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1.ヴァン・ウォーターズの憂鬱②

 ヴァン・ウォーターズは高級レストランの玄関ホールに立ち、壁掛けの時計の針をじっと眺めていた。


 遅い……。約束の時刻はとっくに過ぎている……。


 ホールに流れる優雅な音楽とは裏腹に、ヴァンは焦燥しょうそうしていた。とにかく忙しいのだ。本来ならば、こんなところで時間を取られたくなどない。


 先日の絶望の森の事件も、紅蓮ぐれんの騎士による調査は続行させているが、まだ手掛かりがほとんど掴めていない。


 それに世間はだんだん忘れてきているが、ヴァンにとって、まだ『大過たいかの日』は続いている。国内の各地に、まだまだ危険なモンスターが――スジャーラドラのような脅威が潜んでいるのだ。


 しかし、今日だけは待たなければならなかった。今夜はあの勇者を客として迎え、もてなさなければならないからだ。


 あの勇者は、宣言通り、あのスジャーラドラを瞬く間に討伐した。


 彼はたった数日で、上流階級ご用達のこのレストランを強引に貸切りにした資金よりも、遥かに大きな利益をもたらしたのだ。


 どんな我がままにもしばらくは付き合わなければなるまい。だが、どんな要求をされるのか――。


 やれやれ、これからの時間を考えると憂鬱ゆううつになる。


 からん、と扉の開くベルの音が鳴った。ようやく来たようだ。


 ヴァンは待たされた苛立ちが表情に出ないよう意識して、勇者を出迎える準備をした。


 勇者がやってきた。今日は鎧ではなく、スーツを着用している。その表情にはどこか余裕があって、とても急いできたようには見えなかった。


「申し訳ありません。待たせてしまいましたか」


「いえ、そんなことはありませんよ。上着をお預かりいたしましょうか」


「ええ、お願いします」


 ヴァンは彼の上着を受け取ると、事前に用意していた専用の収納ボックスへジャケットをしまい鍵をかけた。


 ヴァンは客席ホールへ勇者を案内し、中央のテーブル席の椅子を引いて彼を座らせた。


「お食事前にお酒はいかがですか? よろしければ私が選びますが」


「ふふ、ヴァンさん。……気をつかわなくても構いませんよ」


 ヴァンは彼の表情を見て、別に自分を試しているわけでもなさそうだと判断し、


「そうですか。それは助かります。こういうのは得意じゃあないんでね」


 ネクタイを緩めて勇者の対面に着席した。


 目でスタッフルームに合図をすると、本来のソムリエがやってきた。


 こうなることもあるだろうと、事前に彼にはすぐに交代できるようスタンバイさせていた。


 ソムリエは勇者と短い会話を交わし、すぐに厨房の方へ戻っていった。勇者はソムリエに酒のチョイスを任せることにしたようだ。


「実は私がこちらへ来たのはつい最近でね。酒の種類のこともよく知らないのですよ」


「海外から来られたのですか?」


「まあ、そんなところです」


 海外、か。


 嘘を言っているわけではなさそうだ。だが、本当のことを言っているわけでもないだろう。


 どうにも掴みどころがない。こういう独特の気配は、彼程度の年齢では出せないはずだが――。


 ソムリエがすぐに戻ってきた。勇者へボトルの銘柄を見せ確認を終えると、ボトルを開栓し、ヴァンのグラスに酒を注いだ。


 本当はこのあと仕事があるのだが、ホストである以上、テイスティングを断るわけにもいくまい。


 ――ま、滅多に飲めない高級な酒だ。せいぜい味わうこととするか。


 ヴァンは白いテーブルクロスを背景にグラスの足を持って色合いをあらためると、ゆっくりと鼻に近づけて香りを確認する。


 少量の酒を口へ含み、舌の上で転がした。


 ……美味い、とヴァンは思った。


 たしかこの銘柄は、毎年のように、十年に一度の出来栄えだとキャッチコピーをつけられているが、たしかにそう言いたくなる深い味わいと品格だ。


 ソムリエに異常がないことを告げると、続けて勇者のグラスに酒を注いだ。


 勇者はグラスを傾け酒を口へ含んだ。容姿端麗な彼がそうしているだけで、まるで絵画のようにさまになっている。


「――こちらの世界の酒もいいですね、繊細せんさいで、なめらかで、綿密めんみつな味わいだ」


 こちらの世界、か。妙な言い方だ。


 彼の振る舞いは上流の暮らしをしていた人間のそれだと一見して分かる。


 一体、彼は何者なのだ。なぜここへやってきたのか――。


 ソムリエを下がらせたあと、


「ヴァンさん。幸せ(・・)、とはなんだと思いますか?」


 突然、彼はそんなことを言った。


「いえ、特に深い意味はないんですがね。私はね……例えばこういう美味い酒を飲んでいる時に、幸せを感じるのです」


 そう言ってから彼はまたグラスを傾けた。


「だが残念ながら、グラスの中身はいつか消えてしまう。永遠には続かないのです。なら、どうすればよいと思いますか?


