11.私を捨てないで
二人を追いかけていくと、まずシャルロッテに追いついた。
「シャルロッテ!」
シャルロッテは膝に手をついて、ぜえぜえと息を切らしている。
「アイリスは?」
「あ、あっち。ごめんね、私じゃ追いつけなかった」
そう言ってシャルロッテは道の先を指さした。
アイリスの後姿が見える。
全力疾走している。このままだと際限なく行ってしまいそうだ。
「先に行ってるぞ!」
「うん、ごめんね。すぐ追いつくから」
俺は全速力でアイリスを追った。
「アイリス! 待て!」
「……」
俺が声をかけると、アイリスはぐしぐしと目元を拭ったけど、足は止めなかった。
――仕方がない。
ぼわん!
俺はアイリスの正面に煙を広げ――、
「わっぷ!」
ネットのようにして彼女を捕まえた。
「アイリス……」
「……なによ」
アイリスは煙のベッドに顔を埋めたままそう言った。
うーん。怒ってるなぁ。
「フィーネには帰ってもらう。だから機嫌を直してくれ」
「…………リュートはあの女と一緒にいたいんじゃないの? だってデレデレしてたじゃない。昨日からずっと!」
「そ、そうだけど……」
その時は、まさかフィーネがあそこまで攻撃的になるとは思わなかった……。
「浮かれてたのは認める。ごめんな。アイリスにとっては、お姉さんのための冒険者活動だもんな」
「ち、違う……私、そんなことに怒ってたんじゃ――」
「違うのか?」
「…………。やっぱ、そう」
……? なんなんだ?
「とにかく行こうぜ」
「……ねえ、私、足手まとい? 迷惑かけてない?」
「なんだよ、さっきのフィーネの言葉を気にしてんのか? あんなの気にするなよ」
「……気にするよ。私、弱いもん。不安になるよ……」
……。
しょうがないな……。
「強いとか弱いとか、そんなの関係ない、俺はアイリスと一緒にいたい。ただそれだけだ」
「……ホント?」
顔を煙に埋めていたアイリスが、こちらに少しだけ顔を見せた。
「うん」
「……ホントにホント?」
「うん……本当だ」
「……でも……」
ど、どうしたらいいんだ!?
さっきのだって言うのに結構恥ずかしかったのに!
「と、とにかく機嫌を直してくれ! なんでもするから! このとおり! こういう重い雰囲気は嫌なんだ!」
俺はばっと頭を下げた。
「…………なんでも? なんでもしてくれるの?」
「う、うん。俺が出来る範囲でだけど」
「……。分かった。機嫌直す」
俺はほっと溜息をついた。
「いひひ……楽しみっ」
アイリスが怪しい笑い方をしている……。何を考えてるんだ?
まあいいか。とりあえず機嫌が直ったようだし。
まったく女の子は大変だ。……それが可愛いのかもしれないけど。
「リュートくん! アイリスちゃん!」
シャルロッテが手を振りながらこちらへやってきた。
「アイリスちゃん。一人で行っちゃったらダメじゃない」
「……ご、ごめん」
「悔しかったのは分かるけど、モンスターがいたら危ないでしょう?」
「はい……」
「今度あーしたくなった時は、私を連れていけばいいんだよ。ね?」
「うん……ごめんね。ありがとう」
シャルロッテがアイリスの頭をなでている。
なんだかいつもと立場が逆転しているな。珍しい光景だ。
その時、上から葉擦れの音がした。
フィーネだ。彼女がどこかから飛び降りてきて、俺たちのそばに降り立った。
「…………」
仮面が俺たちを見ている。
俺が言葉を発する前に――。
「ご、ごめんなさいっ」
――フィーネはその場に膝をついた。
「ごめんなざい……ごめんなざい……う、うぅぅ」
「お、おい……」
フィーネはそのまま顔を地面にこすりつけ、獣が低く唸るような声をあげはじめた。
「ずでないで……ごめんなざいぃ……ごめんなざいぃぃ……ずでないで……」
そのあまりにも哀れな姿と声に、俺は言葉を失った。
アイリスとシャルロッテも呆気にとられた顔で目を合わせている。
「ずでないでぇっ……うぅぅっ……うっ……ぅぅ……」
フィーネは俺の足にしがみついた。
「は、離してくれ」
俺が言うと、フィーネはびくっと体を震せて、すぐに俺の足を離した。
フィーネはどうしてしまったんだ?
たしかに俺は彼女を突き放すようなことを言ったけれど、あの一言が原因で、彼女はこうなってしまったのか?
