17.フィーネ④
黒い球体が弾けて、モンスターが出現した。
身長はおよそ四メートル。人型で、頭部は蜘蛛のような体毛と目玉がある怪物だ。
全身を鎧の装備で固めており、数十本の腕が背中や横腹から生えている。その手のうちのいくつかは、剣が握られていた。
俺の世界でいうと、千手観音とかに似ている風貌だ。
ギィン、ギィン、ギィンギィンギィン。
無数の腕を同時に動かし、頭の上で剣と剣をぶつけている。
「ヴァアアア――!」
モンスターが叫んだ。ノイズの混じったような不気味な大声が、空気を震わせた。
こいつがボスモンスター、サラトスか。
俺は右手に魔力を集中させた。
「――【雷帝】」
激しい閃光とともに、稲妻が敵へ向かっていった。
が。
「なに?」
奴の体に触れる直前、俺の魔法は跡形もなく消えてしまった。
「サラトスに魔法は通用しません。物理で倒すしかないのです」
フィーネがそう言った直後、サラトスが剣を持った全ての腕をその場で振り上げた。
「ヴァアアア――!」
奇声とともに剣を振り下ろした。真空波が生まれ、こちらへ向かってくる。
「――【風の障壁】」
風の壁を作り出した。
「なッ!」
これも駄目なのか? 俺の魔法が切り裂かれた。
その場を横へ飛んで真空波をかわしたが、さらに追撃が飛んでくる。
再びかわそうと思った時、突っ立っているフィーネに気がついた。
「フィーネ!」
「…………」
く、くそ! 一切の防御を放棄するって、そういうことか!
ぶしゅ!
「……うぐ」
咄嗟に彼女の前に立って、体を盾にして攻撃を防いだ。
あ、危なかった……。
俺の判断が少しでも遅ければ、彼女は切り裂かれていた。
普通なら、命の危険を感じれば思わずかわしてしまうだろう。でも彼女はそうしなかった。生半可な覚悟ではない。
「私を守りながら、あのモンスターを倒せますか? あれは危険指定ネームドモンスター級の脅威ですよ?」
ギィン、ギィン、ギィンギィンギィン。
モンスターが剣をぶつけて俺たちを威嚇している。
「でも、もし実現すれば、フィーネは俺を殺すのをやめてくれるんだろう?」
「はい。約束しますよ。できれば、ですけどね」
「ふふ、そいつはシンプルでいいな」
さて、どうしようか。本来ならば接近戦に持ち込みたいが、フィーネを放置することはできない。
…………よし。
ぼわん。
俺は煙を使って大量の弓を宙に作った。フィーネの魔法からインスピレーションを得た新しいアイデアだ。
「【魔法の矢召喚】」
念じると、青白く輝く矢の束が空中に現れた。
俺は矢を弓へセットしていく。
「あれに魔法は効きませんよ?」
「いや、これでいいんだ」
――喰らえッ!
矢を一気に解き放った。魔法の矢を絶え間なく召喚し続け、連続で煙の弓を使って放っていく。
フィーネに負けず劣らずの矢の弾幕だ。
やつは剣を使って矢を叩き落とす。
そのうちいくつかは奴の剣をくぐり抜けたが、肉体へヒットする前に魔法の矢は弾け飛んでしまう。
だが俺は構わず矢を撃ち続けた。
「ヴァアアア――!」
そのうち奴はしびれを切らしたのか、こちらに突進してきた。
矢を撃ち続けるが、やつを止めることはもちろんできない。サラトスは俺の弾幕など無視して突っ込んできた。
「【雷帝】ッ!」
再び、俺は雷撃を放った。
と同時に、俺は事前に用意していた『あるもの』を眉間を目掛けて放つ――。
その蜘蛛のような頭が大きくのけ反った。
「ヴァアアア――?」
モンスターはどすん、と背中から地面に倒れた。
「ふん。魔法が効かないからといって、防御を疎かにしすぎたようだな。お前の頭に突き刺さっているのは『デスペレイション』という名のダガーだ」
俺は弓のうちの一つにダガーをセットし、やつの眉間を狙撃したのだ。魔法の矢や雷帝は、本命をヒットさせるためのただの目くらまし。
――む?
