観戦
「あらら、やっぱりもう始まってる」
アヤが残念そうに呟き、それに釣られる形でムイが観客席から闘技場を見下ろした。
こうして誰かの試合をリアルタイムで観戦するのはムイにとって初めてのことだった。
試合は中盤――ちょうど闘技場の真ん中のラインで戦闘が始まっているところだった。中央ではユカと大きな黒い犬が、そして右翼ではジンと相手の大柄な男子選手が対峙している。
「えっと、どっちが勝ってるんです?」
「話には聞いてたけど、ムイさんって本当にあまり魔導戦知らないのね……」
そう言ってアヤはもう一度闘技場を見下ろした。
「まず向こうで戦っているジン君と久保田さん、この二人は実力こそ同じくらいだけれど、相性の差があるから久保田さんが有利かな。集団戦ルールだから他の選手の介入によっては簡単に覆る差ではあるんだけど。で、中央で戦っているユカさんとトコさんは、気の毒だけど格が違うわね」
「そんなに強いんすか、あの黒い犬の人」
「変身魔法モデル・ケルベロス――空中を自由に飛び回り、火球での強力な攻撃を得意とする選手。火力だけで見ても全国トップクラスの実力者よ。おまけに機動力もあるし空も飛べる。ちなみに去年の個人戦では長野代表の一人。まあ、インハイでは二回戦敗退だったんだけど……」
「そう聞くと、イマイチすごいんだかすごくないんだが分からないっすね」
「すごいわよ。ただ去年のトコさんは、少し考えすぎてしまうことがあったから」
「考えすぎると良くないんすか?」
「人によってはね。下手に策を練るより、泥臭くても自分にできることをやった方が強いタイプの人もいるってこと」
説明しながらアヤは昨年の早坂とこを思い出していた。軌道は最短ルートを目指し、最も効率的にダメージを与えるタイミングでしか攻撃を仕掛けない。自分の長所を活かすのではなく、相手の短所を攻めようとする――その戦い方には、正直なところ全くと言ってもいいほど脅威を感じなかった。
「でも、正直ああなってしまったのも分かる気がする」
「はあ」
「見て」
アヤが指さしたのは上田第一陣営から見た左側面――一人の少女がひっそりと進軍を続けている地点だった。
「福井舞花――二年連続で個人戦長野代表選手。戦闘スタイルは近距離防御・奇襲型。典型的な智で戦うタイプの選手よ」
「正直、あまり強そうには見えませんね」
「そりゃあ、ムイさんから見れば大抵の選手はそう見えるんでしょうけど……でも、トコさんにとっては違った。憧れの選手なのよ」
ムイにとって“憧れの選手”というのはどうにも理解しがたいものだった。彼女は少なくとも魔導戦に関して言えば、誰かに憧れたことはない。それ以前に、初めて目にするものばかりで新鮮さの方がはるかに勝っていた。
「本当はトコさん、東京の学校に誘われていたらしいの。でもそれを蹴って松風学園の特待生になった。福井舞花のような選手になるために。マイカもマイカで、そうして慕ってくれる後輩の間違いを指摘することができなかった」
「そんなことよく知っていますね」
「散々相談されたからね。幼馴染なんだ、私たち」
「そうだったんすね」
「小学校の頃からの付き合いね。私は剣道で、向こうは魔導戦。競技こそ違ったけれど、私も彼女も全国大会の常連だったから、自然と仲良くなったわ」
「雪風先輩も、その時から?」
「顔なじみ程度だったけど。ジン君はその頃何もスポーツとかやってなかったから」
それは少し意外だった。二人のやり取りを見ていると、古くから親密だったのではないかと思われたからだ。
「私が高校に入学して、剣道から魔導戦に転向した時、部員は私以外にいなかった。でもそんなある日、ジン君が入部届けを持ってきてくれたんだ。それが今じゃあ全国区の学校と渡り合えるくらいに成長した……本当にありがたい限りだわ」
「雪風先輩は、何のために魔導戦やっているんすかねぇ」
「どうかな……私も前に訊いたことあるけど、はぐらかされちゃった。気になるの?」
「まあ、気になりますね。わたし自身、魔導戦をやっている理由があやふやなので」
「好きだからじゃないの?」
「好きは好きなんすけど、別に皆みたいなモチベーションはないし……部長は何のために魔導戦を?」
「私は……」
アヤの脳裏に一枚の写真が過った。トロフィーを掲げた少年――その傍らにいる今よりも少しだけ幼い自分。
「全国優勝っていう叶えたい夢があるから」
「全国優勝……」
周囲の人間が繰り返し口にする言葉だった。誰も彼もがそこを目指し、努力を重ねている。ムイも当然のことながらその地点を目指している。しかし、それでも――自分と周囲には“ズレ”がある。
「ムイさんも見つかると良いわね、魔導戦をやる理由」
「まあ、善処します」
そんなことを話していると、目下の試合はいよいよ佳境を迎えようとしていた。
ジンとギンジの戦闘は、初めこそ互角のように思われたが、次第にジンが押され始めた。
ユカとトコの対面は、ユカが“力場”を用いた空中移動を見せたところまでは良かったが――
「あらら、ユカさん、飛べたは良いけど機動力はまだまだみたいね。そこのところ、専門家のムイさんから見てどうです?」
「専門家ってわけじゃないっすけど……まあ、初めてにしては上出来なんじゃないっすかね。毎日頑張ってましたから」
それはムイがついた嘘だった。本当は心の底から嬉しいできごとだ。親友の頑張りを誰よりも見てきたのはムイだ。自分のことのように嬉しさを感じ、下手をすれば今すぐにでも闘技場に降りて行き、ユカに抱きつきたいくらいだった。
空中のユカが巨大な黒犬に斬りかかろうとしたところに、黒犬が火球を放った。しかし、次の瞬間――
「そんな、まさか……⁉」
アヤが驚愕した。
爆炎の中から現れたユカは、無傷。ケルベロスの放った火球をかわすことなく、防ぎ切った。
「ユカさんの固有魔法って、防御系のものだったのね。ムイさん、知ってた?」
「いやあ、わたしも初めて見ました」
「魔法の内容については?」
「いえ、全く。訊いてみたことはありますけど、本人はどうにも自身がないみたいで、『つまらない魔法』としか答えてくれなかったんすよね」
「つまらないなんてとんでもないわ!」
アヤがキラキラとした眼差しをユカに向ける。
「あのトコちゃんの魔法を防ぐなんて、きっとすごい魔法よ! それにあの“力場”も加われば……!」
加われば――
その想像を最も鮮明にできるのは、アヤよりもむしろムイの方であった。“力場”の扱いに関してはまだまだ自分の方が上ではあるが、しかしユカの成長速度から考えればいつ抜かれてもおかしくはない。それに加えて体格での圧倒的なまでの差がある。さらに固有魔法の存在もあると考えると――ユカが自分よりも優れた選手であることは明らかであった。
「おっと、そんなこと言っている間に向こうも決着がつきそうね」
言われてムイは視線を自陣側へと移す。
そこでは丁度、カナタと相手チームの少女が対峙しているところだった。
「あらら、カナタさん、あれじゃダメだわ」
「何がダメなんすか? まだ決着はついてないように見えますけど」
カナタが相手の魔法の影響下にあることは傍から見ても明らかであった。だがここで称賛すべきはむしろその冷静さで、無暗に攻撃を仕掛けることをしないという点が、カナタの実戦慣れを示していた。
「ダメなのは、頭脳戦を仕掛けているってことよ」
「それがカナタさんの戦い方ですから」
アヤがゆっくりと首を横に振る。
「考える力では、マイカには勝てない」