘩ばかりした。

 ゆりは楊民に悩み相談をしに行った。二人はレストランに行って、いっぱい話をした。その晩、ゆりは帰って来なかった。王進が楊民に電話したが、

「王進さ、ゆりがいま帰りたくないと言って、今夜俺の家に泊まるから、心配しないでね」

 王進は後の話が全然聞こえなかった、「子羊を狼のねぐらにいれて、心配しないでね、だと?」

 王進は意識が朦朧としいる。現在の状況をはっきりさせようと思ったが、なかなか集中できなくて、何が有ったか理解さえできなかった。何時間か何日か寝ていた。目が覚めたとき、午後だった。部屋中でゆりを探したが、いなかった。頭が少しはっきりして、ゆりが去ったことも思い出した。ふっと思うと、もしかして、楊民は俺のコップに毒を盛り込んで、ゆりを誘拐したかもしれない。ゆりを救わないといけない。アクション映画の中でヒーローが敵のねぐらに入って、恋人を救ったようなシーンが脳裏に再現された。でも冷静に考えると、どうしても自分のキャラクターに合わない。何か手を打たないといけないと思いながら、玄関を出た。ポストに手紙を見つけた。開くと、ゆりの手紙だった。

「ごめんなさい、私はウィーンで暮らすので、しん君は先に帰っていいよ。さようなら ゆり」

 ゆりが自分の意思で去っていった。王進は心に激痛が走った。ナイフが心を貫通するような痛みだった。王進はよろめきながら外を歩き始めた。周りの車とか、自転車とか、運転手達の怒鳴り声とか、殆ど気にならなかった。


 忘我(ぼうが)の境に入った王進はひたすら歩いた。何時間も歩いたが、ドナウ川の川辺に来た。確かに二人でここに来たことがある。ひとつのベンチのような石に二人はぴったりと寄り添っていた。王進は石に腰を降ろした。周りに淡いセッケンの香りがまだ残っていた。後悔の気持ちがいっぱいだった、ゆりと喧嘩しなかったら、今またゆりと楽しく暮らしているはずだった。王進は自分を恨んだ。肺の中に膨らんだ空気が王進を圧迫した。王進はドナウ川に「王進、バカヤロウ」と叫んだ、一人もいなかった川辺に、いままでの疲れ、不満、失望、後悔、嫉妬、愛の葛藤とか、すべてドナウ川に向けて、「バカヤロウ」と張り上げた。叫んでも叫んでも、何の手応(てごた)えの無い黄昏(だそがれ)の秋の荒野に立たされているような、これまで味わった事がない悽愴(せいそう)の思いに襲われた。晴れ晴れとしたウィーンの空に雲が急速に集まっておどろおどろしく、遠い雷鳴が王進の叫び声を消した。


 王進はゾンビのように暮している。今まで酒を飲まなかったが、酒に(おぼ)れ始めた。アパートの近くに、お洒落なバーがあって、よろよろとそのバーに通った。恍々惚々(こうこうこつこつ)と飲んでいる時、身長が低くて、丸顔の男性が酒をお酌してくれた。

「偉東、お前か、来てくれた」なぜが劉意東(リュウイトン)がここで現れても不思議だと思わなかった。

「ごめん、ゆりが俺と別れた。一生世話をしようと思ったのに。お前と約束したのに」

劉意東(リュウイトン)が優しく王進の背中を撫でてくれた。

「本当はロマンチックの街ウィーンでゆりをサプライズのプロポーズをしようと思った。なぜがここで楊民にあった。俺は力不足なので、ゆりが楊民を選んだ。」  

王進は劉意東(リュウイトン)にゆりと一緒に過ごしたこと、別れること、繰り返して話していた。話しながら、泣いた。泣きながら、話した。劉意東(リュウイトン)はいつも真剣に聞いていた、たまに慰めたりした。王進は段々我に戻ったように、穏やかになった。初めて、劉意東(リュウイトン)を見つめた。背丈が低く、横にぽっちゃり太っている。ハゲかかった広い(ひたい)がピカピカで、いつも満面の笑顔で、すぐ友達になれそうな雰囲気だが、劉意東(リュウイトン)に似ている。

劉意東(リュウイトン)?」

「自己紹介遅れて、失礼しました。私はこのバーのマスター杉本剛でございます。日本人です。よろしくお願い致します。」

「そうか、人違いでした。失礼しました。私は王進です。よろしく」

「王さんはいつもゆり、ゆりと呼んでいた。彼女ですか」

王進は杉本剛にゆりとの出会いとか、日本でのでき事とか、ウィーンで別れたとか、すべて杉本剛に話した。そして、王進と杉本剛二人は仲良くなった。杉本剛はかつて軽井沢でバーを経営していた。妻が浮気して、男と逃げた。そして、杉本剛は軽井沢で続けて経営する意欲をなくした。店を閉めて、ウィーンに旅行に来た。ここに来たら、気持ちも晴れて、ウィーンが好きになったから、ここで店を構えるようになった。王進の彼女も他の男と逃げたので同病相憐(どうびょうあいあわ)れむという言葉の通り、すぐに意気投合した。

 

「王さん、これからどうします?日本に帰る、ここにいる?」杉本剛は王進の目を見つめて、真剣な顔で聞いた。

「ゆりがいるウィーン、ゆりがいない日本、どこに居ても辛いから、中国に帰る。」王進は物憂(ものう)げに答えた。

 王進は諦めた。諦めたというより、ゆりが幸せになるなら何よりと思った。全身全霊でゆりを愛していることに気付いた。自分より、楊民と一緒に暮らせる方がきっとゆりにとって一番良い選択だ。王進はこの一生の中でゆりを愛したことを誇りに思う。これからもゆりだけを心の中でこっそり愛し続けようと思う。ゆりに手紙を書き続けることを心の中で決めた。しかも、その手紙を一通もゆりに送らないと決めた。ゆりの幸せな生活を破壊したくないから。これから、一生ゆりの幸せを祈ることを決めた。 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この夜は満月だ。「愛のコンチェルト」の曲と淡いセッケンの香りが満ちた夜だった。

