5.役割
転生後の俺の画力は、生前と変わらないみたいだった……。
俺はシャルロッテを描いていたはずなんだけど、
「わーすごい。こういうの、抽象画っていうんだっけ? ……リュートくんって、難しい絵を描くんだね……」
と言われた。
極めて正確に描いていたつもりだったんだけど……。
恥ずかしかったので、線だけで友情・努力・勝利を表現している、という自分でもよく分からないことを言って誤魔化しておいた。シャルロッテは信じてくれたみたいで、「すごいなぁ」と感心していた。
俺が絵を描いている間は、シャルロッテもキャンバスに向き合って俺の絵を描いていた。
真剣な表情で絵を描いている彼女の姿は、いつものおっとりした雰囲気と少しだけ違っていて、また違った魅力があった。
俺が上手に絵を描けなかったのは、彼女に何回も目を奪われたから。
そういうことにしておこう。うん。
だいたい二時間くらい絵を描いていたけど、いったん昼食を取ることになった。シャルロッテが振舞ってくれるそうだ。
本当は彼女が料理をするのを手伝いたかったけど、例のごとく「お客さんは座ってないとダメ」と断られたので、俺は今ダイニングでのんびりとしていた。
暇だったので部屋を眺めていたら、壁に丸いものがあるのが分かった。
時計、だろうか。たぶんそうだ。左側が黒くて、右側が白いデザイン。
時計の針は一本しかなくて、ちょうど三時くらいを指していた。
……時間的にまだ三時じゃないだろう。たぶんまだ昼の十二時くらいだ。
ちなみに数字の三ではなく『黄』の意味を持つ文字がそこには書かれている。
一番上は、白。
そこから右回りに、赤、青、黄、緑、茶、と続いて、で、一番下は黒、とある。
そこからまた、赤、青、黄、緑、茶、と同じように続いて、一番上の白へ戻っている。
時計だと思うんだけどな。
読み方が俺の世界と違うのかもしれない。
その時計の針の動きを観察しながら時間を潰していると、
「お、お待たせぇ~」
と声がした。
シャルロッテがバスケットケースを肘にかけ、両手に皿とグラスを乗せたトレーを持ってやってきた。
歩くたびにカチャカチャと皿が音を立て、グラスの中の飲み物が揺れていた。
昨日の同じく、シャルロッテはとても慎重に足を運んでいる。
あ、あんなにいっぺんに。大丈夫か……?
俺はそわそわしながら、いつでも煙を出せるようにスタンバイして見守っていたけど、今日のシャルロッテは無事にテーブルまで辿り着けた。彼女はは「ふー」と、ため息をついて、額をぬぐった。
彼女はテーブルの上にグラスと皿を二つ並べて、次にバスケットケースを開けた。
サンドイッチが入っている。
「いっぱい作ったから、どんどん食べてね」
そう言いながら、昨日と同じく隣へ座る。
「……い、いいのか?」
「うん」
ごくり、と俺は唾を飲んだ。
サンドイッチを手でつまみ、
「いただきます」
一言言ってから口に入れた。もぐもぐ……。
――なッ!
俺はガタリと椅子から立ち上がった。
「なんてことだ……」
「ど、どうしたの?」
雷に打たれたような衝撃。
いつだか狼型モンスターに喰らった『雷の矢』よりも強い電撃だ。
「……うまぁぁぁぁいっ!」
俺は。
俺はサンドイッチをこんなに美味しいと思ったことはない。
「……お、大げさだよぉ」
「いや、これはすごいものだッ!」
「あの、野菜とハムを挟んだだけの、普通のサンドイッチだよ? 料理っていうほどのことをしてないよ?」
「シャルロッテ、謙遜しなくていい。君はすごい。天才だ」
「えぇ……? 何もしてないのに……」
あぁ、食事って、素晴らしいものだったんだな。
こんなに一気に食べたらもったいない、という気持ちになってくる。ゆっくり、味わって食べよう。
* * * * *
食事を終え、俺たちはティータイムを楽しんでいた。
「リュートくんって、本当に美味しそうに食べるよねぇ」
彼女は紅茶を片手にそう言った。
「本当に美味しいんだから、当たり前だろ?」
「ふふ。今度はちゃんと作るね」
ああ、なんて穏やかな時間なんだろう。
こんな時間が続いてほしいと思うけど、俺はそろそろ彼女の謎について触れなくてはならない。
あのモンスターは危険なものらしいし、放っておくわけにもいかないのだ。
「……なあ、シャルロッテ」
「ん? どうしたの?」
「あの外の化け物は、スジャーラドラっていうらしいな」
「う、うん。そうみたい。怖いよね……でも、大丈夫だよ。動かないから」
「あれは、君とどういう関係にあるんだ?」
「関係?」
「そう、なぜシャルロッテはこの家に住んでいる?」
俺が聞きたいのは、これだ。
「…………それは、あのモンスターを、私の力で閉じ込めてるからだよ」
「……力?」
「うん。白い半透明な壁があったでしょ? あれはね、私の特殊な力なんだ。あの箱は、絶対に誰にも壊せないくらい頑丈なの」
俺の『煙の支配者』みたいなものなんだろうか。
「私がここを離れると、力が解除されて封印が解けちゃうから、私はここに住んでるんだよ」
「だから、この家を出ないのか?」
「うん」
「だけど、あいつが現れたのは、七、八年前って聞いたぞ」
「そう、だっけ? うーん、そんくらいなのかなぁ」
この星の一年は俺の知ってる一年と違ったりしないよな?
