7.浮島編
「…これからどうすっかなぁ…」
ピヨピヨピーと窓辺で大型の野鳥が鳴いている。それをテラスの椅子に腰掛けて俺はぼんやりと眺めていた。 俺の視線に気付いてか、青色が特徴的なその鳥は大空へと羽ばたいていく。
大きな翼を広げるその姿は羨ましいほどにのびのびとして見えた。
「…グチグチ悩んでも仕方がないか…」
水槽からはい出て二週間と三日目、家の主人の亡骸をみつけた。
せめてもの手向けとして、大空と浮島が一望できる場所に骨を埋めて日記は燃やして灰にした。それで日記を盗み読みしてしまった事を許してくれるといいんだが。
それから五日程、山のように貯蓄されている食料をちびちびと消費しながらぼんやりと過ごした。設備が整ったこの家での暮らしは不便は感じなかったが、そこかしこの物を見て思う。
例えば俺が使ってるこの少年ボディの為に用意したはずの部屋。いや、もしかしたら一体目のために用意していたのかも知れないが。
彼はどんな思いで家具や服、小物を用意したのだろうか。何を思い、どんな思いでそれを隠すように道具を押し込めたのだろうか。
自壊してしまった一体目、魂が宿らない二体目、痕跡すら消失していた三体目。期待と失敗を繰り返し、意地とわずかな成功への希望。すがるような思いだったのかもしれない。
「成功したとしても、死んだら意味ないのに」
誰にも知られず、ただ孤独に死ぬだけ。彼は己の命を投げ捨てでも実行してしまった。
俺自身にもそれは言える。たかが漫画、死ぬほどまでに苦しい思いをしなくとも良かった筈だ。だけど、俺はそれに縋って追い求めた。ダメだと思っていても、苦しいままでいいと薄暗い満足感さえ感じながら。
クデウさんも、そういうことなのだろう。
その彼が命をかけて作り上げた人工生命体。失敗作だと嘆いた二体目の器に「俺」が宿ったという点では成功していたといえる。中身が異世界人の魂(三十五歳)だけど。
何故自分は異世界へと来てしまったのか。何故この器の中に入り込んでしまったのか。意味はあるのだろうか、俺が生きていることに。
それとも、神様からのラストチャンスと都合よく解釈していいのだろうか。
「人里へ…浮遊島の外へ出てみっかなぁ…」
引きこもり卒業宣言(仮)。
ここでの生活はとても楽だが、閉じこもってばかりでは悲観的になってメンタルにカビが生えそうだった。元からメンタルはカビだらけだが。
引きこもり体質の俺だとしても、何週間もTVやネット、スカイポ、SNSで他者の存在を間接的に見たり、声を聞かなければあまりの侘しさでイマジナリーフレンドを生み出しそうなのだ。
ならば、人里へ行くための準備をしなくては。
「この世界についての勉強と、魔術の勉強と特訓、だな。」
引きこもり属性コミュ障の男を舐めてはいけない、何かやらかすに決まっている。更にここは俺が知らない異世界だ。地球日本育ちの俺の常識は通用しないだろう。
突如、オーガとか無数のゴブリンとか熊やらとエンカウントして戦いにでもなったら冷静さを保てそうにない。硬直してそのまま撲殺からの二回目のお陀仏コースだ。流石にそんな死に方はしたくない。
「頼りにしてるよ、脳内辞書さん」
特訓の肝となる脳内辞書に全力で頼ろう。そのうち脳内辞書がイマジナリーフレンドになってしまいそうだ。
引きこもりから外出する準備をするためにも、この異世界、プエブロナタルに伝わる神話のおとぎ話をおさらいしよう。
はるか神話の時代、創世神だけが扱う事が出来る「創聖法」と呼ばれる万能の力がありました。
無から有を生み出し、生命を作り出すことが出来る力です。
その力で海だけだった星に大きな大地を五つ作り、それぞれの大地に雨を降らせ、湖や川、山や木々、豊かな森を作り上げました。
緑溢れる大地はとても美しいものになりました。
しかし、創世神は物足りないと感じ、大地に「精霊」を生み出しました。
神の姿かたちを似せた精霊たちを大陸の管理者として地上で暮らすよう命じたのです。
精霊は踊るように大地を歩くと、色とりどりの花や植物が咲き乱れ、夏、秋、冬、春と季節ができました。季節が巡る大地の色鮮やかさに創世神は喜びました。