 王進は中国に帰った。仕事しながら、ドイツ語を習った。毎年休暇をとってウィーンに行った。ゆりの結婚式の時、招待されていないが、式の会場の外で隠れて眺めた。ゆりの綺麗な花嫁姿を見たかった。ゆりは気品漂う白いウェディングドレスを着て、百合の花のように輝いていた。

 でも王進はゆりに声をかけなかった。

 ゆりが妊娠している姿を眺めた。ウィーンの路地で大きなお腹を突き出してぶらぶらしている姿が可愛かった。

 でも王進はゆりに声をかけなかった。

 ゆりが赤ちゃんを抱いて買い物する姿を眺めた。ゆりが赤ちゃんにチューしたシーンを見て、王進は心がきゅっと感動した。

 でも王進はゆりに声をかけなかった。

 ゆりが子供を幼稚園に送るのを眺めた。子供がゆりに手を振っている姿を見て涙した。

 でも王進はゆりに声をかけなかった。

 ゆりが子供と公園のブランコで遊んでいるのを眺めた。ゆりのスカート姿が綺麗だった。

 でも王進はゆりに声をかけなかった。

 ゆりの子供は小学校に入学した。中学校、高校、大学に行った。就職もした。

 ゆりはさらにチャーミングになった、可愛いシワもこっそり目の下に刻まれて来た。川辺をゆったり散歩していた。夕日に染められた長い髪の毛が、風の中でゆらりとしていた。ハガキを買いに来たゆりの姿を思い出した。

 でも王進はゆりに声をかけなかった。

 王進は退職した。ゆりの家の附近にアパートを借りた。ゆりの白髪まじりの髪の毛を眺めた。白髪がいぶし銀のように清々しく光る。愛しかった。

 でも王進はゆりに声をかけなかった。

 ゆりが杖をついてひょろひょろして公園に行った。ベンチに座ってブランコを何時間も見ていた。

 同じようによろよろになった王進は同じベンチに座った。一緒にブランコをさらに一時間見た。

 王進はようやくゆりに声をかけた。

「ゆり、ずっと思っていたが、ゆりがブランコに座って、ゆりの背中を押したかったなあ。」

 ゆりがいぶかしげに王進を見た。首を傾げて、「どちら様でしょうか」と王進に聞いた。

「王進です。」

 ゆりが地面を見て、「王進、王進、思い出せないが、凄く懐かしい名前のようだ」

「そうか。忘れたか。ひとつだけ知って欲しい。俺、王進、ゆりのおかけで幸せの一生を送った。愛に満ちた人生だった。ありがとう。」

 王進はベンチの背もたれに寄り掛かった。「いい人生だな」と、ゆっくり目を閉じた。

 淡いセッケンの香りと「愛のコンチェルト」が絡み合って、ゆりと王進の周りに漂って、漂って、漂っていた。

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 王進は目が覚めた。何故か一九九四年のウィーンに戻った。ゆりと別れたばかりの時だった。王進は起きて、周りを見ると、全て変わっていなかった。しかし心の中に幸せと愛が満ちていた。「ゆり、ありがとう」

 王進は満足げに再び横になった。


 この夜は満月だ。

 王進は横になりながら、恍々惚々になった。淡いセッケンの香りが部屋の中で漂って、「愛のコンチェルト」がみなぎった。ゆりの若くて、なめらかで柔らかい体が王進の腕の中に入って来た。

 朝になっても、王進は目を開けなかった。昨日良い夢を見たから、その香りがまだ残っている。しばらく昨日の夢を見ようと思っている。王進は手を伸ばして、柔らかい体に触れた。

 王進は目を開くと、ゆりが横に居た!!


 ベットの中でゆりは泣いた。王進はゆりに謝りながら、ゆりの透明な涙を一粒ずつ舐めた。ゆりは頭を横に振りながら、「しん君は悪くない、私、酷いことしたの。しん君が謝ると、私もっと苦しくなるの」

 王進は慌てて言った「分かった、もうすべて過ぎた、過去はどうでもいいから、ゆりが帰ってくれば何よりだ。」

 ゆりがぽろぽろと大きい雨粒のような涙を流した。

 王進はゆりが帰って来ることを喜んでいた。ゆりは急に帰って来たわけも何もいわなかった。王進も何も聞かなかった。ゆりは二日ぐらい寝込んでいた。王進はお粥を用意して、ゆりが目覚めた時、少し飲ませた。ゆりが少し元気になったから、二人が外で散歩するようになった。そして、風光明媚(ふうこうめいび)なハルシュタットに遊びに行った。湖畔に佇み、湖面に映り込む可愛らしい建物と四季折々に色づく背景の山並みが見事に調和し、その瞬間にしか見ることのできない景色を作り出していた。

 自然のパワーと王進の見守りの中で、ゆりの心の嵐は少しずつ静まった。二人はハルシュタットの小さいカフェで神秘性を漂わせる清冽(せいれつ)な湖を眺めながら、コーヒーを飲んでいた。

焦げた果実のような香りで、リキュールの芳醇さ、爽やかな酸味、ベルベットのような口当たり、まろやかな少し渋みが残る余韻、これはオーストリアのモーツァルト・コーヒーだった。

