藍色の愛
駅から駐車場に出たムイたちはすぐにアヤとジンの姿を見つけることができた。用事があるということだったが、どうやら前乗りしていたらしい。シルバーのワゴン車の傍らに立つ二人は学校の制服ではなく、夏らしい涼し気な私服姿である。ユカが「お待たせしました!」と言いながら駆け寄り、ムイとカナタもそれに続いた。
「いやいや、私たちもちょうど今来たところだよ」
大きな麦わら帽子で顔をパタパタと扇いでいたアヤは、それを頭に乗せながら答えた。相変わらず夏そのものを具現化したかのような爽やかな笑みを浮かべている。
「揃ったようだし、行くか」
ワゴンに背を預けていたジンが身を起こしてそう告げた。アヤがそれに目配せして答え、ワゴン車の後部座席のドアを開く。
「さあさあ乗った乗った。地区大会まではそんなにないからね、時間は無駄にできないわよ」
「はい! ……あれ? でも運転手は?」
車に乗り込もうとしたユカが運転席を見て言った。運転席には誰も座っていない。
「運転手ならいるだろう」
「いや、いませんけど?」
「俺だよ」
「は?」
わざとらしく車のキーを見せるジンに対してユカは思わず言葉を失った。ユカの印象ではジンはそんな冗談を言うような人ではない。それはムイやカナタも同様であり、どういうことだと二人は顔を見合わせた。そんな一年生三人をよそにジンが続ける。
「俺は四月生まれだからな、もう免許は取れるんだよ。まあ、車自体は親父のものだがな」
その言葉に三人はまたもや絶句した。補習続きで時間がないということは、電車内で散々愚痴を言ったことである。ましてや受験生なら尚のことそうだ。にも関わらずこの目の前の先輩はそんな過密スケジュールの合間を縫って免許を取ったと言うのだから、信じられなくて当然のことだった。
「補習なんてのはな、参加する奴が間抜けなのさ」
簡単に言いきったジンは呆れ果てている下級生など気にも留めずに運転席に乗り込み、つまらなそうな顔でバックミラーの調節をしている。その手つきには不慣れさなど微塵も感じられず、ベテラン運転手なのではないかと思い違うほどだ。
「部長と言い雪風先輩と言い、時間の使い方がめちゃくちゃっすね」
ワゴン車に乗り込んだムイはそんなことを呟いていた。
上田第一高校魔導戦部の五人を乗せたワゴン車は駅を出て真っ直ぐに合宿所に向かうかと思われたが、「寄りたいところがある」というアヤの提案の元、少々の遠回りにはなるものの商店街の外れを掠めるルートをとっていた。
車窓から見える商店街は観光客などで賑わっている。そんな賑わいから少し離れたとある一軒の商店の前で、ワゴン車は停止した。見ると商店の正面には「凪元魔導商店」と掲げられている。外から見た雰囲気でも分かる、魔導戦の器具を専門に扱うスポーツ用品店のようだった。
「凪元って……」
カナタがチラリと助手席のアヤのことを見た。凪元彩――まさかこれが偶然の一致とは言うまい。
「や、私の家じゃないよ。私の父の実家で今は父の兄――伯父さんが経営してるんだ」
答えながらアヤはシートベルトを外した。どうやら用事があるというのはこの店のことらしい。ユカが尋ねる。
「何か練習器具でも購入するんですか?」
「ん? まあ、そんなところかな。ムイさん、ちょっと手伝ってくれない?」
「え、わたしっすか?」
ムイは思わず聞き返していた。魔導戦に特別詳しいわけでも、荷物運びができるほどの筋力があるわけでもない。だから自分が指名されたのが意外だった。しかしだからと言って先輩からの指示を断る理由もない。ムイは戸惑いながらもアヤと共に車から降りることにした。
「他の三人は先に合宿所に行っててちょうだい。ジン君、手筈通りにお願いね」
「ああ、了解した」
「安全第一だからね!」
「分かってるよ」
幾度とない忠告で辟易としていたジンは早く行けとでも言わんばかりにひらひらと手を振って答えた。そして発進すべく再びエンジンをかける。
動き出したワゴン車を見送ると、アヤはムイの方を一瞥し、笑みを浮かべると「凪元魔導商店」に入っていった。ムイもその後を追いかける。
店内はクーラーが効いているらしく、ひんやりと心地よい冷気に包まれていた。ムイたちを除けば他の客の姿は見当たらず、それも冷房の一役買っているのかもしれないとムイは思った。
「伯父さーん! いないのー?」
勝手知ったると言わんばかりにズンズンと店の奥に入っていくアヤを横目に、ムイは改めて店内を見回した。建物自体はそれなりの年季を感じさせるが、清掃は行き届いているらしくかなり新しく見える。入り口付近には様々な形状の魔剣が壁に掛けられていたり、あるいは傘立てのような陳列棚に突き立てられたりしている。
少し歩を進めると、今度は両側の壁に大きなガラスの箱が出現した。箱には大小様々な銃型魔剣が陳列されている。細かい種類などはムイには分からなかったが、その内の何挺かは師匠の元で修行していた時に目にしたことがあった。
