魔気
陸上トラックの中央、二人の戦いは互いの距離が十メートルの地点から開始された。
十メートルというのは、何も二人が適当に近づいていった結果生まれた距離ではない。相手の魔法、身体能力、戦術を鑑みた際に最も多くの状況に対応できる距離だ。
雪風仁は既に自身の魔法を発動させ、全身を狼に、否、狼と人との中間点――“人狼”へと変化させている。それは彼が最も多用する変身形態であり、狼の五感と身体能力、そして人間の対応力とが合わさったバランスの良い戦闘モードである。
現在ジンは両手の甲に装備した鉤爪型の魔剣を使って魔法を使っている。だがしかし、彼の武装はそれだけではない。
両手で構えているのは〈F2000アサルトライフル〉をモデルに設計された銃型魔剣。ただし魔法を前提に置いた魔剣に不必要なマガジン部分、そして狼化の産物である視力の強化で補うことが可能となったスコープが廃され、軽量化によって取り回しの良さが増している。十メートルから三十メートルの近距離での戦闘を念頭にジン自身が施した改造だ。
アサルトライフルに加え、彼の左側の腰の部分には直剣型の魔剣が用意されていた。これもまたジンの背丈や筋肉量からすれば僅かに細く短いものだったが、それはムイという対戦相手に合わせた選択だった。高速で動き回る相手と接近戦をしようというのなら、剣のサイズよりもむしろ取り回しの良さを重要視した結果である。
銃も剣も対戦相手を念頭に置いた装備――“生きる定跡”。それこそがまさにジンが導き出した最強の戦術。ありとあらゆる相手に対応するために、ありとあらゆる装備を使いこなす。恵まれた体格や固有魔法によるアドバンテージに甘えない。それがジンにとっての最大の課題であり、修行期間で身に着けた最も自信のある技術。
ジンに得意な武器や戦闘距離など存在していない。いや、そもそもプロフェッショナルにそんなものなど必要ないのだ。時々に合わせた最適行動を、如何にブレなく、動揺せずに行えるか、必要なのはそれだけなのだ。スナイパーライフル、アサルトライフル、剣、鉤爪、あるいは体術に至るまで、例外はない。どんな相手、どんな距離、どんな武器――その全てに対する最適解が、今のジンの脳内には存在している。
彼が“魔気塾”でムイと対戦したのは十回。結果は六勝四敗、ジンの勝ち越しであった。だがしかし、彼にとっては勝った六回よりも負けた四回の方が強く印象に残っている。
最初に負けたのは、全くの不意打ちであった。高速接近してきたムイによって魔力の“力場”を数発一気に叩き込まれた。無論、それだけでは大したダメージにはならない。肉体的にも、精神的にも、そして魔道着耐久値的にも。だがしかし、ムイはそこから完全に“逃げ”に徹していた。ジンがいくら狼化によって俊敏に動けるようになったとしても逃げることだけを考えているムイに追いつくのは容易ではない。結局その試合は逃げ切られてしまった。
だからその後の試合で、ジンは油断することを禁じた。いや、元より油断しているつもりなどなかったのだが、一層の警戒体制をしくことを決めたのだ。ことこの霧野夢衣という選手を相手にした時は。
ジンの戦闘スタイルには良い意味で尖った部分がない。故に彼は自らの戦い方において対応力という点で絶対の自信を持っていた――ムイに出会うまでは。
まさか自分を上回る対応力を持つ人間がいるとは。しかもその人物は固有魔法を持たず、“力場”などいうマイナー極まりない戦闘技術を使用する。そんな相手がいるとは夢にも思わなかった。
対応力――それは何も戦闘中に限った話ではない。魔導戦における戦闘とは、開戦の前に既に六割以上は決着がついているという。それは情報戦の見地からもそう言えるだろうし、高校生という若い世代ならば成長という点も大きいだろう。
霧野夢衣は恐ろしいまでの成長を遂げた。ジンがその少女に敗北したのは最初の一回、そこから六連勝、そして三連敗。“勝ち”と“負け”とが交互に訪れている――否、その間には明確なきっかけが存在している。
最初のきっかけはジンが自らの油断を消したことにある。では、次のきっかけは?