その光景にいたく感激した創世神は更に様々な生命を作りました。精霊が寂しい思いをしないようにと森人、竜人、獣人、山人、海人、人族、沢山の動物たちを次々と地上に誕生させました。そして、最後に竜を大地の守護にと住まわせたのです。
海だけだった星は、色鮮やかな命が溢れる大地となりました。
その一連の流れをみていたとある神が、創世神のような力が使えないかと考えました。見様見真似で創聖法を使おうとしたのです。
その神様は指先を空へと掲げて「模様」を描きました。その「模様」は「文字」となり、大きな雲へと姿を変え、大地に雨を降らせ湖を作りました。まるで創世神のように不思議な力を使えたのです。けれど、それは創聖法とは違う力でした。
神様が見様見真似で使った「力」、生まれた力は「魔術文字」だったのです。
万能の創聖法と比べれば力は劣りましたが、文字の組み合わせ次第でとても便利な力でした。そして、神様は地上で生活で困ってる人々にその「魔術文字」を伝え、地上の人々は「知恵」を手に入れました。
というのが、五歳児も知っているおとぎ話だ。
さらに、神話に語られている精霊や神竜、人族、森人、山人、獣人、海人が実際に大陸で暮らしているのも事実。
人族はいわゆる唯人で、他種族はファンタジー好きならイメージしやすいだろう。《森人》、《山人》、《獣人》、タフで戦闘狂そうな《竜人》、《海人》といった種族らだ。それぞれ特徴的な種族で、五つある大陸に種族ごとの地域で暮らしているとのことだ。
精霊王、神竜は神話級のSSR級の存在らしく、おいそれと出会う事も見ることも叶わない存在なのだという。まあ、神竜だか竜はご近所さんだし、クデウさんは精霊王の子供っていうSSR存在だが。
上位存在たる「創世神」、「神」、「女神」という神様たちも地上に干渉することはないらしく、唯一、「祝福」といった魔術文字とは違った枠の特殊な力を地上の種族たちへ授けることがある。クデウさんも「黄金の子」と呼ばれる存在で「祝福」持ちだった。その他の有名所は「聖女」と呼ばれる女神の祝福を持って生まれる子もいるらしい。
このプエブロナタルの世界には元素もとい、「魔素」という目に見えない魔力の素が世界中を満たしているらしい。すべての生命、植物、動物、種族、すべての万物にも含まれている。魔素が魔力の元となり、魔術を使うには必要不可欠なエネルギーだ。
だが、魔力だけでは魔術は使えない。それらの力を束ね「命令」を下す媒体があって初めて「魔術」となる。それが神話にも出てきた「魔術文字」だ。この異世界の魔術は、魔術文字の組み合わせにより効果を最大限発揮できるのだという。
神様が作り出した「魔術文字」。その魔術文字の数はなんと5万。
その五万文字の中、意味を理解され、効果が判明している魔術文字は僅か三千文字ほど。中にはいまだわからない魔術文字があるようだ。 扱える三千文字を組み替え扱えてこその魔術士。上位者、賢者と称えられるレベルになると六千文字以上を扱えるらしい。魔術の数はかなり多岐に渡って伝えられていて、コツと要点を守ればアレンジは容易い。魔術文字の最大の利点だ。
「っし、これでいいかな」
俺は動きやすいゆったりとした服に着替えて《空間拡張》と《重量軽減》の術式付与加工された収納袋に道具を詰め、地下研究室の更に下にあるフロアーへと向かった。
一番下にあるそのフロアーは円状に広がる空間だ。大き目な体育館ぐらいの広さがあり、その空間全体に強固な結界が貼られていて外へ漏れないよう魔術式が施されていた。クデウさんが魔術文字のアレンジ試すために使っていた訓練所、といった所だろうか。その体育館のようなフロアーど真ん中に俺はしゃがみ込んだ。
目の前に広げたのは大きめな羊皮紙束と特殊なインクと筆ペン、魔力増加の付与効果が施された杖、この島唯一の鏡、十二時間刻みの懐中時計と砂時計、クデウさん愛用の変装魔道具多数、小さなナイフ、それらのほぼ全ては家や書斎にあったものだ。
「魔術文字を使った魔術式の訓練を始めるとしますか」
これより魔術特訓と実験検証を行う。うきうきしてしまうのはヲタクの血のせいだ。
魔術を実行するための過程は二種存在する。
まず、一つ目はスタンダードな方法。
魔術文字を組み込んだ「魔術式」を綴る「直筆」スタイル。
