1.シャルロッテとの出会い
あの地獄のような森を出て、五日が経った。
すごいことが分かった。
ここ、地球じゃない。
……うん。
まあ薄々は気がついてた。あんなモンスターがうじゃうじゃいたんだから。
どうして地球じゃないと分かったのかというと、空に浮かぶ月が地球から見えるそれと違ったからだ。
森にいるときは気がつかなかったけど、月の色が、赤、青、黄、緑、茶、白と日によって少しづつ変化しているみたいなのだ。
大きさは俺の知っている月と同じくらい。だけど模様が違っていた気がする。ウサギがモチをついてなかった。
謎だ。……どこなんだここは?
とはいえ、それ以外の部分は地球によく似ていた。
空を飛びながらいくつか街もみたし、人がいるのも見た。
数は少ないけど、車やバイク、機関車が走ってるのも見た。
代わりにモンスターっぽい謎生物が群れになって草原を走ってるのも見たけど……。
こういうのを異世界って言うんだっけ? 自然の割合が多い気がするけど、とにかく地球にすごく似ているのだ。
俺はその異世界を飛び回り、どこへ行こうか考えていたのだが、そんな中、気になるものを森の中に見つけた。
「なんだありゃ?」
最初は、石像か何かだと思っていた。
が、近づくにつれて、それが造り物なんかじゃないと気がつきはじめた。
それは巨大な生き物だった。全長二十メートルくらいだろうか?
そいつは、二足で立ったまま静止している。
筋肉が膨張した太い腕と太い足。その先には禍々しい黒い爪がある。
くすんだ黄色の体毛で全身が覆われているが、腹の部分だけが露出して、白っぽい皮膚を表に出ていた。
窪んだ黒い目をした獣。
その頭は、全部で四つある。そのどれもが憤怒した顔で、黒い牙を剥きだして宙を睨みつけていた。
……動物で言えば、犬――いや、狸に近いだろうか?
奇妙なのは、その頭の四つある巨大生物は半透明の箱のようなものに入っているのだ。まるでフィギュアがケースの中に飾られているみたいに……。
そいつは止まっているけど、生きているのだと分かった。その化け物の目線が、飛ぶ俺に合わせて動いているのだ。
「…………こえーよ。音楽室のベートーヴェンかっつーの」
もしもこいつが動いたなら、めちゃくちゃヤバそうだ。半透明の壁のせいか、いまいち本能が働かないけど、俺より強いのだろうか?
俺はその半透明のガラスに触れてみた。
固い感触がある。ノックするように指で叩いてみた。分厚いような気もするし、薄っぺらい気もする。
なんでこんなヤバそうな巨大生物が生きたフィギュアに……?
気になった俺は、そのケースの周りを旋回してみた。
「……ん?」
すると、そのケースにぴったりと隣接して、屋敷が建っているのが見えた。周りには森が広がっており、少なくともここからでは他に建物は見られない。
明らかに不自然な感じだ。
家にしては大きいし……なんだろう。
なんとなくだけど、最近建てられたような感じがある。外壁や屋根がきれいなのだ。
俺はその屋敷の屋根の上に降り立とうとした。が、なぜか跳ね返される。
なんか森を抜けた時のあの空気の塊に似てるな。なんなんだろう。
煙で足を引っ張って無理やり着地してみた。が反発力がすごい。
ぐ、ぐぐ、ぐぐぐ。
俺は煙を纏って屋根の上をのろのろと歩いてく。頑張れば動けなくはない。
……仕方ない。このまま調査を続けるか。
縁の方まで辿りつくと、俺は上からのぞき込むようにして下の様子を探ってみた。
バルコニーになっているのが分かったが、建物側の様子はこの位置から見えない。
どうしよう。めちゃくちゃ気になる。
このまま立ち去ったとして、いつか俺は「あの時の怪物フィギュアはなんだったんだろう」とかモヤモヤしそうだ。
――よし。ちょっと調べてみるか。
人がいるかもしれない。念のため、人間モードになっておこう。
ぼん! と変身する。
すると、反発力が消えてふっと体が楽になった。
な、なんだ?
……うーん、まあ動けるようになったし、とりあえずいいか。
ちなみに人間モードになると黒い鎧が一瞬で腕や足に広がって、グローブとブーツになってくれる。防具としては微妙な性能のこいつだけど、服としてはけっこう便利だ。
俺は煙をバルコニーの方へ送り、そのまま建物側へ伸ばしていった。
こんな化け物と隣接する屋敷だ。もしかしたら、人じゃない何かがいる可能性もある。
だから念のため、ダンジョンの時のように煙で探ることにした。
俺の煙は手や指で触れているのと同じように、物の輪郭や感触を感じ取ることができるのだ。
煙で触れている感触から、バルコニーに出入りできる窓ガラスがあるとだと分かった。
窓は鍵がかけられているみたいだ。
窓の上下のわずかな隙間から徐々に煙を侵入させる。
中から煙を操作して鍵を開け、窓ガラスを開放した。
開いた窓から一気に煙を送りこんだ。
どうやら中は部屋になっているようだ。
――ん?