“魔気”――
ムイが新たな戦闘技術を入手したのだ。
魔気は纏うことで概念操作系魔法の効果を打ち消すことができる。それはジンの動物変身にも有効であり、つまり魔導着を上から覆う獣の皮膚を、その影響を受けずに直接攻撃することができるのである。これによってジンの魔剣での直接攻撃耐性という絶対の防御は崩壊することになる。
「だけど魔気も無敵の技ってわけじゃあない」
互いに仕掛けるタイミングを窺っているジンとムイ――そんな彼らを傍目にアヤが呟く。
「どういうことですか? 今の話だと概念操作系魔法を無効化できる魔気は、無敵のように感じますけど」
ユカが聞き返した。
「魔気っていうのはね、何も相手の魔法を無効化しているわけじゃないんだよ。――魔力透過率って聞いたことない?」
魔力透過率――そんな言葉に聞き覚えない。ユカは首を横に振った。
「魔導着に対する魔法の通過能力についての単語だったと記憶しています」
カナタが答える。
「本来魔導着には魔法が人体に影響を与えないよう、特殊な対魔法術式が組み込まれていますが、それはあくまで火力系魔法に作用するものであり、概念操作系魔法には作用しない――だから魔導着を着ている人間が相手でも概念を操作することができる」
「その通り。魔法っていうのはね、簡単に説明すると粒子の波みたいなものなんだよ。火力系魔法は粒子が荒いから魔導着でせき止め、吸収することができるけれど、概念操作系魔法はその逆で細かく、透過率が高くなっているんだ。そして、魔気っていうのは魔法の“本質”をより強調する技術なんだよ。だから相手の魔力の動きが把握できる。それを纏うことで概念操作系魔法の影響を受けなくなる。でも、これは概念操作系魔法をせき止めているわけじゃないんだ」
「そうか……! むしろ透過率を上げることで」
カナタのはっとしたような閃きに、アヤは頷いてみせた。
「“本質”を強調することで概念操作系魔法の透過率を上げる――つまり、その魔法が魔導着を透過し、人体に影響を与える前に、それを貫通させてしまうのよ。もっと簡単に言えば、肉体や魔導着を一時的に幽霊みたいにするって感じかな。魔法っていうのは粒子の波と物体とが衝突した時に効果を示すからね、こうすれば概念操作系魔法を実質的に無効化することできるってわけ」
「なるほど……しかし、確かにそれは逆に言えば大きな“弱点”にもなり得ますね」
カナタの言葉に、解説をしていたアヤは「この新入部員は洞察能力が高い」と今日何度目かの確信をした。魔気という全く新しい魔法技術を、基礎を聞かされただけでその弱点を見抜くとは。
どういうこと? ユカが視線で聞き返す。
「魔法の本質を強調する――これは直接的な攻撃力を持たない概念操作系魔法に対して行っているから無害なのであって、もしも火力系魔法相手に発動してしまったら?」
「そうか! 威力が逆に上昇してしまう……!」
魔法自体が攻撃力を持っていた場合、その透過率が上がるということは単純に威力の上昇に繋がってしまう。それは魔力を圧縮・発射する銃型魔剣を相手にした時も同様である。
「でも、さっきの先輩の話だと、魔気があれば相手の動きを予測することが可能なんですよね。だったら相手の銃弾を回避することも可能なのでは?」
「うん、それが魔気発動者が火力系魔法や銃型を相手にした時の正攻法だね。でも、ジン君はあの霧野さんと既に対戦経験がある。その対策くらいは考えているはずよ」
「対策って、どんな……?」
「それは――」
アヤが改めて対峙するジンとムイを見据えた。
「この戦いを見れば、はっきりすると思うわ」
二人が、同時に地面を蹴って跳躍した。