たとえば丸い円を描き、円に沿って文字や記号を書く光景を想像できるだろうか。アニメや漫画、映画とかでよく見る古き良き古来の魔法使いがやるあの動作だ。文字を綴りって最後に術式へ魔力を流し込み発動。それが直筆スタイルとなる。魔方陣ぐるっとぐるぐるするアニメを思い出す。青春時代の作品で何度も読んだ。ともあれ、直筆魔術式はあの雰囲気に近い。
魔術式を対象に直接書き、魔力を通す。これが発動のための絶対条件。魔術式の効果は、文字が欠損、破損しない限り、術者の魔力や大気中の魔素を吸収し循環することによって持続の度合いを調整できるという。更に魔石との掛け合わせると半永久的に効果を発揮することもできるという万能っぷりだ。その方法で保存食の瓶や収納棚の食品が腐らないようになっているらしい。
ただ、この方法にはメリットもあるがデメリットもある。
魔術文字はかなり複雑で画数の多い文字だ。文字というよりもはや複雑な記号と言った方がいいだろう。それを書かなければならないということ。どうしても画数が多い分、時間がかかってしまうのだ。
練習用の羊皮紙へ、特殊な魔力がこもったインクで魔術文字を綴った。
【発光】※※【球体】※【空中】※【維持】
書いた魔術文字の組み合わせは初歩的なもので「照明」の魔術式。光の発光体を出現させる効果のものだ。
「…うん、丁寧に書いて大体一分とちょいぐらいか」
たったこれだけの効果なのに、魔術文字を合計8文字+補助と連結文字を複数書かねばならない。
「脳内辞書のおかげで名前を描くみたいにすぐに思い浮かべるし、形を間違えて描くことはないに等しい。けど、物によっちゃ時間がかかるな」
魔術式を書いたその中心へ手をかざして魔力を通すと、輝く球体が術式の真上に出現した。
「おお、ついた」
羊皮紙の真上、電球のように輝くそれはふわふわと空中に浮かびながら周囲を照らす。暗い場所を照らしたり、応用すれば目くらましにも使えそうだ。
「…さて、どれぐらいまで耐えれるか」
丁寧に書けた術式の羊皮紙をナイフで切り裂いた途端、発光体は溶けるように消えた。魔術式からも魔力が解ける感覚がする。
「一センチ切り傷でもアウトか。判定は繊細だな」
魔術式の端っこを一センチ魔術文字を切り裂いたのだ。魔術式を書いてる最中に横槍、書いた後も魔術式への妨害は安易にできるということ。逆もしかり。更に検証をするため、三枚目の羊皮紙に同じ術式を書いてみる。
「…うーん、書き始めから術式発動までにやっぱ時間がかかるな。それに…焦って書いてもダメなやつか」
一枚目は丁寧に。二枚目は若干早めに。三枚目は急いで書いてみたのだ。
二枚目までは正常に発動したが三枚目は発動しなかった。よくよく見れば三枚目の術式の一部、手元が狂ったのか線が重なり形が歪になってしまっている。
いつだって尻を落ち着かせて書けるとは限らない。状況によっては時間が差し迫って書かざる得ない時もあるかもしれない。そんな状況で術式を書いたら確実に失敗するだろう。魔術式が発動しなければ意味がないのだ。ならば、
「事前に紙に書いて魔術式ストックを持ち歩くのも良いかもな。やりようによっては連弾できるだろうし」
特定の魔術、それも頻繁に使いそうなもの限定って感じになるだろうが。試しに、用紙に書いた魔術式の魔力回路を遮断し無効化する。そして、再び遮断した魔力を魔術式に流せば輝く球体が出現した。
「…へぇ、用紙に書いた魔術式は再使用できるんだな…」
再利用するのも条件があるようだった。特殊なインク、魔力がこもったインクで書いた魔術式は再利用可能だったが、時間で消えるようなものやインクを垂らしただけの着色料が薄い水、爪で表面に跡を残すだけでは魔術式を綴っても効果は出る物と出ない物があった。
そして、そのすべては再利用不可。運よく効果が出たとしても一度っきりの効果らしい。
考えうる様々な状況で効果が出るかどうか検証し続けた結果が、
「時間がたってもはっきりと跡が残る方法ならOK。普通のインクや墨汁で書いても問題なく魔術は発動する。が、やっぱり魔力の通りが悪いからなのか効果は一回こっきりになると」
魔道具や小物に対しての効果付与は基本、対象物の表面を削ったり切ったりして魔術式が刻まれてあった。その刻んだ魔術式の上から更に特殊なインクで補強し、持続効果を伸ばしているのだろう。
