11.大過の日について
俺たちはダンジョンを進んでいった。誰がいるとも限らないから、念のため人間モードに戻っている。
ふと、隣から視線を感じた。
「ん?」
「あっ……」
アイリスの大きな瞳と目が合った。が、彼女はすぐに目を反らした。
なんなんだ……。さっきからこの繰り返しだ。視線を感じて目を向けると、一瞬だけ目が合って、すぐに彼女の方がぱっと目を反らしてしまう。
「どうかしたのか?」
「う、ううん。なんでもないっ!」
アイリスは両手を頬に当て、
「なんでもないの……そう、なんでもない……はず……なのに……」
なんか言っている。なんなんだ……。
アイリスの様子も気になるが、それよりも今は、このダンジョンだ。
このペースだと、まずいかもしれない。
このままだとシャルロッテを何日も待たせてしまう。一刻も早く合流したい……。
こうなったら、アイリスを抱きかかえて、一気にダンジョンを駆け抜けるしかない。
「アイリス」
「うん?」
「竜人モードになってもいいか?」
念のため聞いておく。びっくりさせてしまったら可哀想だからな。
「え? うん、いいけど……」
ぼん! と変身した。
「どうしたの?」
よし。
「抱いていいか?」
「えぇっ!?」
アイリスが素っ頓狂な声をあげた。
「だ、抱きたいの? 私を?」
「他に誰がいるんだよ」
「な、な、なんで? どうしたの急に? こ、困るよぉ……」
アイリスは顔を真っ赤にして俯いている。なんか勘違いしてないか? ……ん、しまった。よく考えたら変な言い方をしてしまった。
「……なんでって、アイリスを抱いたままダンジョンを飛んでくんだ。そっちの方が速いだろ?」
「…………あ。う、うぅ! な、なら最初からそう言いなさいよ! あーもう! なんなのよぉ!」
恥ずかしそうな顔で床をだんだんを踏みつけはじめた。さっきから情緒不安定だぞ。ダンジョンの疲れがピークなのか? 深夜のテンション的なあれか?
まあでも。元気そうでよかった。ダンジョンに入ってから色々あったからな。
「時間がないんだ。頼むよ」
「はい、どうぞ! ふんだ!」
急にツンとしだした。やれやれ。さっさとダンジョンを出て、アイリスには休憩してもらおう。
アイリスを両手で持ち上げた。お姫様抱っこだ。
彼女は俺の肩に手を回した。う……顔が近い。
よく考えたら、めちゃくちゃ恥ずかしいな。よく俺は平気で抱かせてくれなんて言えたもんだ。
ひょっとして、俺も気づかないうちに疲れてるのかな……。
「……顔が近すぎて恥ずかしいな」
「い、言わないでよぉ! ばかぁ!」
「お、おい! 暴れるな! 危ないだろ!」
このままじゃかえって時間がかかってしまう。早く行かなきゃ……。
俺はその場にふわりと浮き上がった。
ぼわん。
続けて煙のレーダーを展開した。闇雲に進むより、多少は階段を見つけやすいはずだ。
少しづつ、速度を速めていく。
バイクで走ってる程度の速度までスピードを上げた。
「……す、すごいスピード」
「ちゃんと掴まってろよ」
――お。早速階段を見つけたぞ。
階段へ近づいて、飛行したまま上の階へ移動した――。
* * * * *
飛行することで、これまでとは桁違いの速度でダンジョンを進んでいった。
モンスターも無視して、宝箱や休憩部屋も無視して、俺たちは『17』までやってきた。
ここまで、五時間くらいだろうか。
そろそろ休憩しないと。
ちょうどいいことに休憩部屋があったので、ここで休憩をすることにした。
「私、平気よ? 行きましょうよ」
「俺が疲れたんだよ」
そう言って、俺は無理やり休憩することにした。
アイリスは隠そうとしているが、目元に疲れが浮かんでいる。五時間も同じ姿勢でいたのだから、かなりきついはずだ。
「ほら、装備を外した方がいいんだろ?」
「あ、うん」
アイリスは渋々、籠手とブーツを外した。胸当てはそのままだ。たぶん服が破かれているせいだろう。脱ぐとインナーが見えてしまうのだ。
水を飲んで、フルーツを食べて、床に横になった。床がひんやりしていて気持ちがいい。
本当は大の字になりたいところだけど、翼や尻尾があって、なんか背中に違和感があるのだ。この体の面倒なことの一つだ。
「それ、触ってみてもいい?」
「いいぞ」
アイリスが俺の尻尾を触った。くすぐったくはない。鎧の上から触れられているみたいな感覚だ。
「硬い……。動かせるの?」
「ほら」
尻尾を左右にゆっくりと動かしてみた。
「わっ……す、すごいのね」
アイリスは興味深そうに俺の体を観察していた。こう見られると、恥ずかしいぞ。
彼女が怯えている様子はない。この姿を恐がらないでいてくれて、本当によかったと思う。
そうだ、あのことを聞いておくか。今度はしっかり。
「竜人って、この世界ではどういう扱いなんだ?」
「え?」
「いや、前にアイリスが言ってただろ。竜なんて文字を使ったら、嫌なことを思いだす人がいるかもって」
「あ、うん。それはね、八年前だったかな。巨大なドラゴンが突然現れてね、世界中に大きな被害が出たの」
そういうことか。まあそんなことだろうとは思っていた。
「巨大って、どれくらいなんだ?」
「二階建てのおうちを、丸のみするぐらい大きかったんだって」
「めちゃくちゃでかいな!」
俺はせいぜい自動車と同じくらいだからな。進化するたびに体が大きくなってるし……たぶん俺より上位の竜なんだろうな。
「被害ってのは、具体的にどれくらいなんだ?」
アイリスは首を横に振った。
「正確には分かってないの。直接街を破壊したとか人間を襲ったってわけじゃないんだけど、とにかく、とてつもない影響があったとされている。特に、農作物への影響が甚大だった」
「……どういうことだ?」
「そのドラゴンの翼が起こした風はね、ものすごく冷たいんだって。ドラゴンが通った大地はまるで凍土のようになってしまって、農作物が全て腐ってしまったの。――仮称『絶氷竜アイスフィールド』。ここ三百年で最大の脅威だって言われてる」
俺の世界で言う世界規模の自然災害みたいなものか?