さらに進むと今度は店の中央あたりに三つの陳列棚が現れた。そこは魔剣以外の魔導戦用品、例えば球状の魔導着であったり魔力測定器であったりだとか並んでいる。魔剣に比べればよほど馴染みのある用品ばかりで、そこにある商品だけはムイでも知っているものが大半であった。
それらの多種多様な魔導戦商品の山を抜けると、ようやく会計用と思われるカウンターが現れた。そこで魔剣の整備をしていたのか、幾つもの金属パーツが転がっている。
アヤは「ちょっと待っててね」と言い残すと、カウンターの脇から中に入り、さらにその先の扉を開けた。建物の構造から考えてどうやらその扉の向こうは店側のプライベートスペースがあるらしい。
カチカチと時計の針の音だけが坦々と響く店内。残されたムイは一つ息をつくと、ふとカウンターの向こう――アヤが通った扉のすぐ脇にある棚に目を向けた。そこには魔剣を構えた少年の写真が飾ってある。その横には同じ少年が嬉しそうにトロフィーを掲げた写真があり、そのトロフィーと同じものが写真の後ろに置かれている。
「……第六十六回全国高校魔導戦大会準優勝」
トロフィーに刻まれた文字はカウンター越しでも目を細めることで読むことができた。全国高校生魔導戦大会――ムイたちが目指している舞台であり、何とその写真の少年はその全国の舞台で準優勝を決めたらしいことが窺えた。
「四年前の大会か。隣に写ってるのは部長、かな?」
少年の脇には小学生か中学生くらいのアヤと思われる少女が写っていた。あの太陽のような笑みは、数年の年月を経てもどうやら変わっていないらしい。
「あれ? お客さんですか?」
唐突に背後から声がして、ムイは肩をびくりと震わせた。慌てて振り返るとそこには一人の青年が立っている。それが誰なのかムイにはすぐに分かった。
「え、あ、そうです。凪元部長にここで待っているように言われて」
答えながらムイは「写真の人だ」と内心呟いた。年月が経過しているせいか雰囲気は少し変わっているが、写真の中で楽しそうに魔剣を握っている少年の面影がまだ残っている。だがしかし、頭ではそう分かっていても心底納得するにはやや根拠に欠ける――ムイにはそう思わざる得ない理由があった。
青年は、視力を失っていた。目を閉じたまま、盲人杖を突きながらムイの脇を抜け、カウンターに入っていく。
「いやぁ、申し訳ない。父は少し出ていまして、もう少し待っていて下さいね」
その物言いや行動からして、青年はどうやら店側の人間らしい。
青年はカウンターの向こうにある椅子に腰かけると、机上の金属パーツの幾つかに触れ「ああ、親父この仕事まだ終わってなかったんだ」と呟いた。これでこの青年が店側の人間であるというムイの予想は的中したことになる。ムイのそんな内心を察してか、青年が口を開いた。
「確か、霧野夢衣さんですよね、アヤちゃん――凪元彩から話は聞いていますよ。僕はアヤちゃんの従兄妹で凪元正臣と言います」
「あ、初めまして、霧野夢衣です。部長にはいつもお世話になっています。あの……失礼ですが、後ろの写真は」
「ん? ああ、この写真かい? そうそう、よく分かったね。四年前に全国で準優勝した時の写真だよ」
答えながら青年――凪元正臣はカウンターの上の金属パーツをいじり始めた。その手つきは慣れたもので、もしかしたら本当は目が見えているのではないかと思うほどだ。そう疑問に思われるのすら慣れているのか、マサオミは尋ねられるまでもなく語り出した。
「僕は四年前――高校二年生の時に全国で二位になったんだけど、その次の年に魔導障害が発覚してね、魔法を使えば使うほど、視力を失っていくってことが分かったんだ。そこで辞めていれば良かったんだけどねぇ、どうにも、魔導戦は楽しくてさ、それでこの有様ってわけ」
青年はそう言って笑った。その笑顔は自虐的というわけではなかったが、どこか諦めたような、例えるなら死を目前にした人間が感傷的になって浮かべるような表情だった。
高校二年生の時に魔導障害が発覚したということは、後の一年間の高校生活は魔導戦を続けたということなのだろう。つまり逆に言えばたった一年でも、魔導障害を無視して魔法を使い続ければ、視力か、あるいはその他の五感を失うほどに進行してしまうということか。もしも自分が同じ立場だったのなら――ムイはそんなことを考えて複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
才能があると言われ、仲間に頼られ、自分自身も魔導戦の楽しさに気付きつつある。そんな自分が、果たして魔導戦にしがみつき続けることができるだろうか。いや――辞めるという選択肢の前にしがみつくという選択肢が浮かんだ時点で、自分は大丈夫だ。確信はなかったが、ムイは自分にそう言い聞かせることにした。