直筆スタイルのメリットは魔道具に最適。更には魔術ストックが作れる。ストックもインク次第では再利用も可能。
デメリットは、綴るのに時間がかかること。書き損じたり一文字でも間違えると無効となる。そして、魔術式を破壊、無効化は簡単にできてしまうこと。
さて、次は直筆以外の方法は「短縮」スタイルだ。
「空中に魔力を集め…凝縮…可視化…することにより、術式を綴る方法…」
片手をあげて集中する。身体の中を巡ってる魔力を指先へと流し、空中へと集めるよう意識すると、
【発光】※※【球体】※【空中】※【維持】
ものの数秒、直筆で検証した時と同じ術式を空中に可視化させることに成功した。
「うわ、直筆よりすげぇ簡単…!」
覚醒した直後、水槽を出る時に俺は無意識に短縮術式を使ったのだろう。あの時と同じ、フォログラムのように輝く魔術式が空中に浮かんで見える。発動させるための魔力を流すと発光体の球体が現れた。
「すげぇ簡単だけど…これ、直筆で書く方法と比べて魔力消費がでかいんだな」
なんとなくだが倍以上魔力使った気がする。
確認の為、何度かつけたり消したりを繰り返した。難なく魔術が発動できる。正確に早く発動できるのは利点だらけだ。脳内辞書曰く、この短縮スタイルは戦闘時によくやる手段だとか。そりゃ、戦闘時にもたもた魔術文字を地面に書いていたら命がいくつあってもたりないだろう。だが、この短縮手法は最大のデメリットもある。
地面や物に魔術文字を刻まなければ、効果が時間制限付きという点。
そして、魔力の消費量がかなりでかいということ。
可視化した魔力で術式を維持してる最中は魔術の効果は持続できる。だが、効果の維持をすればするほど術者の魔力消費が加速していき、個人差はあれど魔力切れを起こして術式が消えてしまい、下手をしたら気絶してしまうのだ。
故に短縮術式は魔力量が多い術者、上級者向けの手法となる。この少年ボディは魔力量が多いようで何度も短縮魔術を放とうが疲れる様子はなかった。チート大賢者クデウさんの恩恵だろうか。
コストは悪いが、短縮術式は戦い以外でも重要な所で使われる手法だ。最多たるのが魔石への魔術文字付与加工。
日々の生活に欠かせないのが魔石が組み込まれた魔道具。キッチンにあるコンロ、冷蔵庫、暖炉、お風呂から洗面台、洗濯機、照明器具多岐にわたる。現代社会における家電といったところだろう。その重要な魔石付与加工の際に短縮術式が必須だとか。直筆で刻むより、短縮術式で細かく繊細な術式を綴ることもできるのが魔石に加工に向いているのだ。
「直筆と短縮、どちらも便利で応用ができるし、場面場面で使い分けできるよな…。出来ればどちらも的確に反射で使えるぐらいには特訓しないと」
やることはたくさんあるようだ。さて、次は、
「魔道具について。だな」
魔道具の核とも言える「魔石」についての基礎的な話も復習しよう。
魔石というのは魔素が凝縮して鉱物化した物だ。その魔石の特性は現代社会での電池的な物らしい。いわゆる魔力量が少ない人も魔石で魔力強化し、短縮術式を扱えるようになるエコな鉱物。しかも再利用可能というエコっぷり。
その魔力電池たる魔石は、自然界で魔素だまりと呼ばれる場所でポコポコと自然発生する需要の高い資源。魔石を生み出す場所を発見した者は大富豪になるとか。精油王ならぬ、魔石王。
他にも、魔素だまりで影響を受けた動物が凶悪な魔物と変化することがある。
その魔物の心臓は魔素の影響により真紅の魔石となるのだ。魔物が大量発生し、人里が被害になる事も多々あり、それらの魔物は腕に覚えがある冒険者達の格好の獲物になる。その他にも人口魔石を作る方法もあるらしいが、一番需要価値が高いのが透明度の高い天然魔石、次に魔物からとれる赤魔石、透明度が低い人口魔石と続く。
(その需要価値が高い天然魔石、物置とか倉庫にしこたまあったんだが。クデウさん、実験でどちゃくそ魔石消費してそうだもんな)
魔力電池たる魔石。それ一つで魔道具の核に使えるのかといえばNOだ。
魔石の内部に魔術式を刻み、魔術が発動するよう「魔石付与効果」を「加工」をする。それでやっと魔道具の核として使えるようになるらしい。魔術式=ソースとか、電子回路みたいなイメージに違いかもしれない。短縮方法を熟知した魔術士は、副業として魔石への魔術文字加工付与の仕事を受けたり、魔石付与加工をする「魔石加工士」として工房を構え生業としている魔術士が多いとか。