ゆりは黙って、しばらくコーヒーを飲んだ後、今までの事を語ってくれた。

 ゆりは王進と口喧嘩してから、楊民に悩みを相談に行った。楊民はゆりにお酒をたくさん飲ませた。ゆりにいろいろと話かけて慰めた。そして、ゆりを楊民の家まで連れて行った。ゆりは意識が朦朧とする内に、二人が肉体関係を持った。朝、ゆりが目を覚ますと、すごく後悔した。でも楊民が謝ってくれて、一緒にウィーンで暮らそうと申し込んでくれた。ゆりはもう王進に申し訳ない気持ちがいっぱいで、ウィーンに残って、楊民と一緒に暮らそうと決意した。王進に別れる手紙も書いた。でも、後に楊民が中国で結婚していたことがわかった。楊民の妻は中国の政治家の娘で、政略結婚だった。楊民は神に誓って、ゆりだけを愛している、いまの関係をずっと維持したい。でも楊民は離婚もできない、これは楊民の政治生命に関わることだから。

 ゆりはこれまでのことを振り返って、家族と喧嘩して、家出をした。いろんな苦労をして、最後不倫関係に堕ちた。苦楽を共にした彼氏まで失った。ゆりは自分自身を嫌がっていた。ゆりは楊民のマンションから飛び出して、行先がないまま、ひたすらにドナウ川の川辺を歩いた。空は濃厚な雲ですべて星と月を隠した。ドナウ川はさらさらと鳴っていた。急に(ほの)かに「愛のコンチェルト」が聞こえてきた。

 大学の文化祭で散々叩かれた王進の頭を忘れられなかった。

「愛のコンチェルト」の演奏が終わった時、一列目に座ってた王進の涙だらけの顔を忘れられなかった。

 自分の演奏にそこまで感動している方が始めでなので、逆に王進の涙に感動させられた。そのあと、王進の存在に気づいた。

 寮の窓から王進が屋台を出すのを見て、いつもより早めに寮から出て、わざわざハガキを買ったことを忘れられなかった。

 キャンパスの中で、無意識に王進の姿を探していた。

 食堂でほかのルームメイトに何人分かの朝飯を買っていた王進の姿を忘れられなかった。

 先生を手伝って黒板を消したり、先生とか、友達の荷物を運んだ姿を忘れられなかった。

 自習するとき、王進が同じ教室に来てくれて嬉しかったことを忘れられなかった。

 BBQするとき、王進が忙しそうに、BBQセットを設置したり、火を起こしたり、肉を焼いたりする姿を忘れられなかった。

 王進がサッカーをする姿を忘れられなかった。

 王進に会いたくて、いつも日本語コーナーに出るのも忘れなかった。

 後片づけをしている王進の姿を忘れられなかった。

 一緒に寮に帰る途中、いろいろお喋りしたことを忘れられなかった。

 一緒に海を見たことを忘れられなかった。

 日本に帰ることを伝えた日の夜の月を忘れられなかった。

「手紙を書いてもいい?」と王進は言ったとき、本当にホッとしたことを忘れられなかった。

 二年の間届いた百二通の手紙の内容を忘れられなかった。

 いつもいつもポストを確認することを忘れられなかった。

 王進に会いたい。王進と一緒にいたい。だから、あの夜王進の所に帰ってきた。

 ゆりが心の中を打ち明けてくれて、王進は高まる気持ちを抑えきれなくて、つい思わず泣いてしまった。二人が我を忘れて、互いに抱き合って、しばらく泣いていた。少し落ち着いてから

「もう大丈夫だ、どこにも行かないでくれ、俺が守るから」王進は両手でゆりの両手をしっかり握りしめた。胸の内に秘めた情愛が脈々として絶えなかった。

ーーーーーーーーーーー。


 王進はゆりを杉本剛に紹介した。杉本剛はすごく喜んでいた。

「ゆりは凄い可愛いね、どこの女優さんかな。しん君にもったいないな」と冗談を言った。

「杉本さん、やめて」王進は無邪気に笑いながら言った。

「いつもしん君の世話になって、ありがとうございます。」ゆりがお辞儀しながら、挨拶した。

「いいえ、どんでもないです。しん君のおかけて、今月いっぱい儲かったよ」杉本剛の満面の笑顔が可愛かった。

 王進は恥ずかしくて、顔が真赤になった。「ごめん、ゆりちゃん、僕、気をつける。」

 三人はしばらく冗談を言った。

小沢佳子は意識が戻ったという連絡があって、ゆりと王進二人はおばを見舞いに行った。王進が来てくれることに、おばはすごく喜んでいた。王進の手を握って、弱々しく、話した。

「わたし、若い頃、ウィーンに音楽留学に来た。同じ日本からの留学生高木次郎と恋に落ちた。でも、結局私はウィーン交響楽団に就職して、彼は就職できなくて、日本に帰った。それでわたしたちは別れた。私は何人かと付き合いしたが、彼のことが忘れることが出来なくて、日本に帰って、彼を探そうと思った時、彼はもう結婚していた。そして、わたしは一生ウィーンで一人暮らしていた。一つだけを教えてあげたい、仕事より、愛を大事にしなさい。人は一生のうちたくさん仕事に就くことができる、本当の愛はめったに会えない。今の愛を確信できれば、しっかり掴みなさい。」

