観客席
ユカは控室を飛び出ると、すぐさま観客席へと向かった。階段を一段飛ばしで駆けあがると、そこからはフィールドが一望できる。まだ試合が始まって一分ほどだ。当然ながら、交戦状態ではない。彼女は辺りを見渡し、チームメイトたちを見つけるとそこへ駆け寄った。
シルバー・スターズの面々は丁度控室の真上のあたりで固まって観戦していた。その中に監督であるところの丸岡もいる。
ユカは腕を組み、難しそうな面持ちでフィールドを見下ろす丸岡に声をかけた。
「監督! あいつは……キリノはどうなってますか!」
「晴海、落ち着け。まだ試合は始まったばかりだ」
「でもキリノったらろくに戦法も知らないような初心者だし……」
「大丈夫、あの子はそう簡単に負けないよ」
「自分が使える魔法も知らないんですよ!」
それには丸岡も流石に驚いたようで一瞬だけ目を丸くしてユカの方を見たが、すぐに視線をフィールド内へと戻した。
「お前は知らないだろうが、わしはあの子のことをずっと前から見てきた」
「知ってます。さっきキリノに聞きました。雀荘で会っていたんですよね?」
「ああ、わしの趣味は麻雀なものでね、あそこにはほぼ毎日のように通っている」
「それがどうかしたんですか?」
「夜遅くまで麻雀を打っていると、当然腹も減ってくるよな。出前を取ろうって話にもなるわけだ」
「はあ」
「で、毎回注文するのはムイちゃんのお店なんだな」
「ええ。でも、それが、」
どうかしたのか、と聞き返そうとしたところを、丸岡は「まあ、聞け」と言わんばかりに右手をかざして制止した。
ユカは吐き出しかけた言葉を飲み込み、丸岡の話に耳を傾けることにする。
「ムイちゃんな、いつも走って出前の料理を持ってきてくれるんだよ。あの子の家から雀荘までどのくらいあるか知ってる?」
ユカはムイの家も雀荘も、どちらも大体の位置しか知らない。しかし互いにアーケード商店街の反対側にあり、徒歩であるならば三十分以上かかることは明白だった。走ったとしても二十分はかかるだろう。通行人が多ければもっとかかるかもしれない。
「十分で来るんだと。しかも料理を全く溢さずに、だ」
「そんな馬鹿な」
「これが事実なんだよ。料理がなければもっと早く移動できるって言うんで、前に試したんだ。雀荘から家に、何でも良いから私物を取りに行ってもらうってことでな。何分で戻って来れたと思う?」
「……」
「五分だ。片道じゃない。往復でな」
「そんなの……あり得ません」
「どうして?」
「だって! あの子は確かに運動神経は良い方だけど、別にそこまで足が速いわけじゃないし……」
「そうだろう」
と、丸岡は大きく頷いてみせる。
「どれだけ足が速かろうと、普通の人間にはできない芸当だ。ならば考えられることは一つしかあるまい?」
「それがキリノの“魔法”だって言うんですか?」
「分からん」丸岡が頭を振る。
「だが、何かあるとは思わんか?」
「それは……」
そうかもしれない、とユカは答えそうになって止めた。
確かにムイをこの試合に巻き込んだのは自分だが、それでも彼女が怪我をしたり傷ついたりするのは耐えられない。だがムイに能力があるかもしれないと、自分の感覚を肯定してしまえば、彼女に傷ついて欲しくないという思いが嘘になってしまいそうな気がした。
「あっ」
ユカが見下ろしていた先――フィールドに一筋の炎が走った。
放ったのは言うまでもなくムイの対戦相手であるハヤトだ。彼の放った火球は生い茂る草木を全て焼き、薙ぎ倒し、一直線にムイのいるスタート地点へと飛んでいく。
「危ない!」
観客席とフィールドとの間には分厚い耐魔法ガラスが張り巡らされている。当然、外の声は内部に響くことはない。しかし、それを頭で分かってはいても、ユカは叫ばずにいられなかった。
火球はムイに直撃するかと思われたが、彼女は寸前で回避――僅かに魔導着を焦がすに留まった。
ユカはそれを見てほっと胸を撫で下ろす。
「それに、」
丸岡がどこか遠くを見るような眼差しをムイに向けながら続ける。
「きっとあいつが全部仕込んでいるはずだしな」
「あいつ……?」
聞き返したのも束の間、次の火球がフィールドを走った。ユカの視線が再びムイに釘付けになる。気が付けばユカの両手は胸の前で組まれ、神様に祈っていた。今まで自分の試合でもここまで奇跡を願ったことはない。
――お願いします、神様。キリノを守って……!
そんな彼女の心配なんて構いもせず、フィールド内のムイはゆっくりと左右の剣を抜くと、火球が飛んできた方向へと歩き出すのだった。
本日1月25日の正午に次回の話を更新する予定です。