「さて、ここにクデウさん力作の変装魔道具があります」
日記にあった容姿や魔力を誤魔化すことが出来る魔道具だ。銀製のネックレス、銀製の腕輪、指輪、カフス、ネクタイピン、イヤーカフ、耳飾り、髪留め、ローブに至るまで様々。しかし、数が多い。
「…まさか、これ全部つけてたとか?」
調べてみれば装飾品すべてに強力な術式が施されてあった。《魔力感知遮断》、《容姿認識阻害》、《全身迷彩》、《聴覚遮断》、《嗅覚遮断》、《探知阻害》、《拘束無効化》、《洗脳無効化》、《魅了耐性》、《幻惑無効化》…。
拘束無効化、洗脳無効化、魅了耐性が必要になる人生とは。戦犯やら大賢者やら魔性の人生を歩んできた彼の生き様が垣間見える。
もはや執念を飛び越えて呪い域だ、凄まじい複雑な術式が込められていた。
特に全身迷彩、聴覚遮断、嗅覚遮断、探知阻害の術式を起動させれば、姿、気配、音、匂い全て第三者に気づかれず透明人間のように街を歩くことが可能になる効果だった。ただ、肉体を物理的に消す事はできないので人に衝突すると存在がバレてしまう。
もしかしたら全部を身に着けてたのかもしれないし、服装に合わせて使い分けていたのかもしれない。おしゃれさんか。
そんなクデウさん執念の塊である変装魔道具たちは全部地味なデザインだ。地味だが品質は良くおしゃれである。そんなおしゃんなアクセサリーを付けたことがない独身男三十五歳的には座敷が高い。だが、文句はいってられないだろう。なにせ、
「この美少年の容姿はクデウさんの影響が高い」
すなわち、魅了テロが起こる可能性が少なからずあるかもしれないということ。
日記には、人工生命体の二体目についてクデウさんの感想が書かれてあった。
それによると、二体目の容姿は精霊、または森人寄りの面影が強く出たそうだ。人族や他種族が見たら「森人だな」と思われる髪の色や容姿をしているらしい。耳は尖ってないけど。
クデウさん曰く、忌々しい精霊王の面影を半分以下-ぐらいまで落とし込めたと満足気に記されてあった。そこまで落とし込めてやっと「平凡顔」に入るらしい。
この美少女顔を平凡顔とおっしゃる!その美的感覚では顔を魔道具で隠蔽偽装しまくってもクデウさんはモテるだろうよ。
精霊王とクデウさんの容姿がどれほど整って、どれだけ人外の美しさだったのかが想像できない。美人って結局はパーツが全てバランスよく平均値に収まってる顔なのに。
様々な変装アクセサリーの中から無難で服の下に隠せそうなネックレス型の道具を身に着けた。そっと指先で首飾りの撫で、魔力を流して《容姿認識阻害》と《魔力感知遮断》の術式を発動させてみる。
容姿認識阻害は瞳や髪の色を別の色へ見せる術式で、魔力感知遮断は身体から漏れ出る魔力を完全遮断する術式だ。
「…おお、目の色と髪の色が違ってみえる!」
小さな鏡を覗き込めば白銀の髪は黒髪へと変化して見えた。髪の毛を直接手に持って見ると白銀のままだったが、鏡越しでは黒髪に、瞳の色も朱色から赤が混じった黒へと変わって見える。
魔術式の特性上、光の屈折を応用したものらしい。髪の毛の色を直接変えるというより、他者の視覚的に認識阻害の術式が発動しているのかもしれない。
「髪の毛の色を変えるだけでかなりイメージ違うな!この黒髪なら地味で目立たなくなるだろ」
だが、鏡の中の黒髪美少女もとい、美少年の容姿は変わりない気がした。色素の薄い髪と緋色の瞳が黒になってキラキラ度合が少なくなったぐらいだろうか。
まあ、無いよりはマシだ。これで長い髪の毛を短髪にすればどこからみても立派な少年になるだろう。
早速とばかりにナイフを手に取り、鏡を確認しながら髪の毛を一房つかんで切り落とした時、
「っ、い゛っ?!」
途端、鋭い痛みが走って床に悶絶を打った。 感じたことのない痛みにどこぞかの神経がビリビリと逆立つ。まさか、
「…髪の毛、痛覚判定に入るのか…?」
髪の毛を握ったり捻ったりしても髪の毛自体に痛みは無いが、切り離すとなると痛みを感じるみたいだった。
そういや、この体になってから抜け毛を見かけたことがない。若いからかなーとか思ってたら身体判定かよ!?
