三話〜怖いらしい〜
「――ゃん! ――いちゃん! お兄ちゃん!?」
「ぉうっ!?」
大きい声で呼ばれて肩が跳ねた。
「な、なんだ、ひなた?」
「さっきから呼んでるよ? やっぱり身体悪いの?」
心配そうに見上げられた。妹を気遣わせるとは、とんだクソ兄貴だな、俺は。
「悪い、ちょっと考え事だ。高校二年生にもなるといろいろあるんだよ」
そう嘯いて愛妹の頭を撫でる。
「ひな、もう子供じゃないよ!」
そう怒って見せるが、ひなたは手を払い除けようとしないし、目を細めて気持ち良さそうにしている。
背も俺の胸くらいの高さで、何を言うんだか。
「ああ、もうバス停だったのか」
意識を前に向ける。
父が二十五年ローンで購入した一軒家のある住宅街を歩いて七分ほど、大通りに出ると直ぐバス停がある。
ひなたの通う小学校がスクールバスを出していて、そこに止まる。
幼児に痴漢何てこともあるから、一般客の乗り込みは原則禁止されている。安心して送り出せるってわけだ。
ひなたはここから徒歩で一時間掛かる処に通ってるからな。歩きでそれは疲れるだろう。
「ゆみちゃーん! さとちゃーん!」
大声でひなたがバス停に見える女の子二人に呼び掛け、駆け寄っていく。
高校の方角はバス停のある方とは反対なので、友達と合流し「お兄ちゃ~ん、行ってきまーす!」と大きく手を振るひなたと、律儀に頭を下げる女の子二人に小さく手を振って、自分の通う学校に向かう。
時刻は七時半過ぎ。始業時間は八時半。十分間に合う。
学校に着くまでに、今後の行動を考えないとな。
◇
八時二十三分。学校に着いた。この時間帯が一番生徒の登校ラッシュに重なり、正門も大賑わいになる。
「……おはようございます」
「おはよう」
校則違反者の摘発と制服の乱れを正すために、数人の教師が正門近くに待機していて、生徒と朝の挨拶を交わしている。
開けられたピアスを見咎められたり、染めた髪色を指摘したりと、風紀を正すのに余念がない、ってこともない。
あくまで軽い注意で済ませ、無理に黒染めしたり、ピアスを外す何てことはしない。昨今の世間体を気にして強く出れないのは、教育者としてジレンマがあるんだろうな。そんな愚痴を溢す教師を見掛けたことがある。
まぁ、俺には関係ないか。制服はキッチリ着ているし、髪を染めてもいない。ピアスもしていない。
指導される余地はない。
昇降口まで伸びる道を進み、下駄箱で上靴に履き替え、教室へ向かう。一年は最上階、二年は二階、三年は一階となっている。
三年生は二学期末と三学期に半日授業が多く、下校中の騒がしさを少しでも和らげようと下の学年に配慮した結果らしい。
昇降口から正面に階段がある。
階段を昇れば俺のクラスの教室がある。とくに問題もなく、クラスに着き、開けっぱなしのドアを潜って中に入った。
二つの出入り口があって、俺は近い方、後ろのドアから入ったのだが、傍の席でたむろしていた男子に肩がぶつかった。
人が出入りするのにこんなとこにいるんじゃねぇよ。
そんな思いもあって、睨み付けるような一瞥になったのかもしれない。
だからか……
「おい、待てよ」
呼び止められた。しかも、肩に手を置いて。
風紀が強く乱れた学校じゃない。不良が特別多いわけでもない。ユイに危害を加えた連中はヤクザとの繋がりがあったが、全員がそうってわけでもない。
ただ、クラスに一人二人はいる粋がった奴。こいつはそういう類いの、頭空っぽなアホだ。
異変を感じて、教室内が静かになる。外の喧騒がいやに煩く聞こえる。
「あ?」
「いや、ぶつかったんなら言うことあるでしょ」
息を潜めて成り行きを見守るクラスメイトに視線を走らせる男子。誰へのアピールだ、それは。
「なんか言えよ。震えて声も出ません、みたいな感じか、ああ?」
「入り口の前で群がるな、邪魔だ」
「――っ!?」
声音を低く、重くして言う。囁くような、けれど、しっかり相手の耳朶を震わせるように。
格闘経験なんてないこの身体で、俺はヤクザのアジトのひとつに乗り込んだことが何度もある。
そんな経験ばかりを進んで積んだ。次の糧になると分かったから。
眼孔は精神に寄った。荒んだ心に引っ張られ、家族によると俺の目付きは│頗る悪いらしい。
体調不良を疑われる程度には……
緩んだ手を払い、席へ向かう。お前に興味はない。そう言外で示した。
注目されているのが分かる。囁き合う声が聞こえてくる。
「藤佐田どうしたんだ?」「なんか怖くない?」「雰囲気違う」等々、俺の異変に気付くも、直ぐに興味は移り、テレビやゲーム、モデル、アイドル、昨日のこと、嫌いな教師のこと、話題が変わって喧騒が戻る。
俺に絡んできた男子も、連れに話題を振られて加わっていく。ただのクラスメイト何てこんなもんだ。
窓際、後列から二番目の自席に腰を下ろし、外を眺める。
話掛けんなオーラってやつだ。出ているかは知らん。
――キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン
やがて、予鈴のチャイムが鳴り、真面目な生徒は席に着き始める。
始業のチャイムを待ち、担任の男性教諭が来るのをじっと待った。