王進はしっかりおばの手を握って、「心配しないで、僕は一生ゆりと一緒にいます。」

軽い微笑みがおばの顔に浮かんだ。

王進とゆりはアパートに帰った時、日本からおば宛の大きい荷物が届いた。依頼主は東京の法律事務所らしい。不思議と思って、開けてみると、バイオリンだった。法律事務所が添付した手紙によると、高木次郎は先月亡くなったとのことだった。このバイオリンをおばに贈与すると言う遺言があった。王進とゆりは早速病院に戻って、バイオリンをおばに届けた。同時に法律事務所の手紙を読み上げた。おばは特に表情がなかったが、目が輝いていた。ゆりはバイオリンのケースを開けると、中に古いバイオリンが置いてあった。それをとりだして、おばに渡したところ、一枚カードがバイオリンから落ちた。王進はカードを拾って、読み上げた。

「佳子、一緒に暮らせなくて、残念です。先に参ります。天国で待っています。天国で永遠に愛します。次郎」

叔母はバイオリンを抱きしめて、「ずっとこの日を待っていた。次郎、待ってくれ、これから行くよ」とながいため息をついて、満足そうに目を閉じた。

「おばさん、おばさん」ゆりは佳子の体を揺すりながら、叫んだ。

佳子はこの世を離れて、自分の愛する方のところ行けるようになった。

王進はゆりを抱きしめて、「おばさんは幸せだ、互いに愛する方がいるから」「愛のコンチェルト」は病室でゆっくり漂っていた。時間が、崩されていくようなゆっくりなテンポだった。旋律(メロディー)が、一滴ずつ、()んだしずくとなってしたたり、病室の中に幾重(いくえ)もの波紋を広げていた。

叔母のお墓にバイオリンと次郎のカードを一緒に入れてあげた。

叔母の葬式が終わると、杉本剛は真剣に聞いた「二人はこれから、どうしますか」

「二人で相談しましたが、これから日本に帰って少しアルバイトして、いずれは二人の商売をやろうと思っている。」ゆりが答えた。

「商売するなら、軽井沢に物件を持っているよ!なかなか借り手が見つからなくて、不動産税ばっかり払っている。店内に何もかもあるからさ、あそこで商売を始めたらどう?家賃も取らないからさ、各種費用、不動産税とか負担してくれればいいから。軌道に乗ったら、いくらかの家賃をくれれば、ありがたいよ。」

「本当に?!嬉しいわ!ありがとうございます。でも、進君は北海道で農業か酪農業をしようと思っているの」

「やっぱり百姓の子だからね、まあ、うまく行かない時、いつでも相談に乗るよ」

王進はゆりの肩を抱きしめて、淡いせっけんの香りを楽しんでいた。

日本に帰る時、杉本剛は空港まで送ってくれた。

「寂しいね、帰ったら、手紙でも書いてくれ」

「杉本さん、ありがとうございました。また会いましょうよ」ゆりは軽くお辞儀をした。

なぜかゆりのいつもの笑顔が急に凍った。楊民が現れた。隣に一人の婦人がいて、豚のように太っている。何本もの太いネックレスを飾っているチャイナドレスを着て、全身の肉をきつく縛られて、いつでも爆発しそうだった。

「こんにちは、奇遇(きぐう)だね。ちょうど、家内は今日中国から来ました。

こちらは家内です。こちらは大学時代の同級生王進さんと小沢さんです。二人は今どちらに行きますか」

「はじめまして、奥さん。私達はこれから日本に帰ります。」

「ほら、日本はいいところだ、わたしもう何回も何回も行ったよ。見て、このネックレスは日本で買ったよ。」楊民の奥さんは中国語で(ほが)らかにはなした、さらに日本語で「かわいい?」

「素敵なネックレスですね」王進は相槌を打った。

「ほら、楊民、ウィーンに友達いるのに、何も言わなかったね。」楊民の奥さんは文句を言った。

楊民はそれを無視して、意味深な表情でゆりを見つめていた。「いつウィーンに来ても、大歓迎です。お待ちしております。」

「恐らくこっちに来る可能性ないね」ゆりは冷たく言った。

「時間です、中に入りますから、さようなら。」王進は手を振って、ゆりと一緒にゲートに入った。

飛行機がウィーンの上空を通過した、ドナウ川が蜿蜒屈曲(えんえんくっきょく)と流れて、水面から、光が飛び上がって、きらきらと、空で「愛のコンチェルト」を組み合わせていた。


王進はゆりと二人で北海道の酪農家で働き始めた。酪農家の主は三十代くらいバツイチの女、名前は横路かおり。実の母信子と五歳の息子翔太、三人で暮らしている。元々かおりの父の牧場だが、息子はいなくて、婿養子を迎えた。家族五人で酪農家として生活していた。去年ひとつ交通事故でかおりの父と夫が一緒に亡くなった。牧場を手放そうと思うが、なかなか受け継ぐ人が現れなかった。人手が足りなくて、雑誌で急募すると、王進とゆりが応募しにきた。即採用された。かおりは若々しく、右頬にかわいらしさを感じさせる黒子がある。かおりは王進を見る目が輝いた。まるで長年見つからなかった一番気に入りの宝物が急に戻って来たコレクタの目のように。ゆりはその目が気に入らなかった。王進はどこかでかおりに会ったことがあると思ったが、どうしても思い出せなかった。

 かおりは王進とゆりに一人ずつ部屋を用意した。王進は実家の農家の仕事よく手伝いから、すぐ酪農家の仕事も慣れた。かおりの牧場は六十頭牛を飼育して、搾乳(さくにゅう)、牛舎清掃、餌やりなど、全盤的な作業をやらなくてはない。朝三時半に起きって、四時から九時まで、午後三時から六時まで仕事だった。最初はゆりがこんなに大変の仕事に慣れなくて、特に朝起きるのに、辛かった。一か月くらいやって、体が慣れった。王進と二人談笑しながら、働くことが楽しかった。昼間ずっと休みなので、王進は暇を利用して、車免許を取った。中古の軽を買って、よくあちこちに回った。

