一話〜家族には分かるらしい〜
pipipipi
けたたましい電子音で目を覚ます。ベッドの傍にある台の上に置いた、アナログ目覚まし時計の頭を軽く叩いて止めた。
ぼんやりとした意識のまま、天井を見る。
見覚えのある光景だ。木を模したタイルが幾つも貼られている俺の部屋の天井。
病室なんかでないことに、ほっと息を吐く。
首を動かして壁掛け時計を見る。
時間は……
「七時二分前……そろそろか」
一分、意識の覚醒を待つのと、今日の行動を思い出していると、トタトタトタと軽い足音が扉の向こうから聞こえてくる。
それから直ぐに、パタン! と騒々しく開けられたドアから小さな影が飛び込んでくる。
「おっきろ~!」
掛け声と共に駆けてきた影は、勢いをそのままに俺の腹へ腕を広げてダイブしてくる。
「……ぐぇっ」
空気が肺から押し出され、呻いた。軽いとはいえ、勢いを付けて腹に乗られれば流石に衝撃がすごい。
「……痛いぞ、ひなた」
「お兄ちゃん、おはよう!」
元気一杯絶好調に満面の笑顔を向けるひなたの頭を撫でつつ、「おはよう」と返す。
藤佐田 陽向――俺の九つ下で、小学三年生の愛妹だ。
ひなたのような温かさと、風の子元気の子を体現したような、はつらつとした性格のかわいい妹である。
肩口まである柔らかな髪を右則頭部でひとつに結び、大きな目は何が楽しいのか、ニッコリ細められている。
俺みたいなクソには、勿体ないくらいのお兄ちゃんっ子で、家族大好きな子でもある。
「ご飯もうすぐできるってお母さんが言ってたよ!」
「分かった……着替えたらすぐいく」
俺の腹を跨ぐように座ったひなたの腋に両手を入れて持ち上げ、ベッドから下ろす。
くすぐったかったのか、きゃっきゃっと笑う妹に、荒んだ心に潤いをありがとうと心内で感謝した。
「……?」
「ん? どうした、ひなた?」
ワイシャツのような寝間着のボタンに指を掛け、外し始めたところでひなたが俺の顔を見上げていることに気付いた。
「お兄ちゃん、どこか悪いの?」
そう心配気に問い掛けてくる。
「いや、どこも悪くない。いつも通りだ」
「……そっか、ひなの気のせいだね!」
数秒黙り込んだが、一転にっぱと笑顔を見せると、ひなたはトタトタトタと入ってきたときのように出ていき、「早く下りてきてねー!」と声を残すと廊下に姿を消した。
「……どこか悪い、か。よく見ているな、ひなたは」
性格は昨日までとだいぶ違うだろうし、喋りのテンポも多分違う。
ひなたの言うことは、ある意味間違っていないのだろう。
制服に着替え、一階に下りる。ダイニングキッチンに行く前に洗面所に寄り、顔を洗う。
いつもの行程を辿り、リビングで朝食となる。長方形の机が一脚、横面に椅子が二脚ずつ置かれている。
三十九になる母――藤佐田 瑠美と、四十ちょうどの父――藤佐田 柊弥が並んで座り、父の向かいにひなたが座っている。
母の前は空席になっている。俺の定位置だ。
「……おはよう」
朝の挨拶をしながら席に座る。
「おはようございます、隆之さん」
「おはよう、たかくん」
「おはよう、お兄ちゃんっ!」
父が丁寧に、母がほんわかと、起こしに来てくれたときと同様に妹が元気よく返してくれる普通の風景。半日後、俺がぶち壊す日常だ。
「……? たかくん、どうしたの? 具合でも悪い?」
もう四十近いというのに、小首を傾げる仕草が様になる母は、ひなたと似たようなことを言う。
父もどこか訝しんでいるようだった。
ああ、確か前回もこんな感じだったか。
ユイのことばかり記憶しているから、他はどうも忘れがちだ。
「いや、大丈夫だ。心配ない」
そう返すも、母と父は心配そうだ。
何が違うんだったか……
「隆之さん、目がキツくなっていますよ。瑠美さんに似たふわりと優しい笑顔もありませんし、やはり具合が悪いのでは?」
説明どうも、父さん。
目元か。どう直すんだ? 前回はどうやった?
記憶を辿ってみるも、曖昧だ。多分、ターニングポイントに成り得なかったから、覚えていないんだろう。
「少しダルくて」
「大丈夫? 今日は休む?」
「いや、バイトで疲れただけだから」
俺は運送会社の基地で、積み荷運びのバイトをしている。フォークリフトからトラックに、トラックからフォークリフトに、その繰り返しだ。
身体を鍛えたくて始めたんだったと思う。
もう一年も続けているんだ。疲れもなにもなかった。完全な嘘である。
「そうですか? 学生の本分は学業なのですから、バイトなどで身体を壊さぬよう気を付けなさい」
「分かった。……いただきます」
自分の子供にも丁寧に話し掛ける父だが、その丁寧さが逆に詰問するようで怖い。
キレると、笑いながら言葉攻めだ。マジ怖い。なんで、食事を口実にさっさと話を切るに限る。
目玉焼きにウインナー、ブロッコリーの蒸したやつと食パン二枚。それが俺の前に並んでいる。
目玉焼き、ウインナー、ブロッコリーは同じ皿に。
食パンは別の皿にと分けられている。
目玉焼きには塩コショウ。多くの派閥があるが、俺はこれが一番だ。
醤油ならまだ分かるが、ケチャップ、マヨネーズは論外。これは譲れない。
だから、父さんのケチャップ目玉焼きには少し引く。
そんな与太話は兎も角、いつものように朝食を終え、歯を磨いた後、途中まで通学路が同じひなたと並んで一緒に家を出た。