ルール
魔導戦はおよそ百年前に正式に誕生したスポーツであり、厳密には格闘技に含まれる。日本でのその人気は野球やサッカーと同等か、あるいはそれ以上のものであり、毎年、高校生の全国大会や、プロ選手が参加する試合・大会が開催されるほどだった。
大会ごとにそのレギュレーションは異なる場合があるが、基本的なルールは変わらない。
プレイヤーが用意するものは二つ。
一つは魔剣と呼ばれる武器だ。コアと呼ばれる特殊な鉱石が埋め込まれているその多種多様な武器は、魔法を発動する上で必要不可欠なアイテムである。“剣”と銘打たれてはいるがその形状は各選手に合わせてカスタマイズされており、例えば槍や盾、あるいは銃の形をしたモデルも存在するくらいだった。性能的にもそれぞれバラつきがあるが、事前申請さえすれば選手は基本的にどんな魔剣も使用可能だ。
そしてもう一つは魔導着と呼ばれるものだ。魔導着は特殊な防護魔法が施された服で、プレイヤーを相手の魔法から守ってくれる。しかしその耐久値も無限というわけではなく、一定のダメージ量を超えるとプレイヤーを守るために自動的に安全エリアへと転移させる仕組みになっていた。魔法が戦争の道具ではなくスポーツに活かされるようになったのは、一重にこの魔導着の発明が大きいだろう。
試合のルールは至ってシンプルだ。
各プレイヤーは闘技場の端と端へとそれぞれスタンバイする。試合が始まると闘技場内を自由に散策し、相手を見つけ次第――攻撃。相手の魔導着の耐久値を0にするか、相手に魔剣で直接攻撃すれば勝利である。
「――どう? 理解できた?」
「まあ、大体」
と、ムイは視線を泳がせる。
戦うと決意したムイであったが、彼女は魔導戦に関しては全くの素人と言って良い。そういうわけでユカによるルール説明の時間をとることが許された。だから現在の二人は選手控室におり、そして丁度ユカによる説明が終わったところである。
「その顔は理解できてないって顔ね……」
「そんなことないっすよー。ちゃんと理解してますって」
「ホントぉ?」
「ホント、ホント。要はわたしはこの剣であのいけ好かない炎野郎をぶっ叩けば良いわけっすね」
「まあ、そうだけど、ホントに理解してるのかなぁ……」
ルール自体はムイの言ったそれでほぼ間違いはないが、しかし問題は相手の少年にどのように近づくか、だ。当然相手は炎で攻撃・防御してくる。接近する隙はおそらくないだろう。
ユカはそう考え、状況を理解しているのか、という意味で聞いたつもりだった。
「今さらで、しかも私が言うのもなんだけどさ……別に断ってくれても良いのよ? あんたには戦う理由がないんだし。怪我だってするかもしれないし」
「まあ、そうっすけど、乗り掛かった舟ですしね。それに……」
「それに?」
「あの炎の人になら余裕で勝てそうですから」
「余裕って、本気で言ってる?」
「本気も本気、超本気っす。ルールを聞いて確信しましたね。あの人、弱いっすよ」
「あんた分かってんの? あいつの名前は羽柴勇人って言って、夕方説明した、」
「全国ベスト16でしょう? 分かってますよ。まあ、別にランキングで勝負に勝てるわけじゃないっすからねぇ」
「そんな無茶苦茶な……」
ユカの心配をよそに、ムイ自身は体を伸ばしたり縮めたりして準備体操をしていた。
「それで、あんたの“魔法”は何?」
「魔法?」
「魔剣に魔力を注入すれば何かできるでしょう? それが魔法。炎を発生させたり暴風を起こしたり……で、あんたは何ができるの?」
「さあ? 知りませんけど」
「知らないィ!? あんたって、ホントに初心者なのね……どんな魔法が使えるかも分からないで、一体どうやって作戦を練るつもりなのよ!」
「分かんないですけど、まあ、何とかしますよ」