 北海道の初夏はとても爽やか、過ごしやすい季節だった。昼休み時、王進はよく翔太とサッカーをしていた。たまに翔太に英語を教えたり、孫悟空のストーリーを語ったりをしていた。かおりもいつも手作りヨーグルト出してくれる。かおりは毎日違うブラウス着て、ブラウスのネックの大きい開い口から乳房(ちぶさ)の膨らみがはっきりに見えるようになっている。ゆりがそのブラウスを見て、そして自分の(みじ)めな繋服を見て、ますます不愉快に思った。名状しがたい不快感がよく王進に溢れてやった。王進はろくに理解できなかった。ゆりも王進の鈍感にますます怒った。ある日、王進とかおり二人で楽しく話している場面を見て、ゆりは怒りを抑えなくなって、自分の部屋に入って、王進が大好きなゆりの長い髪を短くまで切った。そして、一日中王進と何も喋らなかった。王進はなんとかゆりを連れて、広大な自然中にドライブした。海のような広くて綿々な平野が縦横無尽にどこまでも伸ばして、地平線の所がボケた山がロープのように怠惰に横にしている。一本真っ直ぐの道が、空に溶けるように無限に延長した。清々しい風は肺を洗うように、ゆりはようやく元気になった。岡本真夜(おかもと まよ)の「Tomorrow」を歌い始めた。それから、毎回ゆりが不機嫌になると、王進はいつもゆりを連れてドライブすることにした。

 ある日、ゆりがまた不機嫌になった時、王進はかおりのお母さん信子に呼ばれた。信子の部屋に入るのは初めてだ。古い和室で、仏壇の所にご主人と婿の写真を飾られた。畳部屋の廊下側、堀こたつがあって、そこに王進を座らせた。いろいろ挨拶した後、信子はかおりのことを語っていた。

「かおりちゃんはすごく優しく、辛抱強い子ですよ。二十年前、かおりちゃんが十歳の頃、私病気になって、退院しても、ろくに家事ができませんでした。お父さんはひとりで牛を世話しているんから、家事はほとんどかおりちゃんがやってくれた。十歳の子なのに、そこまで苦労させて、今思うと、心が痛くなりますね。」信子はハンカチを取り出して、涙を拭いた。

「大きくなっても、親孝行して、我々の老後のため、婿養子を迎えた。こんな優しい子必ず幸せになると思ったのに、何故が……」信子は顔をハンカチに埋めた。

 しばらくしてから、信子は息を整えて続きて話した「この牧場は小さいけど、千万以上の収入が確実ある。誰が婿入りしてくれば、一番安泰かしら。王さんみたい方なら、うちとしてすごくありがたい方ですね」

 王進は何を返事すれば分からなくって、ただ「ああ」「はい」とか相槌した。

 信子はまたゆりについて話をした「ゆりは体が弱くて、こんな苦労な仕事するのが大変みたいですね。本当に実家に戻って、親と仲直りした方がゆりとしては幸せではありませんか?二人はこんな苦労して、ゆりの親はきっと心が苦しいと思いますよ。ゆりを幸せに暮らせる生活に戻らせるほうこそ本当の愛情ではありませんか?」

 どう聞いても反論できないほど正論のようだ。王進は「そうですね」(うなず)いて答えた。

 王進は信子の部屋から出ても、心の葛藤に苦しんでいた。最近ゆりの不機嫌な顔を見ると、自分はゆりに幸せを与えられないことに深く自責した。

 十月は、冬の準備をする時期である。王進はいろんな箇所を点検した所、牛舎の屋根が緩んでいることが分かった。王進は牛舎の屋根に登って、屋根を直している時、急に風が強くなって、足が滑って、屋根から落ちた。しかも落ちた時、牛舎のそばに横に置いてあった丸木に滑って、大怪我になった。大腿骨が骨折して緊急入院た。手術した後、病院の先生の説明によると、最低二か月間入院する必要がある。退院後もしばらく休まないといけない状況になった。しかも、かなりのリハビリも必要だし、人によって、一生杖か、車椅子の生活をする方もいる。

 牧場の仕事に支障も出て来て、人手が足りなくなり、新しい従業員が入ってきた。退院後、ゆりが王進の看病のために、王進の部屋に住み込んだ。王進はますますゆりに申し訳ないと思うようになった。今後一生障害者になるかもしれないという不安から、ゆりを幸せにする自信も徐々になくなった。王進はゆりに自分の思いを打ち明けた。僕と別れた方がいいと言った。王進にとってゆりに迷惑かけるのを心苦しいと思っている。ゆりと別れる方が心理的にも楽になるから。

「しん君、馬鹿だよ。まだ私を理解してないの?しん君のこと好きだから、一緒に暮して、どうなに苦労しても苦しいと思わないの。最近、たまに不機嫌になったのは、生活が苦しいわけじゃなくて、それは、横路さんとしん君がイチャイチャしてて、むかついたの。それは女のやきもちだよ。しん君が一生、車椅子生活しても、世話してあげるわ。しん君を世話する方が、私の幸せだよ」

 王進は感動の嵐が吹き荒れられて、胸がじーんと熱くなって、思わず涙が出てきた。ゆりは王進の頭を抱いて、一緒に泣き始めた。

 淡いセッケンの香りが「愛のコンチェルト」と絡まりながら、部屋中に延々と漂っていた。

 王進は少しずつ良くなって、松葉杖を使って、歩くようになった。ろくに仕事できないため、かおりは王進に対してすごく冷たくなった。王進は自分の今の状態で牧場の仕事が出来なくて、ほかのできる仕事を探そうとゆりに相談した。かおりと離れることをずっと前から考えたゆりは反対するわけがなく、早速辞表を提出した。かおりは慰留するつもりがなく、五十万の慰労金を渡した。