「君は今何歳で、いくつの時からここにいるんだ?」
「私、十五歳だよ」
見た目と同じくらい。年数の認識は俺の世界と同じでいいと思う。
「ここには……覚えてないけど、背がこんくらいの時だったかなぁ」
シャルロッテは手を使ってその高さを俺に伝えた。
俺のヘソよりやや上くらいの高さ。たぶん、七歳とかそれくらい。
「……それからここを出てないのか? 一回も?」
「うん」
――マジかよ。
「どうしてシャルロッテがそんなことをすることになったんだ?」
「……分かんない。でも、私しかできる人がいないんだって」
「誰がそう言ったんだ?」
「お母さんだよ」
またか。
「ここを出たいと思わないのか? 行きたいところがいっぱいあるって、さっき言ってただろ?」
「それは――」
シャルロッテは表情を暗く落とした。彼女のこういう顔は初めて見る。
「もちろん出たいと思うよ。……だけど、しょうがないよ。私が離れると、モンスターが動き出しちゃうもん」
「……俺が倒してやる」
「え?」
シャルロッテは大きくて丸い瞳をパチパチと二度瞬きさせた。
「リュートくんが?」
「そうだ」
「あはは、ありがと。期待してるね」
冗談として受け取られてしまったみたいだ。
「マジで言ってるんだぞ」
「……?」
俺は真剣な目でシャルロッテを見た。
最初は笑っていたシャルロッテも、俺の表情を見て、俺が冗談を言ってるんじゃないと理解してくれたみたいだった。
「む、無理だよ。あのモンスター、すっごく強いんだって。誰も退治できないから、だから封印してるんだよ」
「俺なら倒せる」
俺はそう言い切った。
「あの箱は、自由に出せるのか? 君を守れたりしないのか?」
「あの封印を解除すれば出来ると思うけど……」
「なるほど。よし。じゃあモンスターの封印を解いて、君は自分を守るんだ。その間に俺がやつを倒す。必ずだ」
「……た、倒せないよ。何百人って束になっても勝てないんだって言ってたもん」
「めちゃくちゃ強いんだぞ、俺! ほら、煙も使えるし!」
指先から煙をもくもくと立てて、空中でぐるぐる回した。
シャルロッテは困ったような顔をしたままで、何も言ってくれない。
「な、なら、あとで俺の魔法を見せてやる!」
素直に頷いてくれないシャルロッテに、俺は少し焦ってそう言った。
「嘘じゃないぞ! カマキリ人間とか、でっかい猿とか、俺は倒したんだ!」
「……あの、リュートくん。ありがとう。そう言ってくれて嬉しい。でもね、私、大丈夫」
「大丈夫……って、なんだよ」
「外に出たい気持ちはあるけど、私、納得してるの。自分にしかできないことで平和を守ってるって。お母さんも私のこと『誇らしい』って言ってくれてるし」
またお母さんか。
「それに、本当にリュートくんがモンスターを倒せるくらい強かったとしても、私一人じゃ決められないよ。お母さんに相談しないと」
「なあ、そのお母さんは、なんでここにいないんだ?」
「分かんないけど、そういう決まりがあるんだって。このお屋敷を建ててくれた偉い人と、そういうお約束になってるみたい……」
なんだそりゃ。漠然としていて分からないぞ。
「受け渡し部屋……だっけ? そこにお母さんが色々運んでくれて、物を受け取ってるんだろ? 俺が話してみるから、今度会う時教えてくれよ」
「会えないよ」
「え?」
シャルロッテは悲しそうな目でテーブルを見つめた。
「……モンスターが生きている間は、私と会えないんだって。そういう決まりだからって」
「は? …………じゃあ、誰がシャルロッテに物を渡すんだ?」
「あの部屋は物だけ置いてあるだけだから、誰もいないよ」
「なんだよ、それ。じゃあ、誰とも会わずにここにいるのか? ずっと?」
「うん……本当に小さいときは、大人の人がたまに来てたんだけど。このお屋敷ができてからは一人」
俺はだんだん腹が立ってきた。
「…………そんなの、寂しすぎんだろ」
「さ、寂しくなんかないよ! お母さんが手紙をくれるし、たまに電話もかけてくれるし……。それに、年に一回プレゼントもくれるんだよ?」
シャルロッテは表情を明るくして立ち上がった。
「そうだ! リュートくんにも見せてあげる。こっち来て!」