1.シャルロッテの場合
満点の星空の下。
シャルロッテはリュートが木と草を組み合わせて作ったベッドに転がり、本を読んでいた。
いつも眠る前に読んでいた『ドラゴンスレイヤー』の本。ドラゴンに連れ去られたお姫様を、強い勇者様が助けにくるお話。
とらわれたお姫様が自分のことのように思えて、大好きな本だったけど、今はいっそう特別なものになった。
まるで、この本を眠る前に読んでいたことが、奇跡を起こすきっかけになってくれたような、そんな気がするのだ。
――奇跡。
そう。私にも、素敵な出来事が起きてくれたのだ。
ドラゴンはあっという間に私を連れ去ってしまい、そして勇者がやってきた。『ドラゴンスレイヤー』のお話にそっくりだ。
だから、この本を読むと、胸が高鳴った。
あの屋敷を出たときに感じた、全身が浮き上がるような興奮を、何日も経った今だって、細部まで鮮明に思いだすことができる。
だけど、そっくりなのは表面だけで、その中身はまったく逆だったりする。
私を助けてくれた素敵な人はドラゴンで、強い勇者は、そのドラゴンをいじめに来たのだ。
――いったいリュートくんは、あの勇者に何をされてきたのだろう。
あの勇者が話題に出たとき、リュートがあまりにも辛そうな顔をするので、シャルロッテはどうしても聞けずにいた。
本当はこの特別な本のことをリュートにも知ってほしい。
だけど、今、この本を彼に見せたら、彼はきっと不吉なものだと感じて不安になるだろう。勇者がドラゴンを倒す話なのだから……。
いつか、一緒にこの本を読める日が来るといいけど――。
「よおし! できた!」
さっきからノートに向き合っていたアイリスがそう言ったので、シャルロッテは本を閉じた。
「何ができたの?」
「ふふん。これはね、上級冒険者になるための計画表よ」
「へえ、見せて見せて」
シャルロッテは彼女の隣へ座って、ノートを覗き込んだ。
左側に地図があり、マーキングがされている。右側には細かい文字がたくさん書かれていた。
「この通りに攻略していけば、お金も実績もちょうどいいバランスで稼げると思うの」
「……アイリスちゃんはすごいなぁ」
「リュートに頼っていればすぐにランクアップできるかもだけど、それじゃあ、私が強くなれないから……だから、私も戦えるように難易度をだんだん上げていくようにしたの。いざという時に後悔したくないから……」
アイリスには姉を助ける目的があるという。もしかしたら、この計画表もずっと以前から頭にあったのかもしれない。
「でも、私だけの計画表じゃないわ。リュートが強くなれる手順も組み込んでるし、シャルロッテの希望も取り入れてるわよ」
「え?」
「さっき言ってたでしょう? 海が見たいって」
「う、うん」
「だから、ほら。……ここね。少し先になっちゃうけど、ちゃんと海のそばのダンジョンも行程に入れてるの」
「……わあ! 嬉しい。ありがとうアイリスちゃん!」
アイリスは慈愛に満ちた顔で微笑んだ。
「ふふ。でも、まずはお金を稼がないとね……ダンジョン攻略中でもないのに野宿するなんて、やっぱりよくないわ」
「そう? 私は、全然楽しいよ?」
それにアイリスには借金をしているのだ。野宿を続けて宿代を節約できるなら、本当はそうしたい。
「楽しくても、シャワーは浴びれないのよ? 汗で体はベタベタだし、髪の毛だってバサバサになっちゃうのよ? そんなのいやでしょ?」
「そうかなぁ」
アイリスはいつものサイドアップを今は降ろしている。すごく綺麗な横顔も相まって、その金色の髪は、とても美しく見える。
「そ、それにおトイレだって、そ、その、お外で……あぅ」
アイリスは顔を手で覆った。
ついさっき、アイリスは限界まで我慢したあげく、茂みの方へすっ飛んでいったのだ。戻ってきたあとは「小さいほうだからねっ」とか「リュートには内緒だからねっ」と、シャルロッテに何度も言っていた。