サラトスがもぞもぞと動いている。眉間にダガーが埋まっているというのに、たいした生命力だ。
立ち上がられると面倒だ。もうやつにこの手は通用しないかもしれない。
やつが倒れているこの瞬間、確実に仕留めたい。
――よし、試してみるか。
「【器物召喚】」
俺はダガーを手元に召喚し、今度は煙の弓を自分で引いた。
そして。
ズズズズ、と煙が黄色に染まっていく。
よかった。うまくいった。
黄色の煙。雷の属性の煙。
この煙の力は――『増幅』。
ダガーの威力を『増幅』させることができる……。
ばち、ばちちち、と鳥の囀りにも似た音を煙が発している。
「疾ッ!」
ダガーを放つと同時に、ばちぃんッ! と、空気が破裂する音が鳴った。
瞬間。
まるでレーザービームのような光の軌道を描きながらダガーが飛び、サラトスの肉体を股から頭の先まで一気に貫いた。
そして。
ぼんッ!
レーザーに撃ち抜かれたサラトスの肉体は、木っ端みじんに爆発した。
なかなかの威力。しっかりと使いこなせれば、これは武器になる。
レベルアップはしなかった。SPは――4か。
このくらい強い敵でも、こんだけしか貰えないんだな。
今回は、ちょっと期待したんだけどな……。
「うそ……サラトスを、こんな簡単に……」
フィーネがそう呟いた。
「どうだ。約束は守ったぞ」
そう言って一歩前へ出ると。
「っく!」
フィーネがびくりと体を震わせ、俺を睨みつけた。
あ、そうか。この姿だとまずいか。
そう思って、人間モードに戻ろうとした時だ。
銀色の閃光がフィーネの周囲に生まれ、無数のマスケット銃が空中に現れた。
「……本当にごめんなさい。これで最後にしますから」
ガチャン、と撃鉄の引かれる音が重なった。
そして、その銃口が、一斉にフィーネの方を向いた。
――まさか!
「フィーネ!」
くそっ!
ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ!
間一髪。俺はフィーネを抱きしめることができた。
翼を使って彼女を守る。
激しい衝撃とともに銃声が鳴り続けた。
「死にますよ?」
「……俺の体は頑丈にできているのさ。ご存じのとおり、人間の体じゃあないからな」
『肉体増強』と『竜の闘気』を使い、回復し続ければ、どうにか耐えられる。
「でも、俺の魂は人間なんだ。フィーネに分かってもらいたい。だから、君は守るぞ」
「……リュートさん」
花火が暴発したような爆音が続いていたが。
やがて、銃声が止んだ。
ようやく、銃弾が尽きたようだ。
肝が冷えるとはまさにこのことだ。まさか、自分で自分を撃つとは――。
ぼん!
俺は人間モードに戻ってから、フィーネから距離を取った。
「さあ、次はどうする?」
フィーネはしばし黙っていたが、
「…………ごめんなさい」
フィーネは両手で顔を覆った、そう呟いた。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……。私、やっぱり……。リュートさんのこと、好きです。……大好きです」
「フィーネ……」
フィーネはその後、嗚咽を漏らしながら、しばらく泣き続けた。
俺は彼女が落ちつくのを、じっと待つのだった。
…………。
……。
* * * * *
もういいかな?