 ゆりが運転して二人で二五〇キロを離れた小樽に行った。小樽でおしゃれなかわいいオルゴールを買った。それは青いガラスの天使のようなオルゴールだ。それから、南に向かって、車を走らせた。

 ある夜、二人は岐阜県のキャンプ場で焚き火を起こし、トウモロコシ、ジャガイモ、肉など焼いていた。寄り添いながら、二人は中国と日本の昔物語を交代で語った。ゆりは焚き火の光に映られて、天真爛漫な顔で、目がちらちら輝いていた。その晩オルゴールが「愛のコンチェルト」で焚き火を回って踊った。あのオルゴールはきっと可愛い天使かな。王進は眠たくて、目を閉じた。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 王進とゆり二人は七月に名古屋に着いた。王進は中国の国籍のせいで尚、二人の保証人が見つからないため、アパートを借入できなかった。ネットカフェに泊まるようになった。ネットカフェの二人の畳席を利用していた。一畳ほどのパーテーション、二人でくっついてやっと横になれる、しかも王進の足も完全に伸ばせないくらいの狭さだ。でもこのカフェを気に入っていた。



シャワーもついてるし、食事も安い。インターネットにつながるパソコンもあるため、いろいろ情報収集もできた。ゆりは早速仕事見つけて、レストランで働くようになった。問題は王進だ。最初にIT会社を回ったが、ちょうどIT業界が再編されて、今まで使った技術はほぼすべて更新された。王進がいままで使っていた技術はもう古くて、使えものにならなかった。中国の国籍に加えて、松葉杖を使う障害者は誰も雇ってくれない。王進は松葉杖を無理矢理に杖に変更して、毎日歩行練習を()ねて、いろんな所で面接を受けた。最後に製造ラインの仕事が見つかった。

 王進は二十軒会社をまわって、やっと就職したので、早速ゆりにPHS(簡易な携帯)で連絡した。

「もしもし、ゆりちゃん、俺だ、就職出来たよ。」

「わあ、おめでとう。今日はお祝いしなきゃ。丁度今日は早番なので、午後三時に帰れます。カフェで待ってて、一緒にご馳走食べよう」ゆりの楽しそうな様子が伝わって来た。

 王進が就職した会社は鉄板の成型会社。簡易な鉄板でできた工場で、製造ラインで働いている日本人は一人もいない。唯一の日本人は工場長だった。王進は不思議で聞いてみた。

 工場長は「日本人はこんな仕事をする根性がありません。外人しかできないから」

 王進は思った「鬼のように仕事する日本人もできない仕事とはどういう仕事かな」

 仕事する前に、革手袋二組、軍手一打を配ってくれた。

 工場長はわざわざ説明した「これは一か月分だよ、これ以上使われたら、自費(じひ)負担になります。」

 王進はちょっと意外に思った「こんなたくさんの手袋、一か月で使い切れるかな?」

 実際に仕事をはじめると、わかった。扱っている鉄板はあまりにも荒いため、一日一組の革手袋が完全にぼろぼろになった。一連のプレスマシンが高速に動いている。途中の短い休憩以外、ほぼ十二時間フル回転で働いている。工場内は暑くて、屋根の鉄板が鉄板焼きのように頭を焼き尽くすようだった。===休憩の時、張雄という中国人と知り合いになった。真黒な顔で皺がいっぱいで、四十二歳だが、それよりはずっと年老いて見えた。

 張雄はいろいろ話してくれた。

「大抵の人は国内で借金して、研修生の資格で来て、日本人ができない三K仕事をする。俺は国内に子供がいるから、三年間頑張れば、帰ったら子供をいい学校に入れてやれる、これは親の務めだから。」

 張雄はポケットから一枚子供の写真を取り出した。十四、五歳前後の男の子、(うい)々しく、天真爛漫な笑顔だ。

「名前は、小光(しょうこう)だ。すごい利口な子だよ、勉強がよくできている、常に学校で一位だ。お金があったら、絶対清華大学に入れる。」小光のことを喋ると、張雄の目が輝いていた。

「小光は俺の命だ。今、うちはお金がないから、大学にもやれない。だから、どうしでも、おれはここで頑張らなくちゃ」

 張雄はさらに「ひとつだけ気を付けて、この工場事故が多いよ。今まで一年間働いたが、もう四人が事故で手をなくした、事故にあったら、全てぱーになる。国内に帰っても、ろくに仕事ができなくて、ここで稼いた金で借金を返して、あとは全部病院に突っ込む。子供の学費もすべて消える、俺の人生はどうでもいいが、子供の人生もめちゃくちゃになる。絶対に事故になったら、アカンぜ」

 王進は力仕事に慣れていたのに、こんな危険な仕事は初めてだった。

 十二時間高強度な仕事して、家に帰ると全身グダグダになった。幸いゆりの会社が保証人になってくれて、やっとアパートを借りるようになった。あまりの疲れで、王進は一言も喋る気力もなくして、自宅の湯船に浸かることさえ一種の疲れになった。ボロボロになった王進を見ると、ゆりはすごく心配した。

「これは人間がする仕事じゃないから、はやくやめたら。何かあったら、どうしよう」ゆりの心配な声がいつも聞こえてくる。

「もうちょっと頑張ってみる、月に三十万をもらえるから」王進は負けたくなかった。仕事が厳しくてもいい、暑くてもいい、工場長に罵倒されてもいい。ゆりを少しでも楽にしてあげたい。

