雨宮彼方
雨宮彼方は回想する――
物心ついた頃から魔剣を握っていた。母親の顔は覚えていない。生まれた時から白髪のカナタを気味悪がって家を出たということだけを聞かされていた。
その白の少女には魔導戦しか残されていなかった。幸いなことに、彼女には才能があった。
『不可視の瞳』――一定時間魔力を流し込んだ物体を、その時間と同じだけ自由に動かせる固有魔法。効果範囲は約15メートル。その範囲内であれば、自分の身体を含め、どんな物体でも自由に動かすことが可能である。
戦術――魔力を貯蓄させた小型球形の魔剣を射出。対戦相手の死角から攻撃する、まさに一撃必殺の妙技。小型球形の魔剣を目玉に例え『不可視の瞳』。その魔法名は、名前があった方が魔法を発動する際にその形をイメージしやすいという信条の元、彼女の父親がつけたものだった。
“才能”は“希望”となり――“夢”に代わる。
カナタの父親はかつて魔導戦のプロを志していた。しかし高校最後の夏、膝の靭帯を傷め、そしてその傷は選手生命そのものに関わってくるものだった。
やがて彼は自身の娘に魔導戦の才能があるということを知ってしまう。その瞬間から、彼の夢は娘であるカナタに託されることになる。いや、託されるなどという生半可なものではない。
一人の男に新たな夢が生まれ、そしてその娘には地獄が訪れた。
ありとあらゆる戦闘技術、魔導戦に関する知識――父親の厳しい指導の下、カナタはただひたすら勝利を得るために必要なことを教え込まれた。
その容姿故に友人もできず、彼女にあったのはたどこまでも続く訓練と、屠り続けた数多の宿敵のみ――荒らし集団『スカルスネイク』での活動もその一環であった。
だが、そこまでなってもカナタは父親のことを心の底から嫌いにはなれなかった。曲がりなりにも血のつながった実の父親であるし、何より夢を語る彼の姿は、憎しみをぶつけるにはあまりに純粋だったからだ。
全国大会に出る。魔導戦のプロ選手になる。
その夢はあまりに大きく、重い。
カナタ自身にもそれを達成できるか分からない。
だが――だからこそ、そんな大きなことを、軽々しく口に出す人間を、その白の少女は容易に受け入れることができなかった。
「基本的なルールは公式戦と同じ。ただし闘技場の代わりに普通の陸上トラックを使うから、校舎やその他周辺の学校施設に大きな損害を与える可能性のある攻撃は禁止ってことで」
魔導戦部部長・凪下彩がそう言い、カナタが頷いた。
校舎裏に広がる陸上トラック――夕陽が照らし出すその舞台は、本来ならば陸上部などが部活動で使用しているはずだが、しかし現在は入学式の日ということもあり、それらの活動は見られなかった。故にトラックにはカナタとアヤを除けば他の人影は一切ない。強いて言えば少し離れたところでユカとジンが見学しているだけである。
「問題ありません。元々私は火力型の選手じゃありませんから」
「いやあ、何かごめんね。こんな“十メートル”みたいなルールになっちゃって」
“十メートル”というのは魔導戦の世界では有名な遊びだ。対戦する二人が直径十メートルの円に入って戦うというもので、基本的にノーガードで魔法をぶつけ合うそのルールには、当然ながら通常の試合に比べて遥かに大きな危険が付きまとい、界隈ではよく不良選手が互いの度胸を試すために行うものとして知られていた。
「一般の公立高校に魔導戦の試合をするだけの設備があるわけがない、という現状は理解しています。それに――」
「それに?」
カナタがニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「それに、荒事にはなれていますから」
両者が対峙し、自身の身体に漆黒の球体を押し付ける。球体は弾け、半液体状になったかと思うと、瞬く間に制服の下にある柔肌を包み込んだ。
カナタは一メートル半はあろうかという魔剣ケースに手を伸ばすと、中から白色の魔剣を取り出した。元より魔導戦部を訪れようと思っていた彼女は入学式という日であるにも関わらずそれを持ち歩いていたのだった。いや、部活見学という理由がなくとも、もはやカナタにとって魔剣を携帯することは習慣となっていた。
白色の魔剣――それは剣と呼ぶにはあまりに細く長く、そして異様な形状をしていた。持ち手側の先端には銀色の魔石が埋め込まれ、その反対側の先端は細長いフォルムに反して異様に平たく膨らんでいる。少なくとも一般に出回っている量産型の魔剣とは一線を画す形状をしており、その事実は対戦相手であるアヤに一種の緊張を与えるには十分だった。
だが、アヤの中にあったのは緊張だけではない。何やら異質な新入生が入ってきたということに喜び、そして同時にそんなカナタを逃すまいと決意を新たにした。それは期待や希望というのに近い感情だ。
そんなアヤが取り出したのはとても小さな魔剣であった。
直径十センチほどのその銀色の円筒は、ポケットにも入ってしまいそうな代物であり、同時に魔導戦に関するありとあらゆる知識を詰め込んだカナタにとって全くの想定外の形状だった。
魔導戦のルールでは相手に魔剣で直接攻撃した瞬間勝利が決まる。それ故に、あくまで選手が使いこなせる範囲内ではあるが、魔剣は大きく長くするのがセオリーである。が、目の前の対戦相手――凪下彩が取り出したのはそのセオリーの全く逆を差し示すものだ。接近戦に頼らない戦い方をするのか、あるいは長物の魔剣を必要としない変身系の魔法を使うのか――一瞬の内にカナタの脳裏には幾つもの推測と、それに対抗する戦術プランが駆け巡った。
「そんなに警戒しないでよ。経緯はどうあれ、せっかくの試合なんだからさ。楽しまなきゃ損じゃない?」
「楽しむ……?」
それはカナタが久しく忘れていた感情――かつて一人の少女が思い出させてくれた感情。
その少女のために、カナタはもう一度、真っ向から魔導戦と向き合おうと決めた。本気で強くなり、本気で全国を目指し――そして、本気であの少女に勝利しようと。
――だからこそ、今の私に試合を楽しむ必要なんてない。
白の少女が、再び目の前の対戦相手を鋭い眼差しで見据えた。彼女の頭にあったのはただ勝利するということ。これは公式戦ではない。何か大切なものがかかった試合でもない。言うなれば私怨で行う試合だ。だが、それ故に――
「どんな手を使ってでも、勝ちます」
その視線は狂気に満ち――荒らし集団にいた頃の少女そのものだった。
その少女の戦いを目撃した者は、皆口を揃えて彼女をこう称えた。
――白い死神、と。
「そっか、なるほど」
カナタの視線を受け止めたアヤは、静かに微笑んだ。まるでカナタの内心にやどる狂気――その根本を察したかのように。そしてそれは、手加減が通用する相手ではないということを差し示していた。
「どうやら、私も本気で行かなきゃマズイみたいね」
小型の魔剣をそっと握りしめ、少女が構える。
その瞬間、明らかにその場の空気が変わったことをカナタは感じ取った。荒らし集団内にいた頃に何度も感じたことのある、ピリピリとした殺人的なまでの重圧感――それが、アヤから放たれていた。
「覚悟は良いかしら、新人さん? 私の剣は、そう簡単には折れないわよ」
その一言と、彼女が纏う殺気だけで凪下彩が、カナタにとってこれまで出会ってきた対戦相手の中でもトップクラスの実力の実力を秘めているのは理解できた。理解した上で、進まなくてはならなかった。
「私がなぜ死神と呼ばれているのか――教えてあげますよ」
トラックに一陣の風が吹き――決闘が幕を開けた。