泣きやんでから大分経つが、フィーネが何も言わないので、俺はただじっと立っている。
「あの、フィーネ?」
フィーネの体がびく、と震えた。
「……はい」
告白されたのだから、やっぱり答えないと駄目だよな。
……よし。
「俺を好きになってくれたのは嬉しいんだけど、俺は、その――」
「いいんです」
フィーネは俺の言葉を遮った。
「今はいいんです。私の気持ちを伝えられただけで、それで満足です。それに……。リュートさんのことは大好きですし、もう殺そうとは思いませんが、モンスターに対する憎悪が消えたわけでもないですから……」
「……そっか」
俺は短くそう答えた。
あれだけの殺意を携えていたのだ。表面に出ないよう、今はフィーネが抑え込んでいるのだろう。
「とりあえず、君の胸元の傷を治したいんだけど。近づくぞ?」
フィーネはこくりと頷いた。
フィーネは襟元を引っ張って、胸元を露わにした。痛ましい爪の跡が肌を傷つけている。
回復の魔法を使うと、瞬く間に傷が癒えた。
代わりに俺の名前のタトゥーも元に戻ったけど……。
「よし、完了だ」
再びフィーネから距離を取る。
すると。
「……あの、私のこと、怒ってますか?」
フィーネは不安そうな顔でそう尋ねた。
「怒ってないよ」
「……本当に? 身勝手な女だと思ってませんか?」
ちらちらと俺の顔を伺っている。
「思ってない。心配するなって」
「……はい。やっぱり優しい……」
フィーネの目がとろんとしている。
「ほ、ほら、宝箱、開けてみようぜ!」
とりあえず明るくそう言ってみた。
あのボスを倒したら、新しい宝箱が出現したのだ。
「何が入ってるんだろう?」
「このボスのドロップ品は、私が求めていたアイテムなんです」
「フィーネが?」
「はい。迷宮刑時代にあのボス召喚のカードを見つけて、ずっと隠し持っていたんです。いつかこのアイテムを手に入れるために」
宝箱を開けてみる。するとカードが入っていた。
□□□□□□□□□
【魔女の美肌薬】のカード
1.念じることで実体化することが可能。カードには戻らない。
2.塗った箇所に対して、あらゆる肌に関する悩みを解消してくれる効果がある。
3.効果期間は一年。ただし、魔法を使いすぎると薬が落ちてしまうので注意。
4.実体化した者にしか効果がないが、容量は一生で使いきれないほどある。
□□□□□□□□□
「これは……」
「はい。タトゥーを消すためにこのアイテムを手に入れようと思っていたのです」
なるほど。
よかった。これで顔のタトゥーも消えるし、胸の俺の名前も消えるんだな。
「じゃあフィーネが実体化しないとな。ほら」
俺はフィーネにカードを差し出した。
「……いいんですか?」
「当たり前だろ?」
「……で、でも」
フィーネは渋っている。
「じゃあこうしよう。これは、ゴールデンフィッシュのお返しだ」
俺は強引気味に彼女へカードを渡した。
「……ありがとうございます。このご恩は、必ずお返しします。一生かけてでも……」
……お、重いぞ。
「気にすんなよ。とにかく使ってみようぜ」
「は、はいっ!」
カードがフィーネの手の上で、ぼん! と実体化した。
一見、ただの塗り薬の容器にしか見えないな。
「じゃあ、お願いします」
フィーネは蓋を開けると、俺にすっと容器を差し出した。
「え? なんで?」
「顔、見えないです。……お願いします」
うるうると瞳を濡らしている。
「……うっ。分かったよ」
この顔で頼まれると断れないな。
しょうがない。
俺は薬を指で取り、フィーネの顔に塗っていった。
「ど、どうですか? 消えてますか?」
「うん。すごいな。ばっちりだ」
美しい肌がそこにある。最初から何もなかったようにしか見えない。
さすが神様が作った謎パワーアイテム。どういう仕組みなんだ……?
俺は薬をフィーネに返した。
「胸の方は、あとで自分で塗っといてくれよ」
「……胸?」
なぜか首を傾げる。
「その俺の名前のやつだよ。消すだろ?」
「……消しませんよ?」
「…………」
「……迷惑ですか?」
また瞳を濡らしている。
……どうすればいいんだ。俺はもう、泣いたり怒ったりされるのは勘弁願いたいぞ。
「いや、迷惑じゃない。フィーネの好きにしたらいい」
と、そう言っておいた。
ぱっと彼女は表情を明るくした。
「よかったぁ! 嬉しい! ありがとうございますっ!」
久々に明るい顔を見た気がする。まあ、喜んでいるし、別にいいか。
「それより行こうぜ! 彼女たちが待っているからな」
「はいっ!」
俺たちはボス部屋を出るため、出口の階段へ向かっていった。
ようやくこの不気味なダンジョンから出られる。
やれやれ、今回はだいぶ疲れたぞ。
そんなことを考えながら、光輝く扉をくぐるのだった。