始まりの季節
彼女の一日は清掃から始まると言っても過言ではない。
目を覚ますのは午前六時。そこから学校へ行く支度を済ませ、七時には家を出る。通学路を往く手段は基本的には徒歩――もといランニングである。故に家を出る段階の彼女の服装はいつもジャージで、制服には所属している部活動の部室で着替えることにしていた。
朝の爽やかな空気を全身に感じながら、まだ人気の少ない街並みを抜けて学校へ。校門を潜ると真っ直ぐに校庭の方へと向かう。
校庭の隅には小さなプレハブ小屋が建っている。老朽化が進み、一体いつ天井が落ちてくるか、あるいは壁が倒れてしまうか分からないような建物で、資料に残っている限りでは二十年以上前からそこに存在しているらしいということだった。
だがしかし、そのボロボロのプレハブ小屋こそ、彼女が所属している部活――“魔導戦部”の部室そのものである。夏場は蒸し暑いし、かと思えば冬場は隙間風で恐ろしく冷え込む。そんな部室でも三年もの間通い続ければ自ずと愛着というのは沸くもので、彼女にとっては第二の家も同然だった。
部室の鍵を開けて中に入ると、まず始めに窓を全て開け放つ。朝の新鮮な空気を味わったかと思うと、今度は掃除用具入れから箒と塵取りを取り出す。掃除をするのだ。この掃除も三年間欠かさず続けたことであり、もはや彼女の生活の一部、もはやルーチンワーク――その始まりと言える行動となっていた。
それに加えて、その日は特別な一日だった。
「うっす、相変わらず早いな」
部室内の清掃が一通り終了した頃、部室の扉が開かれ一人の男子生徒が現れた。身長はおよそ180㎝、バランス良く筋肉のついた理想のアスリート体形をしており、その風貌だけでも青年が相当なトレーニングをしているということが、たとえ初対面の人間でも窺える。眉間には常に皺を寄せており、そのせいで周囲の人間に勘違いされることも多々あるのだが、しかし彼女からすれば幼馴染の見慣れた仏頂面だった。むしろ子供の頃から何一つ変わらぬ表情には可愛げさえも覚えてくる。
「そんなに気合を入れても、新入部員なんざ入る時は入るし、入らん時はどうやったって入らんもんだぞ」
「そうかな? まあ、でも、見学に来てくれた子たちが部室が汚いとかの理由で入部してくれなかったら嫌じゃない?」
「それを言うならこんなボロ小屋、建て直すのが一番だと思うがな、俺は」
「もう。またそんな風に穿った考えをして。こういうのは気持ちの問題なのよ」
「そういうものか?」
「そういうものよ。少なくとも私たち先輩が歓迎しているっていう誠意は見せないとね」
そう言って、彼女はパチリとウインクをしてみせた。頻繁に「子供の頃と全然変わらないね」などと言われている青年からすれば、彼女のそんな仕草こそ幼い頃から変わっていないと言い返したくなる。しかしそういったやり取りももはや慣れたもので、青年は皮肉を言う代わりにパイプ椅子に腰かけ、テーブルの上に肘をついた。
「しかしな……今さら、俺たちよりも強いとまでは言わなくとも、戦力になるような一年が入ってくるとは思えんが」
「そうかな?」
「誰かアテでもいるのか?」
「うーん、そういうわけでもないんだけど」
そう言って彼女は窓の外へ視線を投げかけた。校庭とそのさらに先には校門が見える。校門をくぐって登校してくる生徒もチラホラと見受けられた。
「何となく、予感がするんだ」
「予感?」
唐突に漏らされたその言葉に青年が聞き返すと、彼女は振り向き、爽やかな笑みを浮かべてみせた。
「きっと来るわよ、私たちの新しい仲間が」
「仲間、ねぇ」
彼女の笑みに釣られて青年も僅かに顔を綻ばせる。
「お前のそういう勘はよく当たるからな」
「うん」
答えて、彼女は再び窓の外へ視線を向ける。
「きっと始まる。ここから」
その視線には希望が込められていた。