 勇者の目が妖しい光が宿った。


「――力だ。財力、権力、暴力――。あらゆる力を使って、愚かな凡人を支配し、美味い飯と酒を好きなだけ喰らい、いい女を山ほど抱く。……それが、私の思う幸せ(・・)です」


 彼はあくまで優雅に、爽やかな笑顔を浮かべ、そう言い切った。


「誰もがそう思っているはずなのに、こんなことを堂々と言うと、なぜか後ろ指を指される。私は以前から不思議でなりませんでした。なぜ、欲望に忠実なことがあたかも悪のように言われるのか――。ヴァンさんは、どう思われますか?」


 ――この男からは危険な匂いがする。


「そろそろ本題に入っていただけませんか」


 ヴァンはぶっきらぼうにそう言った。ここでは否定も肯定もしない方がよいという判断だ。


「ふふ、つれない人だ。――分かりました。今日、この席を設けていただいたのは、実はお願いをしに来たのです。引き続き、討伐対象を私に紹介していただけませんか。報酬はいりませんが、勇者が討伐したと大々的に報じてほしい。それだけで構いません」


「……目的は?」


「もちろん、勇者としての正当な地位と名誉ですよ」


「金が欲しかったのではありませんか?」


「……少し、気が変わりましてね。以前、私はペットを飼っていたんですが――えぇ、とても可愛い声でナクんですよ。ふふ、ふふふ――偶然にも、こちらの世界でたまたま似た生き物を見つけたのです。私はすぐにその生き物をペットにしようと決めました」


 ――ペットだと? 突然、何を言いだすのか。


「ですがその生き物に逃げられてしまいましてね。私はね、その生き物を新しいペットにしたいのです。私の唯一の趣味なんですよ。生き物を飼うのが。まあ飼えれば出来ればメスがいいと思うくらいで、なんでもよかったんですが、あの生き物だけは別だ。この世界で、おそらく私をもっともタノしませてくれる予感がある」


 勇者の目が冷酷に染まった気がした。


「この広い世界から見つけるのも大変だし、もし捕まえても、再び逃げ出してしまったら苦労もしますからね。だから勇者として地位を手に入れて、世界に味方してほしいんですよ。まあ事前準備というやつです」


 口を歪めて勇者が笑っている。


 ――この話は、何かの例え話か何かだろうか。


 分からない。


 一体、この男が何を考えているのか、全く想像ができない。


 狂気に近いものを感じる。


 ……どうする。


 …………。


 ヴァンは考えた末、この男が無償でモンスターを討伐をするというなら利用するしかない、という結論を出した。


 この男が求めるように、モンスターを討伐させて、国を通じて勇者の活動を報じる。


 スジャーラドラを単独で倒す戦力を、みすみす逃す手はない。この男がいくら危険だろうと……いや、危険だからこそ、目に見える位置に置いておきたい。


 ……だが答える前に、一点だけ事前に確認しておく。


「返答をする前に、一つ確認したいことがあるのですが」


「なんでしょうか?」


はこの魔女が行方不明になっているそうです。何か知りませんか?」


「…………。電話でお伝えしたとおり、私が到着した時には封印が解けてモンスターが動いていましたから。逃げたのではありませんか?」


「…………」


 ヴァンは彼を注意深く観察した。


 嘘は――おそらくついていない。だが、やはり重要なことを何か隠してる。


 偶然にしては出来すぎているが、だからこそ逆に真実味があるようにも思う。


 最悪なのは、すでに匣の魔女がこの勇者の手の内にあった場合だが、それはないとヴァンは判断した。直感だが、ヴァンの直感は不思議と外れることが少なかった。


 あの魔女の力があれば、最悪、この男が暴走をはじめた時に封印することができる……。


「分かりました。あなたが何を目的としているのか知りませんが、あなたがモンスターを討伐するというのなら、我々はあなたを支援します」


 ヴァンがそう言うと、勇者はふっと笑みを浮かべた。


 この男を監視しながら、匣の魔女を探しだし国よりも先に保護する。


 ユニークスキルホルダーとの交渉は、極めて平等に行わなければならない。国の乱暴なやり方では、交渉に成功すると思えない。


 だから、何としても先に見つけなくては。


 ――やれやれ。忙しい日々はまだまだ続きそうだ。


 ヴァンは心の中で重たいため息をつくのだった。

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