プレハブ小屋
「これが、部室……?」
それはユカにとってその日三度目の驚愕であった。
魔導戦部と言えば高校の部活動の中では一つの花形種目であり、大抵の高校では一、二を争うほど部員が多いものだ。が、今現在彼女の目の前にある寂れたプレハブ小屋を見る限り、とてもではないが人気の部活には見えない。しかし入り口の扉の横には確かに「魔導戦部」という看板が掲げられている。
「弱小校なのは知ってるけど、まさか他に部員がいないなんてことはないわよね……?」
「関係ないですよ。部員が足りなければ増やすだけです。私とムイさんを除いて、あと一人勝てる人材を確保すれば全国行きは確定していますから」
「随分な自信ね……」
「客観的判断です。実際、去年の県代表である天ヶ崎学園を除けば、他の高校は大したことはありませんから」
「あんたとムイの波長が合う理由が分かった気がするわ……」
そんなユカの杞憂をよそに、カナタは扉に手を掛けたかと思うと勢いよく開け放った。
「……誰も、いないみたいね」
ユカがポツリと漏らし、カナタが頷いた。
魔導戦部と看板が掲げられた部室――しかし扉を開け覗き込んだそこには一つたりとも人影がなかった。
二人はプレハブ小屋に足を踏み入れる。もしかしたら廃部状態なのでは、という不安が頭を過ったが、しかしそれにしては部室内の環境は整っているように見受けられた。掃除は行き届いているし、パイプ椅子やテーブル、ロッカーといった備品も、古くはあるが丁寧に使われている印象を受けた。何者かの手によって整備されているということは明らかだった。
「たまたま留守にしているだけなのかな」
「そうかもしれませんね。少なくとも廃部状態ということはないでしょう」
部室内を見渡していたカナタが答えた。
ユカも彼女同様、部室の中を見学することにした。と言っても部室内には別段変わった物は置かれておらず、自然とその足は部室の奥にある机へと向かってしまう。
机にはノートやファイルが丁寧に仕分けされて置かれていた。その内の一つ――“天ヶ崎学園”とタイトルが書かれたノートを手に取ってみる。
「何これ、すごい……」
ノートを開いたユカは、その内容に思わずそう呟いていた。
ユカが見たノートには天ヶ崎学園魔導戦部の各選手のデータが事細かに記されていた。
その反応が気になったカナタも脇からノートを覗き込んでみるが、さしもの彼女もその内容の細かさには息を呑まずにはいられなかった。
「選手ごとのプロフィール、経歴、固有魔法、戦術、そしてその対策――全部完璧に網羅されている」
その作業がどれだけの労力を要するものなのか、データを重視するカナタにとって痛いほど理解できた。そして何よりも驚いたのは、机の上の数々のノートやファイルを見る限り、データの収集先が昨年度の天ヶ崎学園だけに留まらず、過去二十年以上――それも県内の高校ほぼ全てに及んでいたことだった。
「いや、でも、このデータって……」
「あ、気付いちゃった?」
「うわぁっ!?」
背後から唐突にかけられた声にユカが思わず飛び退いた。見るとそこには一人の女子生徒の姿があった。
「ごめんごめん、驚かせちゃったわね」
そう言って少女はイタズラめいた笑みを浮かべてみせた。
少女――身長はユカよりも一回り高く、女子高生の平均からみてもかなり恵まれているようにみえる。長い黒髪を後ろで一つに束ね、如何にもスポーツ少女らしいハツラツとした雰囲気をまとっている彼女は、大きな瞳をキラキラと輝かせてユカとカナタの顔を覗き込んだ。
「ようこそ魔導戦部へ! 私は三年の凪下彩。一応、ここでキャプテンやらせてもらっているわ。まあ、キャプテンって言っても部員は私を含めて二人しかいないんだけどね」
そう言って少女――アヤは気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「二人とも新入生よね? ってことはもしかして入部希望者かしら?」
「あ、はい! 一年の晴海由佳です。よろしくお願いします!」
「雨宮彼方です」
「晴海さんに、雨宮さん。よろしくね!」
と、そこまで話したところでついに我慢できなくなったのか、突然アヤはぐいっとユカに詰め寄った。
「それで、晴海さん! そのデータで気になったことがあったのよね? なになに? 聞かせてくらないかしら!」
「は、はあ……気になったって言っても些細なことなので……」
「どんな些細なことでも構わないわ!」
「ええと、それじゃあ」
ユカは咳払いを一つ挟むと、ノートを指さしながら答えた。
「私が気になったのはデータの範囲と新しさです。ここにあるデータは長野県内の高校のものに限られていますし、何より高校生のものばかりで……例えばですが、県外からスポーツ留学してくる中学生に対応できない可能性があります」
言いながら、ユカはチラリとカナタの方を見た。白髪の少女は自分のことを言われているというのを知ってか知らずか、すまし顔のままの佇まいだ。
