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無気力少女ですが、実は最強です  作者: 冬野氷空
GW編
66/72

松風学園

 闘技場の観戦席は野球をするための球場のそれと同じように、前方は凹み、逆に後方に行くにつれて階段状に上がっていく形状になっている。ユカとカナタはその最前席から内部を見下ろしていた。


 闘技場では複数の選手が入り乱れて魔剣ブレイドを振るっているのが見えた。練習用ユニフォームの胸に刻まれた「松風」という刺繍が、彼ら彼女らの所属する高校を明らかにしている。


 私立松風(まつかぜ)学園高等学校――ムイたちの通う上田第一高校と同じく長野県は上田市に位置する私立高校である。生徒数はおよそ六百。特待生が集まる特別進学クラス、一般入試で入学してきた進学クラス、そして卒業後の就職を見据えた就職クラスと、生徒の進路に合わせて様々なクラスが用意されているのが特徴だ。


 この学園の特色を部活動に限って説明するとするならば、硬式野球部、そして魔導戦部が強豪であると言われており、甲子園に行きたければ、あるいは全国大会に行きたいのならば松風を選べというのが、長野県の中学生の間では常識であるほどだ。特に魔導戦部の活躍には目を見張るものがあり、過去十年で夏の全国大会行きを逃したのは僅かに一回のみと堂々たるものであった。


「去年は天ヶ崎学園に負けちゃって十連続の全国行きを逃しましたけど、それでもスコアは2対3で、全国的にもかなり追い詰めた方ですよね。現に個人戦では全国行きを決めた三人の内、二人は松風学園の選手でしたし」

「ですがその二人は全国ではあっさり負けていましたよね。結局、大会で上位に入賞したのは天ヶ崎の()()だけだったと聞いていますが」


 羨望の眼差しで目の前の練習風景を眺めるユカに対し、カナタが横から水を差した。


 天ヶ崎の()()――カナタの言葉に、ユカは半年ほど前の出来事を思い出していた。霧野夢衣のデビュー戦――その対戦相手たる羽柴兄弟も風間実も、あの場にいた全ての人間は天ヶ崎学園を求めていた。そして全国ベスト4たる羽柴優斗はその天ヶ崎学園の大将を差して述べた――「化物」と。


 魔導戦ファンにしてみれば全国大会はおろか、地区大会から既に夏の風物詩という人間は多い。晴海由佳もその一人で、当然のことながら昨年度の地区大会も観戦していた。つまり、目撃しているのである、天ヶ崎学園の怪物の戦いを。それに比べれば今目の前で練習を繰り広げている強豪・松風学園など、手練れと言っても所詮は人間の域を出ていない。だがしかし、それでも松風はユカにとって憧れの高校であり、ひたむきに魔導戦に情熱を傾ける選手たちは羨望の的であった。それこそ、ムイのことがなければ松風学園への進学を希望していたほどだ。そんな思いが伝わったのか、普段ならばもう一言二言厳しい言葉を投げかけてくるカナタもその時ばかりはそれ以上のことを言うことはなかった。その代わりに、自分たちの後ろで同じように練習を見学していた先輩・雪風仁に尋ねた。


「それで、今日はこの闘技場に何をしに来たんでしょうか。まさか見学するだけ?」

「んなわけねえだろ」腕時計に目を落として続ける。「よし、お前ら、魔導着スーツに着替えてアップを始めろ。今日はこれから練習試合をすることになっている」

「試合?」


 聞き返したのはユカであった。ユカたちが魔導戦部に入部してからかれこれ二か月以上が経過しようとしているが、部としての試合はこれが初めてである。チーム内、あるいは彼女自身が個人的に参加しているクラブ活動では何度か試合をしていたが、高校の部活としての試合はやはり特別なものである。高校生の夏は、一度しかやって来ない。