「さて、こっちは片付いた。君の魔剣も見る約束をしているんだ。出してもらえるかな?」
「あ、はい!」
気が付くと青年はカウンターの上の金属パーツを全て片付け終わっていた。彼が視力を失い魔導戦を離れてから一体どれだけの苦労があったのかは計り知れなかったが、しかしその魔剣を整備する腕だけは確からしいということだけは理解できた。ムイは急いで魔剣ケースから白を基調としたボディの二本の魔剣を取り出し、マサオミが差し出した掌の上に慎重に乗せた。
マサオミは受け取った魔剣を丁寧な手つきで撫でて、納得したように口を開いた。
「〈エピック2000〉をベースにしているのか。古い型だけど、良い魔剣だよ。かなりの軽量化とカスタマイズがしてあるね。ええと……」
マサオミはカウンターの下にある引き出しから、十五センチほどの金属の棒を取り出し、ムイに渡した。
「それが本来の〈エピック2000〉のグリップだよ」
「へえ、これが」
言われてみてムイは改めてその金属棒を握り、手触りを確かめた。違和感がある。少なくとも自分が普段使っている魔剣のグリップに比べて、はるかに太く感じる。
「握った瞬間に分かると思うけど、君のはかなり細いグリップに変更されている。軽量化のこともそうだけど、腕力のない女の子が使うことを前提にしている良いカスタマイズだよ。きっとこれを調整した人は、君のことをきちんと考えてくれている人なんだろう」
「父が整備しています」
ああ、なるほど、とマサオミが頷く。
「でも、正直ちょっと意外でした。親父が魔剣をいじるのは自分が魔剣や魔導戦が好きだからだと思ってたんで」
「それは大きな誤解だ。この魔剣は隅から隅まで使用者のことだけを考えてカスタマイズされている。本当に良い魔剣だよ」
言われてみればそうなのかもしれない、とムイは思ったが、同時に何を考えているのか分からないあの父親の顔を思い出して、素直に感謝を述べる気にはなれなかった。
「ん? この魔石……」
ポツリと溢された言葉に、ムイはマサオミの手元を覗き込む。彼の手は魔剣の中心部――一層白く艶のある魔石部分で止まっている。
「その魔石が何か?」
「いや……固有魔法を発動させる術式に封印がかけられているのは聞かされていたけれど、魔石の方もかなり特殊だからさ」
「はあ、そうなんすか」
「この魔石を用意したのはお父さん?」
「ええ、多分」
「そうか、うーん……ちなみに確認なんだけど、この魔石は君から見て何色に見える?」
「白、ですかね」
「白か、そうか……ううん……」
「白だと何か都合が悪いことでもあるんすか?」
「いや」
マサオミはそう短く言葉を切ってから、言うべきか言わないべきかしばらく逡巡した後、ようやく口を開いた。
「これは、まあ、君に直接何か悪いことがあるんじゃないんだけどね、要はこっちの信用問題なのさ。僕らみたいなメンテナンス担当や職人が、この道具やカスタマイズは知らないって言ったらお客は信用できないだろう?」
「はあ、そういうものっすか」
「お医者さんがこの医療器具は知らないとか、この薬は知らないって答えるのと同じさ」
「ああ」
そう言われればムイにも理解せざるを得なかった。患者の立場になってみれば、それは確かに大きな不信感を抱く原因となるだろう。
「少数生産された〈インディゴ・ラブ〉っていう魔剣の魔石が元になっていると思うんだけど、もはやカスタムされすぎて、何をどうしたらこうなったのか分からないくらいさ」
「インディゴ・ラブ……藍色の愛っていう魔剣っすか」
「その通り。名前の通り魔石は藍色のはずなんだけど、君の魔剣の魔石は白なんだろう?」
「魔石の色が変わるなんてことがあるんですか?」
「カスタム次第さ」
マサオミはそう言って肩をすくめてみせた。他の部分ならばともかく魔石に関しては、どうやら専門家の彼にもお手上げ状態らしい。
「まあ、魔石に関しては後でうちの親父やアヤちゃんに確認してみるとして……うん、大体分かったよ。見せてくれてありがとう」
お礼を言いながら丁寧な仕草で魔剣を返還するマサオミに対して、ムイは「いえ、こちらこそありがとうございます」と返事をして受け取った。
「魔剣の状態は極めて良好だけれど、何か困ったことはあるかい?」
「うーん、特にないっすねぇ。強いて言えばちょっと出力に不安があるくらいで」
「出力に?」
「え、あ、いえ、むしろこれはこっちの問題っす。わたしがやりたいことが無茶苦茶なだけで、特に問題はありません」
「そうかい? 出力関連は魔剣にも選手にも負担がかかりやすい問題だからね、何かあったらすぐに言うんだよ」
「はい、ありがとうございます」
「さて、それじゃあ、本題に入ろうか」
「本題っすか?」
ムイが訊き返すと、マサオミはカウンターの上で手を組んで答えた。
「君の新しい魔剣についての話さ」