「ですので、今からでも県内で注目されているルーキーをチェックした方が……って、すみません! 先輩相手に生意気なこと言いました!」
これまでクラブチームで自分より年上と付き合うことの多かったユカであるから、上級生相手に言いすぎてしまったかと思い、勢いよく頭を下げた。しかしその当の上級生であるアヤの反応は予想外のもので、
「お見事! 晴海さんの言う通りなのよ!」
そう言ってユカの両手を取った。さながら巨大な獲物を逃がさんとするかのように。
「流石の私でも、一人じゃそこまでまとめるのが限界でね。本当は晴海さんの言う通り、せめて県内の中学生くらいは調べておきたかったんだけど……でもそんなことはもう良いの! だってこんなに可愛い新入部員が二人も来てくれたんだもの!」
と言いながら、今度はカナタまでも巻き込み、抱きついた。
「後輩ができるなんて夢のようだわ! 短い高校生活……二人とも、一緒に青春の汗をかこうじゃないの!」
心底嬉しそうに後輩二人をぶんぶんと振り回さんばかりの勢いで抱きしめるアヤであった。
「大丈夫! 私たちならきっと全国大会に行けるわ!」
「全国……」
“全国大会”――その言葉を聞いた瞬間、カナタの動きがピタリと停止した。そしてアヤの抱擁からするりと抜け出すと、彼女に冷たい視線を向ける。
「本気なんですか、全国に行こうだなんて」
「ん? 本気だけど?」
「嘘です。全国大会は、全ての高校生魔導戦プレイヤーの夢です。青春ごっこのつもりかどうか知りませんけど、軽々しく口に出さないでもらいたい」
「ちょっと、そんな言い方、」
横から口を挟んだユカであったが、アヤがそれを右手で制した。そしてアヤはカナタの正面に立つと、真っ直ぐにその白の少女を見据えた。
「雨宮さんは、本気で全国目指しているんだよね」
「当然です。やるからには頂点を目指すのは当たり前じゃないですか」
「そっか。それじゃあ、どうしてうちの高校を選んだのかな? 全国大会に出場したいのなら、強豪に進学した方が確立は高いはずでしょう?」
「一緒に戦いたい人がいたからです」
「強い人?」
「はい。今まで戦った相手の中で、一番」
「そっか」
そう言うとアヤは静かに瞳を閉じ、そして今度は柔らかな笑みを浮かべながら目を開けた。
「じゃあ、私もあなたに勝てば、認めてもらえるのかな。全国出場って夢を」
「あなたが私に……?」
カナタが改めてアヤを見た。頭の上からつま先まで観察しても、多少体格的に恵まれているだけで、ならば何か強力な固有魔法でも持っているのかとも思ったが、しかし以前に長野県の選手を調査した際にも凪下彩などという選手のことは、噂話すらも耳にすることはなかった。つまり、全国大会出場を現実的に志すほどの実力があるとは、到底思えなかった。
「無理ですね。止めておいた方が良いですよ」
「そいつはやってみなきゃ分からんだろう」
その低い少年の声は、カナタの背後――入口の方からだった。
カナタが訝し気に振り返ると、そこには声の主――大柄の少年が腕を組んで立っていた。少年がカナタの前まで歩を進めると、ジロリと鋭い視線で彼女を見下ろした。
「何ですか、あなたは」
「三年の雪風仁だ」
雪風仁。狼への変身魔法を固有。かつては東方区地方は白神山地――その奥深くで魔気の修行を受けていた人物であり、霧野夢衣の兄弟子にあたる男だった。その実力はムイも認めるところである。が、そのことを知る由もないカナタは続けて口を開く。
「全国区で知名度がない。噂すら聞かない。そんな人たちが、他の県ならいざ知らず、あの天ヶ崎学園を打倒して全国に駒を進める? そんな夢物語、あり得ませんね。ましてや、あの人よりも強いだなんて、絶対にないです」
「そこまで言うのなら、お前の実力を見せてもらおうか。偉そうな口を叩いておいて、当人の実力が伴わないんじゃあ、それこそ負け犬の遠吠えってやつだ」
「……仕方ありませんね。無駄な体力を使いたくはなかったのですが……良いでしょう。受けて立ちますよ」
「ストーーーップ!」
今にも乱闘が始まりそうな険悪な空気の中、アヤが二人の間に割って入った。
「ちょっと、私を置いて話を進めないでよ」
「悪く思うなよ、アヤ。小生意気な後輩に、年上の実力ってやつを見せなきゃならん」
「ダメだって、ジン君。相手は新入生なのよ? もっと優しくしてあげなきゃ」
「優しくって、お前……」
何を甘いことを、と言いかけたジンを無視して、アヤは再度カナタの前に立ち直した。
「分かったわ、雨宮さん。私が相手になってあげる」
「まあ、私は誰が相手でも構いませんが」
「でもその代わり、私が勝ったら文句なく私の夢に付き合ってもらうわよ」
「良いでしょう。では、私が勝ったら今後一切、私のやることに口を出さないでもらいたい」
「オーケー。それじゃあ、お互い精一杯やりましょうね!」
そう言ってアヤは右手を差し伸べるが、カナタはそれを無視してさっさと部室から出て行った。
「ふん、可愛くねえ奴だ」
悪態をつくジンを戒めるようにきっと睨むと、アヤはカナタを追いかけて部室を後にしたのだった。