「相手はどこです?」

「目の前のあいつらだ」

「は?」


 ユカの口から思わず素っ頓狂な声が零れた。目の前のあいつら――ジンが顎で指した先には松風学園の選手たちしかいない。いや、しかし、まさか。自分たちが()()松風学園と戦えるなどと夢にも思っていなかったユカは、ジンの言葉を受け止めるのに相当の時間を要した。


「松風学園が相手ですか⁉」


 ジンがやれやれと肩をすくませてみせる。


「別に驚くことはないだろう。全国に行くならどのみちどこかで当たる相手だ」

「いや、それは、そうかもしれませんけど……」


 無謀だ。零れそうになるその言葉を、ユカは何とか飲み込む。その代わりに自分と同じく一年生であるカナタに援護を求める視線を送った。だが当のカナタはそれを意にも介さずすました顔をしている。いや、彼女の場合はどんな相手でも自分が勝利するという自信があるのだろう。援護が望めないと悟ったユカは、思い切って尋ねてみることにした。


「あの、雪風先輩、前々から伺いたいことがあったのですが、良いでしょうか」

「何だ」

「先輩たちが掲げている全国出場って目標――“本気”なんですか」


 その質問にどれだけ重い意味が込められているのか、アヤの目を見てジンが察するのは容易だった。だからその真剣そのものの目をしっかりと見据えて答える。自分と、そしてこれまで共に研鑽を積んできたアヤの想いを。


「間違えるな。俺たちが掲げている目標は“全国()”じゃなくて“全国()”だ」

「すみません」

「そしてお前の本気なのかという質問だが――“本気”だ。俺も、アヤも、全国優勝できなかったら死んでも良いとさえ思ってここまでやってきた。お前ら一年がこいつを聞いてどう思うかは自由だ。別に一緒に頑張れなんて言うつもりはない。俺らとしちゃあ、入部してくれるだけでも御の字だからな」

「……」


 アヤは、思わず俯いた。果たして自分にそれだけの覚悟があるだろうか。いや、そもそも本当に全国優勝なんてできるのだろうか。できるわけがない。松風も天ヶ崎も自分が想像しているより遥かに強い。全国にはさらにそれを上回る高校がゴロゴロいるだろう。仮にジンやアヤに付き合って厳しい練習をしたとして、負けてしまえばそれらは全て無駄に終わる。果たして自分にその虚無が耐えられるだろうか――そういう風に、“頭”で計算している自分を蹴とばしたかった。


 そんなユカに思考を遮るようにカナタが口を開く。


「私は譲るつもりはありませんよ。というか、私とムイさんがいて全国優勝できなかったら、それは先輩たちの責任でしょう」

「ったく、相変わらず可愛くねえ後輩だぜ」


 悪態をつきながらも、それはジンやアヤと共に茨の道を歩むという、カナタなりの意思表明だった。言うべきことはもう言った。カナタはユカたちに背を向け、さっさと更衣室へと歩き出した。


「あ……」


 そんなカナタの背にユカはすがろうとして、しかしその右手は空を切った。その感覚は親友であるムイが魔導戦の才能を発揮した時に似ている。置いていかれる感覚――今のユカからはムイもカナタも、二人の先輩も、その背中しか見えない。四人は振り返ることなく夢や目標へと進んでいく。では、自分は――?


「迷ってるなら辞めるんだな。そっから先はお前みたいな中途半端な奴が踏み込んで良い場所じゃないんだ」


 唐突に投げかけられた声。それはジンの後方からしたものだった。ユカが見上げるとそこには三人の人間が立っていた。背の高い少女と背の低い少女、そして大柄の青年が一人。


早坂はやさかか。聞いていたのか」

「そりゃあ、口下手な雪風さんが見知らぬ女の子と話し込んでいるのを見たら、誰だって聞き耳立てたくなりますって」


 “早坂はやさか”と呼ばれた背の低い少女が答えて、三人組はユカたちの元へ下ってくる。


「晴海、紹介しよう。こいつは“早坂はやさかとこ”。松風学園の……」

「知っています。二年生ながら去年は先鋒を務め、個人戦でも全国に行った選手」


 その短くクルクルとした髪の毛が特徴の小柄な少女――早坂とこは新聞や雑誌にも頻繁に取り上げられている選手だった。変身魔法を用い、遠距離から近距離までハイレベルにこなす松風学園の次期エース――少なくとも長野県内では有名選手に数えても良いだろう。