「とにかくシャルロッテも女の子なんだから、気をつかわないとダメよ」
「はぁい」
「一生の不覚だわ。浮かれて宿代まで使い込んじゃうなんて」
先ほど三人でパーティを組むことを決めたあの店の支払いで、ついにアイリスの資金が尽きてしまったのだ。
「で、リュートはどこへ行ったのよ」
「んー。たぶん、朝まで戻ってこないと思うかな……」
「どうして?」
「たぶん、修行してるんじゃないかなぁ」
屋敷を出てアイリスと出会うまでも、リュートは眠らずに朝まで何かやっていた。ふと目覚めた時にたまたま見たのだ。リュートは煙を出していた気がする。
あの時はそばにいたけど、今は遠くに行ってしまったみたいだ。きっと、箱の力を信じてくれているのだと思う。
ちょっと卑怯な言い方だったかな……でも、私を頼ってくれて、すごく嬉しい。
「なによ……せっかく一緒に寝れ」
アイリスがはっと口を抑えた。
「一緒に?」
「せっかく計画表を作ったから、見てもらいたかったなって。あは、あはは!」
アイリスが顔を赤くしている。
ダンジョンをクリアしてから、こういう風にすることが多くなった。
「アイリスちゃんって、リュートくんのこと好きなの?」
「……え!?」
アイリスは固まっている。
「リュートくんのこと好きなのに、なんで恋愛禁止にしてるの?」
「す、好きなわけないでしょう?」
「……好きじゃないの?」
「……もちろん仲間としては大好きよ。でも、男女としての好きじゃないってこと!」
「ふうん。そっか。ごめんね、私の気のせいだったみたい」
「そ、そうよ」
早とちりしてしまった。こういうのは本で読んだ知識しかないから、勘違いしてしまったみたいだ。
恋愛、か。
恋する気持ちとは、どんな気持ちなんだろう。
リュートに対しては、特別な想いを抱いている……と思う。
ずっとそばにいたいし、守ってあげたいと思うのだ。
私を連れ出してくれた人なんだから、当然だ。
これが、恋なのだろうか?
この気持ちに名前があるとするのなら、それは――。
今は、まだ分からない。
いつか、一人きりで暮らしていた自分にも分かる日が来るだろうか?
きっと来ると信じたい。
「そ、それより、何かお話しましょうよ」
「うん」
「そうねぇ。あ、シャルロッテは特技とかある?」
「特技……絵を描くことかなぁ」
「へえ! そうなんだ! 素敵」
「うん。アイリスちゃんのことも、今度描いてもいい?」
「うんっ。……楽しみ!」
「やったぁ! 早く絵を描きたいなぁ……」
一応、少しの画材は持ってきたけど、これだけだとちょっと足りない。
やっぱりお金は必要だ。借金を返したら、すぐ買いたい。
「アイリスちゃんは、何か特技があるの?」
「私? 私は……うーん。ピアノを少し弾けるけど、でも、ずっと弾いてないから、今はできないかも」
「へえ……!」
ピアノか。たしか屋敷にいるときにリクエストしたけど断られた気がする。
「あとね、私、耳だけ動かせるわよ」
「耳?」
「うん。見ててね」
アイリスの耳がぴくぴくと動いた。
「わあ、どうやってるの?」
「ね、すごいでしょう?」
アイリスの耳に目を近づけて、じっと観察してみた。どこに力をいれれば、耳だけ動かせるんだろう……。
「不思議」
「ぴゃう!」
びりびり、と電流が流れたみたいにアイリスが震えた。
「ちょ、ちょっと。耳元で喋らないでよ」
「あは、ごめん」
でも、今の顔、すごく可愛かった。絵を描くときは、さっきの顔にしよう。
「アイリスちゃん、見て。私の耳、動いている? むうんっ!」
シャルロッテも、耳を動かすことに挑戦してみた。
「動いてないわ」
「ぬぬぬぬぬ!」
「……ぷっ! あ、あんた、すごい顔してるわよ! あは、あはははっ!」
アイリスは腹を抱えて笑いはじめた。
「うおおおお!」
「ちょ、ちょっと! いひ、ひひひっ! や、やめてぇ……おなか痛い……あは、あははははは!」
シャルロッテの夜はこうして更けていった。