部屋の中央に、何かがいる。
二本の足、二本の腕、胴体があって、頭がある。
人のように思えるが、動いていないな。マネキンみたいな、そういう類のものだろうか。
俺は煙をその物体に纏わせて、もう少し探ってみた。
ぷにぷに。ふにゅふにゅ。
全体的に柔らかい。けど弾力があって、すべすべしている。
全身が丸みを帯びており、尻や胸のところが出っ張っている。
俺は煙で両方の胸を揉んだあたりでようやく気がついた。
……うーん。
――これ、人間の女じゃないか?
「……ひゃう」
小さな悲鳴が聞こえ、その物体――女が、膝からがくりと倒れそうになったのが分かった。俺は慌てて煙でキャッチする。
「ま、まずいぞ。なんだか、やっちゃいけないことをした気がする……」
俺はバルコニーに降り立った。
部屋の中がすぐに見えた。
裸の女の子が、俺の煙に抱かれていた。目を回しているみたいで、力が入っていない。のぼせたみたいに頬と耳が赤く染まっている。
亜麻色の髪が濡れている。そばにはタオルが落ちていた。風呂上りといった様子だ。
桃色の唇。すらっとした手足。透き通るような白い肌。
歳は俺と同じくらいか?
……めちゃくちゃ可愛い。
「可愛い……じゃねえだろ、俺! や、やっちまった! 裸の女の子を揉みまくってしまった!」
なんてことだ!
「……お、おお、落ち着けぇ!」
俺はパニくっているのを自覚した。
「お、おおお、俺は魔猿に勝った男。そうだろう? れ、れれ、冷静になれ。と、とと、とりあえずベッドに寝かせてタオルをかけよう」
宣言したとおり、煙で女の子をベッドへ運び、タオルをかけた。
「……んん」
女の子がもぞりと動いた。
彼女は顔だけこちら向けて、トロンとした目で俺を見た。
徐々に焦点があって、目が合いだした。
「…………え?」
くりっとした大きな瞳が、みるみる怯えた色に染まっていく。
彼女はがばっと上半身を起こす。
「え? だ、誰?」
「あ、ああ、あや、怪しい者じゃあない!」
女の子がはっと気がついたような顔をして、ずれ落ちそうだったタオルを胸元に寄せた。彼女は変質者を見る目で俺を見ている。
「ち、ちがぁう! 誤解だぁ! ただの通りすがりなんだ! ちょっと中の様子を見てみようかなって!」
や、ヤバい。我ながら怪しすぎる。
「そ、そのさっきのはなぁ、俺の癖なんだ。煙で探るのは俺の癖なんだ。断じて、君を触ろうとしてやったんじゃあないぞ!」
俺はくるっと背中を見せた。
「あわ、あわわ! と、とりあえず、服を着てくれ! 話はそれからだ!」
支離滅裂な思考が頭の中に飛び交いまくり、どれくらい経ったのかも分からないような時間が流れたあと、きぃ、ばたん。と音がした。
たったったった、と足音が遠のいていく。
な、なんだ? 出ていったのか?
逃げてしまったんだろうか? どうしよう。
…………。
そこそこな時間が経ってから、再び扉の開く音が鳴って、彼女が部屋へ入ってくる足音が聞こえた。
「あ、あの、服、着たよ」
と背後から声がした。
振り返る。
さっきの女の子が白いワンピースを着ていた。
彼女はグリーン色の大きな瞳で、ちらちらとこちらを見ている。
やっぱ可愛い……。
「…………」
「…………」
や、ヤバい、なんか喋んないと。
「わ、私、シャルロッテ」
と思ったら先を越された。なんて情けない男なのだ俺は。
「あなたは?」
「リュートだ!」
さっきの悪態を忘れてもらいたので、自信満々そうな感じで言っておいた。
「リュートくん……は、どうやってここへ来たの?」
「空を飛んでたら――」
ん、そういえば人間モードだったな。
「じゃなかった。散歩してたら、変な巨大生物がいて、そばにあったこの屋敷が気になって来てみたんだ。言っておくが、君を覗きに来たわけじゃないぞ」
「……ふふ。もういいよ」
口元に手を当てて笑っている。
……あぁ、やっぱりめちゃくちゃ可愛い。って、見とれてる場合か。
でもよかった、それほど警戒されてないみたいだ。
「あの化け物はなんなんだ? 君はどうしてここにいるんだ?」
「え、えっと。それはね、説明が難しいんだけど、えっとね」
彼女は自分の頭の中を整理しながら喋っているような様子だった。
俺はしばし待つ。
「色々あって」
詳しく説明するのを諦めたらしい。
……まあいいか。それよりせっかく人の住む場所へ来れたんだ。一番最初にやっておきたいことがある。
「ところでシャルロッテ。この屋敷に鏡はないか?」
「……鏡? うん、あるよ」
よし!
「頼む! 見せてくれ!」
「うん、いいよ」
扉を開けて部屋を一歩出て、俺を「こっちだよ」と手招きした。入っていいようだ。
俺はお言葉に甘えて、家に上がらせてもらうことにした。