「マジか…普通じゃないとは思ってたが…変な身体だな…!?」
改めて考えると、運動した後は汗は流すが汗臭い体臭は不思議と感じなかったし、爪すら伸びてないことも思い出す。
小さな鏡を覗き込むと、黒髪、黒目のお耽美系美少年が不安そうな顔をしていた。
「…見目は十歳前後ぐらいに見えるけど、クデウさんが亡くなってからどれぐらいたってるかわからないし…作られてから最低六十年は経過してるとおもうんだが…成長するのか?老化は…?」
切り落とした髪の毛を見ると、白銀の髪はさらさらと光の粒となり溶けるように消えていった。切った断面は血が出た様子はない。
この人工生命体の成長や、寿命については隠されていた資料を見てもよくわからず終いだった。
人工生命体のボディは様々な神話級の素材、神竜の心臓、純度の高い魔石や膨大な量の魔術文字の魔術式が組み込まれている。更にはクデウさん自身の魔力、血や肉、骨も素材として使われているぐらいしかわからなかった訳で。
もはや、クデウさんのクローン、兄弟といっても過言ではない血の濃さが流れているのだ。クデウさんの全盛期の魔力量と同等の魔力量もあると記されてた。種族全体からみてもかなり多いのだという。訓練すれば大規模な魔術をぽんぽん扱えるようになるかも知れない。
そして、さらにクデウさんはこの体にある特殊なことを施していた。
それは「知識」だ。俺の知らない知識、脳内辞書さんはクデウさんが施していたものだったのだ。
身体の元になったすべての素材に宿る魔力が反発し合わず一つの個体として安定させる為、見目10歳程度まで成長させたとある。
膨大な魔力量の影響で、暴走や自壊の可能性を防ぐために魔術文字の知識や魔力操作の知識を刻んだそうだ。無意識に魔力操作ができたのはそのおかげなのだろう。
その他にも世界共通語や読み書きできる知識、ある程度の一般常識や魔石付与効果についてなどなど、神経が狂うほどの繊細な細かい工程を重ねに重ねたとある。記録には日々消耗していくクデウさんの苦悩が記されてあった。
「うーん、飲んだり食べたりも出来るし排泄もするけど…。抜け毛もなければ爪も伸びない…見目子供といっても完全に人外枠だよな、俺」
人族にも、森人、精霊にも該当しない。しかし、人口生命体ですと宣言するにも危険な感じがする。悪魔の子だと石は投げられたくはないし、正体は隠す方がいいだろう。
「表向きなプロフィールとしては、森人族の遠縁であり半分は人族。辺境の土地で暮らしてた世情に疎い田舎者。ってところかな」
魔力量は大賢者同等、ただし、熟練度は若葉マーク以下。魔力量の桁違いっぷりは変装魔道具で偽装できるだろう。
そして悲しいかな。体力は人族並みにはあるが身体の丈夫さと腕力的には人族の大人以下。人口生命体ボディはなかなかに繊細そうである。
総合的な評価をすると、魔力量だけは一人前以上、見目は森人似の非力な少年。ということだ。
クデウさんの血が濃いのならば長寿人生なのだろうが、この身体の寿命について明確な文章はどこにも記されてなかった。長寿になるのか、それとも短命になるかわからない。
「…まぁ、そこらへんは生きてりゃいつかわかるか…」
いまだ人工生命体の身体についてはわからないことが多いのだ。
それから練習を兼ね、様々な検証をした結果、短縮で魔術式を同時に四つ発動することもができた。
「優秀なっ、少年ボディのっ、恩恵だろうな…!」
本気を出せば更に同時発動できそうなのだが、何せ中身が俺である。あまりに情報量が増えると魔術文字のイメージが定まらなくなるのだ。
「けどっ…!」
がくりと膝をついてホールの床に大の字で倒れ込んだ。展開していた浮遊魔術式が途切れ霧散する。魔力切れ、という分けではない。