 相変わらずアンテナの高いユカに対してジンが感心したように頷いた。


「流石だな」

「それに、後ろのお二人も知っていますよ。同じく松風学園の福井ふくい舞花まいか選手と、久保田くぼた銀二ぎんじ選手ですよね?」

「わっはっはっは! 福井や早坂はともかく、俺のことも知ってるとは感激だな!」


 大柄の青年――久保田銀二は、その巨体から想像できる姿とピッタリの野太く豪快な笑い声を上げて前に出た。


「今日試合をすることになっている久保田銀二じゃ。よろしゅうな、お嬢さん」

「あ、上田第一高校一年の晴海由佳です。よろしくお願いします!」


 差し出された手に応えながら、ユカが頭を下げる。まさかあの憧れの選手と握手できる日が来るとは。久保田銀二といえば、本人は謙遜しているようだったが間違いなく早坂とこ、福井舞花と並ぶ県内強豪選手の一角だ。


「話は雪風から聞いちょる。なんでもあの羽柴兄弟や大阪の三枝を破った期待の一年坊じゃってのう」

「いえ、あの、それは……」


 自分ではなくムイのことだ。そう訂正しようとしたが言葉に詰まってしまった。羽柴兄弟を破ったことは知っているが、大阪の三枝に勝ったというのは初耳であり、動揺してしまったからだった。ユカがしどろもどろしていると、代わりにギンジの後ろの少女が答えてくれた。


「久保田、それは晴海さんじゃなくて、霧野夢衣さんという人のことだよ」

「ん? そうじゃったかのう」

「君は相変わらず人の顔と名前を覚えるのが苦手だね」


 そう言って苦笑しながら、もう一人の少女が前に出た。涼し気なショートカットの黒髪、知性を感じさせる眼差し、そしてどこか浮世離れしたような雰囲気の少女――福井舞花。彼女のこともまた、ユカの記憶には強く残っていた。


「失礼したね、晴海さん。この久保田はバカだからあまり気にしないでくれ」

「はあ」


 ちらりとその久保田銀二のことを見たが、彼は相変わらず豪快に笑っている。どうやらこの少女の苦言には慣れたものらしい。あるいはちょっとやそっとの物言いは許し合える仲なのだろう。


「私は福井舞花。僭越ながら松風のキャプテンを拝命している。実戦の腕前は期待しないでくれたまえ」

「いえ、あのっ、去年の大会、見てました! すごかったです! 福井選手は私の憧れの選手です!」

「ああ、そうなんだ、どうもありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます!」

「ストーーーップ!」


 そう言ってぶんぶんと握手した手を振るユカと、照れているのか視線を泳がせるマイカの間にトコが割って入った。


「いきなりどうしたんだい、トコちゃん」

「キャプテン! こんな奴に褒められたくらいでニヤニヤしないでください!」

「あれ? そんな顔をしていたかな」

「してましたよ!」


 そう断言するとトコはずいとユカに詰め寄り、その胸を指でつつきながら宣言した。


「福井キャプテンに気に入られたからって良い気にならないことだな。お前みたいな中途半端な奴が魔導戦を続けたところで、私やキャプテンと同じ次元には届くわけないんだから、時間の無駄だよ。迷ってるなら尚更な!」

「そんなこと……」


 ない。そう言い切ることができなかった。ユカにとって魔導戦とは愛すべき競技であり、同時に自分がトコやマイカ、ひいてはムイやカナタのように強くなれるビジョンがまったく浮かばなかったからだ。