 一ヶ月過ぎたばかりの時、急に「ああ」と叫び声が聞こえた。すべてのマシンは急にストップした。張雄が横に倒れていた。血だらけになっていた。手のひらがママレードみたいにグシャグシャに潰れていた。王進は近くに駆けつけると、張雄はあまりの痛みで叫んでいる。

「小光、小光、ごめんね、お父さんは役立たない。」

「小光、小光、ごめんね」

「小光、ごめんね」

「小光…」張雄は気絶するまで子供の名前を叫び続けていた。


 ゆりは王進の話を聞いて、身を震わせて慟哭(どうこく)した。少し落ち着いてから、ゆりは王進を抱いて、少し潤み声で言った。

「しん君、今まで、お願いした事が、なかった。でも、

 頼むから、今度だけ私の話を聞いて」

「ゆりちゃん、言ってくれ、なんでもやってあげるから。」

「私のために、今の仕事を辞めて。しん君は仕事しなくてもいい、どうしても働きたいなら、アルバイトでもいい。今、仕事より、しん君の体が一番大事だから。ちゃんとリハビリをして、足が良くなったら、いろんな仕事できるから。張雄さんみたいに手がなくなったら、そしたら何にもできないもの」

「しん君、私は夢があるから。二人で店をもちたい。小さくてもいいから、しん君と一緒に生きて、一緒に働いて、一緒に老いて行くのが私の最大な幸せだから。」

「わかった、ゆりちゃん、その夢を実現してやる。今の仕事を辞めて、いろいろな商売の仕事に就く、いずれ必ず二人の夢を叶えよう」

 王進とゆりはお互いにしっかり抱きあった。そこには淡い石鹸の香りと「愛のコンチェルト」が絡みあい、ゆったり漂っていた。

ゆりが王進をゆりの会社に紹介して、王進は同じ会社にアルバイトとして就職した。レストランのキッチンで働くことになった。二人はいずれ自分の店を持つように、いろんな事を学んだ。店で先輩に接客の技術を学んだり、仕事から帰ってから簿記を独学した。王進の頑張っている姿勢が会社に評価されて、半年で正社員になった。ゆりは本社で勤務して、王進は直営店で勤務していた。足もかなり良くなって、少し跛行(はこう)になったが、良く見ないと、分からない程度だった。さらに半年レストランの仕事をして、経営の知識をかなり学んだ。王進はゆりに相談した。

「どうな商売をすればいい」

「小さい店はどうでしょう」

「それなら、杉本さんの店どう?」

「わたしはいいと思う」

王進は杉本剛と相談して、すぐに快諾してくれた。

「実は、ずっと王さんがやってくれるのをまっていたんだよ、良かったね」


早速、王進はゆりと一緒に軽井沢に店を構えた。店の名前は「愛のコンチェルト」にした。ゆりは店を色々飾ったりして、すごく心地いい店に変身した。客が客を呼んで、3ヶ月経たない内に、経営が黒字になって、商売がそこそこ繁盛した。いままで、無口でおとなしい王進はゆりと一緒にたくさんの事を経験してきた。体も締めてきて、愛想よく、お喋りするようになった。でも王進が一つだけ悩んでいるのは、まだ正式にゆりにプロポーズしていないことだ。杉本剛が嬬恋を紹介してくれた。王進は爽やかな七月にゆりを「愛妻の丘」に連れて行った。嬬恋は海抜千五百メートルあって、すこし呼吸しにくく感じるが、程よく、愛の苦しみを感じる。

  この些かな苦しみが実に幸せに満ちていた。まわりの土の匂い、キャベツの香り、爽やかな空気、すべて懐かしく感じた。王進は目を開けると、高い丘の上に立っていた。周りにキャベツ畑が青々しく、広がった。その緑が丘から下に流れていくように、いきいきと植物の生命力に満ちている。実に嬬恋は軽井沢から車で二十分の所で、愛妻家の聖地だ。

 今日は平日で丘の上に誰もいなかった。王進は一枚こぶしの葉っぱを取り出して、ゆりの目を見つめていつもの寡黙な王進と違って、ゆっくり語り始めた。


「ゆり

  これからいつまでも

 あなたを養う

 あなたを守る

 家事を手伝う

 あなたが病気の時、世話をする

 あなたが老いぼれた時、介護する

 子供が生まれたら、子供の面倒をみる

 あなたの愚痴を真剣に聞く

 あなたの誕生日にプレゼントをする

 あなたと供に買い物をする

 あなたの趣味を共有する

 あなたに手紙を書く

 あなたに愛情の詩を送る

 あなたが楽しい時

 私も一緒に分かち合う

 あなたがへこむ時

 私は慰める

 いつまでも甘えでいい

 いつまでもあなたを信じる

 いつまでもあなたを疑わない

 いつまでもあなたと喧嘩しない

 いつまでも抱いてやる

 いつまでもキッスする

 あなたに話したことは

 全て真実である

 あなたに約束したことは

 必ずやる

 あなただけを愛する

 心の中の全てのスペースは

 あなたのためにある

 あなたのすべてを受け入れる

 夢の中にあなただけがいる

 ゆりのために

 私の全てを捨ててもいい。

 ゆり、全身全霊で愛している。」

 王進はさらに聞いた。

「ゆり、結婚してくれる?」

 ゆりは寡黙の王進から、長いプロポーズを受けて、びっくりした。幸せで全身が震え始めた、感動で涙が流れた。

「はい」と答えて、こぶしの葉っぱを受け取った。片手で上気した真紅の頬を隠した。そしてゆりは頭を王進の胸に埋めて、顔をあげて微笑んだ。頬が夕陽に輝き、幸せに満ちた笑顔だった。