よく分からないけど、尋常ではない様子だぞ、これは。
「フィーネちゃん、いったいどうしたの?」
彼女の様子を見かねたのか、シャルロッテがフィーネのそばに座り込んだ。
が、フィーネは俯いたまま過呼吸ぎみに泣いていて、質問に答えられない様子だった。
代わりに俺がシャルロッテの質問に答える。
「ダンジョンには連れていかない。帰ってくれ。俺がそう言ったんだ」
「……そうなんだ」
シャルロッテは憐憫を浮かべた瞳でフィーネを見つめた。
「リュート、その、さっきのは私だって半分くらい悪かったし……だから……その」
アイリスがそう言う。
シャルロッテも同じような目を俺に向けた。
二人は、優しい言葉をかけてあげてほしいと、そう言っているのだ。
たしかに、こんな姿を見たら、思わずそうしてしまいたくなるだろう。それくらい哀れなのだ。
だが、さっきの攻撃性は普通じゃなかったぞ……。
「ねえ、リュート……早く……」
う。
アイリスの目がだんだん非難じみてきた。
くそ、最初にケンカしたのはアイリスだろう?
しかし。
これだけ泣かれると、「あれ? 俺が悪かったのかな? ちょっと言いすぎちゃったかな?」って気持ちになってくる。
それに、だ。
正直なことを言えば、このフィーネの姿を見て、俺はなんだか昔の自分を見ているような気持ちになってしまった。
簡単に言えば、俺も彼女に同情したのだ。
仕方がない。前言撤回するほど軽い気持ちで帰れと言ったつもりじゃあなかったけど、少し話をしてみるか。
俺はシャルロッテと場所を交代した。
「フィーネ。俺にとってシャルロッテとアイリスはかけがえのない存在なんだ。役に立つとか、立たないとか、強いとか、弱いとか、そんなことは重要じゃあないんだ。だからもう、ああいうことは言わないでほしい」
俺はなるべく優しくそう言った。
「…………役に立つとか、立たないとか、強いとか、弱いとか、重要じゃない?」
フィーネは仮面の顔をあげて、俺の言葉の一部を復唱した。
「うん、そうだ」
「そんなわけ、ありません。役立たずが、誰かに必要とされるわけがありません」
……フィーネの言葉は弱々しかったが、そう断言する強い意志が伝わってきた。
「だから、私、悔しくて。私の方が、絶対にリュートさんの役に立てるのにって。なんの力もなさそうなアイリスさんとシャルロッテさんが、どうしてリュートさんに優しくしてもらってるんだろうって、そう思ってしまったら、ついあんなことを口に……」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「あえて君の理屈に付き合うとすれば、一緒にいたいと俺が思うのだから、その時点で役立たずじゃないんじゃあないか?」
「…………一緒にいたい? どうして? 役に立たないのに」
それは――。
「一緒にいると俺が幸せだと感じるから。どうしてそう感じるのか、言葉にするのは難しい。たぶん、理屈じゃあないんだ」
フィーネはしばし間を置いた。何か考えを巡らせているように見えた。
そして。
「…………私も、リュートさんと一緒にいる時間を幸せだと感じます」
切実に願うように、そう言ったのだった。
どうして俺なんかにそこまで……。
いや、今はそれは置いておこう。彼女の本心なのは間違いないと思うのだ。
「分かった。さっきは帰ってくれと言ってしまったけど、二人の意見を聞こう。彼女たちに俺は従う」
俺がそう言うと、フィーネはようやく顔をあげ、そして。
ゆっくりと仮面を外した。泣きはらした顔が露わになる。
「そ、それ……」
アイリスがタトゥーに気がついたようだ。
フィーネが仮面を外したのは、たぶん誠意を伝えるためだろう、ということが態度から伝わってきた。
「本当にごめんなさい。どうか、許してください」
彼女はまずアイリスに向かってそう謝罪した。
「私も、悪かったわ。ちょっとイライラして余計なことを言っちゃったから。だから、その……私もごめん。許してほしい」
「とんでもございません。本当に申し訳ございませんでした。シャルロッテさんも、どうか私を許していただけないでしょうか?」
「ふふ、私は最初っから気にしてないよ。じゃあ、仲直りってことでいいのかな?」
「……私を、ダンジョンに連れて行っていただけるのですか?」
二人は揃って頷いた。
「……よ、よかった」
フィーネは迷子になった子供が親を見つけたような顔でそう言った。
アイリスとシャルロッテも顔を見合わせてほっと溜息をついている。
「ありがとうございますっ。ありがとうございますっ」
うーん。
直感だけど、もうフィーネが彼女たちに食ってかかることはないと思う。
それよりも、俺のたった一言で、あそこまで泣き崩れてしまったその心の方が心配になるな。
……。
考えていても仕方がない。今は進むしかないか。
「よーし! じゃあ、とりあえずダンジョンまで行こうぜ! この竹藪も見飽きたしな」
…………。
……。




