参戦
魔導戦の舞台には“闘技場”と呼ばれる競技場が使用される。
闘技場は丁度、野球場を楕円形にしたような形・大きさで、天井ドームを閉じたところを上空から見下ろせば巨大な卵のようだ。
闘技場と野球場で異なる点は大きく二つある。
一つ目は観客席だ。
観客席があるのは野球場と同じ円周部であるが、しかし野球場とは異なり、フィールドと観客席との間には分厚い魔法防護ガラスが施されている。防護ガラスは厳重な審査の元で設計されており、どれだけ高威力な魔法が飛び交う試合でも観客が安全に見ることのできるようになっている。
二つ目は、さらに大きな違いで、フィールドの形態についてである。
フィールドには幾つも種類が存在している。例えば森をモチーフにしたステージだったり、あるいは市街地をモチーフにしていたり、といった具合だ。それらのステージはフィールドの地下で整備されており、使用時に上昇、選手や観客の前に現れるという仕組みだ。この複雑な地形こそ、魔導戦という競技を奥深いものにしている。
そんな闘技場であるが、ムイたちの住む町でその施設は外れの方――もはや山中と言っても良いようなところに位置している。雀荘・国士無双の近くの駅からバスが出てはいるが、それでも二十分ほど待たなければ到着することはない。
ムイが国士無双を出たのは七時半頃だった。が、彼女はものの十分ほどで闘技場に到着していた。これも一重に魔法のお陰だと、彼女は生まれて初めてその超常現象に感謝の念を抱いた。
僅かに上下する肩を抑えるように深く息を吸うと、彼女はその巨大な卵の内部へと足を踏み入れる。
真っ直ぐに続く冷たい廊下――僅かに遠くに見える光。
ムイは迷わず光の方へと歩を進める。
やがて彼女はどこか広いところへと出た。そこでは観客席から爛々と照明の灯りが降り注ぎ、同時に何人かの気配もある。しかしそれ以上に彼女の意識を引いたのは、いくら残暑が厳しいとは言え、その時間にしてはあり得ないほどの熱量だった。
暗から明へ――
ムイが目を凝らすと、ようやく照明の眩しさに慣れ、事態を把握するだけの視覚情報が飛び込んできた。
まず目に入ったのは、けたたましく燃え盛る炎。
炎はフィールド内の一点――丁度、中心の辺りで光と熱の粒子を撒き散らしながら渦を巻いている。
フィールド内を包み込む熱は、空気さえも焼き尽くす勢いだ。加えて何かが焼け付くよう——焦げた臭いも、ムイの小さな鼻をついた。
視線を中心から脇へ――
炎の左右から得られた情報は二つ。
一つ――如何にも余裕そうに振る舞う、いけ好かない少年たち。
二つ――今にも泣き出しそうな親友の顔、加えて深刻そうに眉間に皺を寄せる知人の中年男性と、おそらく彼女らのチームメイトと思われる何人かの少年少女。
最初にムイの視線に気づいたのは、一目で彼女が嫌悪した少年たちの方だった。
誰だ……? と言いたげな表情を浮かべる少年たちを見て、今度はその対面――ユカや丸岡たちが彼女の存在に気が付いた。
「キリノ!? あんた、どうしてここに……?」
「あー、えっと」
答えに迷っているところに、ユカが駆け寄ってくる。
ボロボロになったスーツや、乱れた髪の毛、頬に残った擦り傷などから、彼女は既に戦闘を終えてしまっているのだと、ムイは察した。
「ピンチなんじゃないかって思って、応援くらいしないとなーって、来たんですけど……」
チラリ、とユカの背後にいる丸岡の方へと視線を向ける。
丸岡はその歳にしてはかなり筋肉質な体形をしている。180㎝を超える身長も相まって、いつもならば非常に屈強な印象を受けるのだが、その時は違った。表情に出さないようにはしているようだったが、明らかに落ち込んでいるのが、彼が何度も麻雀で負けているところを見てきたムイには分かった。
試合に負けたのだ。
ユカの表情、丸岡の態度から、ムイはそう判断せざるを得なかった。
「アァン? 何だ、まだメンバーが残っていたのか」
不意に、少年の声が聞こえた。
ムイは声がした方に視線を移す。どうやら声は炎の中から聞こえたようだった。
しかし次の瞬間、まるで不死鳥の卵が割れるようにしてその紅蓮の炎が弾けた。そして中から声の主らしき少年が現れる。
逆立った茶髪と片耳にだけされたピアスが特徴の、如何にもガラの悪そうな少年がムイに視線を向ける。少年の着る白い戦闘用スーツはほぼ無傷で、その上に羽織っているチームカラーであるところの赤を基調としたパーカーには汚れ一つついていないように見える。右手には彼の背丈にも匹敵しそうなほど長大な日本刀型の魔剣が握られており、彼はそれを軽々と肩に乗せて、さらに続ける。
「俺は別に何人相手だって構わねえぜ。むしろ手ごたえがなさすぎて退屈してたところだ」
「ええと、この状況は……?」
ムイはユカの顔を見る……が、その直前、ある光景目に飛び込んできた。
それは、十人ほどの人間だった。フィールドの隅で横たわっている、あるいは跪いている彼らは、傍から見ても分かる怪我人だ。そしてその怪我は明らかに火傷であり、今目の前にいるこの少年がやったのだというのは明白だった。
「私も、頑張ったんだけどね……」
ユカが足元に視線を落とす。丸岡の――監督の事情を知ってか、あるいは単純に勝負に負けたのが悔しかったのか、それはムイには分からなかったが、しかし親友が悲しんでいるということだけは理解できた。
ムイは視線を宙に投げ出す。
来なければ良かった。