「何とかって……」
ユカの説教を遮るように、屈伸をしていたムイは勢いよく立ち上がった。
「じゃ、ちょっくら行ってきまーす」
そして一歩踏み出そうとした彼女だったが――
「――ぐえっ」
後ろ襟をユカに掴まれた。
「何するんすか、人がせっかくやる気を出してたのに」
「バカ。あんたまだ魔導着着てないでしょ」
「あー、魔導着。……着なきゃダメ?」
「そこを面倒がってどうするのよ……大体、魔導着がなかったらあんたなんて一瞬で丸焦げなんだからね」
「はー、怖いっすね」
「分かってるのかなぁ、ホントに」
ブツブツと文句を言いながら、ユカは白いボールを取り出した。その白い球体は野球ボールより一回りほど大きく、そしてゴムのような弾力があるように見える。
「何すか、それ?」
「何って魔導着だけど」
言いながら、ユカはムイの背後に回り込む。そしておもむろに彼女の首に左手を回したかと思うと、球体を持った右手をジャージの下からその中へと突っ込んだ。
「ひゃっ!? 冷たっ……何するんすか、ハルミさん」
「良いから動かないで」
「ちょっ、やめ……!」
服の中でモゾモゾと右手を動かされ、思わずムイの口から息が漏れる。何とか脱出を試みようと手足をバタバタと動かすが、体格差のあるユカに背後からしっかりと固定されているためそれは叶わなかった。
やがてユカはムイの、丁度心臓の辺りを探り当てるとそこにぐっと冷たい球体を押し付けた。
ムイが圧迫による一瞬の息苦しさを感じたかと思うと、球体が服の中で弾けた。
半液状となった白い球体はあっという間にムイの全身を包み込んでいく。そして僅か二、三秒の間ですっぽりと彼女の小さな身体を覆ってしまった。
「魔導着はこれで良しっと。きつくない?」
「それは大丈夫っすけど、そんな無理矢理やらなくても……」
「ん? 何か言った?」
「いえ何も。にしても、便利っすねえ、これ」
纏った魔導着をまじまじと見ながら、ムイが呟いた。先程まで球体、そして半液状だったその物体は、今ではすっかり彼女の体形にフィットした衣服となっている。着心地は海中に潜る時に着るウェットスーツに近く、動きを阻害することはない。
「左手首を見て」
そう言われてムイは自身の左手を顔の前に持ってきた。そこには腕時計のようなものがあり何やらデジタルの数値を映し出していた。数値の種類は三種類で縦に並んでいる。
「一番上の数字が試合の残り時間ね。試合時間は基本的に三十分。その下が魔導着の残り耐久値。で、一番下の数字は対戦相手までの距離ね」
「距離?」
試合時間と耐久値というのは理解できた。しかし相手との距離と言われて、それだけはムイにはすぐさま理解することは難しかった。
「簡単なレーダーみたいなものだと思ってくれれば良いわ。闘技場は広いし、ステージによっては障害物が多い時もあるからね。そもそも相手と遭遇できないんじゃ試合にならないってことで、プレイヤーは相手との距離を知ることができるようになってるの。方位が分からないのだけが玉に瑕だけどね」
「なるほど。なかなかハイテクじゃないっすか」
まるで新しい玩具でも手に入れたようで、ムイは何だか少しだけワクワクしてきたのを感じた。魔導戦なんてまるで興味もなかったが、これなら熱中する人間がいるというのも理解できる気がする。
「ん? このスイッチは何すか?」
「あっ、それは、」
押しちゃダメ、と言うより先にムイは腕時計にあったスイッチを押してしまっていた。
たちまち彼女の全身は淡い光に包まれ、身体の端の方からどんどん消えていく。彼女の全身が消えるまでは僅か一秒足らずだった。
「フィールドに転移されるスイッチだからまだ触っちゃダメって言おうとしたのにー!」
一人残されたユカの叫びが虚しく宙に消えていった。