「あんまりにも魔力がでかいから…!操作するのにつっかれる…!」
魔力操作するための体力と精神疲れ、というべきだろうか。なかなかにこの身に宿る魔力量は大きいように感じる。一歩間違えば蛇口が壊れた水道のようにドバドバ止まらなくなりそうなのだ。魔術五つ同時発動の時に顕著に感じた。
「…これが暴走すると、肉体の維持ができなくなって自壊するかもしれないってやつかな」
魔術を連続発動し始めてかれこれ三時間程、単発魔術ならまだまだ行けるとは思う。
「はぁ~…うん、休憩挟めばなんともないかな」
大の字に寝っころがって五分程、頭がすっきりしてくる。体の方も異常はなかった。
「しっかし、やっぱり短縮術式は早いし確実で便利だな。イメージをそのまま可視化するから手書きより早いし、急いでたとしても冷静さを保てば間違えることはない、かな」
何しろ今は特訓モードだ、焦りを感じる状況ではない。
ガチ戦闘になったら落ち着いて的確に術式を発動できるのかといえばその時になってみないとわからないだろう。故に、テンパらないよう熟練度を上げなければならない。
直筆術式、短縮術式、どちらも長所短所があり応用方法は多岐に渡る。的確に使い分けるタイミングを見極めれば応用に長けた武器にもなるし防御にもなる筈だ。
熟練度をあげる項目はもちろん、隠蔽系の魔術、防御系、肉体強化、敵対勢力の無効化、又は足止めさせる魔術だ。
正直に言おう。前の俺なら防御ではなく火力重視する。
ゲームでは基本脳筋パーティーでごり押しするタイプだ。物理レベル上げ重視、更に攻撃力の高い武器で素殴りするのは単純明快でとてもわかりやすい。
だがしかし、痛覚ありきのこの世界だ。前世では複雑骨折や肋骨を曲げたりと大怪我をしたこともあったが痛い思いはしたくない。痛みは集中を乱すし、思考力も奪う。それを奪われたら赤子の手をひねるように負けるだろう。
(俺、ビビりな所あるし。若い身体だからって咄嗟に動けるとは限らない。魔力が強いといっても後先考えずに最大火力で魔術ぶっ放すのは多分ヤバイ)
魔力切れを起こしたら最後、昏倒コース。下手したら自爆レベルで弾き飛ぶ、なんてことになるのは避けたい。そんな魔力脳筋スタイルは危険すぎる。しかも体は力のない耐久力も低いクソガキ程だ。
大事なのは防御、足止めの熟練度を上げなければならない。勿論、攻撃魔術や利便性の高い術も特訓すべきだろうが。
生活魔術に部類する術式から、初級、中級、上級へと効果の確認を次々に試していった所で、俺の最大の弱点に気がついた。
「――あだっ!?」
スタンガンを食らったかのような痛さと衝撃だった。バチリと何かが弾かれ、体が痛みに驚き硬直する。
「~~~っ?!いっ、てぇ!なんだ??肉体強化の魔術式、失敗したのか?!」
失敗したら痛みに襲われんの!?と、ビリビリする両足と両腕をさすって痛みをやり過ごす。痛みが走る直前、試していたのは肉体強化系の術式だ。肉体強化で腕力や脚力がどれ程上がるのか試してみよう思い、直接的に自身の両腕や両足へ魔術式を綴った途端、何故か弾かれたのだ。
「…なんでだ?何が悪かった?」
術式の文字は間違えていない筈だ、なのに「何か」とぶつかって反発するみたいに術式が弾け飛んだ。
「…反発、弾かれる…効果が打ち消された?何に?」
脳内辞書さんからの情報によると、術式は同じ効果、同じ術式同士で正面からぶつかったらなり得る現象だ。その場合、魔力量、魔力の強さで押し負けが決まるらしいが。
完全に弾かれるというのは。肉体強化の術式に対しての耐性、無効化する術式が俺の身体に直接的に仕込まれてる…?
