第四話 冬
1 一ノ瀬尚子
「風那、何を言ってるの……。なんで父さんが……」
「なんで……あの時、話してたじゃん!もみ消すとか、あの事故はしょうがなかったか……」
風那は拳をぎゅっと握りしめた。
『ぼくが、むじつを、しょうめいしようか?』
メモにはいつの間にか、その文が書かれていた。
「拓海……!?」
「いいじゃん、やってもらおうよ。どうせ父さんは無実なんでしょ?」
風那は変わった。今まさに、まざまざと見せつけられた。
「いいでしょう。父さんは……無実なんだから!」
2 大津慧子
二年前の「N市五人轢き逃げ事件」の被害者遺族から状況を説明するように言われ、私は市内の病院へ向かった。
被害者遺族というのは、当時高校二年生だった、一ノ瀬拓海の家族だった。
被害者の中で、一番若かった。
私はあの時、偶然あの近くにいた。あの轢き逃げ犯を捕まえられなかったことを、今でも悔やんでいる。
一ノ瀬拓海が全身不随ながら、まだ生きていることに驚いた。他の四人はもういない。
私は傍らの後輩刑事、南浩に話しかけた。
「……入りましょう」
「わかりました」
南君は、私の気分が落ち込んでいることを、気にしているようだった。
駄目だ。落ち着かないと。気合いを入れるために、髪を結びなおした。
「失礼いたします。T県警から参りました、大津慧子と南浩です」
「失礼いたします」
中に入ると、もともと静かだった病院の沈黙の空気が、さらに濃くなったように思えた。
窓の外には葉が散った樹木、テーブルの上にはメモ帳が置いてある。
そうか、もう十一月か……。
そしてベッドの上には、痩せた体の一ノ瀬拓海がいた。
後ろで渡部君が息を呑んだ。
「……あの」
中年女性に話しかけられた。おそらく母親だろう。
もう一人、髪を脱色した女子高生がいる。妹だろうか。
「では、まず現状説明をさせていただきます。守秘義務があるので、全てにお答えすることはできませんが、ご了承ください……」
まず、何故今になって新たな可能性が浮上したか、ですね。
実は、こちらの南君がこの事件の捜査本部に配属になったからです。
南君はあの事故の時、急いで現場付近から走り去る車のナンバーを覚えていました。
……それが、一ノ瀬さんの車だったんです。中には、中年男性が乗っていたそうです。
今言えることは以上です。捜査本部では裏付けるための調査を
進めています。
「ほら、やっぱり父さんなんだよ!」
妹が立ち上がって叫んだ。
「そんなわけないじゃない!父さんが……そんなこと……」
南君が硬直する気配を感じた。
「あの……何しろ二年前の事件ですので、調査は難しいのが現状です。南君の証言は、当時の日記から押収しました」
今から証言者を他に探すとなると、とても難しい。二年前のことを細かく覚えている証言者もほぼいないだろう。
「じゃあ……ずっとそのままなんですか!?真犯人は……見つけられないっていうんですか!」
妹が自分たちをキッと睨みつける。
「ええ、とても難しいです。……なので、捜査本部は、真犯人の自首を望んでいます」
「大津さん!?被害者遺族の前で言うことじゃ……」
南君が小声で囁く。
「もしかしたら、任意同行を求めるかもしれません。そのときは……捜査にご協力ください」
「そんな……確たる証拠もないのに」
母親が声をあげる。
「私達は、あの事故を、解決したいと思っているんです。それだけは知っておいてください。……失礼しました」
慌てる南君を横目に、病室から出た。
3 一ノ瀬風那
あれから少し時がたち、空気は冷たさを増した。
警察が拓海の病室に来た日、あたしは拓海に言った。
「拓海、何かわかったか?」
すると、充分な間を開けてから、
『クリスマスまで、まってくれないか』
何故クリスマスまで、という問いには答えなかった。
そして、今日。
12月25日。
「一ノ瀬風那、入ります」
病室には、母親の一ノ瀬尚子、父親の一ノ瀬大祐、刑事の大津さんと南さん、そして拓海がいた。
大津さんと南さんは、状況がよくわかっていないようだった。
拓海のベッドの周りに、放射状になって座る。
しびれを切らしたのか、南さんが口を開いた。
「あの……これはどういう……」
すると、ペンが持ち上がり、字を書き始めた。
大津さんから、えっ、と呟きがもれる。
『みなさん、そろっていますね?』
「そろっています」
父親が答えた。
『けつろんからいおう』
場が静まり返った。
『とうさんしか、かんがえられなかった』
4 一ノ瀬拓海
「拓海、ごめん……。謝ってすむことじゃないことはわかっている。……本当にごめんな。……拓海の人生をめちゃくちゃにしてしまって……」
「父さん!なんで……なんで轢き逃げなんか……なんで!?」
「とうさん……とうさん!」
僕以外の三人は顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫んでいる。
大津さんと南さんは静かに見守っている。
ああ、そうか。
僕はもう、泣くこともできないんだな。
『きょうは、ぼくのたんじょうびだ』
これまで口を開かなかった理由。
『きょうで、ちゃんとにじゅうねんいきたよ』
なぜか南さんがもらい泣きし始める。
「拓海、すまない……。俺が……俺がやったんだ……。黙っててごめんな。拓海を俺のせいで死なせてしまって……」
感情が沸き起こり、ペンをとった。
『ぼくは、まだいきている』
そこで一旦ペンを空中で静止させる。
風那が何か言い掛けたが口を閉じた。
『しぬ、というのは、かんがえるのをやめることだ』
それなら僕は。
『ならぼくは、まだいきている』
ーFINー