王進とゆりの心臓の鼓動が強く、ハーモニーして、「愛のコンチェルト」を上演し始めた。

 キャベツ畑から無数の小さい光の天使が舞い上がって、愛妻の丘に立つ二人を中心にして、「愛のコンチェルト」を歌いながら、飛び周り始めた。そして、無数の光が上に舞い上がって、上にさらに上に、その光が最後空の一点に集まって、新しい星になった。


  王進は「ゆりちゃん、結婚するのは中国でも親に挨拶しないといけなくて、この機に、ゆりちゃんのご両親にお会いできるかな?」

「そうね、反対自体もよくわからないし、一人娘だから、ただの親バカ何じゃない?」

「早速連絡してみたら?」

ゆりは早速親に電話した。

「もしもし、私です。お母さん?」

「ゆり、心配したわ。今どこ?」

「今、軽井沢にいるよ。進君と一緒。母さん、進君と一緒に帰ってもいい?」

「いいわよ。嬉しいわ。」

「父さんは怒らない?」

「父さんを説得するわ。」

「じゃ、来週帰ります。」

王進はゆりと新幹線で千葉市に向かった。駅からタクシーに乗り換えて、ゆりの家に近づくほど、心配になる。

「お父さんは許してくれるかな、あれほど反対するのは中国人が大嫌いだからかな。」

「進君、心配無用。私が守ってあげるから。」

ゆりはフフッと笑った。

王進の少し硬い表情が緩んだ。タクシーは静かな山道を通って、おしゃれな住宅街に入った。日本庭園風の家屋の前に止まった。着物姿の婦人が迎えてくれた。

「お母さん、ただいま。」

「お帰りなさい、こちらは王進さんでしょうか?いらっしゃい。」

「はじめまして、よろしくお願い致します。」王進は深くお辞儀した。

「どうぞ、中へ上がってください。」

「失礼いたします。」

玄関を上がって、和式の応接間に案内された。掘りごたつに六十前後の男性が座っていた。

「お父さん、ただいま。」

「ゆりか、そちらは貝沼進二の孫が?」

王進は少しびっくりした様子だった。

ゆりは説明した。「進君の出身の事、親に話したわ。」

「そうですが、実は自分も祖父の名前に慣れていないて。。。」王進はゆりのお父さんに向いて「はじめまして、王進です。よろしくお願い致します。」

「どうぞ、お掛けください。」

皆座って、お茶を飲んでから、王進はゆりの父さんに

「ゆりさんをください。幸せにします。結婚させていただきたいです。よろしくお願い致します。」

「俺は二人の付き合いに反対した。これからその訳を話す。今までゆりを甘やかして育てた。欲しい物を全部買ってやった。でも2年前、ゆりは王さんの出身のことを話してくれた。それにびっくりした。俺は終戦時、中国に居た。当時8歳、貝沼の開拓団にいた。私の父は兄弟二人、そこに行って、後に二人とも関東軍に入って、戦死した。残った2つの家族は10人いて、敗戦時、全員貝沼に殺された。一番上のお姉さんに庇われて、私はなんとか生き延びた。その後、転々として、瀋陽の日本人収容所にたどり着いた。次の年、やっと他の収容所の方達と日本に帰って来られた。日本に帰っても、親族がいなくて、お父さんの上司である佳子おばちゃんのお父さんに引き取られた。まだ毎晩毎晩、貝沼進二が俺を怖い目でみつめながら、叫んで、発砲する夢を10年間ほど見続けた。時間が立つに連れ、やっと心の傷がなおりかけていた所、俺の娘の彼氏が何と貝沼進二の孫だった。皮肉なことだった。」

王進は土下座して「大変申し訳ございませんでした。」といた。


ゆりの父さんは「今こうして会っているのは、これまで反対していた理由を伝えようと思ったからだ。貝沼はうちの敵だ、一生許すわけがない。二人はこの歴史を認めながら、自分で判断してほしい。もし、二人がどうしても一緒に暮らしたいなら、もう俺と縁を切ってもらう。」

時間が止まった。四人はだれも何も喋らなくなった。

王進は頭が真白になった。その後の事も覚えていない。気づけば、一人でタクシーに乗っていた。ゆりは隣にいなかった。確にゆりは「進くん先に帰って。私は少し心の整理が必要だから。しばらくここにいます。」と言った。ゆりがまだ会ってくれるかどうか、王進はわからなかった。王進の感情の通路はすべて塞がってしまった。よく泣く王進で有ったが、今回ばっかりは涙がひとつも出なかった。少しの悲しみや孤独も感じなかった。

タクシーは住宅街を抜けて,新幹線乗り場へ到着、新幹線から車に乗り換え、軽井沢へ向かう山道を走った。この山道はつづら折りの蛇のように山奥を這って進む。森や林が薄墨を刷いたような粗暴な色彩を見せている。濃厚な雲が勢力を広げて、山を圧迫している。冷たい風が森の神秘的な匂いと野鳥のさえずりをいざない、車の中の音楽と混ざり合っている。「愛のコンチェルト」だった。少し憂鬱なメロディーが漂っている。遠い空の雲に急に隙間ができて、一束の日光が山を照らしている。王進はあの日光を見て、心が温められた、ゆりがきっと帰ってくると信じている。『愛のコンチェルト』のメロディーのテンポが段々早くなって、明快になっていく。




ーーーーーーーーーーーーーーENDーーーーーーーーーーーー























 

 

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