「…そいや、俺の身体って…魔術式で成り立ってるんだっけか…」
大賢者クデウさん曰く、何十年もかけて繊細な術式を練り上げ重ねあげて作り上げた芸術品。
日記に隠されてあった研究資料、俺の身体の製作過程で施された膨大な術式を見たのだが、それは蓮コラを直視する以上の暴力的な情報量の多さだった。術式の多さ、凝縮度合、直視した時の殴られたかのような衝撃を覚えたのは記憶に新しい。
「ああ、そっか…肉体の内側、それこそ血や筋肉、内臓から骨に至るまで強固で強い魔術式の塊じゃん、俺の身体…!」
髪の毛の一本すら術式の塊なのだろう。そんな術式ボディへ、直接的に肉体強化の術式を掛けたとなると。大賢者レベルのクデウさん(特級クラス)VS魔力は同等だが、熟練度は若葉マークの魔術士の俺。どちらが術式負けして弾かれるのは火を見るより明らかだった。
「あ~~…マジかぁ…肉体強化出来ない身体かよ…」
なんというデメリット。痛恨の極み、最大の弱点とも言える。
「肉体強化がダメなら隠蔽系はどうなんだ…?魔道具ならいけるけど…、なら治癒術式は…??」
恐る恐るかけたのは《認識阻害》の姿をくらます効果の術式、頭っから足先にいたるまで全身にかけようとした瞬間、ばちりとそれは弾かれた。
「っ、いっ、てぇ!くぅ~~っ、マジかよ!姿を隠す系はアウトか!?」
変装道具はあるが、いざという時は身を隠す魔術も必須だろうと考えていたのだが。まさか使えないだなんて!
「…どういうのが駄目なんだ…?」
更に検証を進めた結果、肉体強化、自身への偽装類、治癒、解毒、幻惑といった精神系術式や、呪いもろもろと直接的に身体に影響が出るもの、精神へ関わる術式はほぼアウトだとわかった。
「デメリットすぎないか…?特に肉体強化、隠密系、しかも、治癒術式全般無効化なんてどんなハードモードだ!」
まさかの回復縛りプレイ。なんて我儘ボディ!傷とか負って細菌とかで化膿したりしたらどーすんの?
「自然治癒はするのか…?いや、治るっぽいよな。水槽から出た時の切り傷、何日かで治ったし…」
脳内辞書によると、人並みの速度よりは多少治りが早く毒耐性はバッチリなボディらしい。
大本のクデウさんの血の半分は竜人族だ。竜人は毒耐性を持ってる種族で相当なことがない限り、少量の毒や、細菌、化膿、壊死等の心配はしなくていいという便利な身体だった。
ついでに言うと術式も効かないが薬草やお薬の類もあまり効かない体質になるそうだ。薬も毒といえば毒だもんな、そっかー、風邪引いたら自力で治せスタイルかぁ。
「となると…マジのガチで防御対策を固めないと外出れないぞ…」
そこで有効だとわかったのが魔道具だ。
変装道具を使った時にも有効だとわかっていたが、肉体への直接的な魔術式はNGで、服や道具を挟めば術式は発動したのだ。全身を覆うようにローブを羽織り、ローブへ光の屈折で姿をくらます《認識阻害》をかけたらばっちり見えなくなった。確認のため、いつも使ってる手鏡を覗き込んだら空中に覗き見る目玉とローブからはみ出た両足が見えていた。絵面はホラー。
強化が使えないのは最大の弱点とも言えるが、逆に弱体耐性が強いと思えばプラマイゼロと思うことにしよう。
肉体強化でビュンビュン走ったり片手で岩を粉砕とかやって見たかったけど叶わぬ夢となった。
こうして強化系はあきらめ、魔道具で補助的な隠蔽、隠密、感知不可の術式の検証を続け、更に防御系の術式の練習を重ねて五時間ほど。魔力切れをおこすようなこともなく、野菜たっぷり使ったスープを食べてお風呂に入ってぐっすり安眠した。
朝まで安眠できるって本当に素晴らしい。
次から女の子が出てきます。