親友がこうも悲しんでいる姿を見るなら、親友の仲間が傷付いているところを見るなら、大人しく出前だけしておけば良かった。
「おい、そこの小っこいの、やるのか、やらねえのか、ハッキリしやがれ」
「はあ、そう言われましても」
と、ムイは頬を掻く。
――自分は選手じゃないし。
「ハア? 魔剣を持って登場しといて、何言ってやがる」
「ああ、えっと、これは、間違いというか、そんなつもりはないというか……や、戦いたいのは山々なんすけどね?」
それは見え透いた嘘だった。
面倒なことはやらない。世の中の大抵の面倒なことはやらなくても生きていけるのだ。
そんな持論を、彼女は再度頭の中で反芻する。
「戦う気すらねえ臆病者なら、とっとと失せな。俺は雑魚には用はねえ」
「雑魚、ですか」
「ああ、そうだ。俺は雑魚の癖に魔導戦が楽しいだとか、そんな下らねえ理由で戦ってる奴が大嫌いなのさ。そんなのはろくに努力もしてねえ、才能を言い訳にしてる奴の言い訳にすぎねえ」
「なるほど、一理ありますね」
ムイにとってはある意味全く興味のない世界の話だ。だからこそ合理的に判断することができる。そしてその合理性に基づくのなら、実力のない人間は魔導戦に打ち込むというのは無駄にしか思えない。
「なかなか話の分かる奴じゃねえか……兄貴!」
少年は背後の仲間に顔を捻る。
「そういうわけだから、勝負は俺たちの勝ちみたいだぜ」
「そうだな……そういうわけで構いませんか、丸岡監督」
中央の少年が丸岡に視線を投げかける。
“兄貴”と呼ばれたその少年は、悪態をついている少年とは打って変わって礼儀正しそうな印象を受けた。爽やかな短い黒髪、決して派手ではないが整った顔立ち、細身ながらも引き締まった肉体、それらの特徴から彼に人徳が集まるのは簡単に推測できたし、現にこの場の決定権も持っているようだった。
「いや、しかし……」
と、丸岡は額に汗を滲ませながらムイの方をチラリと見る。助けを求めているように。
だがそんなことはムイにとってはあずかり知らぬことだった。確かに丸岡には雀荘で良くしてもらったことは多々があるが、そんなことに一々義理を感じていては身がもたない。加えて彼女にとってはたとえ労働の一環であっても日々の出前でその義理は返しているつもりだった。
この場を立ち去ろうと何しようと、それはムイの自由である。それは丸岡も理解していたから、いくら彼女が魔剣を持って馳せ参じたとしても、試合に出てくれなどと言い出すことはできなかった。
「キリノ……」
「何すか、ハルミさん」
「あんた、本当は私のことを助けに来てくれたんでしょ? だから魔剣も持ってきた。違う?」
「違いますね。わたしはあくまで応援しに来たんです。この剣は……まあ、自転車やローラースケートの代わりみたいなものです。移動手段に過ぎません」
「そんなこと言って……私知ってるよ? あんたがただ素直じゃないだけだって」
「だから、違うって言ってるじゃないですか!」
思わず怒鳴ってしまったムイだったが、その直後に激しく後悔した。
ユカは魔導戦が好きなのだ。とても好きなのだ。きっと自分の青春を全て賭けられるほどに。しかし今晩の試合に負けてしまえばチームは実質解体されるようなものだし、そうなってしまえば彼女は魔導戦をする場がなくなってしまう。他のクラブチームに入るということも不可能ではないだろうが、しかしそれでも多大な労力はかかりそうだということは門外漢のムイにとっても予想するのは簡単だったし、何よりこのシルバー・スターズにひどく愛着を持っているだろう。それは今にも泣き出しそうな彼女の表情が何より確かに物語っていた。
丸岡が近寄ってきて二人の間に立ち、口を開く。
「ムイ君、わしからも頼めんか?」
「そうは言っても丸岡さん、わたしは全くの部外者っすよ。確か魔導戦の試合って、事前に申請したメンバーや魔剣じゃなきゃ参加できないんじゃなかったすか?」
「いや、実はそのことは心配いらないんだ。これは練習試合だからある程度融通はきくし、それに君は既にメンバー登録されている」
「はあ? わたしがメンバー登録って……」
「とある人からの頼みでね。君はもう五年前からうちのチームにいたことになっているんだ」
チラリ、と僅かに弾劾の意を込めてユカの方を見る。ユカは「私じゃないわよ!」と言わんばかりに首を横にブンブン振ってみせた。
ユカではない。第一にムイとユカが出会ったのは今から二年半ほど前――中学に入学した時だ。
では、誰が……?
「詳しくは試合に出てくれたら話すよ。出てくれないのなら……そもそもこの話はする必要があるまい?」
「それを言うのはズルい」
そんな風に言われてしまったら、気になるに決まっている。自分が全く興味のない競技のクラブチームに所属していることにされていたのだから、その好奇心も無理はない。いや、警戒心と言うべきか。
ムイは丸岡とユカとを交互に見た。それから少し離れたところから期待の視線を向けているシルバー・スターズの面々も。
それから数秒考えて、
「あー! もう! 分かりましたよ! やるだけやれば良いんでしょう!」
観念したように空を仰いだ。ここまで来たらやけくそだ。多少の火傷は追うかもしれないが、逃げ回れば死ぬということはないだろう、と僅かに打算を巡らせる。
「こっちは初心者なんすから、ちゃんとルールから教えて下さいね!」
そしてユカの方をきっと睨んだ。