握る拳とその行方①
気付けばアパートの前に戻ってきていた。おばあちゃんはいつものように塀の掃除をしている。今日は落書きを消しているようだ。手にタワシを持ってゴシゴシと擦っている。
「あら、帰ってきたのね。だいぶ遅かったけど探し物は見つかった?」
おばあちゃんは僕の姿を見ると掃除する手を止め、ニコリと温かな微笑みを浮かべる。
そういえばカバン探しに行ってたんだった。魔獣のことのインパクトが強すぎて忘れてた。でも結局見つからなかったな。その後すぐに魔獣が出てきてそっちに行っちゃったし。
おばあちゃんからの問いかけに答えるために首を横に振る。するとまるで自分の事のように残念そうな顔になった。そしてなぜか掃除道具を片付け始めた。
「残念やったね。それよりもお腹空いてない? 少し遅いけどお昼にしよっか?」
ああ、もうそんな時間なのか。改めて空を見上げると太陽は頭上から少しズレた位置で輝いている。朝早くに出ていったのに時間が経つのが早いな。
ただ今は1人になりたかった。未だに先程の出来事がトゲのように心に刺さっており、頭の中がグチャグチャで考えもまとまらない。そのせいかもしれないが、食欲も湧いては来ない。
「お腹空いてないからいらない」
そう思っていたのに早々に体は主を裏切った。そう言っている途中でグーと腹の虫を鳴らしやがった。途端に忘れていた空腹感すらも悲鳴を上げ始める。なんでこんな急になり始めるの!
「はいはい、それじゃあお昼にしようね」
「いやだからいらないって……」
「我慢は毒よぉ〜。ただでさえ細いんだから。今のうちに太っておかないと後で大変よ」
それでもなおいらないって言い張ろうとしたが、おばあちゃんからしたら意地を張っていると思われたみたいで、ハイハイと言って取り合ってくれなかった。そのままおばあちゃんの部屋に強制連行されていった。
一応抵抗しようとしたけど難なく取り押さえられた。お年寄りだから全力ではやってないけど、それにしても簡単に抑えられすぎじゃないか。元々力が強かった訳では無いけど、ここまでではなかったと思う。……ホントだよ。
おばあちゃんの部屋に入ると、香ばしいケチャップの香りで充満していた。否が応でも食欲が刺激される。さらにそこにジューという音と共に濃厚な卵の匂いまで追加される。
さっきまで頭の中には先程の事でいっぱいだったのに、途端に食欲に支配されていく。ほんとに単純だな。
「はい、お待たせ」
おばあちゃんが机に置いたお皿には、楕円形の黄色いものにケチャップが波線状にかかっているものだった。それにスプーンを差し込めば中からは、様々な具材の入った赤く染まったご飯が姿を表す。
「若い子はオムライスとか洋食みたいなのが好きなんだろ? 今の子達は和食作るとだいたいが嫌そうな顔をするからねぇ」
今日の朝ごはんといいオムライスといい、おばあちゃんが作るイメージが持てないご飯が出てくるなとは思ったけど、僕の味覚に合わせてくれていたのか。ほんとにおばあちゃんはすごいな。
「そうそう、伝えとかないといけないことがあるの。ここでの最低限の生活は保証してあげる。でも欲しいものがあったり何か贅沢がしたいのなら、バイトを紹介してあげるから自分でお金を作ってやりくりしなさい。それがここでのルールだよ」
男の時にも聞いたルールの説明、おばあちゃんは完全に僕を別人だと思っている証だ。そのことに僕はまるでおばあちゃんを騙しているような罪悪感が湧いてくる。本当に伝えなくていいのか。
ちなみに男の時は内職系のバイトをして、早々におばあちゃんとあまり関わらないようにしていた。まあ最初の方だけだけどね。
あの頃はこんなに優しいおばあちゃんすらも、敵だと思っていたから。だから距離を置いて、でもとある出来事がきっかけでおばあちゃんだけでも信じてみようと思った。
「ねぇ、おばあちゃんは僕のこと何も聞かないの?」
「話したくなった時に話してくれたらいいよ。今まで関わってきた子達の中にはまったく事情を知らない子もいた。ただ、このアパートはあくまで止まり木、いずれは飛び立たないといけないからね」
話した方がいいのかな。でも話さなくてもいいって言ってるし。今はおばあちゃんのこの優しさに甘えておこう。僕自身も実は自分の身に起こったこのことについての整理はついていなかったりする。
それにどうしてこうなったのかも分からない。そんな状態で伝えたとしても、おばあちゃんも僕もただ混乱するするだけだよね。これは逃げているわけじゃない、自分の中でまとめる時間が欲しいだけ。だから話したら今の関係が壊れるかもしれないとかが怖いから伝えない訳では無い。整理できたらちゃんと伝える。
だから今だけはおばあちゃんの優しさに甘える。いづれ全部を話せるそんな日がきっと来る、そう信じて。
おばロリに目覚めそうな今日この頃。
この小説が面白いと感じましたら、ブクマ登録・感想等お願いします