「お前はまだ一年坊だから知らないだろうけど、全国ってのは甘くないんだ。人生の全てを魔導戦にかけていますって人たちが、問答無用に負けて消えていく。試合中に助けてくれる奴なんていやしない。闘技場にあるのは孤独だけだ。負けたあとには何も残りやしない。はっきり言うと、お前みたいな奴が、私たちみたいな本気で最強を目指してる人間の中に混ざったら不愉快なんだよ!」

「トコちゃん、言いすぎ」

「良いんですよ、キャプテン、こういう奴にははっきり言った方が本人のためでもあるんです。こういう輩は楽しめれば良いとか、勝つためにやってないとか、そんなことばかり言うから。そしたらキャプテンがこんなに頑張ってる意味が、」

「トコちゃん」


 マイカが語気を強めて制止したことで、ようやくトコはその口を閉じた。全ての言葉を言い切ったわけではないが、トコが言わんとしていることはユカにきちんと伝わっていた。


 トコにとってユカが「楽しめればそれでいい」と主張する人間だということが分かっているのだろう。そしてそういった人間が大会や魔導戦の世界に参加するということは、真剣に打ち込んでいる人間に対して無礼にあたるのだ――それがトコの主張することであった。


 そしておそらくトコは自分が敬愛する先輩――マイカのことを思ってそう主張しているのだ。マイカは確かに県内では強豪選手ではあるものの、全国大会では結果を残すことができていないし、何より昨年度の団体戦で天ヶ崎学園の大将に敗れ、松風学園悲願の十年連続全国出場を逃す直接の理由となってしまった。おそらくその結果にマイカ本人は相当苦しめられたはずだ。


 期待され、努力を積み重ねながらも敗北した人間――()()()とユカは考えた。もしも去年の秋――周囲の人間の期待を背負いながら戦った親友が、実際の過去とは異なりどこかの試合で負けてしまっていたとしたら。そんな親友を見る自分は一体どんな気持ちを抱くのだろうか。同情と、そんな彼女に対して何もしてやれないことへの無力感――その圧倒的虚無を想像するのは容易く、想像するだけで重々しく背中に圧し掛かってきた。


「うちの後輩が言いすぎてしまったね、すまない。あまり気にしないでもらえると助かる。魔導戦に関するモチベーションなんて、人それぞれで良いものさ」

「……いえ、大丈夫です」

「まあ、先輩という立場から一つ言わせてもらうと、は必要だ」

「覚悟、ですか」

「君が今、君の感情の赴くまま往こうとしているその道は茨の道だ。多くの旅人がその道程で傷つき、朽ち落ちた。私だっていつそうなるか分からない。残るのは痛々しい傷だけって人間が大半だ。何せ“最強”の座は一つしかないのだから」

「理屈は……分かります」

「だから君が望む『楽しめればいい』というスタンスも正しいんだよ。いや、むしろそちらの方がよほど合理的だとも言える」

「じゃあ、先輩はどうして上を目指そうとしているんですか」

「決まっている」


 マイカがニヤリと得意げな笑みを浮かべる。


「魔導戦が好きだから。一番上からでしか見えない光景があると、そんな夢を見ているからさ」


 それを聞いて、ユカは言葉を返すことができなかった。返す言葉を持ち合わせていなかったと言う方が正しいかもしれない。そんな彼女の心情を察してか、マイカはそれ以上何も言わず、ただ黙ってユカの肩をポンと叩いた。そしてそんな彼女に代わるつもりで、ギンジが口を開く。


「ワシはそこまで深く考えんでもええと思うぞ。というか、福井や早坂は考えすぎじゃ。こげなもん、やってりゃ自然に強うなるし、そんで勝てんでもそげん気にすることやなか」

「久保田は考えなさすぎだよ、そこが良い所でもあるが……まったく、せっかく私が格好つけたというのに、締まらないなあ」

「ほうか? ま、何にせよ本人が楽しむんが一番じゃ」


 マイカがやれやれと肩をすくませた。それでようやくユカもほんの少しだけ緊張を解くことができた。


「それじゃあ、このあとの試合、()()()


 その言葉に、ユカは勢いよく頷いてみせた。

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