「そのドラゴンが現れた日は『大過の日』って呼ばれてるの」
――そのキーワードは、シャルロッテの屋敷のそばにあった、あの迷彩カラーの建物にあった文書で見たな。
たしか『大過の日』の影響で戦力が足りずに、やむなくシャルロッテを封印役に抜擢した、とか書いてあった。
「そのドラゴンってのは、竜人だったのか?」
「うん。たぶんそうだろうってことになってる」
「なんか曖昧だな」
「そのドラゴンは突然消えちゃったの。誰も退治してないのに。だから、人の姿になってどっかにいるんだろうって、そういうことになってるの」
な、なんて迷惑な竜なんだ! 俺にとって!
「お、俺じゃないからなっ!」
「ふふ、分かってるわよ」
……竜人だって言ったら大変なことになりそうだな。
そう考えると、シャルロッテとアイリスがすんなり受け入れてくれたのは、凄いことなのかもしれない。俺は、運がいいかも。
――あ、いや、そうか。
もう一人、俺が竜人だと知っているやつがいたな。
…………。
「とにかく、リュートは簡単に自分が竜人だなんて言っちゃダメよ。大変な騒ぎになって、リュートを殺しにやってくる人がたくさんいる。……この世界に、居場所がなくなっちゃうよ」
アイリスはひどく悲しそうな目をした。
きっと俺だけのことを言っているんじゃないんだろうな、となんとなく分かった。これまでもお姉さんのことで、色々あったのだろう。
「アイリスが冒険者になったのは、お姉さんと関係があるのか?」
「……うん。そうよ。さっきの話とも少し関係があるんだけどね――。私には、目的があるの。それは冒険者にならないと手に入れられないものだったのよ」
ものすごい決意を瞳に込めているのが分かった。
「聞いてもいいか?」
「うん……。目的は二つ。一つは、あるドロップ品を手に入れること」
ドロップ品、か。あの『幽世への扉』みたいな不思議な力のあるアイテムなのだろうか。
「一般人じゃ絶対に手が届かない金額設定がされているものでね、私みたいな一般市民がそれを手に入れるのは、冒険者になって自分で見つけ出すしかないの」
「なるほど、それで冒険者に……」
「うん。ダンジョンの中のものは、基本、国の所有物ってことになってるんだけど、冒険者は、自分が見つけたものなら格安で買い取ることができるのよ」
「へえ……」
国、か。
「もう一つの目的は、あるモンスターを討伐すること。――さっき話をしたドラゴンが暴れまわっていたころに、その影響で、世界各地のダンジョンの封印が解けて、けっこうなモンスターが脱走してしまったんだけどね……」
封印って、もしかして、あの空気の塊のことかな。人間になったら通れるようになるし。
「お姉ちゃんに呪いを与えたのも、その脱走したモンスターの一体。私は、そいつを倒さないといけないの。そして、お姉ちゃんの呪いを解く。何年かかっても、絶対に……」
アイリスがなぜ強くなりたいと願ったのか、ようやく分かった。アイリスもまた、俺と同じように宿敵がいるのだ。
「……そろそろ行きましょうか? シャルロッテが待ってるもんね」
「そうだな」
俺たちは揃って立ち上がり、準備をした。
「じゃあ、行くか」
「う、うん……」
俺がアイリスに近づくと、彼女はぎゅっと目を閉じた。
「お、おい。なんで目を閉じる」
「……だってぇ、恥ずかしいだもん!」
「……俺もだよ。我慢しろって」
さっさとダンジョンを出なければ。
アイリスを抱きかかえると、再び俺はダンジョンを進みだした。
…………。
……。